これからどう生きて行くべきか2016年09月17日 10時50分41秒

★さすがに疲れが出てきた。

 母が死んでから、一週間ずっと天気が悪かった。告別式の土曜は晴れたが、それ以外ずっと曇りがちもしくは小雨が降るぐずついた日が続いていて洗濯ものが干せないでいた。
 ようやく今日、土曜になって朝から晴れ間も陽射しもあり、溜まりに溜まった洗濯ものを濯ぎ直してやっと干し終えた。やや雲は多いが夕方には乾くかと思う。
 母が生きていた時から溜まっていたものなので、当然母の着ていた下着類などもある。もう母は着ないし他に誰も着ることはないのだから洗濯する意味もないわけだが、改めて干しながら母の死を実感した。

 父も今日から通っていたデイケアを再開して先ほど送り出したので、今この家は、我と母の遺骨だけしかいない。遺影の母は何も答えてくれないので、この家は今我一人ということになる。
 ついにこんな時が来た、という気持ちだ。たった一人で遅い朝食をとりながら、テレビの朝ドラ総集編を見るともなく観ていた。

 このNHKの朝の連続ドラマ、母はいつもどの作品も好きで、特に前作「朝が来た」は夢中になって観ていた。主題歌も好きで、何度か入院した最中も、その歌詞を印刷したのを同室の人からもらって、皆で一緒に唄ったとか話していた。
 今やっている、「とと姉ちゃん」も、当初は欠かさず毎朝見ていたが、けっきょく入院が多くなって、当初は院内でもホールのテレビを観に行けたらしいが、やがて寝たきりとなってしまい筋もずいぶん進んでしまった。母がウチに戻ってきて、寝たきりでは刺激がなさすぎると、ようやく8月の終わりになって友人に手伝ってもらい、居間のテレビを母のベッドのある部屋に移動させて、そこでテレビも観れるようにした。
 が、何回かその朝ドラは見させたが、話もずいぶん進んでいたのと、もう上半身起こしてテレビを観る気力、体力もなくなってしまいどれほど理解し楽しんでもらえたかはわからない。好きだった歌番組を見せても半分ほどで目をつぶってしまい辛そうなので消してしまったこともある。

 ケガや手術などで療養中、回復中の患者ならば、体力もあり時間を持て余してしまうだろうからそうしたテレビや音楽は必要不可欠だろう。しかし、もう残り少ない命の炎を細々と灯し続けるのがやっとだった人にテレビはもう不要であったかと今気づく。ラジオでさえ当初は聞いていたが、騒がしいだけで聴いていると疲れてしまうと、ニュースの間は流していたが、終わるとすぐに消してくれと言っていたのだから。
 母にとって必要だったのは、静けさと窓から見える庭の木々の枝葉が風に揺れる姿だったり飛び交うアゲハ蝶、電線に止まる鳥の姿だったり、目に入ってくる自然の平穏だけで十分だったのかと今思う。

 昨日もお線香を上げに近所の方が一人来られたが、そろそろ一週間が過ぎ、葬儀の後片付け、雑事も終わりに近づいてきている。ならば、我が人生も「再開」すべきだと思うものの、もう少し母とのこと、思い出なども書き残してまとめておきたいし、葬儀も母の死も「終わったこと」にはなかなかまだできないでいる。

 19日は、戦争法成立一年の節目の日であり、行けたら友人と連絡して国会前に出向こうかと考えていた。が、今はまだ母を残して、父一人にして午後から半日家を空けるのはどうにも難しい気がしている。
 むろん、父一人にしてもたぶん大丈夫のはずだ。が、今はまだ父のことより遺骨の母を置いて家を何時間も空けるのがしのび難い。この連休も誰か焼香に来るかもしれないし、父が応対したとしても誰が来たのか覚えていて報告してくれるだろうか。
 願わくば我はその人と母のことを語りあいたいと思う。我が母はどんな人であったか、聞きたく思うしどうして死んだかも話して伝えたい。

 母はこの数か月、ほぼ寝たきりとなってしまっていたから、家事も炊事洗濯も何もかもできないので、それらはすべて我がやっていた。そこに母のおしめ交換など介護もあったから、ともかく忙しく我は大変であった。
 だからそうした介護の時間は消えたのだから、体力的には我は楽になり解放されたはずだ。夜も起こされず長く深く眠れるようになった。
 が、このところどっと疲れが出てきて、夜は起きていられないし今日も洗濯ものを干しただけでフラフラである。

 特に一人なると、強い疲労感に襲われる。おまけに腰痛もまた出てきた。母を介護しているときは、日常的に腰は痛かったが、痛くてもどんな作業でもやり通せていた。動くことは辛くなかった。
 それが今はどっと疲れ込んでいる。父も今日は夕方までいない。外は晴れて涼やかな風が吹き込んでくる。朝はしっかり食べたので、このまま昼飯は食べずに昼寝でもしようかと思う。だいいち食べさせる人も食べてくれる人もいないのだ。ならば飯の支度などもう不要ではないか。

 夢で母と会えたらと願うのに、母はあの世で向うにいる友人知人との再会で大忙しなのだろうか、ちっとも夢にも出てこない。そういう人なのだ。きっと浮かれて連日パーティみたいな歓迎の騒ぎに、残してきた家族の事などうっかり忘れているのであろう。そのほうが我は嬉しい。
 今も成仏できずに、何もできない魂だけなのに、我らを心配してこの世に彷徨っていてほしくない。しかしたまには夢に出てきて、向うのことなど報告してほしいと望む。

 もう母は下痢や腹痛に苦しむこともないだろう。体重も戻り前のように元気に歩けているはずだ。もう何も心配いらない。母の魂よ安かれ、そう祈るしかない。

 さあ、これから我はどうやって生きて行こう。まず何からすべきだろうか。母のいない人生をどうやって構築していこう。いったいどうしたらいい?