癌よ、お前は何のためにあるのか・前2016年09月21日 10時39分03秒

★この世の全てに意味あるならば。

 どうしたことか、ともかく寒い。今朝などウチのほうは、20度もなかった。台風は過ぎ去ったようで、曇り空だが風もなく今、外は静かだ。しかし気温は低く、このままだと冷害の秋となろう。このところずっと曇天雨模様で、日照時間は短いのだから、農作物にも被害がでる。
 九州の妹の田では、去年も稲に実が入らず、今年も成長期に水不足が続いたので不作は間違いないとのことであった。

 おそらく日本全土、今年は農作物の出来は良くないのではないか。水害に冷害、日照時間の不足、それらは地球規模の異常気象がもたらすものだ。そしてそんな時代に海外からの安い農産品の輸入をより増やしていこうというTPPの承認が待っている。国内の不作・不足を安く外からまかなえられば、とりあえずの食は確保される。が、海外でも異常気象が多発すれば輸出にまわす余剰農作物が生産されるか、入って来るかは定かではない。他国に依存して、そのとき、日本の食は大丈夫なのか。
 地球規模で天変地異が多発している時代なのだからこそ、国内の生産性、自給率を少しでも高めて、備蓄も増やし国家はその時に備えるべきではないのか。それが政治家の役目、正しい判断ではないだろうか。

 さておき、我は運命論者ではないけれど、この世のすべてのこと、起こることには全て意味があるとつくづく思う。原因と結果の法則ではないけれど、全ての事には意味がありそこに理由がある。
 ただ、問題は人は、特に当事者は、そのとき、コトが起きているときはその意味も理由もわからず、ただ驚き、うろたえ、頭を悩まし困惑するばかりなのだ。そしてたいてい誤った、適切でない判断を下し間違った処理をし失敗してしまう。特に我は常にそうであった。
 幸いは、たいてい後になれば、その時々、その時点ではわからなかったことも、何だ、そうだったのか、そういう流れ、伏線、理由があったからそのコトが起きたのだとわかる、すべてがはっきり見えてくることだ。

 母とのことも一喜一憂してはならない、と常に自戒していた。が、それは後で長い目で見ればの話で、その時そのときは、つねにリアルタイムなものだから、やはり常に些細なことにも一つ何か起こる度、悩み驚き慌てて、あるいはぬか喜びもしてしまった。そしてそうした日々を積み重ねて、ついに母は、体力気力尽き果てて死出の旅へと出たのだ。
 母の生きていたとき、死ぬまでの日々を今振り返ってみると、全てそこに至るようにつじつまが合う。母は確実に死に向かっていた。確かに、我の介護がもう少し適切にやれたとしてもその誤差はごく僅かであっただろう。
 ならば、そう予め定まっていたことだと理解して、起きてしまったことを受け入れるしかない。自らを責めても悔やんでも仕方ないし意味はない。

 ただ、そうした今もなお一つだけ、気になること、いや、わからないことがある。いったい何で母は癌におかされたのであろうか。何で母は癌を患い癌で死んでしまったのだろう。その理由が知りたい。そもそも癌っていったい何なのだろうか。
 
 焼き場で焼かれた母の遺骨を抱えて家に戻ってきた。焼かれた直後の骨と化した母の姿もはっきりと見た。そのとき感じたのは、高齢ではあったが、母の骨は実にしっかりしていたということだ。
 焼き場の職員も、この歳で、女性でこんなにしっかり形ある骨がたくさん残っているのは珍しいと言ってたと記憶する。量も多く、用意された骨壺にほぼ満杯で、何とか収めることができた。

 母は中年期から意識してカルシウムの錠剤とか日々とり、骨を強くする注射なども受けていたので、骨密度は高かったようだ。最後は痩せ衰えて骨と皮になってしまったけれど、その体じたい、元気なころは、妹弟の誰よりも比せば大きく頑健で、抱えて戻って来た骨壺も実にずっしりと重くて驚かされた。最後の時の母の肉体そのものとほとんど変わらぬ重さがあった。
 つまり、骨という土台じたいは頑丈にできていたのだから、肉体が癌で病み衰えさえしなければ母はまだまだもっと生きられたはずなのである。そう確信する。
 ならば、そうして母の命を奪ったもの、お前、癌とはいったい何なのだ。癌にも意味があるとすれば、その意味が知りたい。
 そのことについて、考え続けている。