元の世界に戻りたいと願うけれども2016年09月24日 22時41分16秒

★ただ祈り救いを求めている。
 
 この何日かものすごく苦しくて自分でもどうしたらいいかわからない。
母のいる世界にすぐにでも行けたらと考えるが、我が死ねばまた妹や父、そして多くの人たちに迷惑をかけ、苦しい思いをさせてしまう。
 母の死でそのことを痛感したからには、おいそれとは死ぬわけにはいかない。まして、死ねば母のところに行けるか定かではなく、逆に地獄に墜ちるだけであろう。
 まえは、母が生きていた頃は、日々毎朝、散歩の折など家族三人での変わらぬ平穏と無事を祈り、寝る前には感謝して床に就いた。が、もう今はその言葉がみつからない。父と二人での幸せを祈ろうにも母がいない今、果たしてそれが我が願う求めているものかはっきりしない。
 何よりもこれからいったい何をどうして良いのか未だその道筋も覚悟も決まらない。
 先にも書いたが、今は人のいる場に戻れる自信がない。正直誰かに会うのも怖いぐらいだ。
 昔、不登校だった頃、あまりに長く学校を休んでいると、もう行きたくても行けなくなってしまう記憶がある。しだいしだいに敷居が高くなり、まさにハードルが高くなって、気軽にはもう学校には戻れない。我のいない教室をあれこれ想像してももうそこは自分の居場所がないと思う。今はそれと似た気分になっている。
 もうどこにも自分の行き場はないし、すべての価値を母と共に失ってしまった今、生きている、生きていく意味が見いだせない。
 むろん、こんな我にも役割も果たすべき義務もあるはずだと信ずる。夢中になれる何かもあるはずだ。ただ今はまだそれに向かって、よし、がんばろう、やっていこうという、そのことを了として受け入れる気分になれやしない。
 新しい光を、新たな風よ、そして新たな命の息吹よ、我に届け。毎日毎日このところの天候のように、陽射しもなくぐずついて、うすら寒く憂鬱気分のままでは気持ち新たに前向きにはなれやしない。

 ただ神に祈り救いを求めるしかないのだが、母の死のあと、我の中での神は遠くに行ってしまった。ならば遺影の母に向かって日々嘆きすがろうとも母は穏やかに笑っているばかりで、どこにも救いはない。
 母を死なせたこと、ただ悔い、後悔、今さらどうしようもないけれど、本当にこれから母なしで、いったい一人でどう生きて行けばいいんだろう。母に尋ねても何も答えは返らない。では、あの世もないのか。神も母も失ってしまえば我が魂も行き場がない。でも死ぬにも死ねない。いったいどうしたら良いものか。
 元の世界に戻りたい。が、戻ろうにも母のいない今は同じ場所はどこにもありゃしない。