父の扱いをどうしたものか2016年10月02日 22時00分16秒

★「パー人間」の度がさらに深まった父

 10月に入った。母の死の哀しみはさておき、そろそろ元の生活、人間関係に復帰して、我が人生を再構築せねばならない。そう頭では考え、気持ちもそちらに向かっているのだが、現実問題として相変わらず状況は変わらない。
 理由はひとつ。認知症の父の処遇で、母の死後やはりさらにボケが進んできて、父と子、男同士二人でぶつかりあい大騒ぎしている。情けない話だが母が一番最後まで気に病み案じていた事態が日々続いている。

 母がまだ元気な頃から、父は「バカになるのもほどがあるよ!」とよく叱られ母は呆れ嘆いていたものだが、そのボケの度はこのところさらに進んできて、我はもう正直がまんの限界になってきている。
 夜中にごそごそ探し物して騒ぐは、突然、大変だ、死んだら銀行からもう下ろせないと、母の通帳を見せろと言い出し、(じっさいはそんなことはなく、葬儀費用なども父の年金が振り込まれる口座だけでは足りずに母の口座からまかなった)見せてもよく理解できず、そもそもその母の口座から下ろすことも父に話して了解をとってたのに、そのことすら忘れていた上に、この「大変だ!」騒動を何度でも繰り返す。
 その都度説明してもまたすぐに忘れてしつこく何度でも通帳、通帳と大騒ぎする。

 そんな父に管理は任せられないから息子が預かっている銀行関係の入ったカバンも、本人の手元にないためなくなった、盗まれたかもと狂ったように汗まみれで探し回りあちこちしっちゃかめっちゃかにしてしまう。
 説明して、いかに頭がおかしくなってるか説くと、そのときは理解もし反省もしてワシは頭がどうかしてしまったとしおらしいことを言う。
 が、一晩寝ると、前日にあったこと、しでかしたことはすっかり忘れてまた同じような騒動を繰り返す。ともかく記憶が続かず、ならば息子にわからないことや不安に思うことは訊けば良いのに、それはせずに全部自分で解決しようとする。その結果パニックを起こす。夜中でも一つ何か気になることが頭に浮かぶともう眠れなくなって時間も関係なくうろうろ探し回っている。何度咎めてもしかりつけてもダメだ。

 大腿骨の骨折での入院を終えて退院後、母が生きていた頃から、週三回、介護療法士のいるデイケアに父は通っている。送迎もしてくれるのでいない日は向うで昼食べさせてくれるし風呂も入れるのでこちらは楽ではあるが、反面また困ることもある。
 まず送り出すときと帰宅するときに必ず誰か家族がいないとならなくて、しかも電話で事前に連絡がある。電話にも出ず誰も家人がいないときは父は家に帰ってこれない。しかも向うにいる時間が短く、朝の八時半に送り出すと午後三時過ぎにはもう帰ってきてしまう。
 となるとその間は出かけるにしても近所に買い物に行くぐらいしかできず、デイケアの日こそ確実に我は在宅を強いられる。

 母が生きていた頃は、むろん24時間介護せねばならなかったので、買い物すらもヘルパーや看護士が来てくれているときしか出らなかったが、その母が亡くなり、ではまた元の生活に戻れるかといえばこの父が家にいる限り、やはり都心とかに出る時間は未だとれないでいる。一人にするとともかく目が離せない。勝手に何かして危なくてしょうがない。

 父も母と同じく最期までこの家で犬猫愛着あるものたちに囲まれて過ごしたいと言うし我もそうさせたいと考えていたが、この状態ではやはり我は何もできないし、家で父の面倒を見るだけで我が人生も消えていく。
 それはそれで仕方ないし子としての努めだと割り切れなくもない。が、父を看取り送った後は、無年金者の我には収入はないし、それからみつかる仕事があれば良いが、先のことはまったく見えてこない。
 いくらかの家の貯金を食いつぶしてそれが無くなる頃、我も自然死的に死ねたら理想だが、そんな風にうまくつじつまが合うかは誰もわからない。我としては、体が動く今のウチにもっと外に出て金になるようなことをみつけたいと願うが、この認知症の92歳でろくに歩けず、誤嚥するのでうまく食べられない老いた父がいる限りなかなかそれもかなわない。

 今、ケアマネとはかって近くの特養に預けるとかないのかと検討しているが、当人としては絶対的に嫌がり抗うことは間違いない。しかもおそらく入れたらさらにボケは進み弱って来て早晩母の後を追うように死ぬことも考えられる。子としてそれをゆるせるか。
 ウチでは母が生きていた頃、呆けてバカなことばかり言い、おかしなことをしでかす父を指して二人で「あれはパー人間だから、いくら言っても無駄だ」と嘆くことしばしであった。今、そうしたとき共に嘆き相談してきた母を失い、本当に途方に暮れている。

 情けない話、こんな男を残し二人だけにして先に逝ってしまった母に、悲憤慷慨、昨日も泣き叫んでいた。母の遺志のためにも父と二人で仲良くやって、願わくばこの家で父もまた見送りたい。しかし、現実問題としてそんなパー人間を我一人でどう面倒見るか、面倒みられるのか頭を痛めている。我の我慢が足りないのもわかっている。もっと寛容にならねばならないと自らに言い聞かせてもつい堪忍袋の緒が切れてしまう。オレはなんて狭量な人間なのか。
 いったい父のこと、どうしたらよいのだろう。今が思案のしどころだ。

 妹が納骨の時に、また九州から来てくれる。そのときまで待ってみて妹と相談してどうすべきか決めたいと今考えている。

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