少しづつ動いていく~ 良いことも悪いことも2016年10月19日 14時15分37秒

★無理せずに少しづつやっていけたらと

 このところ天気が目まぐるしく変わる。秋らしく晴れたかと思うとまた雨や曇り、うすら寒い日もあれば今日はやや蒸し暑い曇り空。いいかげん爽やかな秋晴れが続いてほしいと願うが、今年の秋はなかなかそうもいかない。
 その天気のように我の心も揺れ動いている。前向きに、よし、頑張ろうと誓う日もあれば、もう体調すぐれずに、ひたすらベッドの中で悶々鬱々と不登校の子どものように後ろ向きに自らを苛む日も多々ある。
 
 先だって月曜日の夜、小雨も降っていたが、我は三か月ぶりに、いや、四カ月近くになるかもしれないが、谷保のかけこみ亭に出向いた。
 その日、敬愛するシンガー、ながいようさんが店に来られるとのことで、女友達からメールで連絡があり、行けばきっと甘えて泣いてしまい迷惑かけるだけだからと、一度は断ったものの、やはりせっかく誘われたのだからと、自らを鼓舞して久々に電車に乗って夜九時過ぎ、父をベッドに追いやってから家を出た。
 正直、かなり勇気がいるお出かけであった。むろん気心知れた人たちに会うのに何も苦痛も辛いことはない。が、何ヵ月も誰とも会わず話すこともしないと人との距離や何もかもがわからなくなって全てに自信がなくなってしまう。
 何しろ最後に館野さんと会ったのが7月の頭、両国での隅田川フェスで、以後、我は母の看護に追われて全く出かけられず、全ての友人知人とは一切交わりを断っていたのだ。実に三か月半の再会であった。

 店には館野さんや旧知の我が仲間たちが、ながいさんを囲んでひとしきり談笑に弾んでいた。無論のこと歓待されあれこれ同情して頂いた。あまり母の事について聞かれなかったことあり、幸いにして泣くことなく皆と楽しくたわいないことを話して、零時過ぎ、ながいさんと立川まで出て構内で別れた。いつもながら飾らない真摯な人柄に魅了された。
 勇気出して行って良かったと思ったし、皆と会い元気になった気がした。やはりそこには変わらぬ仲間たちがいてくれて我を温かく迎えてくれたのだ。

 しかし、翌日=昨日は二日酔?なのか体調は最悪で、頭痛くて起きられない。ずっと風邪気味だったこともあるが、久々に高い熱も出て何も食べずにひたすらベッドで倒れ込むように一日中寝てしまった。そんなたくさん吞んではない。が、久々の外での酒にペースがつかめず、無理して陽気に振る舞っているうちに酒に飲まれ自分を見失ってしまったようだ。
 また、いきなりたくさんの人と一度に会ったので、湯あたりならぬ人あたりしてしまったのかもしれない。といってもマスターのぼけまるさんを入れても5人しか会っていないのに。それに毒気ある人は一人もいなかったのに。
 これではライブどころか、どこか人前に出て何かやったりまずできない。無理していきなり臨めばきっと卒倒したりショック死してしまうかもしれない。少しづつ少しづつ、できれば一人づつ会うなり電話で話すようにして、元の関係や状態に戻していく。でないとその後、確実に熱出して寝込む羽目となろう。我はそもそも対人恐怖症なのであった。

 今日は19日で、国会前行動に行けたらと漠然と考えていた。しかし、父のこともあるし、やはり半日でも家を空けることはなかなか難しい。早く、新たなデイケアやお泊り出来るデイサービスが決まって、そこに託すことができるようにならないと認知症がこのところ一気に進んできて目が離せない老父のことが心配で人とゆつくり会うこともままならない。

 今月の30日、ようやく四十九日の儀と納骨が決まっている。我は宗教的なことを抗う気持ちはないので、仏式葬も含め先祖代々のお墓があるならお骨は母も、やがては父もそこに収めれば良いと思っている。
 母は死んだが、いずれにせよ、我らはまだ生きていて全ては生きている間だけのことならば、カエサルの物はカエサルに、で良いのではないのか。何せよ、世間一般的な弔いの儀式はしないわけにはいかず、有難い戒名も頂いたので、インターネットで格安の位牌も先ほど注文して発注した。位牌というものもまさにピンからキリまで値段があることを知った。
※近くの仏壇屋を覗いて見たら、安くても一つ10万円はするので仰天した。ならば、その十分の一の値でネットには彫りも込みで安く出ている。そんな木の板で仏壇屋の懐を潤すより、墓は今後も維持管理もあり、お寺の方に余計に払う方が合理的だと我は考える。

 さておき、親しくしてきた音楽仲間の女友達から先ほど封書で結婚式の通知が届いた。とても大事に思いずっと気にかけてあれこれ心配してきた人だったから、善き人と出会い結婚に至ったのは本当に喜ばしい。ほっと安堵した。その手紙を手に取り胸の中に暖かいものが溢れて来た。
 人は自らが落ち着き自らも幸せでないと他者をも幸せにできないのだ。これでようやく彼女も落ち着いて、これからもうたで奉仕し、愛に満ちた豊かな恵みを聴き手にさらに与えてくれることだろう。
 一か月後の教会の式には何としても顔出したいと思う。それまでに何とかリハビリを続けて人生の不登校を克服しておかないと。

 天気のようにめまぐるしく良いことも悪いことも、あるいはすぐには何もわからないことも次々と起きる。気分が良い時もあるし落ち込むときもあろう。しかし、ともかくこれからもこの世に生ある限りとことん生きていかねばと思う。

 人生は大変かと自らに問う。うん、ものすごく大変だと答える。しかし、死ぬこと、死んでしまうことの大変さに比べれば生きていることなんてちっとも大変じゃない。死ぬまでの間の人生、ならばその中で少しでも良いこと、楽しいことをみつけてそれを慈しみ育てて、願わくば他者にも分け与えていこう。汝の隣人を我が事のように愛せなのだと。