すべてを終わらせようと考えた2016年11月18日 10時21分13秒

★母を喪った先の地獄

 よく歌の世界や映画の中では、大失恋や悩み苦しんだ末の離婚、そして愛する人との死別など、心に大きな痛手を負った男が、今ある現実をすべて投げ捨てて、誰も知り合いのいない新たな土地に旅立つというストーリーが見受けられる。
 新しい土地で、まったく新しい人生を一からまた始められたらどんなに楽だろうか。我もそう強く願うが、現実はそう簡単に何もかもかなぐり捨てて旅立つことも出家することも何一つできやしない。

 この数日、咳が止まらず、ひどいときは吐いたりと体調も最悪だったところに、一昨日の夜、突然父がまた「発狂」して、真夜中近くまで大騒ぎしたりしたので、どうして良いかわからなかった。誰もこの親子を救う者はいない。
 父を殴り殺して、我も自殺してこの家に火をつけることも頭をよぎったが、興奮している父を残して、我は外に出、犬たちと深夜2時間近く外で散歩して戻ったら父はようやく自らベッドに入って眠っていたので大事に至らなかった。
 
 認知症の父に、少しは何か作業をさせようと、母の葬儀関連の雑事もようやくほぼ終わったので、頂いた香典袋などを片付けるため整理させていた。
 そしたらば、葬儀にかかった費用、収支などを記録したノートをしげしげと見ていた父は、突然、大変だっ!ワシはお寺さんに納骨法要の時のお金を払っていない、今気づいた、と騒ぎ出した。

 父曰く、彼の手帳には、墓石に新たに母の名前を刻むなどの代金は石屋に5万円払ったことは記してある、が、お寺の住職に支払ったかは書いていない。だから、払っていないのか、どうなんだ、と我に問う。
 むろん、その場で、妹の手から住職にはお布施として渡してある。が、お寺からは領収書など貰えないし、収支の記したノートにもうっかりまだその金額は記していなかった。
 その代金は払ってあるとこちらが言っても、父は、ならば何でワシの手帳には書いていない、ワシは払った記憶がない、お前たちはうっかり忘れているんだ、どうしよう、大変だ! といくら言っても納得しない。今晩は心配で眠れないと興奮しまくりである。※代金については、当日の帰り道から父には支払ったことはもう何度も話したのに、また呆けてすっかり失念しているのだ。

 こんなとき、第三者がいて、我と父の間に入って興奮する父をとりなしてくれる人がいれば良いのだが、夜中でもあり、九州の妹に電話しても繋がらない。誰か事情を知る人が説明してくれれば収まるのに、この親子二人だけではどうにも収拾がつかない。昼間ならお寺に父は自ら電話かけて確認したことだろう。
 母がいれば、そんな父をなだめて父も納得しておとなしくなったのだが、その母はもうこの世にいない。何しろこれはそもそも母の葬儀に関しての騒動なのだ。
 母が死んで、それだけでも地獄だと思っていたらその先にまださらにこんなに地獄が待っているとは、と、犬たちと夜道を涙をぽとぽと落としながら歩いた。

 翌朝は、もう父を起こさないでいた。いつもデイケアなど迎えがあるときは、出る時刻に合わせて無理やりでもたたき起こして着替えさせ食事とらせて送り出す。が、昨日は、デイケアのない日だったので、もう知ったことかとほったらかしにしていた。
 そしたら昼近くまで起きてこない。こちらも心配になった11時過ぎ、ようやく自ら起きてきて、よく寝たなあ、こんな時刻か、とまったく臆面がない。訊けば、昨夜何かあったのか!?、ワシは何かしたのか、と前夜の騒動はまったく記憶にない。呆れ果てた。

 ちょうど妹から電話もかかってきて、妹から、お寺にはもうお金は払った、だから心配しないでと、伝えてもらったらようやく思い出して、ワシは安心したと言う。ならばまたそのことを忘れないうちに、手帳にその件についてきちんとでかく書いておけ、と命じても、今度は、逆に、お前は払ったことをワシにきちんと伝えたのか、では、何でワシはそれがわからないんだろう、と、昨晩騒いだことについて記憶がないのも含めて自ら不審でたまらない様子。そして、そのことについても息子に、なんで、ワシは聞いてもわからないんだ、おかしい、何でだ!? とまたさらに問い続けてくる。

 問われたってこちらこそ何で言ってもわからないのか聞きたい話で、ようするにそれだけ呆けてしまい、そのときは発狂したような状態なのだから、一度思い込んで興奮してしまえば、もはや息子がどれほど説明しても聞く耳持たないのである。
 しかし当人は、「正気」のときは、「発狂」しているときのことは覚えていないし、もうすべて何もわからない。だが、そうしたお金のことだけは、自らが関わり管理しているつもりでいるから、わからないことや納得しないことがあると不安になってパニック障害を起こす。
 何だか今日は字が書けない、手帳もつけられないと言うので、着替えさせて病院に連れて行き、ともかく脳のCT撮るか、医師に相談しようかとも考えて父を車に乗せたが、本人は行ったって無駄だ、もうどうにもならない、と抗っている。

 けっきょく病院はやめて気分転換に、まず外で遅い食事、父にとっても我にとってもこの日初めての食事をして、近くのホームセンターで買い物している間、父をペットコーナーに置いてきたら、ケージに入ってる子犬や子猫を見てすっかりご満悦である。機嫌もなおった。そして手帳にも書いたと本人は言ってるので、この件はとりあえずしばらくはまた騒ぎ出すことはないかと思える。
 もう心底疲れた。その後、妹とケアマネと電話で話して、父をまず今週末、今通っている民家型デイサービスのところに一泊お泊りさせてもらうことにした。

 特養に勤めている妹からは、そうした認知症の人のことは詳しい者として言われたのは、もうこれは病気なのだから理屈で説明しても無駄、だから、そうしたときは、こちらが父に合わせて、あっ、支払い忘れていた、明日払いに行くね、とか言って騙して場を収めるしかないと。どうせすぐにまた忘れるのだから。
 だが、我はそれしかないとしても、そうしたほうに与することは今はし難いと思う。いや、できない。事実は事実として噛んで含めるようにして何とか理解させることはできないものか。それとももう父は本当に言葉の通じない犬猫の類、あるいは狂人と成り下がってしまったのか。

 そしてまたこうもずっと考えている。それが出来ないから願うのだろうが、母を喪ってしまったのだから、もう今はすべてこれまでの人間関係も何もかも終わりにしたい、と。このブログも終わりにしようかと。
 父と二人暮らしのこの地獄で、誰も助けてくれる者はいないのだから、もうすべてさらに失くしていくべきではないのか。今さら一人になって何もかも今抱えているものを投げ捨てる事はできやしない。ならばこそ、もう一度、1からではなく、ゼロから新たに人生を始めたい。
 そのためにもすべてを終わらせたい。それがどこまでできるかはわからない。が、今はもう、すべてを終わらせてそこから新たに出直し始めたいと思っている。

コメント

_ mir ― 2016/11/18 17時33分58秒

心身共にぎりぎりの状況で、苦闘の日々を刻まれているご様子に、言い表し難い厳粛さを覚え、ただ敬服するばかりです。これほど真摯に生きる事に向き合って葛藤され、弱さも告白されながらも、実際には実践的な愛を身内の方に捧げられている事にいつも、胸に刺さるものを感じています。状況は決して極限されたものではありません。多くの人が程度の差はあれ、かつて似たような道を通り、今まさに苦しみ、やがて通るはずです。何より世情がこのような状況なのですから。そこでお願いがあります。どうぞこのブログを続けて下さい。落ち込んでここを開き、学び、泣き、力づけられ、共に乗り切ろうとしている者がいます。そして音楽や温泉の楽しい話題も聞かせて下さい。ブログを通して人生の真実を届け続けて下さるのを心から望んでいます。勝手なお願いをご容赦下さい。
私は、「カラマーゾフの兄弟☆試訳」 というブログを続けている者です。ドストエフスキーの作品に学ぶところがあります。

_ ふく助 ― 2016/11/18 18時51分26秒

今更ながらかも知れませんが、認知症の家族を抱えた方たちの自助グループを探してみたらどうでしょうか。市役所で訊いてみては如何でしょうか。

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