ようやくすべてを受容できるときが来た。2016年11月21日 18時07分16秒

★全てそういう運命、定めだったのだと。

 犬でも猫でも、鳥でさえも愛するペットと死に別れると、ペットロス症候群になるとよく言われている。立ち直るには一定の時間が必要で、それはおおよそ二か月はかかるとか何かで読んだ。
 ペットでさえもそれだけの時間を要するのならば、ヒト、それも長年共に暮らして来た家族ならどれほどの時間が経てば、死の痛み、ショックから立ち直れるのか。
 母がしだいに病み衰えてきた頃、不安で我は眠れぬ夜に、もしこれで母を喪ってしまったらば、きっと自分はショックで発狂するか自殺するしかないのではないかと、「その後」のことを強く怖れた。
 そして母をじっさいに喪い、しばらくは慌ただしさと事後処理に追われつつ毎日泣き暮らしていた。あまりに死後の煩雑事が多くて、母の死を現実のこととして哀しみきちんと受け止めることすらできなかった。でも、だからショックのあまり自殺しないで済んだのだとも思える。

 二か月半が過ぎて、今ようやく、頭の中も心もすっきりしてきて、収拾がつかないでいた気持ちも落ち着いて来た。そのことをまずこのブログをお読み頂いた皆さんにお知らせしたい。そして励まし応援して頂いたことに心から感謝いたしたい。

 死とは、その本人にとっても周囲の者にとっても、本来は平穏と慰安をもたらす、ある意味恵みであるはずだと思う。特に長く病み苦しみ疲れた者にとっては、安らぎである事は間違いない。それは介護していた者にとっても。
 しかし、我にとって、今回の出来事は、悔恨と憤怒のような悲憤しか残らず、癌によってなすすべもなく母を奪われてしまったことへの怒り憤り、我の非力さ、迂闊さをただ噛みしめるだけであった。日々自らを責め続けた。

 しかし、一昨日19日、大事に思い続けていた女(ひと)の結婚式と長年関わってきた好きな音楽のコンサートに久々に出かけて向き合い、その日を境に、母の死も含め全てはそう定まっていたのだと思えるようになった。偶然その日一日、重なった二つの出来事が我に新たな視界を開かせてくれた。
 つまりそれは運命であり、縁であり、神の計らいであり、予めそう決まっていたことなのだった。ならば人はそれに抗うこともできないし、認めたくはなくても受け入れるしかないのであった。

 母の死から二か月、季節は夏から秋へと変わったのだけれど、去年の秋頃から母の体調が悪くなったこともあって、この一年はやたら忙しく、季節をよく味わうことがなかった。
 そのまま年が明けて春が来て、母も父もやたら入退院を繰り返して、我は毎日立川の病院を往復して、夏となり、父の骨折も癒え、ようやくまた再び親子三人での暮らしが再開できたと思った束の間、母は42度という高熱を出し救急搬送されてしまい、以後、寝たきりとなって自宅に戻れても二か月も持たなかったのだ。
 だからこの秋は、雨がやたら多かったこともあるけれど、今は秋で、そう認識しても今年の秋なのか去年の秋のことなのか、記憶がはっきりしないほど意識が混乱していた。

 毎日ともかく何とかやるべきことは終えて生きてはいたけれど、まさに五里霧中の感じで、怒りと哀しみだけは常に傍らにあり、感情も不安定で父に怒り泣き叫び発狂寸前のときもあった。
 何ヵ月も誰にも会えず、実のところ誰にも会いたくなく、会うのも怖くなって、もうこのまま社会復帰はできないかとも思っていた。
 すべてのことが母の死と共に失い、変わってしまったと思えた。母がいない新たな世界が自分に築けるか不安でならなかった。その恐怖は今も強くある。

 しかし19日以降、心は不思議に平穏で、山奥の澄み切った湖のように森閑として静まっている。むろん母のことを思い出したり、母を知る人と話したりするだけで、また哀しみが湧き出て涙が溢れてくる。哀しみ、それは淋しさというものなのだろう、たぶん癒えることはない。
 が、いくら悔やんでも自らを責めても母はもう戻らない。ずっと受け入れられずに認めたくなかったが、そういう運命だったのだとやっと思えて来た。そこが母にとっての終着点、終着駅だったのだと。

 繰り返しになるが、人は日々生きているとき、動いているときはどこに向かっているのか、いつ終わりが来るのかわからない。ようやくその日、そのときが来て、ああ、と驚き、溜息と共に「了解」する。そしてすぐ事態を承諾できる人もいれば、我のように抗い続けて起きてしまった結末に苦しむ者も多々いよう。
 だが、それもこれも、この世のすべてのことは、予めそう定まっていたことなのだった。むろん、ならば人は努力したって無駄だということはない。その努力をしたとしても、努力も含めて、決まっていることがあり、それが「運命」ということなのだとわかってきた。
 宿命という言葉がある。運命に近いが、そこには変えられない感じがしているからあまり使いたくない言葉だ。運命は変えられる。しかし、その努力の結果も含めて、行きつく先、終着点は決められていて、その時が来たらもうどうしようもない。
 「その時」がきて、ようやくわかる。すべてが見えてくる。良いことも悪いこともそう定められていたのだと。ならどんなに辛くても、認め難くても受け入れるしかない。

 今我は、すべてを受け入ようと思う。認めたくない気持ちはまだあるし、認めるのは辛いことだ。しかし今はそう考えた方が楽になって来た。哀しみは哀しみとして抱えながら、淋しさは淋しさとして大事に保ち運命を受け入れて、我は我が定めに向かってけんめいの努力をしていこう。ようやくそう思えて来た。
 自分でも思う。よく母の死をこんな弱虫が乗り越えることができたあと。それは我が一人ではなかったからだが。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2016/11/21/8257918/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。