老いて死に行くまでの時間2016年12月05日 23時43分40秒

★父はあとどのくらい生きるのか

 このところの我の日課は、朝はまず、父が眠っている間に、犬たちを散歩させ、父を起こして着替えさせ、居間につかせて朝食を食べさせる。
 デイケアなどのある日は、それから着替えさせて持ち物まとめ、確認して施設からの迎えの車に引き渡してほっと一息つく。
 それからは、父が夕刻戻るまではいちおう自由に我が時間が持てる。しかし、デイサービスは夕方5時近くに戻ってくるが、デイケアは実質6時間も預かってもらえず、昼過ぎたと思うとすぐに父は帰ってきてしまう。しかも朝送るときも帰ってくるときも必ず電話がかかってきて、誰か家人が家にいないと父は帰宅させてもらえない。
 となると、我が一人で自由にいられるのは昼を挟んで数時間というわけで、割高の支払いのわりには、こちらがのんびりする時間はほとんどない。
 それでもそうして今は週に四日、手のかかる父を預かってくれる介護保険を利用したサービスが使えるので、そうした日の日中はずいぶん時間的ゆとりもできてきた。
 しかし、夕方に戻ってきた父の世話もあるわけで、父を送り出したからといって、都心に出かけてそのまま夜まで遊ぶことは不可能だ。夕飯を作ってともかく食べさせないとならない。
 父がそうした施設に出かけない日は、あれこれこウルサイ父を相手に、昼飯をつくって食べさせたり、一日三食食事を出し、紙パンツをチェックしたり、洗濯や掃除をしたり、また合間みて犬の散歩に行ったりと、大したことは何もしていないのに、コマネズミのように動き回っているうちに一日があっという間に終わる。
 このブログを書くのも、父がいない日は昼間も書けるが、たいてい、早朝か、父を寝かして犬の散歩を終えた深夜近くとなってしまう。

 母が死んで間もなく三か月、ようやくそうしたライフスタイル、サイクルに慣れてきた。そしてこのところよく考えるのは、この父と息子の二人だけの生活はいったいいつまで続くのだろうか、と。
 
 昨日の夜は、分倍河原の喫茶店で、中川五郎氏と会う約束があり、デイサービスから父が帰ってくるのを待ってから出た。
 夕食の時間にはまだ少し早く、本来は父に食べさせてから出るべきだったが、あまり遅くなるわけにもいかず、父用に簡単な食事を、居間のコタツの上に出して、7時のニュースが終わる頃、一人でもしっかり食べてとよく言い聞かせて出た。
 そして夜も、父が寝る頃には戻れないと思えたので、一人でも紙パンツを交換して、大人しく先に寝ていてくれと頼んでおいた。

 用事を済ませて家に戻ってみると、父は既に高いびきでベッドの中だったものの、出しておいた食事はほとんど減っていないしスープも気づかなかったからと全く手をつけていない。※これとこれを食べるようにきちんと伝え、当人もわかったと言ってたのだが・・・そして朝起きると、紙パンツは寝る前に新たに交換しなかったらしく、父が寝ていたベッドのシーツは世界地図であった。
 まあ、火事とか事故が起きたわけでないのだからそれも良しとすべきなのだが、やはり、一人にして、彼自らに任せてしまうとダメだなあと嘆息した。
 まあ、認知症で介護3の人を一人にして、自主性に委ねて彼自らに任せてしまったことがいけないのだから、怒りもしないが、やはり夜は、食事食べさせて、紙パンツを確認して早くてもベッドの中に押し込んでからでないと出かけられないなあと改めて思う次第だった。

 そして今日は、父は一日家にいる日だったが、施設に通って疲れているだろうと少し寝坊させていたら、自ら起きたのは良いものの、尿の失禁ではなく、紙パンツの中は、軟便でいっぱいであった。しかも昼過ぎて、そろそろ昼飯を、と思っていたら、またトイレに駆け込む途中でウンチを漏らしてひと騒動となった。
 昨日のデイサービスで帰り際、大量の排便があったと送って来た施設の人が帰り際連絡してくれたが、どうやら昨日からお腹を下してしまったらしい。
 幸い紙パンツの中だけで済んでいるが、その後始末、看護用語でいう「インセン」、つまり陰部洗浄で今日は大変であった。
 そして思ったのは、こうした出来事が辛いとかうんざりとか以前に、父はあとどのぐらい生きて、どういう死に方をするのだろうかという問いであった。
 もう、こうした日常はうんざりだから早く死んでほしいとかは思わない。ただ、父は今92歳だから、まさか百までは生きないであろう。ならば生きたとしてもあと数年、もしかしたら母の後を追うように一年もたたずに死ぬのかもしれない。
 その覚悟ができているか自問すると、そうは我は考えていない。まだそんなすぐには死なないはずだ、と。が、これもまた母の時と同じく希望的観測、願望ゆえに判断や予測を誤っているのかもしれない。
 考えても仕方ないことだが、もういつ死んでもおかしくない人だが、その死期と死に方がどうしても気になってしかたない。