沖縄の人々の痛みに、我々は何を成すべきか。2017年02月06日 21時26分37秒

★非道と無法の強大な公権力の前に、沖縄の思いは無力なのか。

 今月に入ってから、心安くおちおち眠れない日々が続いている。家庭の事情もあるのだけれど、それに増して沖縄の辺野古の埋め立てが急ピッチで進み、胸が張り裂ける思いでいる。
 それに抗う現地の人たちは多々いるのだろうけれど、まさに成すすべなく工事は強行されていく。国家権力の前にはまさに蟷螂の斧だということだろうか。我がその地にいたならば、すべてを投げ出してキャンプシュワプのゲート前で座り込みをして、阻止するため出来る限りの抵抗するのだけれど、辺野古へ駆けつけたいと思えどもいかんせんここ東京多摩の実家で、耄碌した父を抱えててはどうにも動きとれず何もすることができない。

 地元の合意ないままに、いったい日本のどこで、こんな無法かつ非道な行為が許されるのだろう。それは遠く離れた沖縄だからだろうか。沖縄の人たちには基本的人権はないのであろうか。
 むろん、世界一危険な普天間基地をなくすために、安保条約がある限り日本のどこかに代替の基地は作らねばならないという「理屈」は理解できなくもない。しかし、それが辺野古の美しい海を埋め立てて、しかも恒久的かつ新たな軍事基地を作って米軍に差し上げるという「理屈」は絶対に承服しかねる。辺野古こそ唯一無比の案だと固執する日米政府の考えがわからない。
 沖縄の人たちの思いは、この計画に常にずっとNO!であり、何度様々な選挙しても反対派が常に勝利して県知事さえも反対派を選んだではないのか。どうしてそれがまったく無視されその県民の民意は否定され、反対運動は暴力的に弾圧されていくのであろうか。そんなことが許されるのは、内地から離れた沖縄であり、我々内地の人たち総じての無関心と差別的意識がどこかにあるからではないのか。それに輪をかけて正しい報道がメディアではなされていないからだ。

 我々は今沖縄で起きていることを、どこか遠い国の話のように思い「ヒトゴト」のように感じている。しかし、同じ日本人である沖縄の人たちに起きていることは次は必ず我々にも起きよう。
 先日のゴールデン・グローブ賞の受賞席で、メリル・ストリープが語ったスピーチの一節が頭をよぎる。彼女は、新大統領となった男の愚行を評してこう批判した。

 軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

 そう、沖縄の人たちが負けるとき、我々日本の人民、大衆市民はみな負けるのである。そして一たびそうなった流れは、もう簡単には元には戻せない。彼らはあらゆる抗議、抵抗運動に対して弾圧を強めていくだろう。

 今、我々が沖縄の人たちと連帯して何ができるか。拙ブログの読み手の皆さん、どんな情報でもご意見お考えでもお寄せ下さい。訴えや呼びかけを広げたいと思います。まだまだ今からでも力合わせて我々自身が負けないためにも抵抗の闘いを続けていきましょう。