裸の王様が国家を、世界を牛耳る世紀・12017年02月10日 18時34分06秒

★歴史は進歩的発展などしていかない。

 我は、いちおうサヨクなので弁証法とか社会科学なるものも学び、歴史というものは時と共に段階的に進歩し発展していくものだと教わってそれを信じて来た。つまり、その時々を見れば、ちっとも進歩どころか停滞し、さらにはまた逆戻りしているようにも見えたとしても、螺旋階段のごとく、人類はその英知でもって確実に良い方向、さらなる進歩へと段階的に上昇してゆくのだと思っていた。
 が、このところどうやらそれはマチガイで、人間とは常に愚かで罪深いものだから、ある程度の歳月が過ぎれば失敗や苦い経験から一度経験し反省し学んだことでもまた忘れてしまい、同じような過ちを繰り返すのではないかと考えるようになってきた。まさに元の木阿弥ということだ。
 特にこの戦後も70年も過ぎて、戦争体験者が限りなく消えていくにつれて、じょじょにまた反動というべきか、武力や戦闘で事態を解決してもかまわないというようなまた戦前のような風潮が蔓延する世相となってきたからだ。日本と日本人だけが正しく偉く賢くて、他の近隣諸国は愚かで遅れていてその民族としても劣っている。そんな見下すような言質がネット上では日々満ち溢れている。

 今の人たちは戦争というものがじっさいはどんなものか戦時下とはどういう状況となるのかまったくわからないし想像もできないから、アニメやゲームのシューティング、ハンティングのようなものだと考えて、殺し殺されるという事態にもカッコよさは抱いても抵抗感がない。
 だからイジメ事件も蔓延するし、ごくごく簡単に人は殺し殺されてしまう。そもそも死というものが日常から消えてしまいあるのは、2時間ワイドのサスペンスドラマの中だけだ。戦争もまた同様に、映画の中や今起こるとしても遠い他国での話で、派遣された自衛隊の人たちががんばって働くもの、我々一般人とは関係のない出来事だと思っている。
 そうこうしているうちに、戦争法も出来、集団的自衛権行使という憲法解釈も変更されて、さらにはそこにテロ防止名目の共謀罪も近く成立されよう。

 それはいわば現代版治安維持法だから、今の自公政権、現政府に対しての抗議活動全般でさえ、政権転覆を狙った準テロ行為として準備や計画した段階で逮捕されても仕方ないこととなろう。
 そう考えるとき、何だ、結局また元に戻ってしまったんだと気づく。むろんこの国を取り巻く国際情勢は全く異なっている。しかし、国家権力が強大な力を持ち、個人を管理し自由を奪い、反抗する者は逮捕拘禁し迫害するという図式は戦前、戦時中と何ら変わらない。
 しかも情けなく思うのは、そうした状況は、決してどこかの国のように軍人たちがクーデターで勝手に起こしたわけではないのである。この今の日本人、国民自らが、そうした体制の政権を選挙で選んでしまい、じょじよに確実に自らの自由と権利、つまり基本的人権を放棄して行ったのである。
 ※まあ、あのナチスも合法的選挙で、当時もっとも民主的とされたワイマール権法下で登場して政権を手に入れたのだから、常に大衆とはそうした間違った選択をどこの国でもいつの時代もするのだということだろうか。
 それは大衆の実感はない、うわべだけの好景気に沸き立ち、他に政権選択肢もなく、やはり自公政権に経済を託すしかないという消極的支持が彼らをずっと勢いづかせてきた。何度選挙を繰り返しても常に彼らは大勝し、野党側はいつまでたってもまさに蟷螂の斧でしかない。
 そうして経済を餌に、国民の支持を集めた彼らは確実に国家権力の増強、つまるところ政財官一体となった支配層、富裕層に富も権力も集中させていくという戦前そのものの体制を再び拵えるに余念がなかった。
 そして今、そしてこれからこの国と世界はどうなるのか、拙稿ではあるが何回かに分けて考えていきたい。