長生きした罪と罰・続き2017年02月21日 18時57分29秒

★息子一人では全てを維持管理できない現実の中で

 昨日は、日中はぽかぽか陽気で布団を干したりしていたら、夕方近く急に小雨が降り出し、最初は天気雨かと、すぐやむと思っていたらそのまま夜まで久しぶりのややまとまった雨となった。
 今朝は雨上がりの朝、明るく晴れて爽やかであったが、しだいに強い北風が吹き出し、まさに「春は名のみの風の寒さよ」の感ある、また真冬の一日と戻ってしまった。
 
 さて、父の話、続きである。いったいどうしたものか。
 新しく立川駅北口に新設移転した、かかりつけの総合病院の脳神経外科で、数年ぶりに脳のCTを撮った。担当は、以前、父が、脳内に血が溜まった硬膜下出血で手術してもらった医師である。
 認知症の件もだが、早や3年前、一昨年やった手術の「その後」の経過も見てもらったわけだが、脳内の血などは綺麗さっぱり消えてなくなっていて無事完治していることが確認された。
 で、それは良かったわけだが、我が相談したかった父の認知症、呆けのほうはというと、医師曰く、良くない、というよりももはや年相応であって何の治療法も薬もないと言われてしまった。男性で92歳ともなればそうなっても仕方ない。ただ、もはや家で看護するのもその状態では限界かもとも。

 けっきょく、何の成果も新たな展開もなく、そのまま病院を後にして、帰りに近くのホームセンターの中のフードコートでラーメン食べて家に帰った。
 しかし、その店の中でも、ラーメン自体食べさせるのに一苦労して騒いで、周囲の人たちの注目を集めるは、うっかりトロミをつける粉末パウダーを持って来るのを忘れたこともあり、ゴホゴホむせてともかく食べるだけでもやたら時間がかかり朝9時に家を出て、帰宅したのは午後3時で、この日はほぼ一日潰れてしまった。ものすごく疲れた。

 そう、このところ父は全てがスローになってしまったから、朝声かけて起こして、紙パンツとパットを取り換えて、着替えさせてコタツのある居間に来るだけでも、30分以上かかる。いや、一時間近くかかる。
 デイサービスのない日など、起こさずについ寝坊させてしまうと、朝食を終えると昼近くとなってしまって、父に朝飯食べさせるだけで何一つできずに午前がつぶれてしまう。そしてすぐ昼が来て、またも食べさせるのに一苦労するのだ。

 おまけにビロウな話で書くべきか迷うが、紙パンツ穿いてそれで小便すますは当然だとしても、大便のほうまでしっかりいつの間にか垂れ流しするようになって新たな段階に入って来た。
 今の紙パンツ類は、吸収力もすぐれしかも吸い込んでも戻らずサラサラだから、漏らしても不快にならず溜まって来ても当人が気づかないのは仕方ない。が、大便は、吸い込まないしやはり違和感があるはずだと思うに、当人はいつ出たのかもわからないのだと言う。
 赤ん坊だってオムツに便が溜まれば不快感で泣いて知らせるはずだが、呆けてしまうと小便だけでなくウンコまでも気づかずダダ漏れ状態となっていくのであった。
 このところ入浴は、デイケア、ショートステイのとき、施設でお願いしてたのだが、髭を剃るために久々に家の風呂に入った。
 紙パンツをトイレで脱がしてそのまま裸のまま風呂場まで手を引いて連れてきたら、歩きながらポタポタ垂らしていたようで、後で気がついたのだが、それを踏んで歩いたので家中に糞便臭が漂ってしまった。

 同様に老いて呆けた父親を介護していた友の話を思い出す。やはり独身の彼の家では、その母と彼=息子とで、その父親を世話してたが、しだいに呆けが進んできて食事摂らせるのも大変になってきただけでなく、入浴の際に風呂場で排便したりするようになったので、家での介護は断念して特養に入れたと言う。
 そこの家の父親も呆ける前は、生業が計理職だったこともあり、とても几帳面で、手帳に毎日の日記をつけることを欠かさずやっていたが、あるとき、もう何も思い出せない!何もわからなくなった、ワシはバカになった!!と手帳を投げ出し、それからは家族のこともよく認知できない程にバカが進み、けっきょく特養任せとなったのである。

 我が父もこまめに支払った金の計算とか、日々の記録を何やら自分の手帳に記していて、今もそれは続いているようだが、このところやはり、よくわからなくなった! 混乱した、と言って、こちらが教示しないと空白の日が多くなってきた。日々何度でも今日は何日だ?あれは何だ? これは何だ?と説明しても同じことを繰り返して訊いてくる。
 今回、脳神経外科の担当医にかかって、CTで撮った新たな脳の画像を見せられて思ったのは、頭蓋骨と脳自体の間に隙間がかなりできてスカスカとなっている。これだけ隙間があると確かに風通しは良いだろうけれど、いくら話してもこちらが言った言葉は脳内に留まらずにそのまま通り過ぎてまたすぐに耳から出てしまうだろうと。
 
 医師は、父は年齢相応で、もう良くなることはないと言う。何も手の打ちようもないと。ともかくまず転ばないことだ。そろそろ特養も検討する頃かなあと。が、父の希望は、特養など行かされずに、この住み慣れた家で最後まで何としても暮らしたいと言う。さて、どうしたものか。

 かなり長生きして、ある程度呆けても自宅で暮らしている老人はたくさんいる。寝たきりとなっても。ただ、テレビなどでそうした人を紹介してるのを見ると、まず必ず大家族で、息子夫婦や孫、ひ孫までその家にいて、介護者の数が多い。そうした多人数で連携してこそ呆けても家にいられるのだ。
 ウチのように、息子一人でその呆けた親を抱え世話しているという事例もあるだろうけれど、やはりそれはかなり無理があるのではないか。幸いまだ老々介護とまでいかないけれど、一人だと気力体力共に消耗し限界となってくる。
 
 長生きしたことの罪と罰と書いた。老いることは罪でもないし、何も悪くない、仕方のないことだと反発する方もいよう。
 しかし言葉を変えて、仏教的に言えば、因果応報、ある意味自業自得なのである。長生きすれば、連れ合いに先立たれるし、息子に怒鳴られ暴力的に扱われもする。そして最後は望まぬ場所で、望まぬ最後のときを迎えざるえなくなる。

 そしてこれは誰にでも起こる。我もその晩年は、長生き出来たらばこうした状態になっていくのであろう。
 ただ、その面倒を見てくれるのは妻でも息子でも娘でもない。今、父の糞尿にまみれた下着を洗濯したり汚れた床を拭きながら思うのは、おかしな例えだが、返ってこないのに掛け金だけ払っている年金みたいな感じがしている。我に子があれば、我もまたその子にこうしたことを求めもするのであろうか。そして子は憤りながらも世話してくれるのであろうか。※じっさいの話、我は年金は支払っていないことを付け加えておく。

 今日、夕方、郵便局へ注文本の発送に行き、戻ってきたら父が台所に倒れている。といっても大の字になってたわけではなく、しゃがみ込み込んでいたのだが、何でそんなところに座ってるのかと訊くと、居間の石油ストーブをつけようとしたが、上にのせるヤカンが空なのでヤカンに水入れようとしてここに来て転んだのだと言う。
 ウチの台所は今凄い状態で、まさに足の踏み場もなく、父には入るなと命じてあった。幸い父にケガなどはなかったが、こうして家の中で転倒するのではうっかり目も話せない。
 やはりそろそろ特養に入れる潮時かと改めて考えている。しかし、父は絶対に行きたくない。そんなところに入れられたらワシは自殺すると憤っている。さて、どうしたものか。

コメント

_ ふく助 ― 2017/02/22 11時22分06秒

我が経験で申せば、出来ればすぐに有料の介護付老人ホームへの入所を申し込むのが良いと思います。
それが無理なら申しこんでも何百人待ちですが、早急に可能な限りの特養に申し込むのが良いと思います。

自身のQOLを考えてください。

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