泣きながら目覚めた暖かい朝に2017年03月18日 07時13分12秒

★ともかくほんの少しでも進めていく。

 昨日は疲れ果て腰も痛くてブログも書けずに零時前に寝てしまった。また、父が熱だし病院に連れて行ったり一日振り回された。幸い大事にまたも至らなかったようだ。
 
 今朝がたの夢で、また母が夢の中に出てきた。だが、時間の経過とともに夢も複合的になっていくようだ。夢の中で(我が)泣いている夢を見た。

 何か知らないところで、大きな木に登って足場を定めながら伸びた不要の枝を手元の鋸で切り落としていた。落ちないよう慎重に、かなり緊張し恐怖感を抱えながら。あと少しだけ、あの枝を落としてしまおうと。
 木から降りたらひょうたん型の何mもある大きな水たまりがあり、側にいて、我の作業を見ていた人たちに声かけて知らせて、その浅い、おそらく湧水が溜まった池?に足をつけたりしていた。
 
 と、一転して夢にありがちなことで、場所は映画のシーンのように切り替わり、小さなキャビネットのような小部屋、どこか旅行先なのか、団地サイズの見知らぬ部屋で、奥まった台所の小さな流し場で母が食器など洗い物をしている。その後ろ姿が見えた。
 その夢の中では、母はまったく元気な姿でいて、我は話しかけ母は後ろ姿でも時折り振り返り答えている。が、しだいに、そういえば母は寝たきりで動けなかったんじゃないか、立って動けている、おかしいな、という「記憶」がよみがえり、自問自答したのか、それとも側にいた誰かに訊いたのか、はたと、これは夢なのだ!と気がついた。そして、母はもう死んでしまっているのだと、その哀しみに声を上げて泣いていた。
 しかし、それもまた夢であって、夢の中で死んだ母に会った夢を見て泣いた夢を見たということになる。それから目が覚めた。

 外は明るく晴れて、午前六時半であった。久しぶりに目覚まし時計もかけずに、自らすっきりと起きた。瞼が少し濡れていた気がしたが、目覚めてからはその夢にもう泣きはしなかった。

 母は死んでから何度も夢に出てくる。夢の中で会う母は幸いにして、あの病み衰え痩せ果てた死ぬ間際の姿のときは一度もない。いつも一番元気な頃、老いて癌を病んでも元気に動き回れていた頃の姿で、いつもにこやかに明るく我のイメージのままだ。
 それは、高熱で倒れてしだいに衰弱し介護ベッドに寝た切りとなった期間が僅か二か月間という短いこともあって、その頃の「記憶」は少ないということもあろう。しかしそれよりもそうした辛い記憶は無意識的に排除して、思い出さぬよう、夢の中でも排除しているのかとも思える。
 夢とは不思議なものだ。ただ、夢の中の母はいつも元気な姿で出てくることは救いだし、ならばもう辛い「現実」よりも我もひたすら眠って夢の中で、酔生夢死の如く母と暮らしていけたらとも「夢想」した。

 先にもこのブログで、もう父とのことなど愚痴など記さず記すはやめにして、何か新たな動きがあらばお知らせすると書いたら、翌日急に高熱出して肺炎起こした騒動があったと記憶する。
 前回のブログもまた同様の思いで、また動きあればと書いたとたん、父は体調崩して昨日はデイケア休んでまた受診に連れて行った。やれやれである。

 一昨日の16日、彼はみょうに元気でコーフンしていて、息子のほうが疲れて夕刻時、仮眠とりたいと伝えたのに、一人でパン屋に行くとか、犬がいないとか騒ぎ立ていて、目が離せず静止するため眠ることもできないでいた。
 その晩になったら、彼は赤い顔して熱を測れば37度を前後している。高い熱ではないが、また肺炎の初期症状かもしれない。食欲もなく夕飯を食べさせるのに苦労し、ともかく早く休ませることにした。
 このところ父のスケジュールは、金土日月とデイケアと二泊三日のショートステイが入っていて、我はずいぶん楽できるようになった。
翌日は、日帰りのデイケアで早出の日だった。
 しかし、そんな調子では、無理そうだと迎えが来る朝になってキャンセルを連絡すると金もとられてしまうので、予めデイケアは休むことだけ伝えて葛根湯とかだけ飲ませてベッドに寝かせた。

 翌朝、つまり昨日金曜の朝は、ベッドで体温測ったら熱は37度はなく、当人も風邪は治ったというのでともかく着替えさせて朝食を、と考えた。ところがトイレでしゃがみ込んでるうちに突然気持ちが悪いと言い出し吐きそうになった。幸い胃液を戻した程度で済んだが、再度熱を測るとやはり37度台の熱がある。

 訪問看護センターに電話し指示仰ぐと、この週末は連休入ってしまうから、今日金曜のうちに診察受けたほうが良いと言われ、いったんもう一度父をベッドで少し休ませてから、昼前に東中神の診療所に車で連れて行った。
 さほどの熱ではなかったが、医師の診察受けてレントゲンと心電図、血液をとり、一時間ほど点滴してそれで帰されたが、病院を出たのが一時半過ぎであった。薬も出なかった。父はさほど体調悪くないようだったので、我も食事の支度がしんどくなって、帰り道に回転寿司へ入り、父はかけうどんを、我はカレーライスを食べ、寿司も少しつまんで家に戻った。

 それから父をまた寝かせて、犬たちに餌やったり、老犬の世話したりと毎度我は孤軍奮闘で、しだいに腰も痛くなり、夕方一時間だけ仮眠。
 晩飯のために父を起こしたらまだ37度の熱はあったが、顔色も日中よりは良いようで、軽く食事とらせてまた早めに寝かせた。念のために、今日土曜日のお泊り予定だったデイサービスもまず今日だけはお休みの連絡入れた。

 それもあって、今朝は目覚ましもセットすることなく深く眠れて母の出てくる夢を見たのだった。老犬には深夜の2時に一度だけ起こされた。が、それから連続して四時間、深く夢見るほど眠れたので今朝は気分爽快である。老犬ブラ彦も幸い昨日はいつもより食べてくれた。
 昨日も晴れて暖かく日中は世月半ばの陽気で外にいると汗ばむほどであった。今日も朝から晴れて穏やかだ。

 父がいると、その世話や目が離せず気が休まらない。ほんとうはこの週末はデイサービスに行って泊まって来てほしかった。その間にようやく我は溜まっている作業を一気に片づけるつもりでいた。実はまだ確定申告も書類がそろわず済ませていないのだ。が、それもこれも仕方ない。まずは父の体調優先であり、父を抱え様子見つつ、けんあんの作業を片づけるべくともかく一つでもほんの少しでも進めていく。それしかない。幸い久しぶりに深く眠れた。夢でも母に会えた。がんばるしかない。やがて全てが終わるときが間もなく来るのだから。

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