施行70年目の瀕死の平和憲法を思う2017年05月04日 23時40分16秒

★昨日の続き

 さて、問題の改憲、「憲法改正」である。
 改憲の機運が高まっているとマスコミは報じるが、今の日本人のどれだけが果たしてそう願い考えているのであろうか。現実のはなし、今すぐ緊急に、憲法をすぐさま「改正」しないとならないと、強く感じている日本人が多くいるとは思えない。
 憲法改正が論議されているのは、それを党のテーゼとしている自民党の権力が増して、より声高にその必要性を叫んでいるからにすぎず、国民全般にはまだその意識が広く浸透していないことは政権中枢でさえ認めている。

 では、いったい何故改憲しないとならないかと言えば、一つは施行から70年も経ち、現実に合わなくなってきているという理屈と、もう一つは、「アメリカから押し付けられたものだから」という理由であろう。
 確かに時代の変化と共に、ある程度のズレは当然生じはしているだろう。それは一理ある。しかし、いちばん改憲の理由として常に挙げられるのが「戦勝国アメリがが敗戦国日本に無理やり押し付けて来た」から良くない、という論であって、日本人自らが今こそ自主的に憲法を制定しようという論に結びつく。
 しかし、アメリカが押し付けて出来たから「反対」だと言うのが、左翼陣営、特に共産党や沖縄の人たちが言うならわかる。不思議なことにそれを口にするのが戦後一貫して対米従属を続けて来た保守陣営、自民党なのである。

 そのときどきの米政府の政権が変わろうとも、異端のトランプ政権になっても、いち早く支持して政権誕生前に晋三はトランプタワーに駆けつけて祝意を述べて来た。戦後一貫してアメリカの言うことには常にへつらい従い、日米軍事同盟の元、より強固な揺るぎない関係を結んできたと自負するアメリカがくれた「憲法」ならば何故に有難く受け取らないのであろうか。子分ならば失礼であろう。
 沖縄の辺野古には新基地を県民の意思を一切無視してまでアメリカの求めるまま建設強行する自民党政権は、どうして「憲法」だけ目の敵にして拒むのであろうか。不思議に思うのは我だけか。

 それはつまるところ、アメリカが押し付けた、くれたから悪いのではなく、今の憲法では彼ら自民党にとっては都合が悪いからに過ぎないのである。それは憲法の平和主義であり、戦力を保持しない、武力によって紛争解決しないと、第九条で「恒久平和」を明示してあるかゆえ、この憲法では戦争ができないから改憲を強く願うのだ。
 だからついにこの施行70年目の節目の年に安倍晋三は、自ら九条を改憲の目玉として俎上に上げたのだ。さらに傲慢勝手にも、2020年に改定憲法の施行を目指すと、表明した。憲法を変えるのは総理の権限にはない。一内閣の一総理の発言としてあまりに驕り高ぶっていると、我は憤る。変えるにせよ憲法を変えたいと願うのは国民であり、勝手にタイムスパンを出してくる手口は許しがたい。

 じっさいの話、もう憲法を今さら変えなくても自公政権が続く限り彼らは何でもできるのである。
 そもそも憲法には戦力の保持の放棄が記してあるのに、自衛隊という軍隊があるのだってはっきり憲法違反なのである。しかし、自衛力の保持は禁止されていないという理屈、解釈によって、陸海空、「防衛省」として実戦配備の軍事力を保有し日米韓で戦時対応の軍事訓練を繰り返している。
 さらに昨年そこに、「安全保障関連法」で集団的自衛権の行使容認が加わり、それも憲法違反だと訴えられつつも、もはや海外、他国でもアメリカと共に軍事行動がとれるようになってしまった。それは「自衛」の範囲をはるかに超えている。

 今の憲法の理念は崇高で美しい。が、九条に限らず、現実的にはそれが現実、現状に実はちっとも合致していない。憲法は戦後ずっと拡大解釈や歪曲、詭弁的解釈を繰り返し受けて、まさに絵の描いたモチ、空文化してきた経緯がある。
 そうした違憲状態が何故に許されるかと言えば、この国は、三権分立を謳いながら、司法の権力が極めて弱く、現実的には国会議員を多数有する政党の内閣、つまり総理大臣に権力が集中し、最高裁までも時の政権の意向に左右されてしまうからだ。
 アメリカを見ればわかるように、大統領が勝手に大統領令を出しても、各地の裁判所がそれを停められる司法の独立が保障されているのとは対照的であろう。
 自民党安倍一強が続く限り、国家権力は彼の手の内に集中し、先のNHKの会長に見るまでもなく、すべてが政権の意向に沿った思い通りのものになってしまう。だからこそ、マイメディアの報道に踊らされ鵜呑みにすることなく、我々は自らの目で見、自らの耳で聴き、自らの頭でよく考えなければならない。

 我は参加できなかったが有明で催された施行70年集会には実に五万五千人も集まったと報じられている。その席で伊藤塾の伊藤真氏が訴えた言葉が強く心に残る。
 「こういう時代だからこそ、憲法の輝きを増していかねばならない。子や孫が、自由と平和の中で憲法施行100年を祝える未来を描くことが、私たちの責任ではないか」
 まさに同感であり、子や孫もいない我だが、この平和憲法を何としても再生していかねばとこの機会に強く考えた。