着るもの考・その22017年05月08日 23時58分23秒

★世代とその時代のファッションと

 で、その残した膨大な女物古着であるが、一目でわかるボロならば捨てるのは簡単だ。が、母がずっと愛用して着ていたもの、母のお気に入りで大切にしていたもの、我の記憶にあるものだとやはり簡単に捨てるのはしのび難い。
 むろん母はもうこの世にいないのだから、ゴミとして即処分すべきなのだろう。我の友人は、やはり相次いで両親を亡くされた後、数か月で父母の遺したものは日々着てたものから本、文具、メモ日記の類まで一切合切ゴミとして大急ぎで全て処分してしまった。たぶんその親たちがこの世にいた証は、位牌と写真ぐらいであろうか。その思い切りに感嘆する。

 確かにそうすれば家のスペースは一気に空き、風通しも良くなるだろう。が、我は絶対にできない。今もまだ母が恋しく思うし、母の肉体がお骨以外この世から消えてしまったからこそ、その思い出に繋がるもの、生きていた証として母の遺したものは着てたものから書きつけたメモの類でも捨てたくないし失くしたくない。
 世間様、他人から見ればまさにゴミでしかないものでもおそらく我が生きている間は、それは後生大事に持ち続けることだろう。実の妹にも早く捨てろと呆れ果てられたが。
 ただ、それは我だけではないようで、先日拙宅に来られた友人も、ずいぶん前に父親を亡くされたそうだが、今もその遺品は、衣類に至ってもなかなか捨てられないと話していた。
 しかし、そうした母の思い出ある衣類はともかく、買った?けど着なかった、状態の良い衣類もかなり出て来た。さてどうしたものか。我もまたモッタイナイ~捨てられない夫婦の息子として、幼児よりその薫陶受けて育っているから、母が大事にとっておいた、しまっていたそうした衣服を右から左に可燃ごみの日に出すことはやはりしのび難い。

 我は女物の良し悪しはよくわからないので、我の実妹に、――20代でこの家を出て九州に嫁いでいる我のたった一人の妹のところにそうした品は送って判断を仰ぎ、できれば着てもらおうかとも考えた。妹ももう若くはない。我と二つ違いだから間もなく60近いオバサンなのだ。しかも先だって結婚した彼女の息子たちに子供も間もなくできるらしい。孫ができれば妹も婆さんであろう。
 ウチの婆さん、つまり我が母が着ていたものでも妹も婆さんになるならばきっと着てくれるだろう、着てもおかしくないはずと我は考えた。
 そのことを親しい女友達に話したら、バカなことはやめろと止められた。そんなことをしたら妹は怒ってただでさえ不仲の兄妹の関係は悪化するだろうと。

 歳をとったからといって、女同士でも確かに母と妹は時代もセンスも違う。サイズが合ったとしても、そんな八十代の母が好んだ衣類を妹が着るはずがない。そんなものを送りつけたらゴミが増えるだけで、激怒することは間違いない。
 冷静に考えれば確かにそうであった。男同士、我と父の関係を思えばそれはわかる。我は父の衣類は、サイズがあったとしてもやはり絶対着ない。年寄り臭いということもあるが、何よりセンスが違う。好みではない。我が父の歳になったとしてもやはりまず着ないと思える。
 それで気づいた。この世には「年寄り向け衣類」というものがある。我は漠然と、人は年取れば、男も女も誰もがやがてそうした老人向け衣料、年寄り臭いセンスや色合いの衣服を着るものだと思っていた。
 しかし、我や妹の世代が、親たちぐらいの老人になったとして、果たしてそうした今の「老人ファッション」の衣類を着るとは絶対に思えない。今ある「老人向けセンスの衣類」は、今の「老人」のセンスに合ったもの、彼らに向けたものであって、人は年とれば誰もが年寄り臭いファッションを纏うのではなかったのだ。

 若い時は女ながら大型バイクを乗り回し、今もピチピチのジーパンばかり穿いている妹が、年とったからといって、我らが母の遺した婆くさい衣類を、形見だとしても着るはずがなかった。九州に送らないで良かった。送ってたら激怒させたことだろう。
【この稿続く】