荻窪の書店「本屋title」での鈴木翁二2017年06月01日 22時53分20秒

★良い書店での鼎談の後のミニライブとサイン会は大盛況

いよいよ本日、西荻「のみ亭」で、鈴木翁二ワンナイトライブ2017年06月02日 13時32分09秒

★混雑が予想されるのでお早めに

 昨日は、当初予定していなかったのに、翁二さんと一昨日電話で話してたら、「荻窪近辺で誰かギター持ってる友達いないか」と問われ、聞けば、当初はサイン会とゲストを招いての鼎談だけの予定に、急遽ミニライブやることが加わったのだと言う。
 そんなこと言われても誰か知り合いがいたとしても突然ギター貸してくれ、それ持って会場に行ってくれと言って行く奴がみつかるはずもない。
 仕方なく、こちらは明日2日だけのワンナイトのご奉仕のつもりでいたが、痛む腰をさすって、できるだけ鳴らない音のしょぼいギターを抱えて父によ~く留守番を言い聞かせて、不安な気持ちで荻窪まで出向いた。

 さておき、鼎談はともかく、会場の本屋タイトルは、東京では珍しい古民家を改造したと思われるモダンな内装の書店で、品揃えも一家言あり、我は大いに感心した。
 京都にはこうしたユニークな、特色ある、センスの良い本屋さんがいくつもあるが、東京には少ない。それは我が世間に疎い田舎者だからで出歩かないから知らないだけかもしれないが、某ビレッジ何タラのような店はドン・キホーテのようで大嫌いだし、小さくともそこに何か光るセンスとこだわりがなくては今の時代本屋はやっていけない。

 さておき、翁二さんは我が知る以前よりギターの腕も耳もはるかにレベルアップしていて、おやっとさせられた。持っていったギターは、弦を張り替えていない!と即一括。不肖の弟子は叱られてしまった。
 そんなで今日、これから大慌てでギター弦を張り替えて、父がデイケアから戻ったら、再度よ~~く言い聞かせて、留守番頼んで、ギター持ってまた荻窪の本屋に迎えに行かないとならない。
 のみ亭で待っていれば良いのだが、彼のことだからたぶん開演時間にはまず現れない。捕まえて同行しないことには我が企画した今回のライブも始まらないのである。

 では、本日、お待ちしております。鈴木翁二の素晴らしいうたの世界を堪能できる奇跡の一夜です。携帯に予約入れてくれれば優先的に咳確保します。

「のみ亭」での鈴木翁二・2017.6/22017年06月03日 16時37分28秒

★おかげさまで盛況となりました。

さて、6月~まず今夏を実りあるものに。2017年06月03日 23時42分17秒

打ち上げの店で、また一曲唄った翁二さん
★師匠から老いてもなお、のパワーを頂いた。

 当初は予定になかった、我が師・鈴木翁二の今回の「のみ亭」でのライブを終えて、弟子としてほっとしている。熱心なファンが多く訪れて、新刊に加えて手作りCDも売れて多少の収益が出たようで本当に良かった。
 また、のみ亭も、店主がこのところ体調悪くされて休店のときも多く、開けていても短時間ということだと知り、今回のライブ、まさに運よくタイミングがすべて合って開催できたのだ。まあ、今回は急なライブを持ちかけて闘病中の彼に過度のご負担かけてしまったかもと今も気にかかる。
 好漢やっちゃんの体調回復を心から祈るしかない。いつもライブを持ちかけてお世話になっている者として、彼のために何かできることはないものかとずっと考えている。本当は、どこか会場を抑えて、これまでその店でライブをやったシンガー、ミュージシャンに呼びかけて、コンサートを催し収益で彼を支援するような「のみ亭やっちゃんAID」が望ましいのだが・・・。

 さて、数年ぶりの翁二さんだが、以前会ったときは、彼も病み上がりだったり、ご母堂の体調が悪く見舞いに故郷に帰った折であったりと、彼もまた本調子ではなかった。
 が、今回は久々の豪華な新刊発売に合わせた原画展や加藤典洋、福間健二との鼎談『あの夏、マンガとブンガクが出会った』というトークイベント&サイン会があり、本来は、その会場、本屋Titleでのミニライブだけしか予定してなかったのが、彼からの連絡を受けて急遽のみ亭に頼み込みワンナイトライブ開催できたわけで、精力的に師匠を働かせてしまったことになるが、弟子としての努めも果たせたかと自負している。
 何より、彼の素晴らしい音楽世界を今さらだが、漫画家、画家としてしか知らない読者に知らしめるきっかけになったのではないだろうか。

 言う迄もなく神が与えたもうた芸術的才能というのは、ダ・ヴィンチしかり、宮沢賢治しかり、多方面多岐に渡っているもので、文学なり漫画なりある一分野で特異かつ秀れた才能を示す人は、他の分野でもまた同様なのである。他に我の知る人に、シバもまたおられるが、才能とはマルチに沢山与えられるものであり、我ら凡人は不公平だと嘆息してもこれは神の計らいであって、羨んでも仕方ない。

 そして今回さらにグレードアップした、ギターテクニックもレベルアップしたステージを拝見して、ああ、やはり翁二さんは素晴らしい。何十年たとうと絶対に追いつけないと改めて師の偉大さに打ちのめされる思いがした。
 我が出会った頃、二十代後半の青年だった彼も今は歯が抜け、外目には老人の域に入って来たようにも見える。しかし、圧倒的な存在感とパワーは健在で、しかも力むことなく相変わらずの脱力的自然体で、うたと独白的語りで自在に観客の心をしっかりつかんでいった。
 深夜の中央線の高架下、青年翁二さんの背中を夜通し追いかけ歩いていた少年も今や還暦なのである。お互いずいぶんあの頃から思えば年老いてしまった。が、今も師匠は相変わらず何も変わっていない。ピュアな少し淋しい心は褪せも汚れもせずあの頃のままだ。それに比べて我は何と薄汚れて情けなくなってしまった事か。

 我の幸福は、十代の頃出会えた鈴木翁二という孤高の天才アーチストを今も師として仰ぎ弟子筋として扱ってもらえることに尽きよう。
 今回もまた元気を頂いた。さあ、今年も残すは半年になろうとしている。少しでも成果を出すべく、まず今夏に向け、計画と準備を早く進めて行こう。

8月11日の「護憲と反戦・平和のため共謀コンサート」参加者募集中2017年06月04日 23時04分53秒

★同じ思いの皆で共に謀議してコンサートやりましょう

 というわけで、「共謀罪」法案が結果どうなろうともコンサートで護憲や平和のために「共謀」いたします。

 我マスダは、その後「護憲と平和、反戦」を求め企て皆で相談したり集って歌ったりした反政府活動企画の首謀者として逮捕、拘禁、投獄されるかもしれませんがその覚悟でやります。
 どうか一人でも多くの参加者と出演者を求めます。というのは、これからは、反権力、反体制的行動はどんなことであろうともやがてはテロ準備の可能性があるとして、主催者と参加者は警察がチェックしていく時代が来るかもしれません。
 そうした要注意人物たちは常に監視や盗聴などされてもプライバシー侵害とも違法とされなくなります。

 しかし、公安や警察がいくら厳しくチェックしようとも一般大衆の数は彼らの総数を常にはるか上まっているわけで、こうした反政府活動が大小問わず多発してしまえば、彼らはその全てを網羅して管理も監視も規制もできなくなりやがては長時間労働で過労死さえしてしまう者も出てきてしまうかもしれません。
 権力側の目論見として、内心の自由を奪い、萎縮させることがまず一番の目的で、どんな行為でも反政府的=テロに結びつく「可能性」があれば逮捕できるという法律をかざして、国民を脅していく。結果誰もが自制し何も抗わなくなれば国家権力側は安泰となるわけで、テロ防止以前に、国民一人ひとりを押さえつけ従わせるため「共謀罪」を新たにつくっていく。

 しかし、たとえそれが成立、施行されたとしても、かつての南アフリカのアパルトヘイト政策のように大多数の民衆の前にはそうした愚かな政府側の身勝手な法律は瓦解していく。ならばこそ、これからもそうした義のある、テロとは無関係の反政府活動、抗議行動は堂々かつ公然とできるだけ大規模に、なるべく広く外に呼びかけてやっていくしかない。
 一人でも多くの参加者が集えば、そしてそれが数を重ねて運動体として活発になっていけば、警察も個々の参加者を取り締まりも弾圧もできなくなっていく。
 全て数は力であって、彼らを何倍も上回る人数が集えば、奴らは何もできなくなる。そのためにも一人でも多く同じ思いを持つ仲間を集めたいと思ってこの企画を立てた。

 まだ出演者は確定していない。別に安倍政権打倒とか強い信念などなくたってかまわない。自民党は支持しているけれど今の政治は何かおかしいんじゃないの?と漠然と思う方、このままで良いのか何となく納得していないというような人たちこそお越し願いたい。
 人の数だけそれぞれの思いがある。その思いは皆それぞれ違い自由であって然るべきもののはずだ。そうした内心の自由がこれからも保障される社会、国であるためにも個々の利害をこえて皆が声を上げなくてはならない。
 そのときが来た。参加者を広く募っている。

疲労の限界で思うあれこれ2017年06月06日 22時57分06秒

★元から体力無しの我なのに

 このところ昼間は爽やかな初夏の暑さでも夜は何となくひんやりしてうすら寒い感じがしている。
 情けない話だが、もう疲労困憊、腰痛もぶり返してまた動くのもままならない。

 北海道から師匠が来られて、1日、2日と夜出かけてお世話した話は書いた。昨年、向うの頼み事で連絡頂いたときは、母の看護に追われていて何一つお役に立てなかったので、今回は少しは埋め合わせできたかと思う。
 しかし、二日続けて荻窪まで出向き、二日目の日は、終電で帰るというような我としては久しぶりの「無理」をしたことと、その後、家でまたトラブルがありその騒動のため二晩不眠で対応に追われたりしたので、今その疲れがどっと出た。※そのトラブルについては後日落ち着いたらゆっくり書くつもりでいる。もうとことん疲れ果てた。

 思う存分、何も煩わされず、何も考えず眠れたらと願うが、平日は父や動物の世話があり、デイケアに送り出しても行きも帰りも電話に出ないとならないので、おちおち寝坊も昼寝もできやしない。
 そんなで今朝は朝から鼻水が出て、また風邪気味だし気温が低いこともあるからか、腰痛がぶり返してしんどくてならない。こうして机に向かい椅子に座っていると突然ギクッと疼痛が走る。が、ゆっくり横になってる時間もないし、眠たくてもまだすぐには眠れない。こうした状況の中で何とかやるべきことをやっていくしかない。

 このところ吉田正の作品集のCDを聴いているのだが、鶴田浩二のうたう『町のサンドイッチマン』の歌詞、「嘆きは誰でも知っている この世は悲哀の海だもの」という一節が彼の淋しい歌声と共に心に染み入る。
 今の人はサンドイッチマンという職業も名前ももはや知らないだろう。まあ、大阪とかなら道頓堀の橋の辺りに今もまだ佇んでいるような気がするが、それもまた「幻想」で、おそらくいたとしても「常勤」の仕事ではないであろう。
 昔は上野のガード下などでよく見た「傷痍軍人」の、もの悲しくハーモニカ吹いていたその「仕事」姿もおそらく我らが最後の記憶を持つ世代ではないだろうか。
 我の子どもの頃、昔は、何となく哀しい人たちが街に多くいた気がする。高度経済成長とか、1964年の東京五輪で景気は良くなっては来ていても街には何故か淋しさが満ち溢れていた。

 今のNHKの朝ドラもその時代を背景として描いてるようだが、ときたま観ると懐かしくもあるが、その頃をじっさいに生きていた者としてはやはり違和感がある。それは、出てくる人々の「顔」がまず違うからだ。
 当然ながら今の役者さんが出て、当時の服装や時代セットでその頃を演じているわけだが、やはり誰もが皆、今の顔であって、昔のそれと微妙に違う。

 昔はよく「不景気な顔して」と大人たちは口にしていた。子供の頃、不景気な顔というのがどんな顔なのかピンとこなかったが、今ならわかる。どこか暗い憂鬱気味の顔のことで、寂しげと言ってもいい。
 昔は男も女も大人はそんな顔している人が多かったと思える。むろん人と会い話しているときは、明るく、今より元気良いほど大声で人々は話していた。が、一人のとき、街を歩いているときは、無意識的に誰もが不景気な顔していたような気がする。

 今、街中を見回すと、誰もが皆、にこやかな微笑みを浮かべている。特に若い人たちは皆、歩いてるとき、一人のときでもその笑みを絶やさない。そんなウレシイ楽しいことが年中あるとは思えないが、それが今の時代の処世術であり、ルーティンとしての表情なのであろう。
 暗い憂鬱な顔している人は一部の男の年寄りを除いてほとんど見かけなくなった。
 しかし、それだけ時代が良くなり景気が良くなったからだとは我は思えない。昔は生活が苦しく辛いからそんな顔していたことも確かにあったかもしれない。
 が、昔の人は今の人たちよりはるかに真剣に何事も考え、必死に、懸命に生きていたのではないだろうか。特に一人でいるときは、にやにやしている暇も必要もない。さすればどうしたって自然と傍から見れば不景気な顔になってしまうだろう。それが当時の、時代の顔だったのだ。

 朝の連続ドラマも、その時代を背景にしても出てくる皆誰もが明るく笑みを絶やさず今の顔をしている。まあ、リアルに不景気な顔は、朝から誰だってみたいと思わないから仕方ない。
 それは朝起きて鏡に向かって自分の顔見ればすむ話だ。

あらためて近況など2017年06月07日 23時47分56秒

★父と暮らすと目が離せない、気が休まらない。

 関東も今日から梅雨入りしたとのことで、さっそくどんより曇り空の一日であった。
 さて、8/11(祝)の護憲と反戦、平和のための「共謀」コンサート、出演者がそろそろ出そろってきた。我としては、この企画、その日だけの一回きりでなく、先の「反戦歌、労働歌コンサート」と同様に、定期的に続けたいと願っている。せめて年内にもう一回はやれたらと。
 
 で、出演アーチスト名を載せた仮チラシを早く作って、この10日の国会前集会に持って行き宣伝できたらと考えているのだが、今はちょっと果たしてどうなるか雲行きが怪しい感じがしている。
 というのも父の体調、特に頭のほうがあまり良くなくどうしたものかと心にも暗雲立ち込めているからだ。

 このところ、我は朝は遅くとも6時半頃に起きているのだが、今朝も二階の自室でその時刻に目覚め下に降りようと、階段のうえから玄関を見下ろしたら引き戸が全開に開き放たれている。ギョッとした。
 慌てて外に出てみたら、父が庭先をふらついてるのが目に入った。訊けば、木が倒れそうだったから云々言っている。何のことかわからないが、まだ早朝6時半なのだ。ご近所もまだ外に出て来ていない。
 こちらもまだ朝飯にする気はないから、大人しくもう少し寝てろ、と裏の父の自室のベッドに追いやった。いったい何時から父は起きて外をうろついていたのか。

 父は普通は、朝の8時頃まで、我が声かけないかぎり自らは起きてこない。それが今日に限っていったいどうしてしまったか、息子より早く起きだして外を「徘徊」していたのである。幸い遠くまで出て、行方不明になってしまったわけではないから良いものの、一人で庭先で転んだりしてまた骨折したり頭でも打ったらもうそれでオシマイである。
 去年の春、病院内でベッドから転落して大腿骨の付け根を粉砕骨折してからは、杖をたよりにフラフラよろめきながら何とか歩いているのである。一度でも転んだら自力では立ち上がれやしない。
 父をベッドに再び寝かしつけ、我は朝の仕事しつつ、参ったなあ、新たな事態に入ったか、これではさらに目が離せず気が休まらないと思い気持ちも暗くなった。

 その後も、朝食をとらせようと父の部屋に行ったら、今度はトイレで軟便しつつ寒い寒いと騒いでいる。下の介助してやって熱測ったらやや微熱がある。葛根湯だけ飲ませて、またパジャマに着替えさせ朝から起きてるからだと朝飯はいいからもっと寝てろと命じた。

 今日水曜は、午後一で、毎週一回定期的に訪問看護が来る日であった。けっきょくそのまま父はそのまま寝かせて、顔なじみの看護師に父を「診察」してもらった。
 幸い熱も血圧、脈拍数も肺の音も特に問題なく、お腹だけゴロゴロ言っているとのこと。で、父を着替えさせ水分摂らせてから近所を手を引いて散歩させ訪看さんは帰り、それから遅い朝昼兼のお粥を食べさせた。
 その後も朝早かったのだから昼寝してろと命じたにも関わらず、今日の父は何故かずっとコーフン気味で、夕方になってもどこからか古い銀行通帳をみつけて、ハンコがみつからないと騒いでいる。もうキチガイは相手にしない。
 そんなで脱水状態だったからか、また熱が37度超している。今日来られた訪看さんのステーションに電話して相談したが、様子見ということで、晩飯だけ何とか食べさせ早めに寝かしつけたが、今日の父はいったいどうしてしまったのか。
 認知症がまたさらに進み、早朝からずっと興奮している。下手すると深夜抜け出し、我が朝起きるとベッドはもぬけの殻ということだってありうる。まあ、そういう事態になって市役所の行方不明者の「放送」されるような状態になれば、自宅介護は諦め我はもう迷うことなく施設に送る。

 この土日は父はショートステイでお泊りの予定だが、果たして体調崩さず、行ってくれて無事に帰って来るか、今日の状態では微妙な感じがしている。となると国会周辺の「行動」行くどころではない。

 まったく気が休まらない。こちとらまだ腰は鈍く痛いし、睡眠不足も続いている。老いの苦しみという言葉があるが、当人も当人なりに苦しいこともあろうが、呆けてしまえば父のようにハイである。苦しいのは実のところ当人よりも周囲、看護する家族だと我は思う。
 今日も疲れた。早く寝たい。が、きちんと戸締りして、父が出ないよう鍵かけないとおちおち安心して眠る事すらできやしない。

8月11日に向けて「ぶらいあんず」参加者募集!2017年06月08日 23時45分16秒

★新たな参加メンバー心から求む

 マス坊のバンドというには憚れるが、誰でも出入り自由の、いわば現代版「武蔵野たんぽぽ団」的楽団「ぶらいあんず」は、この8月11日の、かけこみ亭での「共謀コンサート」出演に向け、今さらだが参加者を募っている。

 男女年齢、音楽歴は一切問わず基本的に当日参加でき、できれば練習にもきちんと来られる方を心から求めている。
 前回の初ステージ、先の「反戦歌コンサート」にも出たものの、一回もきちんと全員勢ぞろいで音合わせもせず無謀にも当日本番に臨み、結果として失態演じてしまい、他の出演者方の皆に失笑されて、我としては今回こそと、ひそかに期するところもある。
 我が「ぶらいあんず」とは、音楽、うたうことを身近に、誰にでも可能とすべくそのレベルラインを下げる目的で始めた楽団であるが、今度こそ巧くはなくてもある程度の技量と、音楽にかける思いとその熱意はしっかり観客に示したいと思う。

 ほんとうに参加者には一切何も問わないが、その人の音楽に対してのやる気と、もし練習に来れないならば当日はそれなりのしっかりした技量は示せる方のご参加を願いたい。
 もし、気持ちだけで経験も何もないのならば、練習には可能な限り参加してくれれば良いだけの話だ。さすればその時点のベストをコンサートでは示せると信じている。プロではないのだからまずはそれで良いのである。

 むろん参加者は楽器が何か一つでもできれば助かるけれど、今はそれよりも男女問わずボーカルが来てくれると大いに助かる。我も下手だけど唄うことはできる。が、担当楽器のハーモニカが主なので、ギター弾いてハーモニカ吹いてると肝心のうたを唄う人がいないので困る。
 そう、音楽はちっとも難しくはない。特に我らがやってるフォークソングは楽譜が読めなくても楽器は何もできなくとも「うた」が好き、唄うことが好きならば誰だって参加できる。誰でも始められる。この下手の極みである素人、マス坊がやっているのだから、気軽に誰でもできると自信持てるだろう。

 そうした音楽、うたの裾野を広げたいと願い、さみだれ楽団「ぶらいあんず」を結成した。が、今もまだ残念ながらきちんとそのコンセプト、存在理由をステージで示せていない。アイディアは良いはずだし、自信もある。が、残念ながら参加者が未だ少ないことと練習も含めてのきちんと活動できていないが故、その「全体像」を観客に示せていない。そのことに忸怩たる思いもある。

 で、今度こそ、8月11日の我が企画に関わるこのコンサートの「前座」として「ぶらいあんず」はその雄姿を示したいと思う。しかしそのためには参加メンバーが必要だ。できるだけ多い方が様になる。
 ほんとうにどなたでも、巧拙経験は一切問わないので、音楽とうたが好きでそうした活動をやりたいと思う方ならば、ご連絡お申し出ください。心から歓迎します。新しい世界が始まります。そのお手伝いを拙くもできる限りいたします。

 音楽は楽しい。うたは人生の楽しみであると同時に救いと慰めともなる。誰でもいつも唇にうたを、心に太陽を。そのためにも我らと共に音楽活動をやっていきましょう!心から真剣かつ本気で参加者を求めてます!

ともかく頑張ろう、頑張るしかない2017年06月09日 12時30分27秒

★少しでも歩みを進めていこう

 情けないことを書く。先週からの疲れが抜けずともかく全身怠く節々も痛くて起きていられない。
 昔若い頃、登山にいそしんだ頃、一山登頂して帰宅した後、翌日受ける疲労感に近しいが、そこには達成感も爽快感も何もない。ただ体中しんどくて、おまけに鈍い頭痛もしていて辛くてならない。腰の痛みが全身に分散したかのようだ。
 いったいどうなってしまったのか、自分でも不安になる。

 昨日は梅雨入り宣言あった翌日なのにカラッと晴れて爽快な初夏の一日となった。が、我は断続的に、父の食事の世話以外、午前も午後も時間さえあればたとえ30分単位で横になって仮眠し身体を休めた。
 そう、今週は、月、水木と父が終日家にいる日で、火曜のみデイケアに昼間は行かせたが、それも実質6時間程度の不在で、あとは常に様子を伺い、朝起こして着替えさせ夜寝かしつけるまで、付ききりで食事や水分を摂らせ、こまめに紙パンツもチェックしないとならない。
 我が落ち着けるのは、朝方、父を起こすまでと父を寝かせた後、我も床に就くまでの数時間だけとなるが、今週は、早朝、我が起きだす先に、父が庭先に出て「徘徊」していたので、おちおちのんびり眠るもままならない。そんなで先週出かけた疲労がいつまでも抜けないのであろうか。

 今日、金曜は、またデイケアの日で、早出で迎えが来たぶん、夕方3時過ぎには早くも戻ってしまう。ただ明日からは二泊三日で、ショートステイの予定であるから、やっと父の世話から解放され、出かけることも含め自分のことだけに専念できる。

 今日も朝方は曇っていたが、今昼過ぎ明るく晴れて来た。東から爽やかな風が窓から吹き込んでくる。
 やるべきことはいっぱいあるのに何一つ進んでいかない。時間だけは確実に足早に過ぎていく。国会情勢も気にかかる。
 明日は午後からたとえ一人でも『国会大包囲』行動にギター持って参加する予定でいるが、正直体調しだいというところだ。
 今日も金曜で、ギンレイで今上映中のプログラムの最終日であった。日本とも観たい映画だった。我としては、今朝父を送り出してから、すぐに都心に出れば、朝一番の回から観れて父が戻る頃には帰宅できるかと考え、今日は出かけることも考えていた。
 が、父を施設からの迎えの車に乗せ、犬の散歩済ませ猫たちに餌つくって与えただけで、もう身体じゅうふらふらしんどくて、午前中、2時間ほど深く眠って夢さえ見た。幸い昼前に起きれてシャワー浴びて、今これを記している。朝からまだ何も食べていない。

 寝てばかりはいられないが、無理はできない。これ以上体調崩せば我も倒れ入院するはめとなろう。そしたら父の世話は誰がする。彼もまた介護施設に一時的でも入れるしかないだろう。父はともかく残された犬猫たちの世話はどうなる?
 今日はともかくできるだけ安静にして、父がいない時間の間だけのんびり気持ちも休め、明日の都心でのことは明日になって考えよう。全ては明日の朝、父をともかくショートステイにまず送り出してからだ。

 ともかく頑張ろう、頑張るしかない。少しでも進めて行こう。たとえどのような情勢になろうともここを乗り決る。生き続ける限り我は負けはしない。生きていれば何度でもやり直せるのだから。
 もう何も食べたくないし何か作るのも面倒だ。かといって食べないと体がもたない。郵便局に記帳など行くついでもあるので、どこかで牛丼でも外食してこようかと思う。もたもたしているとまた父が帰ってきてしまう。

「発狂」していく父と暮らしていくこと2017年06月10日 20時44分15秒

★明け方、父がハイカイし今日の集会は行けませんでした。

 このブログは、行きがかり上、我マスダの人生についてのことを現在進行形で書いている。
 ほんとうは、本のことや好きな音楽についてウンチクや解説を記したいのだけれど、いつの間にか我のしたこと、我に起きたことをつい愚痴をこぼすように日々書いてしまい、一度書いてしまえばまたそのことについては追加報告もせねばならなくなる。
 昨年の我が母の癌再発とその死も刻一書いてしまったし、ならば後に残されたその夫、我が父についても「その後」のことも書かねばならない。
 書くからにはできるだけ正直に包み隠さずありのまま書くことをモットーとしているので、不快な表現や描写もあるかもしれないがご容赦願いたい。

 先日のこと、いつもは我が起こさないと起きてこないのに何故か早朝、息子が目覚める前、一人で着替えて朝6時半頃から庭に出て、庭木をいじったり何やら作業をしていた。我が起きて下に降りたら玄関の戸が全開でドキッとした。
 幸い父の身体に異変などはなく、一人で勝手にウロウロして庭先で転んだりしてもそんな朝早くからは誰も助けに来てくれないのだから息子が起きるまで自室で大人しくじっとしていろ、とたしなめ、本人も納得理解したと思えた。
 今思えば、それは徘徊行動の一種であって、認知症の度がまた一段進んでしまった証だったのだ。

 先にも書いたが、今日10日は、国会周辺を取り囲む「反共謀罪、辺野古埋立て抗議」の集団行動が予定されていて、我も一人でもギター持って参加出来たらと考えていた。
 が、このところ体調ももう一つで、全身が怠く疲労感も強く、果たしてどうしたものかと迷っていた。森友学園、加計学園問題など、次々噴出する安倍友疑惑に対しても怒りの声を上げるべく、こうした抗議活動は一人でも多くの参加者が必要だ。我も体調がどうのこうの言う以前に、行けるならば何としても行かねばと考えていた。ついでに、8.11のコンサートの呼びかけも兼ねて、と。
 今日10日の土曜は、父がショートステイでお泊りに行ってくれる日でもある。父さえ送り出してしまえば、昼過ぎからの集会には十分間に合うと昨日の晩、我は出かける支度もして、父に食べさせる朝食用のフレンチトーストを用意して床に就いた。

 ところが、眠りについて少ししたら、父が、下から我を呼ぶ声がする。「てつや~てつや~(マス坊のことね)」と甲高い声で叫んでいる。何か起きたのかと慌てて飛び起き、二階の階段上がったところから下の玄関を見下ろすと、煌々と明るく電気が点き、父が今にも二階に上がって来ようとしている。
 いったい何が起きたのかと訊くと父曰く「猫に会いたよう、お願いだ、猫に会わせてくれ、心配だあ~、この戸を開けてくれと」泣き叫んばかりである。時間はまだ午前4時前であった。

 実はこれはまだブログできちんと報告していなかったが、先月の終わりにウチで子猫が二匹生まれた。まだ生後二週間で、ようやく目も開いてやっといくらか可愛くなってきたが、母親の黒猫は、初産でとても神経質で、父に子供たちを触られるのが嫌で、これまで二回咥えて連れて行き隠してしまい「発見」するのに一騒動を起こしていた。
 で、今は、一階の玄関わきの小部屋に、――そこは母が介護ベットを入れて死ぬまで過ごした部屋だが、鍵をとりつけてトイレも入れて親猫共々閉じ込めているのだった。
 猫好きの父には我立ち合いの元、母猫に餌与えて子猫に母乳を与えている落ち着いたときに対面させている。父一人に任せておくと、彼は戸を開け放して目を離した隙に、また子猫は親猫共々どこかに姿を消してしまうからだ。
 そうして昨晩も父を寝かせる前、子猫たちにさわらせもした。ところがまだ外は暗い明け方に、突然、息子を叩き起こして、「猫が心配だ、戸を開けて会わせてくれ!」と大騒ぎである。いったいどうしてしまったのか。
 父をなだめてともかくベッドに無理やり連れ戻し、今はまだ真夜中で、騒いでも猫たちも寝ているからもう少し我慢しろ、朝になったら会せるから」と言い聞かせて泣き叫ぶ父を何とか再び寝かしつけた。
 外はやっとうっすら白み始めてきたところだった。
 
 それから我も寝直そうとしたが、その騒動の後では気が高ぶって眠れない。父のこと、どうしてもあれこれ考えてしまう。仕方なく、連絡事項のある友人にメール書いて送ったりして朝になり、6時頃から一時間半ほど我も再びベッドに入った。ただ、今朝は父を9時すぎにはデイサービスに送り出さねばならないから、うっかり寝坊はできない。
 ほんの少しうとうとした気がしたら、セットした目覚まし時計が鳴り、7時半に起きだして犬たちを軽く散歩させて父を起こす。我も睡眠不足で頭がががんがんしている。朝食を摂らせながら、父に今朝がた早朝の騒動を覚えているかと訊いたら、「何となく」とのことだった。
 こうした騒動を夜中や早朝にまたしでかしたら、息子はもう体力続かず倒れてしまう。もう介護もできなくなる。ならば当人の意思とは関係なく介護施設や病院に入れるからと釘さして、迎えの車が来る前にちょこっとだけ猫に会わせて、やっとのことでデイサービスに送り出した。

 じっさいまだ夜間に家を抜け出して「行方不明」になってはいないが、真夜中に息子を叩き起こして「猫に会いたい、子猫が心配だ」と大声で騒ぐのは常軌を逸している。まっとうな人間なら、夜中にふと目覚め、気になることがあったとしても、起きだして騒いだりはしない。疲れて眠っている息子を叩き起こさない。
 この父の「狂気」、発狂がこれからどうなっていくのだろうか。体力が低下していくように、脳の能力、機能も低下していくのならば、こうした「徘徊」的騒動は見境なく今後も多発するだろう。いよいよもって辛酸佳境に入っていくのか。

 今日の国会包囲の集会、昼から出れば十分間に合った。が、12日引き落としのカードローンの支払いなどあって近くのコンビニから振り込んだりしてたら昼近くになってしまい、その帰り道、急に目の前が暗くなって失神しそうになった。そう、視界の周りからじょじょに黒いものが狭まってきて真っ暗になるあの感じである。これはやばい。道で倒れたら救急車で運ばれてしまう。
 家に何とか戻り、ベッドに入り、震える指でスマホで、今日集会に参加されると連絡が入っていた友人に、今日は無理だとお詫びの短いメールを返してそのまま我は短時間だが何も考えず深い眠りについた。

 実は今日、集会に行かないのならば別の用事を午後予定していて、身体はかなりしんどかったが、午後2時からのそれには行けた。そのことについてはまた後ほど記す。
 それから戻って、夕方からまた7時過ぎまで眠って、犬猫たちの世話して今これを記している。
 
 母のときは、頭はしっかりしていたが、癌のため身体がもたなくなって母は死んだ。父は、身体は、ろくに歩けずふらふらでも基本頑健で、頭のほうがダメになり、もはやこの家で共に暮らせなくなってきた。
 人が老い、長生きすると最後はこういう事態になるのであろうか。母のようにともかく最期のその時まで住み慣れたこの家で過ごせたのは、やはり幸福なことであったと今は思える。介護しているときは、我にとっても母当人にとっても大変な辛く苦しい時間であったが、この家に死ぬまでいられた、この家で死ねたのだから幸運な良いことだったのだ。

 父はこのままではどれほど猫を愛し、猫と暮らしたいとしてもこれでは息子はもはや介護できない。一緒に暮らせない。キチガイと暮らしているとこちらまでストレスで頭がおかしくなってくる。まったく気が休まらない。
 息子が自分のことが何もできなくともそれはどうでもいい。糞便の始末も別に辛くない。それよりも父の世話に加えて、昼夜問わず目が離せないとすれば、今日のように睡眠不足で体力が続かない。このままだと倒れてしまう。
 
 父に振り回されてこのところよくこう思う。すべては自分のしてきたこと。罪に対しての罰だとは考えないが、この現実は我の自業自得なのだと。
 結婚もせずに子供もつくらずに若い時からきちんと働かず身勝手に遊びほうけてきたワガママな無責任人生のツケなのだと。そして今そのツケを我は払っているのだ。ならばそれも仕方あるまい。人生とは誰にとっても同様にそれぞれがそれぞれのツケを応分に払っているものなのだから。そう、絶対的に公平なものなのだ。