のみ亭のその後について2017年07月22日 13時13分18秒

棚がスカスカなのは、他の古本屋が来て買い取る本だけ抜いていったから。つまりこれらはゴミ!
★のみ亭の本を運んできた話の続き

 中央線文化という言葉がある。70年代に花開き、そして今も中央線沿線に色濃く残るサブカルチャー、カウンターカルチャーの一つなのだが、一言でいうことは難しい。
 ならば思いつくまま、関連するワードを並べてみる。
 ラブ&ピース、ダウントゥアース、レイドバック、精神世界、スピリチュアル、自然食、無農薬野菜、ヒッピー、古着屋、反戦、アジア=それもインドとタイ、ヨーガ、カレー屋、アジア雑貨店、70年代のポケットサイズの宝島誌、漫画雑誌ガロ、そしてフォークソング・・・

 これらは60年代にまず新宿、渋谷など山手線内で興り、それが下ってきたもので、中央線と言ってもせいぜい立川が含まれるかどうかで、ほぼ国分寺~中野間の若者文化の状況を指している。
 これが青梅線福生辺りまで行くと、そのディープさはドラッグを伴い、かなり危険かつヒッピー的脳天気度(フリークさ)が高くなってしまう。
 今思うと私感だが、やはり吉祥寺、高円寺など、そしてホビット村などがあった西荻などがいちばんその中央線文化度は高かったのではないだろうか。
 のみ亭もそうした70年代の中央線文化の香りを今に色濃く残す貴重な店であった。

 ドアノブの回し方がもう一つよくわからない店に入ると、左手に頑丈な本棚がある。左手の厨房にそって奥に向かってカウンター席があり、木のテーブルが二つ、二人並んで座るのはキツイ木の平椅子がいくつかあるだけのごく狭い店だ。ライブの折など立ち見も含めどれほど詰めても30人は入らない。満席に座っても10名ちょっとであろうか。

 昔、難波にあった、大塚まさじがマスター努めていたディランという喫茶店も広さもつくりもほぼ同様だったと誰かが言っていたように思う。
 その店から、西岡恭象、ディランⅡだけでなく、多くのフォークシンガーが集い、福岡風太中心に春一番コンサートがはじまったように、のみ亭も35年間、実に数多くのシンガーたちが訪れライブを行った。
 我はこの10年ぐらいしか足繁く通っていないので、昔からのことはよく知らないが、その10年でも100組近く、あるいはもっと多くのアマプロ問わずミュージシャンがこの狭いPAシステムなどは何もない店で唄ったのではないか。

 その大きな本棚には、70年代からそのままに、店主やっちゃんが読み集めて来たマンガ本が色褪せてそのまま収まっていた。60年代末から70年代初頭のガロであり、それに書いていた作家たちを集めた「夜行」であり、60年代末からの虫プロが出していたCOM、マンガ少年、さらに雲遊天下、その前身であるプレイガイドジャーナル誌もあったかと思う。

 店に対する思い出や思い入れは来た客それぞれ違う。ある人にとってはそこで出てくる料理だったり、かかっている音楽であったり、集う人たち、そして何よりマスターの人柄によるところが大きい。
 先だってもやっちゃんの死後、店を片付けていたら、常連客だったという女性が来られ、外して捨てた「お品書き」を全部ゴミ袋から探し出して喜んで持ち帰った。その人にとっては、この店でやっちゃんが作って出してくれた料理と彼自身の手書きのお品書きこそが、貴重なのみ亭の思い出だったのである。
 そして我にとってのそれは、そこでやった、やってたライブは別にすれば、流れていた音楽もだが、それ以上にこの色褪せた懐かしい漫画雑誌などで、知らない人が見れば、薄汚い古雑誌、古マンガ誌にしか見えないけれど、今に残る懐かしき「中央線文化」として、無造作に並べてあった本や雑誌、そしてこの店そのものが雰囲気も含め貴重な歴史的文化遺産であった。

 16日の日曜に、生前のやっちゃん相談し開催予定だった「のみ亭支援ライブ改め追悼ライブ」を、お隣の店沙羅でやったことは先に報告した。
 その日、ライブが始まる前に、椅子を借りにのみ亭に顔出したら、ちょうど彼の妹さんたちが来て、本の片づけをしていた。先ほど近くの古本屋を呼んで査定してもらったが、30冊程度しか引き取らず、それで一万円だと言う。見れば、つげ忠男の単行本など約30冊ほど平積みにされて置いてある。ご遺族としては、それぐらいしかならないのと、残りの本の処分、どうしたものか悩んでいたようだった。
 古本屋が買い取るとしたらまあ適正かなと思えたが、じっさいに自ら売れば、とうぜんもっと高くは売れることを我も古本屋としてお話した。
 そして、ウチに委託してくれれば、時間はかかるけれど、ネットで売りに出して、売れたら当然その額を支払うとも話した。そのほうが古本屋に売るより最終的にはもっと高く売れる。

 ご遺族としては、残りの本は、店頭でフリーマーケット的に、売ることも考えていたようだが、実際のはなし、二束三文にしかならないだろうし残れば全部ゴミとして処分しないとならない。そこで我はこう提案した。
 ならば、一括して(他の古本屋が査定した分も含め)ウチで引き取っておいおい時間かけて売っていくことにするので、ともかくウチに任せてくれないか。ただ、現実のはなし、そんな悠長なことを言ってたら、閉店に向けてお金も必要なので困るだろうから、とりあえずまとまった額を現金で運び出すときにお支払いすると。
 で、査定額の数倍の額を示しのみ亭にあった本は一切合切運び出すことでご了解を得た。そしてこの19日の日に、茨城県笠間から友人であるウチの「社員」氏を呼んで、二人でウチの軽ワゴンに積み込み持ち帰って来た。

 小さめの段ボール箱に文庫まで詰めて10箱ほどだから大した量ではない。しかもその半分以上、いや三分の二はAmazonの出品規定では「可」という、街の古本屋では絶対に引き取らないかなり劣化した状態なのである。マンガ雑誌なども焼け色褪せ、クスミだけでなく表紙や背などボロボロなのがほとんどだ。
 持ち帰ったものがどんな値段でも全部売れたとしても、おそらく我が支払った額の半分になるかどうか。しかもそれがいつ売れるかわからないし売れる保証もないのである。

 しかし、我としては、この「文化」が散逸し雲散霧消するのはどうしてもしのび難かった。むろん来ていたお客などに思い出や記念の品として行き渡るのならそれも亡き人は喜ぶだろう。
 生前、虫プロの漫画誌COMも店内で安い値をつけて箱に入れて売っていたが、状態が悪いこともあってほとんど売れないでずっと残っていたし、古本屋が買い取って行った残りの古雑誌類は、店頭で安くすればいくらかは捌けもしただろうが、結局最後はその多くは紙ゴミとして処分することになっただろう。

 我としてはそれは耐え難かった。レコードもだが、やっちゃんの遺したものは彼のためにもできるだけ全部そのまま「保管」したいと思った。
 そしてウチに今やっちゃんが若い時から読み集め、のみ亭の本棚にカウンターに置いてあった本や雑誌はほぼすべて来たかと思う。※まだ全部確認もしていないが、やはり死後、来られた人が彼と店の思い出として持ち帰ったものもあるような気がしている。いや、以前あったと覚しき本も今回見たらみつからないものもあった。しかしそれもまた喜ばしい。本はほんとうに欲しい人の手元に自ずと行くべきものなのだから。
 当初はウチで全部預かって、ネットでおいおい出品して売っていくとお話した。しかし、しだいに気持ちは変わって、本こそ、店主と店に来た客たちの思いがこもっているものならば、まずは売らずにできるだけこのまま「保管」しておこうと思うようになった。
 むろん我も持っている本もとうぜんある。そうした重複した分から売りに出して、やっちゃんの蔵書はできるだけそのまま残しておきたい。

 我はお金にしろ、モノにしろ、自分のものという意識はあまりない。何であれあくまでも今我の手元にあり預かっているというだけの話で、やがてまた他の人の元に回っていく。死ねば当然そうなっていく。
 そもそも古本屋というのはそうした古物の流通業なのである。そして今、友人が逝き、その店にあった貴重な文化的遺産が幸いほぼそのまま我が家に来た。それは商業的、経済的価値は低いが、中央線文化としてのマンガ誌、それもガロとフォークソングとが密接に結びついている。とりあえず雲散霧消せずに良かったと今つくづく思う。

 奇しくも、我が最後に手がけてやっちゃんに頼み込んで実現したのは、ガロでデビューし70年代当時人気を誇っていた鈴木翁二のライブであった。シバと同じく、漫画家でありフォークシンガーという多彩な活躍をしている人で我の師匠である。※今は二人ともシンガー以外は画家と陶芸家に移行してしまったが、うたは年齢を重ねた分深みを増しますます素晴らしい。
 やっちゃんは彼を深く敬愛し、翁二さんものみ亭を特に気に入ってやっちゃんのことを常に心配していた。ライブを終えてお二人一緒に撮った写真のやっちゃんは穏やかな満面の笑みを浮かべている。そう、ならばこそ、その鈴木翁二が載っている頃のガロを散逸させたくなかったのだ。なけなしの金をはたいたこと悔やみはしない。

 そうそう、肝心のことのお知らせが最後になってしまった。

 今週の29日に、やっちゃんの友人、常連客中心に、のみ亭で「お別れ会」のような集いが夕方からあるとのこと。どういう形式になるかよくわからないし、我も顔出すか未定だが、のみ亭は開いて入れるので、関心お持ちの方にまずお知らせします。
 また8月5日には、岡大介が中心になって、縁のシンガーに声かけて店内で「のみ亭ラストライブ」があるらしい。詳しいことは我は知らないが、ここに告知しておく。

 いずれにせよ、まだ運び出すものもあるし片付けも支払いも残っているので、我はちょくちょく西荻に出向かねばならない。そして来月の中ば?には、正式にのみ亭は「閉店」となる予定だ。※レコードは店頭で売っていくとのこと。
 
 まったく今も痛恨の思いがするけれど、好漢高杉康史、ナイスガイやっちゃんが一代でつくり上げ続けてきた西荻のみ亭も彼の死と共に35年で幕を下ろす。それもまた運命だったのかと我は今つくづくしみじみ思う。誰か二代目を継いでくれる人は今でもいないものか。

 やっちゃんの魂よ安らかであれ!お店の本は俺が預かっているから。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2017/07/22/8625362/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。