まずは、8/11の「共謀」コンサートを無事に成功させて2017年08月05日 22時48分20秒

★あとは、岡君にお任せした。

 日々慌ただしく過ぎていく。幸い我の手のかかる老父は、週末はショートステイにお預けなので、我は夜遅くまで出歩くこともできる。
が、今週はともかく忙しい。

 故高田渡が引き合わせてくれた敬愛する李政美さんを久々にお迎えして、そのコンサートを滞りなく大盛況とすべく、我はその下準備、つまり連絡事務やスタッフの手配に今追われている。
 しかもまた今回も我は、楽団ぶらいあんずの一員として、臆面なく出演もちょこっとだがするので、その練習もしないとならない。で、今日も新宿西口のカラオケ喫茶で、昼過ぎから夕方までたっぷりメンバーたちと練習に励んだ。

 だいぶ手ごたえはあったものの、この楽団、一番のネックは、我のうたとハーモニカの技量であって、必死に練習はしているのだが、果たして本番当日、失敗なくお披露目できるのか、正直今もまだその自信がわかない。
 コトにおいて人は本番に強いとか弱いとかよく口にする。我は、突発性パニック障害という気質を抱えていて、普段はまったく失敗なく100%完全にこなせることでも、ちょっとした瞬間いきなり突然頭の中が真っ白になり、何も出て来なくなる。つまりうたならば、うたの途中で突然歌詞がわからなく停まってしまうのだ。
 自分でも自分の頭の中がどうなっているのか不思議に思う。旧い電気回路のように、肝心なところに、ふとした瞬間に伝達信号が届かなくなる。何百回唄ったうたでも突然基本的サビの歌詞が出て来なくなり、困惑悶絶してしまう。緊張によるものかよくわからないが、そうなればどうすることもできない。

 それは、まだ唄い込んでないからだと先人の歌い手さんたちは我を諭す。その人たちは、歌詞カードなど全く無しで、何一つ見ず、10数分にも及ぶ長いバラッド、つまり物語り歌を詰まることなく、最初から最後まですらすらと思いのままギター弾きながら朗々と歌えるのである。それこそ、そうした人の頭の中を開いて、歌詞を覚えるコツ、その機能を確認してみたいと願う。まあ、オツムの出来がそもそも違うのだと思うしかない。そう、パソコンでいうところのスペックがそもそも違うのだろう。年齢は関係なく元々オツムのOSが、中川五郎と我とでは、ウインドウズ98と10ほど違うのである。

 先にも拙ブログでお伝えしたが、今日はのみ亭で、主なくとも最後のライブが、岡大介の企画で今もやっている。※午後7時から零時頃まで。
 我も今日の新宿でのぶらいあんずの練習が終えたら、遅れても顔出さねばと考えていた。が、練習終えて、確かな成果をサカナに、メンバーと居酒屋で少し飲み食いして、8時頃中央線に乗ったら、それが青梅行きだったこともあり、座ったらもう西荻で降りるのはいいかという気分になった。
 わざわざ我が出向かなくとも、好漢岡大介が今日はすべて最後まできちんとやってくれよう。我マス坊は、自分が出来ることは、ご遺族との関係では、もう十分にやったと思っている。それは亡き人に対しても同様に。我は天国で彼に胸が張れる。
 そして来週水曜に、最後の片付けにもう一度車を出す。閉店に向け片付けしても最後まで残ってしまった、引き取る者もないゴミやがらくたに近しい「のみ亭遺産」を一切合切、車に積めるだけ載せてこようと思っている。

 かつて植草甚一、JJ氏が亡くなったとき、彼の仕事場のものや彼が集めた私物コレクションなどは、一切合切、新宿のアドホックビル内の特設会場で、投げ売りしたことを思い出す。そのとき、彼のレコードコレクションが出なかったのは、あのタモリ氏が、JJ氏のジャズ関連のレコードは散逸するのは惜しいと全部買い取り引き取ったからだと人づてに聞いたことがある。
 その真偽はともかくも、誰かが、そうして誰かの死に臨んで、強権的に「管理」を申し出ないと、その死後の始末は混乱し惨憺な有様になることが多いかと思える。つまり遺品はやみくもに分散し、価値あるものもないものもゴミ同然に扱われ散逸してしまう。それでは故人は浮かばれまい。
 いや、それもまた、それすらも死の正しいあり方なのかもしれないが、我はそれを是とも良しとも絶対にしたくない。何故ならば、その人の生きた証が死と共にまったく無意味かつ無価値に、ゴミ同様に扱われるのだとしたら、いったい人の生きた意味はどこにあるのだろう。人の生とは、対社会の関連性だけではあるまい。
 彼が生きた証はささやかな日常にまずあるのではないのか。つまりそれは彼が慈しみ大事にしてきた日用品や捨てずにとっておいたものにこそあるのではないのか。

 これを書いている今も岡大介は、のみ亭で、おそらく仲間のミュージシャンたちと声張り上げ、やっちゃんの追悼ために唄っているだろう。
 人それぞれ追悼の仕方は違う。我は、死後の後始末として店も自宅アパートも片付けを手伝った。それが我の亡き人を思い偲ぶ仕方なのだと思っている。
 そんなこんなで出かけてばかりで正直もう疲れた。果たして11日まで我一人でもつのだろうか。今回は誰もお手伝いスタッフがみつからないのだ。それもこれも不徳の致すところだから仕方ない。我が一人で全部背負う。

 今日の、のみ亭ラストライブ、まさに最後の最後となろう。その場に立ち会えなくて少し残念にも思うが、今晩行けば、必ず遅くなってきっとまた立川から終電逃してトボトボ歩く羽目になる。今はその時間と体力が惜しい。正直そんな余裕が全然ない。
 ならば、今晩は岡君に全部お任せして、集った皆で、やっちゃんの供養をしてもらいたい。亡きのみ亭主人もにんまりすることだろう。そう、あとは岡君に任せた。安心している。

 我は我のできることとすべきことをこれからもやっていく。まずは11日、滞りなく成功に持って行かねばならない。どうか多くのお客様が訪れてくれることを祈るだけだ。