早くも秋の気配が・・・今年の夏も終わってゆく2017年08月14日 23時18分59秒

★父のことと近況を

 迷走台風5号が来た後の頃は、ものすごく蒸して耐え難いほどの暑さだったけれど、それ以後、また雨模様の曇りがちの日が続き気温も低くだいぶ過ごしやすくなった。
 他の地方は知らないけれど、夏というより梅雨の頃に戻ったようなすっきりしない妙な曇りの日が続いている。必ず毎日雨が降る。
 慌ただしく気がつかないままにいつしか立秋も過ぎてもう八月も半ばとなった。陽射しもいつの間にかずいぶん短くなって日が暮れるのもひと頃より早いし、もうこのまま季節は秋へと向かうのだろうか。
 今も外はしとしとと雨が降りはじめ、吹きこむ風はひんやりして暑さに慣れた身体にはうすら寒いほどだ。

 実は、この日~月と一泊で山梨へ行ってきた。お盆休みの最中で、渋滞に巻き込まれるかもと覚悟したが、行きも帰りも30分程度遅れるほどの混雑ですんだ。
 が、向うにいたら、今朝方、父を預けたショートステイ先の施設から連絡があり、父の体調が悪いと報告され、仕方なく大慌てで引き取りに戻った。

 何度も書いて来たが、食事から下の世話まで、父が家にいる時は、朝起こしてから寝かすまで付ききりで解除しないとならない。しかもときに抗い毎食事ごと、食べっセルだけでも一苦労、諍いは絶えない。
 そこに加えて父は、このところ呆けがさらに進み、ちょっと目を離すと勝手に突発的行動に走る。猫の姿がしばし見えないと足元も覚束ないのに探しに外に出たりして転んだりと危なくてしようがない。おちおち買い物や犬の散歩にも出かけていられない。
 その都度叱り、咎めて本人も「反省」を口にはするが、すぐにまた忘れてそのときどきの「不安」に突き動かされ何度でも奇矯な行動を繰り返す。一日に少なくとも一度はそうしたことで諍い、トラブルが起こり時につかみ合いの騒動ともなる。我の怒りと苛立ちは常態化していた。

 この日曜の朝も、食事している間に突然探し物に走り、それを繰り返すので実に些末なことが原因でまたも騒動となり我は激高し父を殴り父は鼻血をだした。
 我もさすがにこれ以上キチガイの面倒は見れない、このままだと父を殺してハメツしてしまうと思い至り、特養などの施設に預けることを決意した。ところが父はまた激しく抗い絶対に行かない!嫌だ!助けてくれと叫び、さらにまた騒ぎ、そのときは何とか無理やりショートステイの施設の迎えの車に乗せ送り出したが、週明けにはケアマネに伝えてその申し込みをしようと覚悟した。母のときと同様に最後までこの家で父も面倒見て看取ろうと考えていたのだが・・・ 堪えのない我にはやはり不可能だった。

 で、気分転換も兼ねて一人で山梨の倉庫に行くことにして、先日、のみ亭やっちゃんのアパートから頂いて来た彼が使っていたスチールの本棚などを車に積み込み、午後から圏央道経由で中央道に入ることにした。
 出たの午後3時頃と遅かったのと、お盆休み期間で、規制ラッシュとは別にやたら車が多く、あちこちで事故渋滞などもあったので、時間もかかり、途中甲斐市のかけ流し銭湯で夕刻のんびり浸かって休み、けっきょく北杜市江草の倉庫と化した古民家に着いたのは夜8時半であった。
 また雨が降り出し、荷物も下ろさず買ってきた弁当を缶ビールで流し込みその晩は11日からの疲れがどっと出て倒れ込むように寝てしまった。

 翌朝、いつも通り6時前に目覚めたが、久々に泥のように深く眠ったこともあって、意識が戻るまでしばらく自分がどこにいるのか、ここがどこかわからなかった。それほど深い眠りは久しぶりだった。
 11日のコンサートが終わった後も、関係者からこれで今夜は枕高くしてよく眠れますね、と言われたが、その晩はコーフン続いたことと、あれこれ失態、忘れもの等が気になってほとんど眠れないでいた。

 コーヒー淹れて、部屋の片づけとかしていたら9時過ぎ、携帯が鳴り、それは父を預けた施設からで、父の体調が良くないので、という報告だった。
 昨日は、食事はとれたが、あの後も何度か鼻血を出し、今朝は、頭痛がする、気持ち悪いと言って吐いてはいないが、吐き気があるので朝食は何も食べず、今も横になって休んでいるという。
 要するに、向うで何かあると面倒だから引き取りに来てくれということだった。で、今、山梨にいるので行けるのは昼過ぎになる、父の容態に変化あたらまた知らせて、と伝えて、それから大急ぎで荷物まとめてまた戸締りして10時過ぎ里山を後にした。

 今回の目的は、一つはその本棚を運ぶことだったが、もう一つ、向うの税金も支払わねばならずとっくに納付期限が過ぎ、振込ができなくなってたので、これ以上延滞金つくのも面倒だと、役場に払いに来たのだ。その他、いくつかこちらでの事務的作業もあった。
 それらを大急ぎで全て終わらせて、いつまた施設から電話あるかと気にしながら、韮崎インターから高速道に入り、また途中30分ほど渋滞に巻き込まれもしたが、何とか2時前には八王子インターを出られた。
 そして父のいる介護施設に行き、父を連れ出し車に乗せ家に戻った。施設の人の話では、昼食はまあまあ食べたと言うが、頭痛がまだひどく、安静にしていたらしい。
 そのままかかりつけの相互病院へ診察に連れて行くことも考えたが、当人は今は落ち着いたと言い、家に帰って休みたいと言い張るので、帰宅し、着替えさせともかく寝かしつけた。すぐにイビキかいて父は眠ってしまった。
 それから我は我の用事のため、立川に車で出向いたり、夕方急いで戻ったら、また父が外へパジャマ姿のまま出そうなところに間に合い、当人は食べたくないと言ってたが、夕食を軽く食べさせ早く寝かせた。
 病院へは明日連れて行くことにして、夜中も何度も父に異常がないか確認に我は起きた。

 我が怖れたのは、また父の脳内で出血が起きて、硬膜下出血を再発しているのではないかということだった。というのは 我が殴ったか定かではないが、父は額にコブが出来ていて、それが痛いのか、頭の中からの頭痛なのかも当人に聴いてもはっきりしない。
 ただ一昨日以降、ずっと頭痛を訴えていて、それは首を動かしたりするとかなり痛いらしい。ということはやはり脳内に何か異常が出ている可能性大で、原因が誰にあるにせよ、面倒なことなったと今さらだが我は怯えた。
 
 そして一晩またあれこれ父のこと、これからについて考え直した。ともかく診断受けないことには何ともわからないけれど、こうなれば特養にいれるどころではないと。

 ※長くなったのでもう一回書きます。