まさしく、昔はものを思わざりけり2017年09月14日 22時15分55秒

★近況とこれからのことなど

 何も何一つ成すべきことはできなくても月日は過ぎ、季節は確実に変わっていく。雨ばかり続いた今年の夏だったが、このところ天気も安定し天高くカラッと爽やかな秋晴れの日が続いている。
 むろんまだ日中の陽射しは強く、日向に出ていれば汗ばむほどだが、朝晩はぐっと涼しくなって秋の虫たちがさかんに彼らの季節の訪れを知らせている。そう、気がつけばいつしか秋風が吹く9月も半ばとなってしまった。今年も残すは三か月半なのである。

 申し訳なくも思うがこの何日かブログ更新できなかった。特に何か忙しい用事があってのことではない。夜になると父がいる日も不在の日も晩飯を終えるともう眠くて起きていられず、ともかくいったん寝ようと寝てしまいパソコンに向かえないでいた。
 では、早朝から起きてそのとき書き出せば良いのだが、我が作業台にしている机に備えてある椅子に、突然子猫を失った母猫、黒ちんがほぼ日中はずっと眠っていることが多く、無理やり追い払って、というわけにもいかず古川柳ではないが、朝顔に釣瓶とられて、の気分でブログも書けなかったのだ。実は今だってかなり瞼が重い。※その母猫が可哀想というだけでなく、あまりじゃけんにするとその猫まで家出してしまうかもという怖れが我にはあるのだ。
 これも還暦となって故赤瀬川源平氏の言うところの「老人力」が我にもだいぶついてきたのかとも思う。それにアルコールが入ってることも大きい。

 このところの我の唯一の楽しみ、というか息抜きは、夕方の犬たちと散歩のとき、近くの公園のベンチで缶チューハイを呑むひとときだけで、ヨーカドーなどで買い物した帰りのときもあるし、コンビニで焼き鳥の類1本と缶のアルコールを買い求めては、日暮れ時ただぼんやり何も考えずにぼうっとするのである。※昨今の缶アルコール飲料は日本でも度数がやたら高くなってきているから、9度なんていうのもあって、我は酒に弱いくせにコストパフォーマンス重視で常に最高度を求めるから、一缶でも二缶分の度数なのですぐかなり酔っぱらってしまう。
 それから父の飯の支度したりして、我も落ち着いて飯などは食べず、おかずだけつまみながらお湯割りなどをちびちび少し吞んで、父を寝かしつけたらもう今日はいいやと結局ほろ酔い気分のまま寝てしまうのだ。
そんな風にしてただ家事だけは何とかこなし、ブログさえも書かずに季節は秋へと移り変わり今月も半ばとなってしまっていた。

 そう、懸案のことも新しいことも何一つ腰据えて少しでもできないまま、日々の雑事だけこなすのでも手いっぱいで時間だけが過ぎていく。
ギターも弾かないし音楽もまったくかけない。テレビも観ないしパソコンでもYouTubeも観ない。本も拾った漫画雑誌はパラパラめくるが、聖書をベッドの中で手に取る以外、この一年以上、一冊も通しできちんと読んだことはない。ライブも自らが企画したり責任負うもの以外は出向くことはまずないし、そうした集い以外は人とも会わない。誰とも話さない。
 ただ唯一の息抜き的楽しみは、犬たちを侍らせて公園のベンチで缶チューハイを呑む夕暮れの一時だけで、今の我にはそれだけで十分なのである。
 たまにテレビで、海外の街歩きと称して、あちこちの教会建築、大聖堂が映し出され、その内部まで紹介されているのを見れば、我も生涯一度はその巨大なカテドラルの中で仰ぎ深く神を感じたいと願うものの、犬猫などを飼っている一人者は、彼らを置いてたとえ一週間でも海外に出ることはかなわず、もう若き日のように旅行は、国内でさえも無理だと諦める。せいぜい犬たちも車に乗せての山梨の倉庫へ出向く程度だ。
 そうそれもこれも仕方ないのである。若き日、ときに一か月近くも家を空けて自由にあちこち放浪できたのも、家のことを託せる父母たちが元気でいたからでのことだった。彼らが老いてしまい、まず母が逝き、父もこんなに手がかかるようになってしまえば、父と我はイーチワン、他に誰もいないのだから、父をショートに預けたとしても一泊二日程度しか家を空けられない。ましてウチにはペットというより動物家族もいるのである。
 彼らが一匹もいなければ父を施設に預けて自由にどこへでも行けるではないかというご意見もあろう。しかし、父以外の肉親、家族が一人もいない孤独な者としては、その動物たちがいて、我の淋しさ、空疎な心はかろうじて埋められている。
 彼らの「存在」と旅行に出られる「自由」を計りにかければ、彼らがいないことのほうが考えられないし、今いる彼らがやがて全員いなくなったとしてもまた新たに補充するはずだと思う。
 旅は一時の気休めや気分転換には間違いなくなる。が、それを「日常」にできないからこそそこに価値があり、今ある現実、日常そのものに対しては旅はどうすることもできない。その日常の空漠さ、淋しさを埋めてくれるものは、妻子のいない我には動物たちだけであって、それは父にとって猫たち、我にとって犬なのである。彼らがいなくなること、いない人生は考えられない。
 誰にも愛されなかった難多き孤独な男でさえも、求め愛し慕ってくれるは犬たちだけなのである。

 さておき、だらだらここまで書いたが、ここまでは前書きで、この後からが本意、本筋なのだが、さらに長くなることと、瞼が重くなってきたのでいったん寝て明日朝書き足すことにしていく。

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