国民はまたも安倍政権を信任し「改憲」までも託すのか2017年10月12日 08時13分24秒

★あれだけの不祥事があっても「与党勝利」の予測報道に思う

 未来は若者のものである。若い人たちが自由に選びとるものだ。
 が、その選択が危険なものであったり、間違いなく過ちに繋がるものであるとしたら、年寄りは、老婆心、いや老爺心だと言われようとも彼らに意見せねばならない。たとえ煙たがられようともあえて口出すことこそが年寄りの務めだと信ずる。
 むろん我も若い頃はそんな「説教」はどこ吹く風で、まったく耳を貸さなかったわけで、無駄、徒労だと覚悟のうえで書く。

 衆院選が始まり、序盤の情勢が早くも各マスコミから発表された。その「状況分析」によると、自公与党は堅調で、過半数を既に確保、さらなる上積みが見込まれ、小池都知事率いる希望の党は失速低迷し、現有議席ほどに終わる。代わって立件民主党に支持が集まり、躍進が予想されそのあおりで野党共闘に積極的だった共産党は現有議席確保も難しいのだそうだ。
 あくまでも現時点での情勢であり、今月22日のじっさいの投票結果が同様となるかはわからないが、今はこうした事前予測の精度も高いので、その予測がこのまま現実となるかもしれない。

 やはり我が怖れ不安視していた事態が起きようとしている。つまるところ、民進党前原代表が仕掛けたクーデターは、野党共闘を破壊しその勢力を分散させて与党を利する目的を果たしたと言えよう。
 我の住む小選挙区を見ても、定数1のところに、公明は出ないが支援する自民前職候補、それに希望、そして共産、さらに立憲民主と四人も立っている。
 これでは、反自公の票は分散し希望の党に向かわないとしてもサヨク票も二分されてしまう。もっと選挙まで時間があれば、立憲と共産とで調整もはかれたかと思うが、突然の安倍ご都合解散に、前原クーデターによる民進解体分裂騒動で、この混乱で漁夫の利を得たのは希望ではなく政権与党だけだったのである。
 枝野氏による新たなリベラル政党が出来たのは誤算だったかもしれないが、何より野党共闘をご破算とさせ与党に支持が戻せたことは大きい。多くの国民が野党の大義なき離合集散騒動を見せられて、ならば大義なき解散に出た安倍晋三のほうがまだマシだと思うのも当然かもしれない。前原氏には殊勲賞が与えられ翼賛?新政権では歓待されることは間違いないだろう。

 マスコミ各社のさまざまな情勢調査で目を引くのは、若い世代、二十代、三十代の層に圧倒的に与党支持率が高いということだ。
 つまりそれだけ彼らが現政権に恩恵を被っているからだと想像できる。確かにひところよりはるかに景気は回復し、株価も上がって求人倍率も最高水準となっている。
 我が若い頃のように、「大学は出たけれど・・・」ろくに仕事がないという「不況」ははるか昔の話だ。今は、仕事さえ選ばなければ仕事は数多あるのである。
 そして物価も安いままだから、給料は低くても何とか生活もできる。正社員になれなくても過労死するほど働かされても今は好景気で、ともかく仕事はいくらでもあるのである。
 そうした「安定」を作り出したのは、安倍政権であり経済政策アベノミクスだと現政権は胸を張る。そして若者たちもじっさいそう信じて彼らを支持しているのだろう。離合集散を繰り返す野党に何ができるか、信じられないと。
 自公が政権を失うような事態となって政治が再び混乱すれば景気もまた失速してしまう。ならば、今回の選挙でも自公政権を信任するしかない。いろいろ不祥事も多々目立つようだが、何よりも景気、経済だけ見れば彼らを見捨てる理由はないと。

 しかし、そうだとしてもそれは喫緊の今の話であって、「その先」に何が待っているかも考えねばならないはずだ。政治とは「経済」だけの話ではない。社会保障と安全保障、そしてそれらの根源の「憲法」も争点ならばよくよく検討せねばなるまい。
 今はこの国は安定し平和を謳歌している。が、周辺地域、東アジア情勢は緊迫の度を高めている。日本の上空をミサイルが飛び交うような好景気はまやかしであろう。

 ならばそうした無法国家は、先制攻撃で「排除」すれば良いのであろうか。武力で平和が作れると考える人たちも多々いよう。特に若い人たちは、戦争というものの現実を知らないだけでなく想像もできやしない。時代劇の中の侍のように、カッコいい大昔の美化されたイメージしかないのではないか。
 それはある意味当然だとも思える。かつての「戦争を知らない子供たち」が祖父母となってしまえば、またさらに戦争は遠く大昔のはなしとなる。戦争を知らない世代のまたその下の世代は、とうぜん「反戦・護憲」など鼻であざ笑う。
 晋三の提案のように、九条に自衛隊を書き加えることだって抵抗はないのだろう。「平和憲法」が何でできたのかと考えたことすらないはずだ。右派系雑誌が説くように、一方的に、アメリカに押し付けられたものだと信じ込まされている。そしてならば今の対米隷属の外交こそ同様に問題とせねばならないはずだが、そっちはなぜか不問で、憲法だけが押し付けられたから良くないと言うのである。米軍基地は押し付けられても日本の安全保障を考えれば有難い話なのであろうか。だから沖縄はどれほど戦闘機が墜落しても我慢させられるのか。

 自衛隊が合憲だとか違憲だとか我はもうどうでも良いと考えている。それよりも評価すべきは、彼らはこれまで戦闘で一人も死なず一人も殺さなかったことだけを高く評価したい。
 そしてこれからもそうした災害救助に特化した組織であってほしいと望むが、集団的自衛権の行使容認に加え安保法をはじめさまざまな憲法違反の法律もできてしまい、さらにそうした状況を後から補強すべく改憲がなれば、日本は堂々と海外に出て積極的に戦争に参加していく。
 あるいは結果として日本も攻撃されるかもしれない。それは核戦争となろう。そのとき、そうした道は誰が切り開いたのか、どこが歴史の分岐点となったか後世の歴史家は問うことであろう。
 それは今このとき、この衆院選だと我は考えている。経済だけで安倍政権を信任し様々な疑惑や不祥事すらも不問としてしまえば、日本の真の繁栄はありえない。何故なら平和こそがまず第一で、国民の命と安全が保障されてこその話だからだ。ならば日本の首相は武力攻撃すらも選択肢とする危険な米大統領を無条件に支持してはないらないはずではないか。

 恒久平和を謳い戦力の保持を放棄し、国際的紛争は武力では解決しないと宣言した憲法は今や風前の危機である。そんなのは机上の空論、言辞に則してないとよく言う人がいる。が、理想主義のなにが 悪いのか。そして「理想」がない「現実」にどれだけの価値があると言うのか。理想とは真の希望であり、それがあるから人は辛い現実を受け容れられるのではないのか。

 その先に来るのは何か、どんな時代が来るか。戦争を知らないまたさらに次の世代の人たちに、今こそもう一度よく考えて投票に臨んでほしいとただただ願う。

コメント

_ 同感 ― 2017/10/13 22時00分08秒

独裁政治は、大衆社会の中から生まれる。今の若者は、ごく身近な人間関係しか関心がない。きわめて自己中心的なミクロ視野である。そして、依存性が高く、自ら責任を取ることを嫌う。そして、一見強そうな指導者に従うことが安全だと考える。この先、基本的人権が次々となくなり、戦争に向かうかもしれないことを考えてないのだろう。嘆かわしいの一言。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2017/10/12/8703245/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。