さあ、今年こそがんばらねば、と2018年01月19日 04時39分52秒

★今さらながら気づく母を喪った痛手

 風邪?は相変わらずで、滴る鼻水と断続的咳、それに伴う絡む痰が続いている。考えてみると、以前は風邪ひくと、治って来た場合、鼻水が黄色くなったり痰も固まったものとなり、その終わりを示すものなのだが、このところずっとそうした「治った」兆候は出てこない。
 いつまでも同じ「初期症状」のままが続き、熱らしい熱も出ない。ということは、風邪ではなく何か別の病気なのかもしれない。

 我の父も若い頃、結核にかかり清瀬の専門病院に何ヵ月か入院したことがあった。我は小学生の子供だったと思うが、妹と母に連れられ見舞いに行った記憶がある。まあ、結核は、戦後は不治の病ではなくなっていたから、父は幸い無事退院でき、今に至っている次第だが、ふと我ももしかしたらと思う。
 今週はともかく、来週になっても様子が変わらなければきちんと受診することを決めた。幸い月曜には父の訪問診察もある。その節、まず担当医に相談してみるつもりだ。

 昨日は、雨上がりの暖かい朝で、起きたら町は霧のなかであった。海沿いや山間部では霧は珍しくないけれど、うちのほうのような内陸部では珍しい。50mぐらい先は雲の中で見渡せず、八高線も通りゆく車もライトつけて徐行運転していた。
 また強い寒気が訪れるとのことだが、季節は確実に春へと向かっている。
 昨晩は父が施設から戻って来た日で、晩飯前に少しだけ自室のベッドで仮眠させたら、また寝ながら軟便を紙パンツの中に漏らしていたので、その処理から父の世話は始まった。
 夕食はなだめすかせて何とか完食させたものの、寝るまでの間、好きな歌番組のテレビでも見せて、と我は二階でこのブログを、と書き始めたとたん、下から父が我を呼ぶ。
 テレビが壊れた、音が出なくなった、と騒いでいる。が、テレビは音も画像もちゃんと映って何もおかしなところはない。
 どうやらリモコンの使い方が突然わからなくなったか、耳が突発的に聞こえなくなったかで、このボリュームのボタンを押せば音は大きくなる、小さくなると実演してみせて、何が問題なのかと訊いても要領えない。相手にしても疲れるばかりなので、当人は納得していないようだったが、息子も体調悪いので早く寝るよう懇願して、何とか裏の部屋に連れて行き、またお尻拭いてやったり寝かしけるまでのオムツのセットして、大人しく寝かせた。
 それから、ブログを、と思ったが、犬に餌やり簡単な散歩して戻っただけでどっと疲労感に襲われ、またベッドに倒れ込むように入ってすぐ眠ってしまった。
 そして今明け方起きて、外はまだ暗いうちこれを書いている。

 夢の中で、このところ死んだ黒犬とか、母のことがよく出てくる。そして、眠りながらも、もう彼らは死んでしまったことに思い至り理解しているようになった。
 以前はそうしたとき、必ず泣いた。泣きながら起きた。が、もうこのところはもはや彼らは死んでこの世にいないことに気づいても泣くことはなくなった。それだけ時間が過ぎ気持ちも風化したということなのかもしれない。
 が、去年一年を振り返ってみて、「今」のこの家の生活の破綻と惨状をみるとき、つくづく母と共に我の中で多くのものが死んでしまったのだなあと改めて気づく。今さっき寝ながらそのことに思い至った。

 結婚もせず子供もいない我は、母一人子一人の生活ではなかったけれど、あまりに母に依存していた。母が生きていた頃は気がつかなかったが、生活面もだが、何よりも精神的に母に依存し続けてきた。
 母が生きてそこにいつもいる、ということを前提にして、我は生きて来ていたのだ。むろんそこに呆け始めて手のかかる父の存在もあって、我ら母子は、二人で負担を分け合ってその世話をしてきた。
 何から何まで我にあったことや思った事を母にフランクに話すような関係ではなかったけれど、母がこの家にいたから安心し我は支えられ何でも自由に心配なくやってこれたのだ。
 母は病み動けなくなったとしても、そこにいるだけでまさに我の支えであり安全装置であり、願わくば我は共に死ぬまで一緒に暮らしたかった。
 
 その母がいなくなってしまえば、生活も父の世話もすべてのことを、我一人でやっていかねばならない。むろん、洗濯から食事まで我は一通りのことは何でもできたし母が生きていた時から担当して来ていた。母は司令官ではなかったし、あれこれ息子に支持することはなかった。
 だから本来、母が不在となっても困るのは税金とか支払いの金の工面と記録・処理程度だけで、実際の生活面では変わらなくやっていけるはずだった。
 が、以前からその兆しはあったものの母亡きあと、完全なゴミ屋敷と今や化してしまった我家を思うとき、我は母と共に、生きていく「やる気」そのスイッチも失ってしまったことに気づく。

 ゴミ屋敷は、俗に「溜め込み症候群」とも呼ばれ、ふつうなら当然日常はゴミとして処理処分していくべき物を、捨てずに家、室内や庭先に溜め込むゆえに起こる。
 それはもったいないから意識的にそうして溜め込むのではない。以前の我が家はその傾向は確かにあってなかなか捨てられないでもいたのは確かだった。が、今はさらにめちゃくちゃになってしまったのは、父の介護で時間がないこともあるけれど、生活全般の担当者、責任者である我自身が、すべてにおいてやる気を失い、きちんとできなくなってしまったからだ。

 母が死んで半年間は、特に去年の今頃は本当に辛かった。死後の煩雑な手続きも終わったら、母がこの世から消えてしまった現実に改めて打ちのめされ頭がおかしくなってしまった。
 見るもの全ては色を失い、外のことは何一つ関心をなくし、何もする気力がなくなってしまった。今思えば、PTSDの一種だったのだろう。
 が、幸いにして時が過ぎ、ようやく昨年の春先から気持ちだけは戻って来た。が、生活面全般は未だ戻らず、やはりまだ頭のオカシイ状態がずっと続いている。
 昔から傾向はあったけれど、すぐモノを失くし見つからなくなる。今、手元にあり使っていたものでもどこかにいってしまう。すぐそこにあるのだけれど、目がきかず目に入らない。だから年中探し物ばかりしている。けっきょく携帯電話も未だみつからないままだ。

 母が生きていた頃はこれほどひどくなかった。母の存在はそれほど大きかったのだと今にしてやっと気づく。我は母がいて、母の掌の上で安心して約60年間も安閑安穏と生きて来たのだ。まったくお恥ずかしい。世間では、その歳となればとっくに所帯を持ち子や孫もいる「母」の立場になっているべきはずだったのに。

 我にはまだ父がいる。父と母がどこが違うかと言えば、母は、人に命じはしないけれど、人のことを気遣い常にあれこれ心配し思いやる人だったことだ。それは我にだけではなく、常に誰彼いつも気にかけていた。そして我は批判しつつも母とそうしたことを話すのが好きだったのだ。
 父は、母と違い一切他者には関心がない。息子に対しても一切感謝の言葉はないし、求めることしかしない。母が常に人のことをあれこれ思い、まさに老婆心的に気にかけ心配していたのとまさに対照的、真に自分勝手な人間なのである。
 大正生まれの昔の男だからということもあるのかもしれない。が、そうした世俗的なことも含め他者や外のことに基本的無関心、利己主義は父型の家系の気質であり、それもまた生きていくための「強さ」であったのかとも思う。でなければ、戦争に行って無事に戻って戦後もやってこれやしなかっただろう。

 父が生きてくれていて我はまだ天涯孤独のたった一人ぼっちにはならないから有難いとは思う。が、父とは母とのような世間話は何も始まらないし、彼の口から出るのはいつも自分の心配事だけで、他者のことを思いやる気持ちはかけらもないのである。
 ある意味、父のように真に身勝手に「男らしく」生きられたらと思うが、つまるところ我は母のようにその気質的にこれからも生きていくのであろう。
 もう母のことは書くのはたぶんこれが終わりにしよう。現実の母はもうこの世のどこにもいないけれど、母は我の中でまだ生きている。
 ならば、日々その母に問いかけ、語らい、もう一度また前のように一人でも人生を、生活をきちんとやっていこう。どうしようもなく手のかかる身勝手な、そして衰弱して来た父を抱えながら。
 秋口などうすら寒い日、出かけようとする我を見とがめ、あんたそんな薄着で行くとまた風邪ひくよ、あんたはすぐ風邪ひきやすいんだから、と我を叱ってくれた母の声がいまもはっきり耳に残っている。

 さあ、体調悪いと言ってグズグズしていたら気がつけば新年一月も終わりに近づいてきた。計画立てて、成すべきことを少しでも片付けていかねばならない。
 父の死後のこと、そのときのことも想定にしていかねばとも思う。人生を今さら1からやり直すことはできやしないが、少しでも元に戻すことはできるはずだ。体調悪いことは言い訳にはできない。ある意味調子の良い時のほうが少ない我なのだから。

 今年こそがんばらねば、父が生きている間に、まだできることと成すべきことがある。少しでも成果を出していきたい。まずは生活を少しでもきちんとさせて立て直していこう。早く人を招ける家にしていかねば。

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