2月も4日、今日は立春だけれど2018年02月04日 17時44分40秒

★相変わらず慌ただしく忙しくそして体調も悪くて

 2月に入ったのに、なかなかブログすら書けないでいた。ご心配おかけしたとしたら申し訳ない。

 いろいろ今月24日に迫って来た「第三回共謀コンサート」の出演者との打ち合わせ、連絡事項、下準備などと、今年こそ医療費の申告など何が何でもしないとならず、そのための作業を進めるプラットフォーム作り、そして何故かまた体調悪く、夕方になると目が痛くて頭痛激しく起きていられず、仮眠とったり、仮眠とれないときは家事や父の世話だけ済ませたら即倒れ込むように眠って体を癒すしかなかった。※実はそれだけでなく、その先のコンサートの出演者の手配やら交渉も考えねばならず、それもまた楽しみでもあり、かつ早めに決めねばならず、忙しさに拍車をかけていた。
 今日も父がショートから戻るまで、ほんの30分だけれど横になっていまはずいぶん頭はスッキリしたところだ。

 また、その慌ただしさの中さらに、我マスダもついにフェイスブックなるものに参加せざるえなくなり、アカウントを作成したり、その慣れない作業にかなり時間とられてしまった。
 2018年の2月は、我にとって一つの転機になったちと言えるのかもしれない。正直、今でもこうしたSNSにはすごく抵抗あるし、知り合いかも、とたくさんの見知らぬ人たちが次々表示されるのは実にウザい。
 友達申告として、知人からもそれが届いていたが、まだきちんと対応もしていないし、うっかり間違えて削除してしまった人もいる。
 個人的には、自分の経歴、仕事も含めて何をしてきたか、どの大学を出たとか、どこに住んでるか、趣味嗜好含め、まして年齢、生年月日などを何故に「公開」せねばならないのかまず疑問に思うしすごく抵抗がある。

 仲間内だけにとどめ公開させない方法もあると先人から聞いたけれど、それでもそうした個人情報を一私企業にタダで知らせてしまうわけで、どれほど便利になったとしても、また戦時下のような国家統制の時代が来たりすれば、まさに一網打尽で、その個人情報と繋がりによって芋づる式に、大逆事件での幸徳秋水達の如くに、無関係であろうとも逮捕拘禁、さらに死刑にもされるのではないか。

 ただ周りを見渡せば、誰もがほぼ皆、フェイスブックはやっているようで、大学繋がりのトモダチのトモダチの顔ぶれ見ても、けっこう知っている学生時代の人がいる。ふ~む、みんなこうしてこれで繋がって連絡とり合ったりしているのかと、驚き訝しくも思った。
 存外みんなこのフェイスブックというシステム、組織に信頼をおき、まず利便性優先で活用しているんだなあとただ驚き感心もしている。
 人は皆、誰かと常に繋がっていたんだと思うし、いいね!という認証、評価を他者からいっぱい受けたいものなのであろうか。

 我、マス坊が何故フェイスブックに参加したかということについては、後ほどきちんとお知らせするつもりだ。今はまだ、どういう仕組みなのか、まさにちんぷんかんぷんで、活用するところまでとても行かない。

 そうそう、甲斐犬のおトラさんは、ほぼ以前のように「回復」した。足取りはまだ遅く、ゆっくりとしか歩けないが、だいぶ足元もしっかりとしてきてふらつかないようになってきた。
 今まで我が母も含めて、けんめいに介護しても「回復」したり良くなった経験はなかったので、今は本当にウレシイ。が、この季節、立春になったとはいえまだまだ寒さが続くので、とうぶん今のまま基本、室内に上げてコタツのある部屋に入れておかねばならない。それにしてもかなり大きい犬でしかも太って来たのですごく存在感がある。今、15キロはあろうか。腰痛もあるのは、この犬を持ち上げ抱きかかえるからだ。

 犬がいるところ、畳の上にはお漏らしを吸収するペット用シートを何枚も敷いているのだが、このところ元気になってきて暴れたりうろうろするので、そのシートもすぐにヨレてしまう。
 仕方なく、我は毎晩、最低3回は自ら起きて、犬が用便したくて騒ぎ出す前に抱きかかえて外に出し、排尿させてからまた寝かしつけている。
 そんなことをやっているから、睡眠時間はトータルではとれていても断続的にしか眠れず、それもあってまた体調崩したようだ。
 しかし、父もだが、元気でいてくれるのなら、そのためには我はどれほど大変でも仕方ない。もう少し暖かくなれば、犬も外の小屋で夜も過ごせるかと期待して、今を乗り切るしかない。
 
 春はもうすぐそこまで来ている。しかし、今日もまた曇りがちで寒い。願うはともかく何も気にせず思い切り泥のように深く眠りたいよう、である。フェイスブック、どうしたものか。

「現実」の前に「正義」を捨てることなかれ2018年02月04日 22時55分46秒

★きみは「正義」の側にいるか

 昔から人は生きていくためには何だってするし、何をしたって許される。武士は食わねど高楊枝、などと言っても痩せ我慢に過ぎず、そんな意地はっても零落するのは歴史が示すところだ。
 人は時代に合わせねばならないし、時代の流れは嫌でも避けがたい。
 古言に、長いものに巻かれろといい、衆寡敵せずとも言う。つまり大勢の流れができてしまえば、抗っても仕方ないということであろう。そしてそれこそが歴史の流れでもあるのだろう。
 そのうえで、名護市長選の結果を憂う。

 もう、いくら抗い抵抗したとしても辺野古に新基地建設は揺るがない既定事実だとしても、それを容認するかどうかが有権者に問われたのだと我は思っている。
 そして選挙結果は、基地容認派の自公推薦の新人が現職の基地反対派候補を破り初当選を果たした。それもまた確かに民意だと思う。「現実的選択」もまた正しい。
 が、名護市民は、ついに一番大事な何かを投げ出し、失ってしまったのではないか。辺野古の美しい海と共に。
 沖縄県人でもないし、遠く東京に住む外野の者がその選挙結果をとやかく言うのは非礼でありフェアではないのはわかっている。そこにはその地独特のどうしようもない事情があるのだと推測もする。

 が、戦争推進の米軍基地をついに選挙結果として容認してしまったことは、後の世代まで禍根を残すのではないかと我は案ずる。それもまた現実であり、今さら基地反対を叫び通してもその流れは変えられないという諦観と、ならば利をとるという現実的選択もあろう。それは間違いだなんて他者は絶対に言えない。それこそ、地元民の切実な悩みぬいた末の賢い選択なのだから。

 が、果たしてそこに「正義」はあるのか。基地容認派に一票を投じた特に若い人たちに問いたい。きみは、「正義」の側にいるのか、と。
 戦争が起こり、その恒久的米軍基地によって多くの命が失われたとき、きみの「正義」は揺らがないか。利己の保身のために正義を売ったと咎める気はない。

 ただ問いたい。きみは 「正義」の側にいるのかと。その「自信」はあるか。
 選挙に負けた者たちよ、恥じることなく胸を張れ。正義はあなた方の手の内に今もあるのだから。その旗をこれからも掲げていこう。その思いを共有したい。

ハヤシヨシオクラブ のFBが出来ました。2018年02月05日 10時18分58秒

★秘密結社ですが、外部の方にもお知らせします。

 もう10年かそれ以上になるかと思うが、マス坊は、以前のブログにTBSのアナウンサーで、故人となられた林美雄さんについて「ご存知ですか」と書いた。
 彼は、70年代当時、TBSラジオの深夜放送番組、パック・イン・ミュージックの今でいうパーソナリティを担当していて、中坊だった我は、その金曜パックの二部で彼を知り、非常に多くのことを教わった。
 邦画しかり、日活ロマンポルノしかり、頭脳警察や三上寛など先端的な音楽しかり、何よりも反体制的無頼な生き方とその戦後民主主義的思想を彼から学んだと思っている。

 今の我があるのは、当時聴き始めたそうした深夜放送で流れていた日本のフォークソングと、彼の放送「みどりぶたパック」があったからに他ならないと断言する。それと、昔の月刊漫画誌「ガロ」や北中耕平が編集していた頃の「宝島」であろうか。
 若き日にそうしたサブカルチャー、対抗文化と出会ったことで、カタギになるなんてバカらしいと思い込み、結局今のような「惨事のあなた」に陥っているわけだが、その話は今は関係ない。

 今思うと、会社組織の中にいたとしても林さんや宮内鎮夫氏のような生き方もできたわけで、何も人生全て今でいうフリーターやドロップアウトした生き方を選ばなくても良かったのである。
 つまるところそれは個々の資質であり、元々怠け者のニンゲンはそうした一見楽そうな自由な生き方を知ったことで、こりゃいいぞ、とそちらに流れたに過ぎないと気づく。

 我が事はさておき、その我のブログ記事を見て多くの深夜放送ファンから反響が届き、その人たちと我が中心になって「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」という林さんを追悼・顕彰する会員組織ができた。
 秘密結社と銘打っていたものの、誰でも参加自由で、かなり多くの有名な方も参加され一時は50名を数えるまで組織は発展した。
 そして毎年、彼の誕生日である8月25日には、当時の放送に倣い、林さんは既に亡くなられていたけれど皆が集い、ミュージャンや縁ある俳優も参加され「サマークリスマス」というイベントを開催していた。
 ただそのクラブも、諸事情から、昨年の夏に発展的解散を遂げ、かつてのホームページも含め何も存在しない状態となってしまい旧会員たちの間からは、関連した情報の連絡や告知の「手段」が求められていたのだった。

 で、幸いにして若手会員の一人がクラブとしてのフェイスブックの作成と管理を快く引き受けてくれ、ついに今回新たに『ハヤシヨシオクラブ』として開始となった次第。
 我としては、元責任ある立場であったこともあり、その場に参加しないわけにもいかず、今回ついにそのアカウントをとり、マスダ個人のフェイスブックができた。
 いちおう、せっかくだから2/24の「共謀」コンサートのフライヤー等載せてみたけれど、早くも何人か申請の連絡が届いていて、そのままにもしておけず何とかしないとなあと思っている。

 何はともあれ、懸案だった「クラブ会員間の連絡の場」が出来たことは喜ばしいし少しだけ肩の荷が下りた気がしている。自分は何もしていないのにおこがましいが。

 まあ、何であれ、新しいことには常に懐疑的で二の足を踏み腰の重い我のことだから、こうした機会がなければ生涯フェイスブックなどSNS的なことは自らやらなかったかもしれないわけで、これもまた神の計らいであり良いことなのであろう。
 我のところに申請された方々にお願い。勝手わからぬ新規参入者として時間はかかると思うが、これから有効活用していくつもりでいるのでどうかよろしくお待ちの程願います。

 ★また、ハヤシヨシオ的メモリアルクラブの旧会員外でも、みどりぶたパックと、故林美雄さんに関心ある方、このフェイスブックに参加されたい方は、まずマスダに連絡ください。

友達のトモダチはトモダチなのか2018年02月07日 20時11分04秒

★初フェイスブック雑考~友達百人出来るかな

 う~む、である。
 天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉があるが、フェイスブックなるものの「元締め」、というのは、コンビュータのAⅠのようなものが管理・処理しているのか定かでないけれど、ともかくびっくらこいた。感心を通り越して感嘆し怖くなった。

 既にフェイスブックに算入されている方はご存知のことだろうが、この「サービス」を利用するには、まず自らの個人情報を入れて「アカウント」をとらねばならない。
 向うが求めてくるのは、最終学歴としてどこの学校をいつ出たか、学科は何か、いつ在籍したか、仕事は何なのか、どこに住んでいるかとか、過去のこと全般諸々の個人情報で、それを詳しく記せば、するほどかつて関係し関連した可能性ある人間が次々と「知り合いかも」と画像付きで表示されてくる。

 我マスダは、フェイスブックは、そうして小学校時代の同級生から別れた彼女まで連絡あったりすると先に聞いていたから、そんなことはトンデモナイ!と思い、個人情報を最初に提供するに際し、できるだけテキトーに大ざっぱに書いて送っておいた。

 我は高校時代、いろいろあって不登校にもなりその頃のことは思い出したくもない。消したい忘れたい過去である。もし、小中も含めてその頃の同級生から「友達申請」とかあったら正直困る。
 世の中にはそんな風にして「過去」と繋がり今またその頃の人たちと懐かしく向き合いたいと願う人もいるのだと思うが、我は過去の自分も含め、昔のことは一切否定したいし、懐かしいとか振り返りたいとは全く思わない。

 ♪あのとき君は若かった、という出だしのGSの歌があるけれど、ならばこう唄いたい。
 ♪あのとき僕はバカだった。今でも少しバカだけど。君を傷つけバカだった。許してほしいバカだから~、である。

 その頃のことは、ふと懐かしく思い返すとしても、当時の人たちと今また連絡取り合っていったい何をするというのであろうか。過ぎた過去、過ちは取り消せないし、お互い若気の至りだったと水に流そうとか言うのであろうか。
 そもそもこんなネット上のサービスがなければ、人は過ぎた日の人と再会したり今また連絡とろうなんてできないし思うはずもないのだ。そうした人間関係は、正直ウザいし我には必要ない。
 大事なのは今とこれからだけだ。過去から逃れたい。

 経緯は記したが、ある意味やむにやまれず仕方なく始めることになったフェイスブック、さっそく次々と我の「知り合いかも」しれない人たちが我に表示されてきた。
 とうぜん音楽関係の、我もそのステージを見たり会ったりした人もけっこういる。が、こちらは知っていても向うはたぶん知らないだろうし、たとえ向うが知っていても我は「友達申請」など自らする気は一切ないので、ほったらかしにしていた。

 が、流してざっと見ていたら、その中に、ごく親しくしている友人、我の大学時代からの親友で、拙ブログでもよく記す、茨城県笠間に住んでいて我が古本業の仕事を、山梨へ行くとき等いつも手伝ってもらっている「社員氏」の弟が出て来たのには驚いた。
 埼玉県の生協に勤めているその弟とは一度しか会ったことはなく、「社員氏」からたまに動向は聴いてはいても友達でも何でもない。そもそも大学も違う。親友の弟だという関係でしかない。
 だいいち「社員氏」じたい、大学は中退、今はパソコンもないし、ガラケーしか持たず、とうぜんフェイスブックなどまったく無関心無関係の人なのだ。なのに、我がフェイスブック始めた途端、その彼の弟が「知り合いかも」と出て来た。いったい何で!???どうして、その関係が知れたのか。びっくり仰天とはこのこと、まさに天を仰いだ。

 確かにその人とは「知り合い」なのである。が、天網の「天」、つまり神様ならばお見通しでも、そんなごく個人的人間関係がどうしてフェイスブックという私企業に即露呈したのか。
 ということは、他の表示され出て来た人たちも同様に我は気がついていないだけで、その程度の何かしら我と「関係」はしかとあるのかもしれない。恐るべしはフェイスブック、だと思った。
 インターネットとは「天網」ではないはずなのに、確かにコンピュータが管理・把握するネット、=網によって、こんな微細な人間関係でさえも即座に結びつけてしまう。まさに疎でなく密にして漏らさないのである。これは本当に怖いことではないか。

 また、千人単位で「友達」を持っている人を「友達承認」すると、その人の「トモダチ」が同様に、また「知り合いかも」と大量に表示されてくる。見ると、同じ大学関係の人たちならば知っている顔ぶれもなくはないが、それ以外でも、あの人とこの人が結びついて「トモダチ」なのかとこちらにもわかってしまい、おやっとさせられることもある。
 むろんそうした「関係開示」も了解のうえでこのサービスを皆さんやっているのだろうが、我としては、ただただ、う~む、である。それが良いことなのか、果たして便利な然るべきことなのか、今はまだよく判断できない。利とリスクにおいての話。

 昔、タモリのやってた番組だったか、トモダチのトモダチはトモダチ、皆でつなごうトモダチの輪、というフレーズがあったと記憶するが、まさにこのフェイスブックがやろうとしていることは、そのトモダチの連鎖なのだと気がつく。これを考え始めたザッカ―バーグ氏だったか、まさに画期的、天才だと思える。
 こうしたネット上のサービスで、人と人とが繋がりカンタンに結びつくことは実に素晴らしい。が、ヘンクツな我は、そんな風にしていともカンタに「トモダチ」になることはまったく望んでいないし、「友達」とはまず会って何回か酒を酌み交わしあれこれ話し、互いに胸襟を開き時間かけて結果としてなっていくものだと考えているので、やはり抵抗がある。
 むろん、既に現実世界で友達であり、よく知っている方から「申請」の連絡あらば、喜んで「承認」しよう。それは人として当然のことだ。しかし、今はまだ会ったことがないとか、まだよく知らない方からの申請は躊躇するし、自らそうした、向うはこちらをよく知らない方に「申請」することは今もこれからもないと思う。

 我の基本はブログであることは変わらないが、人の持つ時間は限りがあり変わらないわけで、フェイスブックをもチェックせねばならなくなり、昨日などはともかく時間がなく昼寝もできないだけでなく拙ブログさえ、FBに時間とられた余波でアップできなかった。
 人はそんなに人と繋がり「友達」を増やしたいのか。我はどうなのか自問する。

 子どものうたで、「友達百人出来るかな」とかいう歌があった。もし、トモダチ百人で出かけたり皆で一緒に何かするなんて、考えただけでおぞましくうんざりする。
 妻や恋人が1人であるように、準じて友達もせいぜい数人規模で良いのではないのか。
 そういう我には、妻も恋人もいないのだが・・・ 幸い得難い友達は男女問わず現実世界で数人いる。そして我が求め日々語らい常に助けを求める方は「天」にいる。
 我はインターネットよりもそちらの網の中にいたいと願う。

初フェイスブック雑考・続き2018年02月08日 21時50分22秒

★まずは、自分の人生を生きていく。

 と、いうわけで、あれこれしょうもない、ヘンクツなことを書いて来たが、しだいにフェイスブックなるものの仕組みとその世界がわかってきた。これはこれで皆がはまり、参加しているの理由もわかってきた。
 まさに21世紀の伝達ツール、それに尽きよう。ブログなどよりはるかに即時性と双方向性、広がりをもっていることに気づかされた。ただただ感心させられた。しかし、我はやはり距離置いて、軸足はこのブログでやっていこうと改めて決意した。

 フェイスブック、我の「友達」は今10人である。申請があったので、許可して常にその人たちの動向は、こちらに連絡されてくる。
 彼らが何か書いたりすれば、表示に現れるので、こちらが確認すればそれは即読める。ふ~ん、風邪ひいて大変なのかとか、何に反応し、どこで何をしてたのかとかも、その人がアップすれば居ながらにして画像も映像も含めて我は知ることができる。
 それに対して、何らかの反応なり、コメントを送ることもできるし、そうして親しい「友達」とはより深く、常に緊密・濃密な関係が結べるというわけだ。むろん、こちらも同様に「動向」をアップさせていけば、その友達は見てくれて、それなりに拍手やいいね、とか感想を返してくれるだろう。それは素晴らしく便利な他者と「繋がっている」感覚だ。

 思い返せば、我はブログという発信の場と出会い、かれこれ10年以上たつ。我は、「呟く」ことは基本的にできないし、心の内、腹の中に溜まったことなど、どうしても外に出したいこと、世に向けて「宣伝告知」したいことはブログでやってきた。
 しかし、それは、そもそも我マスダという人間と、ブログに書いた「そのこと」に関心ある人が意識して気づいて、向うから見て、来てくれないと繋がらないし伝わらない。
 また、読んでくれたとしても、それをまたトラックバック的に転送してもらわない限りその情報は広がっていかない。むろん、コメントなど返すこともできるけれど、あくまでも一方向からのものでしかなく、その手応え、反応は、我がアクセス時に表示される順位だけで、いったい何人、誰が読んでくれたのか皆目定かでない。
 しかも一度世にアップして公開してしまったブログ内容は、そのブログサイトを自ら終わらせるか運営会社が閉じない限り、永遠に?誰でも目にすることができる。これもまたある意味問題だ。
 自ら大昔に書いたことに対して、突然今頃になって問い合わせや指摘を受けて驚き、読み返しては恥じ入ることもままある。かといってどんどん古い順に自動的に消えてしまうのでは、バックアップもとっていないので少し悲しいし雲散霧消は虚しくなることだろう。

 フェイスブックの素晴らしい点は、あくまでも「友達」となった者たちの枠の中で、あらゆる情報、連絡が気軽にできることに尽きよう。今、我も入っている「林ヨシオクラブ」はさらに「非公開」グループだから、申請すれば誰でも参加できなくはないが、誰でもすぐ見れるわけではない。それはなかなかよくできている仕組みだと感心する。
 あくまでも仲間内だけで情報を共有できる。万全のセキュリティなど不可能だろうが、ブログのように外から偶然目にして、いちゃもんつけてきたりする人や、こちらを批判するコメントなどに頭痛めることはまずないだろう。
 フェイスブックとは、基本そうした「友達」関係を結んだ仲間内だけの情報共有、伝達の場で、そのツールだったのだ。それもならば安心度は違うだろう。
 しかも「友達」の「友達」もまた繋がっていくから、我がブログで記して宣伝しているコンサートやイベント、集会の情報なども近しい仲間内ゆえ「拡散」していくはずだ。
 まして関心のある人、好きな芸能人、著名人と友達になっていれば、彼らの動向は、たちまち手に取るようにわかる。イベントなどもうっかり見落とすことはないだろう。チェックさえ始終怠らなければ。
 
 良いことばかりだと思う。しかし、繰り返すになるが、やはり我は距離を置きチェックするのもできるだけ控えるつもりだ。そしてあくまでも思うところや近況など世に「発信」したいことは、ブログの場で多くても日に一度の間隔でやっていきたい。
 見る人が見て読んでくれて、また、偶然誰かの目に留まればそれで良しとしたいし、そういう「関係」こそ好ましいと思っている。そこに「責任」は無いに近しいではないか。
 
 何かの打ち合わせなどで、たまに年下の人と会い、一緒に飲食を共にしたりする。が、ある人は、我と会い同席しているのにも関わらず、ちょくちょくスマホを取り出しては、我のことはそっちのけで、そのチェックや書き込みに忙しい。
 当初は、理由がわからず何か仕事関係で切羽詰まって常に確認や連絡とらねばならないのかと思っていた。が、今はわかる。その人は「友達」が百人規模の人だったから、その友達の動向チェックやフォローに忙しく、我と会っている間も、フェイスブックのほうに気をとられていたのである。

 フェイスブックを始めて、日々何かを書き込み画像を上げていると、それに対して反応返してくれる人のも見ないとならなくなるし、また同様に拍手やいいね!、コメントを返さねばならなくもなるはずだ。それがここの礼儀だしトモダチということなのだろう。当然そうすべきである。
 しかし我は正直面倒くさいと思ってしまう。ならばフェイスブックはあくまでも情報伝達の場としてだけ利用していこうと思っている。

 我はそうしたこまめにフェイスブックを時間あらばチェックする人たちや日々かなりの時間、スマホに向き合っている人たちのことをとやかく言う気はまったくない。が、その人自身の実人生はどこにあるのかと思ってしまう。心配にさえなる。もし世界からスマホが消え、使えなくなったら生きていけるのかと。

 人は「友達」という他者、外の世界と常に繋がり向き合う以前に、まずはもっと身近な、ごく親しい近しい人としっかり向き合うべきではないのか。我には妻も子もないので今は老父や犬たちしかいないが、そういう身近な大事な愛する人とだ。
 そして何よりもまず、「自分」というもっとも大切な人ともっともっと向き合い繋がっていくべきではないか。そう、我が今いちばん友達になりたい、繋がりたいのはこの自分、我が身なのだ。

 ずっと投げ出しほったらかしにしてきたこの人生、何とか再構築して手を加えて、自分の人生をまず生き直していく。そのためにもまず自分と繋がらなければならない。

 我のフェイスブックで「友達」となって頂いた方には申し訳ないが、友達だからこそまたきちんと連絡なりするつもりなので、日々のコメントなり感想を送り合うことは控えさせて頂きたい。我はあくまでもイベントなどの情報宣伝告知としてだけ用いていくので。どうかご理解ご容赦頂きたい。

春よ春よと、ゆっくりと、確実に歩いていこう2018年02月10日 15時40分19秒

★暖かい春の陽射しの中、病の癒えてきた犬と再び散歩する至福

 「花の街」という歌がある。戦後の混乱期、NHKのラジオから流れてきて、敗戦の痛手の癒えぬ人々の心に明るく響いた今の季節に相応しい春を謳った佳曲である。当ブログの読み手の方ならご存知かと思う。
 作詞は尾瀬を世に知らしめた「夏の思い出」等の江間章子、作曲は團伊玖磨である。戦後を代表する二人の著名な文化人の手によって成ったこの歌曲は、おそらくこれからも日本人に永遠に歌い継がれていくのではないか。
 軍国主義という冬の時代から抜け出し民主主義という新たな「春」が来た兆しをこの詩とメロディは軽やかに高らかに美しく歌い上げている。時代をうたった、時代を離れても真に名曲だと思う。

 私事だが、先にお知らせした老甲斐犬、おトラさんは、ほぼ元のような状態に持ち直したと思える。まずそのことをお知らせしたい。
 治ったとか、完全に元気になったとは言い難いが、ゆっくりでも足取りはしっかりしてきて、散歩の途中に転んだり倒れたりすることはなく、ほぼ元通りに自力でまた散歩ができるように回復した。食欲もしっかりあるので体重も増え元気になった。皆様にはご心配おかけしました。

 今日は午後からは曇って来たが、昼時は春らしく暖かい陽射しもあり、穏やかで、その犬に食事を与えた後、ゆっくりとこの町内を我と散歩させた。
 そのとき不意に、この「花の街」のメロディーが、頭の中に流れて来た。中でも、一番の
 
 七色の谷を越えて 流れていく 風のリボン
 輪になって 輪になって かけて行ったよ
 春よ 春よと かけて行ったよ

 の、「春よ 春よ」のフレーズを口ずさみながら不意に涙が出て来た。そして少し哀しみを伴った深い幸福感、満たされ感に包まれた。
 前足が萎えて自力では全く歩けなくなって、一時はこのまま寝たきりのまま衰弱し一月もせずに死んでしまうかと思いもしたが、よくまた歩けるまで持ち直したとつくづく思う。
 今また犬と二人でこうして春の陽射しを浴びて散歩できるとは、まさに夢のような幸せ、至福だと思えた。
 犬はとぼとぼとゆっくりしか歩けはしないが、ゆっくりでいい、確実に、自分の足で歩いていければそれで良い。人の人生もまた同じではないのか。

 この先、この犬とどのくらい共に暮らせるかわからないし、いつまた体調が悪化し歩けなくなるかもしれない。しかし、この一か月の犬との闘病、昼夜の介護で、我はこの不遇な犬とようやく心が通じ合え、わかり合えてきたと思う。彼女が何を求め訴えているのかほぼわかるようになった。
 おトラさんと縁あって知り合いウチに来て一年数か月。この濃密な日々のおかげで、我らに足りなかった歳月が埋まった気がしている。

 辛く慌ただしくなかなか思い通りにならない、どん詰まりの我が人生だけれども、たまには恵みと平安のときが我にも訪れるのだと、ただただ全てに、そして天の神のはからいに感謝している。
 犬を救ったのではない。我は犬に救われたのだ。看護や介護とはヒトゴトではなく自らもまたその立場にあると知るべし。そう、誰もがいつかは動けなくなり寝たきりとなって死に臨むのだから。

友達の友達のまたトモダチは友達にすべきではない。2018年02月11日 00時01分20秒

★と、心した話。

 これは我がブログの場だからこそ書く。他言無用。

 ひょんなことから自発的意思ではなく、まるで徴兵され戦地に赴く二等兵の如くフェイスブックなるものに加わり始めた我マス坊だが、気がつけば「友達」もいつの間にか二ケタ台になっている。
 我としては、「友達申請」あらば、フェイスブック、始めたからには基本誰でも「トモダチ」になってもいいか、という気持ちでいたし、元より以前から知っている友人知人からの申請がくれば拒む理由は何もない。
 問題は、友達のまた友達からの「友達申請」で、会ったことのない、知らない人と友達になって良いものか、おそらく誰でも迷うのではないか。

 昨日のこと、我がいちばん最初に友達に加えたM嬢の「友達」として、とある業界関係の男性から「申請」が届いた。その人は我も直に面識はなかったが昔から名前だけは知っていた方だったし、すぐさま承認してもかまわなかったが、いちおう念のためにまずMさんに、その人についてどのような方なのか確認をとった。
 そしたら真面目に護憲活動もされている人とのことで、ならばとすぐさま承認した。こんな我と「友達」になってもらえるのならば光栄ではないか。

 そしたらば、ほぼ時間を置かず、その新たに承認した彼の「友達」として表示が出、関西在住の女性からまた新規の「申請」が届いた。さすがにどうすべきか考え迷った。
 そもそもその女性を繋いだ彼とも我は直の友達ではないのである。その友達の友達のまた友達とも「トモダチ」になるべきなのだろうか。この申請を許可すべきか。

 まずは、我の親しいM嬢の友達である、その新たに友達として承認したばかりの彼に、今またその申請してきた女性とはどんな方なのか確認をとろうかと考えた。が、それをやっていると、永遠に友達の連鎖は続くだろうし、その都度ごと会った事のない友達にまたその友達について尋ねなければならなくなる。それではきりがない。まさにエンドレスだ。

 で、その、また新たに申請して来た「友達の友達の、また友達」の女性のフェイスブックを覗き、どんな人なのかまずは確認してみることにした。
 そしたらば、これはちょっと・・・、というか、我には怪しげに思えるネットビジネスのセミナーに出てたらしく、その修了式の写真やら、その先生との満面の笑みの記念写真やら、安倍首相夫妻からの花束が届いていて驚き感激した写真などもあって、これは、まったく我々の側の人ではないと勝手ながら判断させてもらった。
 我に申請して頂いたその方には申し訳ないが、その人間関係と行動を画像で見る限りまずそんな方とは友達にはなれないし、そもそも我らの仲間ではなく、最初から「友達」ではないと思えた。まったく共通の話題も関心もないどころか、我マスダのこともまだ何も知らないはずなのにいきなり友達になろうと申請して来る心性がよくわからない。

 我を、フェイスブックに導いてもらった先人M嬢にそのことを相談したら、申請してくるにあたって何のコメントも記してないのは、まずは疑ってかかれ、とのことで、その女性は実際よく知らない友達のまた友達なわけで、こりゃ迂闊にそんな人を「友達」として気軽に申請許可してはならないのだとようやくわかってきた。
 うっかり、友達の輪に我から加えたりすると、きっとその学んだネットビジネスを我が友達間でも始めるのかもしれない。そういう危険性もあった。だからフェイスブックは恐ろしいと我は危惧していたのだ。

 よく民法上で遺産相続など、何親等までとかよく問題になる。我も今回の件で、友達承認は、友達の友達までにしておかねばと誓った。基本、申請は誰でも受け付ける。が、まず誰からの紹介であるのか、その取り持つ方に確認をとって、どんな人かはっきりわからない限り、承認は絶対しないことに決めた。
 つまり基本、友達の友達までしかフェイスブックの友達の輪は広げない。それもまずその我が知る真の友達に、どんな人か、新たな友達に相応しいか確認とってからの話だ。でないとこんな風にしてヘンな人間が「友達」として加わろうと手ぐすねひいている。

 その女性がヘンとか怪しいかどうかはじっさいは何もわからない。失礼なことを書いている。が、友達は選ぶことはできるのが、フェイスブックのシステムなのであろう。我は自ら申請はしないし、たとえ申請し拒まれてもちっともかまわない。ならば、まったく知らない人とは、請われても友達なんか絶対になりたくない。
 そもそもバーチャルな「友達」なんかネット世界では新たに欲しいとも思っていない。そんな人の動向なんか知ったことか。忙しくてパソコンに向かう時間すらないのだから。

ともかく日々慌ただしく、せがらしく過ぎていく2018年02月15日 07時25分58秒

★何でこんなに忙しいのか。

 2月も半ばとなった。今冬の記録的な厳しい寒さもやや緩んでようやく春めいてきたように思える。それでも水道は朝は凍っていて台所の水が出ない日もまだあったりと、こんなに寒く、そして野菜がバカ高い冬は我が記憶にない。まったく、やれやれ、である。

 申しわけないが、忙しくてなかなかこのブログも書けないでいる。それは、先にフェイスブックを始めてしまい、そちらに時間とられたり傾倒してしまったからではない。
 個人的なことは、24日の谷保かけこみ亭でのコンサートの件だけは、グループに加わっている方にも告知・宣伝のためにアップさせたけど、それ以外は一切「我が事」は投稿していない。

 それでも、「友達」と許可してしまった方からは、その人が新たに投稿したこと、彼、彼女が行った「日常」的なことでも会ったことのない方でも我にスマホなどには常時次々表示させられる。
 電子メールに日々届くスパムメールのようにいちいち消さないと溜まることはないけれど、正直な気持ち、かつて一度も会ったことのない、遠くに住み、たぶん生涯これからも会うことはないと思える人の「動向」や「思った事」など、何で我は目にしなければならないのかという気持ちになる。

 むろんそういう、人と人を結びつける、疎遠どころか未知の人間関係さえ繋ぐシステムがこのフェイスブックなるものの「特質」かつ「存在理由」、つまり役割なのだと思うし、それはすごく素晴らしく便利なことだと思えなくもない。
 が、今も我に友達申請中のたぶんマレーシア人?のムスリムの女の子もだが、もし「友達」になってしまえば、国や言葉を越えて、そうしたガイジンの人からの「動向」が我のところに届くことになるだろう。
 また、我も何であろうと気軽に我も「投稿」すれば、それが友達の数だけそのように「拡散」していくはずで、読めない日本語がガイジンに人にさえ行ってしまうのだと推測する。それは互いに面倒なことでもないのか。
 だからできるだけフェイスブックには関わらないようしていくつもりに変わりはないが、やはり日々そうした向う側からの「確認」に多少とも時間とられるし、始めたからには放擲せず日々確認もしないとならない。それもあって乏しい時間は奪われさらに忙しくなってしまった。
 が、いちばんは、わが商売のことと、24日のコンサートの出演者、関係者たちへの連絡や手配で、実のところまだPA担当が決まってなく早く見つけなくてはならない。当日お手伝いしてくれる人も募らなくては。当日の進行スケジュールは昨晩やっと同報メールで送信できた。今晩個々にまたメールして調整していく。

 我が古本商売も、先に記したかと思うが、今年はAmazonマーケットプレイスでの「出品」、本腰入れて取り組んでいるので日々注文が何冊もあり、その梱包や発送作業に午後は追われて、当日の便が閉まる夕方は時計とにらめっこしながら大忙しだ。
 父はこの寒い冬は家に置いとくより介護施設に預けている方が安心なので、不在ことが多く、我の時間は前よりあるのだが、老病犬の介護と食事の世話とかもあり、時間は決して潤沢に余裕ができたわけではない。

 本は売れた分だけまた新たに「出品」しないことには、注文はすぐに途絶えてしまうし、そうした新規出品用の検索やら、売れる本探しなどにも時間とられる。そこに近づく確定申告の準備もある。父の医療費も申告しないことには。
 お前、本が売れて、金になって来ただろうという声が聞こえる。確かに先日などある一日は、その日発送する注文本が合計で7冊にもなり、これは我が商売最多の記録となった日もあったが、今は在庫処分も兼ねて格安で「薄利多売」方針でやっているため、売値自体が一冊300円台という本もかなりある。
 そんな本が売れたとしても、今はAmazon側のピンハネする「手数料」も上げられてしまったこともあり、送料とか入れても当方に入る「儲け」は百円~ということもままある。正直、手間と時間ばかりかかってちっとも割が合わない。時給にすればいくらになるか考えると怖くなる。
 しかし、今はこれしか我の収入、金稼ぐ術はないわけで、儲けにはならなくともせっせっと「塵も詰まれば」の気持ちで、何事も無駄なく無理せず爪に灯をともすが如くやっている。

 そんなこんなでともかく忙しい今月二月。まさに逃げるように駆け足で月日は過ぎていく。24日のコンサート、今度こそ進行やトラブルなどで失敗ないよう、興行的にも集客が成功に至るよう、まだまだ周到に準備、手配して行かないとならない。
 我は出ないけれど、進行役としてそれなりになすべきことの「下準備」もしておかねばならない。ともかく時間がない。こんなに忙しいのもこの冬が初めてのことだ。

 我がフェイスブックに「お手伝いさん募集」と投稿すれば、我が「友達」たちに反応あり、誰か来てくれるのであろうか。

人が生まれ、生きていく意味と役割2018年02月16日 07時16分22秒

★我が父、曾祖父、ひい爺さんとなる。

 我、マス坊には子はないが、我が妹には息子が三人いる。その三人の兄弟のうち、長男は30過ぎて未婚だが、下の二人は先年相次いで結婚し、一番下の弟はまだ二十代前半だと思うが、昨日男の子が産まれたと妹からメールが届いた。母子ともに健康だとある。
 これで、我が父にひ孫ができたわけで、妹は祖母に、父は曾祖父となったということだ。長生きすれば当然子をもった者はやがてはそうなる道筋ではあるが。

 我は嬉しいとか何とも思わないが、母の遺影には報告した。その良い知らせを生きている母にできなかったのは残念だが、母の遺伝子、母が生きていた証はこうして子々孫々しっかりと受け継がれているのだと思った。写真の微笑む母の顔見て少しほろりとした。
 我の立場、呼び名がどうなるかなんて考えもしないが、妹が祖母、おばあちゃんになるなんてまったく信じられないし実感もない。しかし、もし我に子があれば、当然我もまた祖父に、お祖父ちゃんと呼ばれる状況になっていても当然なのだとはたと気づき、驚き感慨深く思った。
 結婚し子をつくり既に孫がいる方にとってはそんなことはごく当たり前の自然の成り行きで何も驚くことはないのだろうけれど。

 人はこうして嫌でも真の老人へとその立場も呼び名も変わっていくのだとようやく気づく。子や孫はいなくとも近くやがて我も老い果て、見かけだけで年下の者から「お爺さん」と呼ばれることだろう。「おっさん」と呼ばれるのは抵抗はないが、ジジイとか爺さんと呼びかけられるのは嫌な辛い気がする。
 しかしそれこそが時が過ぎて人が年をとるということであり、避けられないことならば受け容れるしかないのだと思う。何ともやるせないが。

 今の時代、我のように結婚しない、結婚しても子がいない、できない、つくらない人もたくさんいる。ならばそうした人は何のために生まれ生きているのかと我は他者にではなくまず自らによく自問する。
 むろんこの世に生を受けたならばとことん嫌でも死ぬ日が来るまでしっかり生きて行かねばならないことは言うまでもない。しかし生物学的には、生命とはただ子孫を残すためだけ、つまり遺伝子を遺し、また次の世代にそれを繋ぐためだけに生まれてくる。
 もし人もそうならば、子をつくらない、子孫を残さない者はいったい何のために生きているのだろうか。ただ単に貴重な資源や時間を「消費」するだけではないのか。そこにどんな意味と役割があるのか。

 その答えはカンタンには出てこないが、少なくとも何一つ社会的には成さず功なくとも自らの子孫を残した者はその生物学的役割は果たしたと胸を張れるのではないか。我は子がないがゆえそんなことをよく思う。
 別に羨ましいとは思わないが、周りを見回すと友人知人の多くが結婚し子や孫もいることに不意に気づき不思議に思えるときがある。あんなハチャメチャな人なのに、みんな何だかんだ言ってもしっかりしてたんだなあと。

 敬愛した故色川武大氏も書いていたと思うが、子を作らなかった者は、どうしても人との接し方がよくわからず自らの若い時のままで困ると。子や孫がいる人は、年下の人と接する時など、自らの子との「距離」でその人を測れる。この男は偉そうにしているが、俺の息子と同い年ではないか、とか。子がいない者は、そうした「距離計」がないから、常に若い時と同じ見方で人と付き合うしかない。
 考えて見れば、今人気のAKBにしろ雑誌やテレビに出てくるアイドル達は年齢的に見れば皆我の孫世代なのである。しかし、我はそうした距離計がないから、今も彼女たちには、現代用語で言うところの「萌える」こともできる。年甲斐もなく好きだった昔のアイドルとまったく同様に見ている。それは良いことか悪いことかわからない。

 ただ何であれ、子育てという経験がない者は、やはりそのときどきの若者の嗜好や流行に疎いから当然のこと我のように世間知らずの時代遅れとなってしまう。まさに非常識かもしれない。そう、子を作る、子を育てるとはもう一度その人生を生き直すということに他ならないと誰かが書いていた。
 つまるところ我は自分の人生だけでも持て余してしっかりきちんとまだ生きていない。故に結婚も子もできなかったのだと思えなくもない。

 ただそうした者でも子孫を残す以外にもその存在意義、役割は何かしっかりあるはずだし、そう思いたい。人は家庭的動物である前に社会的動物だと信じたいしその存在によって少しでも社会に何か良いことで関わり報いたいと願う。子どもが社会の宝であるのならば、親でない者もまた社会の宝でなくてはならないではないか。
 そう、この世に無意味なことや無価値なもの者は何もない。全ては風に吹かれ、すぐに消えていくようなものだとしても、そこに起こり在るからには何かしらの意味と役割は必ずきっとある。

 我が父も戦地に赴き九死に一生を得て帰国し遅い結婚だったが、妻子を持ち、今またひ孫にも恵まれた。どれほど呆けて周囲に迷惑かけ続けてもこれもまた僥倖、神の恵み、その計らいなのだと思いたい。
 どんな人生であろうとそこに生きていること、生まれて来たことには意味と価値がある。そう信じてやっていくしかない。ダメはダメなりに、バカはバカなりに。
 我の役割は何か自問しながら。

いま、一番会いたい人に会いに行く2018年02月17日 11時58分25秒

★沖縄からヒロジさんが国立にやって来る。

 今日は、山城ヒロジさんが国立に遠路来られるので何をさておき会いに行ってくる。詳しくは戻ったら報告いたしたい。