春よ春よと、ゆっくりと、確実に歩いていこう2018年02月10日 15時40分19秒

★暖かい春の陽射しの中、病の癒えてきた犬と再び散歩する至福

 「花の街」という歌がある。戦後の混乱期、NHKのラジオから流れてきて、敗戦の痛手の癒えぬ人々の心に明るく響いた今の季節に相応しい春を謳った佳曲である。当ブログの読み手の方ならご存知かと思う。
 作詞は尾瀬を世に知らしめた「夏の思い出」等の江間章子、作曲は團伊玖磨である。戦後を代表する二人の著名な文化人の手によって成ったこの歌曲は、おそらくこれからも日本人に永遠に歌い継がれていくのではないか。
 軍国主義という冬の時代から抜け出し民主主義という新たな「春」が来た兆しをこの詩とメロディは軽やかに高らかに美しく歌い上げている。時代をうたった、時代を離れても真に名曲だと思う。

 私事だが、先にお知らせした老甲斐犬、おトラさんは、ほぼ元のような状態に持ち直したと思える。まずそのことをお知らせしたい。
 治ったとか、完全に元気になったとは言い難いが、ゆっくりでも足取りはしっかりしてきて、散歩の途中に転んだり倒れたりすることはなく、ほぼ元通りに自力でまた散歩ができるように回復した。食欲もしっかりあるので体重も増え元気になった。皆様にはご心配おかけしました。

 今日は午後からは曇って来たが、昼時は春らしく暖かい陽射しもあり、穏やかで、その犬に食事を与えた後、ゆっくりとこの町内を我と散歩させた。
 そのとき不意に、この「花の街」のメロディーが、頭の中に流れて来た。中でも、一番の
 
 七色の谷を越えて 流れていく 風のリボン
 輪になって 輪になって かけて行ったよ
 春よ 春よと かけて行ったよ

 の、「春よ 春よ」のフレーズを口ずさみながら不意に涙が出て来た。そして少し哀しみを伴った深い幸福感、満たされ感に包まれた。
 前足が萎えて自力では全く歩けなくなって、一時はこのまま寝たきりのまま衰弱し一月もせずに死んでしまうかと思いもしたが、よくまた歩けるまで持ち直したとつくづく思う。
 今また犬と二人でこうして春の陽射しを浴びて散歩できるとは、まさに夢のような幸せ、至福だと思えた。
 犬はとぼとぼとゆっくりしか歩けはしないが、ゆっくりでいい、確実に、自分の足で歩いていければそれで良い。人の人生もまた同じではないのか。

 この先、この犬とどのくらい共に暮らせるかわからないし、いつまた体調が悪化し歩けなくなるかもしれない。しかし、この一か月の犬との闘病、昼夜の介護で、我はこの不遇な犬とようやく心が通じ合え、わかり合えてきたと思う。彼女が何を求め訴えているのかほぼわかるようになった。
 おトラさんと縁あって知り合いウチに来て一年数か月。この濃密な日々のおかげで、我らに足りなかった歳月が埋まった気がしている。

 辛く慌ただしくなかなか思い通りにならない、どん詰まりの我が人生だけれども、たまには恵みと平安のときが我にも訪れるのだと、ただただ全てに、そして天の神のはからいに感謝している。
 犬を救ったのではない。我は犬に救われたのだ。看護や介護とはヒトゴトではなく自らもまたその立場にあると知るべし。そう、誰もがいつかは動けなくなり寝たきりとなって死に臨むのだから。

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