己ができることとすべきこと2018年04月28日 21時00分11秒

★人はおうおうにして勘違いする。我もまた。

 とても大事なことだと思うことを書く。まあ、世間の大人たち、まっとうな社会人は当然のこととして若い時から気がついていることだと思うけれども。バカで迂闊な我は、60年も生きてやっとわかったことだ。

 俗に、目的と手段がいつの間にかすり変わって、本来の目的ではないことが目的になったりすることはよくある。
 いちばんは、金であり、金は、それで何かを買い求めたり実現するために必要な道具、つまり「手段」であるのに、人はいつしか「金儲け」自体に熱中し金を溜めること、増やすことが「目的」になってしまう。

 そういうことは多々あるとは思うが、それよりも人の心理、特に「欲望」というのは複雑なもので、その当人、当時者自身がよくその心理を把握していないことがままある。
 我はこのところ様々なストレスのつど、ついAmazonのタイムセールなどを覗いては、それが格安になっていると何であれ安いと思うと思わず「ボチッ」てしまう。後でそれが家に届いてから、いったい何を注文したのか自分でも忘れていて、巨大梱包が届き中身を開けてみて、何でこんなのものを欲しいと思ったのかと不審に思うことすらある。
 今日も厳冬用のシュラフ二枚組セットが三千円そこらになっていて、今特にすぐ必要なものではなかったが、やがて車でどこか海山へ出かけ、車内泊するときや、妹が泊まりに来た時にあると便利かと思い、危うくポチる、つまりクリックして購入するところだった。
 幸いもたもたしてたらタイムセールの時間が終わってしまい、通常価格に戻っていたので、一瞬にして覚めてはたと我に返り、危うくまた買うところだったと安堵した。
 バカである。

 人は欲しいものと必要なものは本来同義であるはずであろう。つまり、それが今すぐないと困る、生活に差しさわりがあるというようなものだけが「欲しいもの」であるはずだ。
 ところが、金もなく生活に余裕など全くないのにもかかわらず、ついそうしたタイムセールや格安で出ているのをみつけると、少し関心あるもので、欲しいとちょっとでも思えるとすぐ欲しくなってしまう。そしてつい買ってしまうのだ。
 まあ、それが何万もするものではなく、せいぜい高くても数千円単位ものだからギャンブルでつくる負債や使い込みのような事件にはならないけれど、溜まればやはり何万円にもなるので毎月その支払いに頭を痛めるはめとなる。

 なのでこのところは、それは本当に欲しいものなのか、今すぐないと困るものなのか、と自問し、ほんとうに必要な、今すぐないと困るもの だけを購入するように注意している。
 が、父とのことなどで何かむしゃくしゃしてたり、誰とも会えずに淋しく人恋しい夜などは、見るともなしにAmazonのタイムセールをチェックして、楽器アイテム、チューナーやカポ、弦など、もういくつも持っているのに、安くて目をひくものが出てるとついつい買ってしまったりするのである。

 よく余裕ある有閑女性が、着ないものや履かない靴、アクセサリーなどに散財すると聞いたことがあるが、何か心に満たされないものやストレスがあると人はつい不要なもの、あまり必要なものでなくともついつい買い物に向かい発散してしまうものなのかもしれない。ギャンブルに夢中になるのも、それが金儲けという目的以前に、やはりそこに満たされない何かがあってそうした何か「行為」に「熱中」してしまうのではないか。

 さておき、そうしたものがヒトの心だとすると、それは良し悪しでは簡単に計れないし何よりもその心理、そうさせる根源から見つめ直さねばならないはずだ。
 たまに外で美味しい料理を腹いっぱい食べることもストレス解消になるのならばちっとも悪いことではないし、それは「買い物」だって同じことだろう。その余裕があるならば、そうした散財もまた健康管理に必要なことだと言う理屈も成り立つ。

 そうした心理を今さらながら見つめ直していくと、欲しいものと必要なものが実は本当は違っているように、したいこと、つまり我が「できること」と「すべきことも」また違うことに気がつく。
 そう、今さらながら我はそのことにようやく気がついた。つまるところ昔からよく言うように「身の程を知れ」ということだ。それは差別とは全然違う。

 できることとすべきことが一であり、それを若くして理解しつかんだ者こそ幸いであろう。そうして早くから人生を定め世間に歩み出せば間違いなく成功する。
 我は真に愚かでバカだったから、その理屈というかその「法則」すら気がつかないでいた。そして今この歳になって、ようやく少しはそのことが見えて来た。

 欲しいものが真に必要なものと同じであるように、己ができること、したいことが、真にすべきことであるようにあるべきなのだ。やっと気がついた。その道を示してくれる方とようやく出会えた気がしている。
 そのことについてはまた稿を改めて書いておきたい。