主日、安息日の昭和の日に2018年04月29日 22時32分44秒

★毎度ながら疲れ果て酔いのまわった頭で

 ユダヤ教では、安息日=休日は金曜日の日の入りから翌日の土曜の日の入りまでだそうだが、身体も含めて一切を休める休息の時、キリスト者は今日の日曜が主の日、安息日である。
 で、毎度ながら我は心底疲れ果てている。いったいどうしたかと自分でも不安になるほど昨日土曜から断続的に寝込んで今シンドイ身体でこれを記している。
 予定では親愛なるよしだよしこさんのライブにお誘い受けて顔出すつもりで、支度していたのだけど、もう昨日からどうにも動けず起きていられず寝たり起きたりで今この土日を終えようとしている。

 何でそんなに疲れてるかと言えば、つまるところ痴呆となり果てた父とのことなのである。何とか父を昨日土曜日の朝、ショートステイに送り出し、ようやく我はホッと一息、我が身、我が時に立ち返れる。そして、精力的に自分のことに専念できれば良いのだが、やっと一人になれば気も緩み疲れも出て、週末は結局寝たきりとなってしまう。
 じっさいもう大したことは何もやっていないのだが、今も疲れ果ててベッドに早く入りたいところ先に記した我が誓いのためにも眠い目こすりブログに向き合っている。
 まさに日曜は今の我には「安息日」であり、正直なところ日テレで笑点でも見たらもうそれで飯も食わず一切何もせずひたすら早くもう眠りたい。

 今日29日は「昭和の日」だとカレンダーにはある。これは先の天皇誕生日」のことなのだと思うが、いつからそんな名前に替わったかも含めて我の頭ではもうよくわからない。いったい何の休日なのか。
 ともあれ、我は「昭和」の人であり、我の公的・対外的名前には「昭哲」とその「昭」(しょう)という字が入っている。※断っておくがこれは親からもらった名前ではなく、自ら対外的に名乗ってこれで仕事して40年となる。読み方は「あきのり」と読むが、別にどう読まれたってかまわない。
 で、その「昭」、昭和の「昭」という字について書く。

 現在ではこの字は、その昭和生まれの人は氏名に用いているし「昭和町」とか「昭島市」とか地名にもあるので、「昭」、しょう、とか、あき、と読まれるこの字はポピュラーなものとなっていて「昭」のつく名前の方も多々いることは知っている。昭子さんや昭恵さん、昭人さんと我も知り合ったことがある。
 が、他にこの字はいったいどういったときに用いるかと考えると、実は汎用性はまったくないのである。「昭和」の昭以外に使う時がない。
 そもそも、大正が終わり新元号が制定される時、いち早くそれが「昭和」だと知った新聞記者がスクープだと新聞に載せるべく社に連絡の電話入れるときにもはたと困ったという逸話がある。
 「しょうわ」と決まったのはいいが、「和」はともかくもその「しょう」という字を説明できない。結局、「照」という字の下の「てんてん」がない字だと電話口で伝えたという裏話を読んだ記憶がある。
 確かにそれ以外、「昭」という字の慣用語など思いつかないから伝えようがない。そもそもその元号がどこからとられたか、出典など以前は理解し覚えていたはずなのだが、今は頭がバカになってすぐに出てこない。
 ともかく、電話口で記者が慌てて「灯りとかに使う照明の「照」って字の下のてんてんがないやつ」と叫んでいた姿が我の脳内に浮かぶだけだ。
 そうして「昭和」という元号が生まれた。個人的にはEIEIと無駄なライム踏む「平成」よりは数段上の良い素晴らしい元号だと好ましく思っている。何しろ我は昭和の子であり、親しみを込めて「昭哲」と名乗っているのだから。

 さて、その平成のあとの新元号は何となるのか。明治のMも大正のTも昭和のSも原則使えないとなるはずだから、かなり制約があるなかで、今その次の制定に識者は頭痛めていることかと想像する。
 むろん、天皇制否定者や、すべて西暦で統一して日本独自のそのときどきの天皇個人に規定される「元号」など今や不要だというまっとうな考え方は正しいと我も思う。しかし、天皇制の是非以前に、この我はこの国の仕組み、カタチとして、今の象徴天皇と元号についてはあえて否定はしないし今は問題とする気はない。
 西暦ではない、そうしたショートスパンの元号というタイムラインは、歴史を学ぶ者としては極めて意味ある有意義なものだと考えている。

 じっさい、戦後を語るにしろ、昭和20年代の10年間と、1945~1955年では括りとしてうまく認識ができないかと思う。
 我は西暦1950年代後半の生まれだが、気持ちとしては、あの西岸良平的昭和30年代の前半だと胸を張りたい。
 懐かしき昭和という響きは、西暦ではどうにも伝えられない。むろん海外でも50年代をヒフティーズとか10年単位で括る呼び方はあるけれど、果たしてそれはそれで時代をうまく括れているのであろうか。

 まあそんなことはほんとうに私的個人的なことであって、我のように50年代生まれと60年代生まれとでも一線を引いてしまうように、西暦であれ元号であれ、ただごく私的に都合良くそれぞれを用いているにすぎずそもそもそれで大きな確実な何かがあるわけではない。そうした区分もまた便宜上でしかないのは理解している。
 ただ、西暦ではない時代区分はそれもまた大きな意味があり一つの「文化」だと我は確信もって言いたいだけだ。
  そう、昭和生まれの昭島の昭哲としては。