常にダメであり続けること2018年06月07日 23時09分47秒

★正直にあからさまに書く

 このところなかなかブログが更新できない。忙しいわけでも何かトラブったわけでもなく、鬱々と落ち込んでいるわけでもない。
 ただ、心がどうにも落ちつかず、腰据えて頭スッキリさせて書くところまで至らない。理由はただ一つ、人生がどうにも行き詰ってしまいあれもこれもとやるべきこと山積で、パニック障害起こしてしまったのだ。

 時間ばかり過ぎていくのに何もできないまま一日一日が過ぎて月も替わり季節は進み、今年もどんどん終わりに近づいていく。
 今年こそ、今月こそ、今日から今からと心機一転、誓うのだけれど結局ほとんど何もできずまたさらに「けんあんの事」は増えていく。
 父がお泊りに行っている間に、何とか生活を維持してきちんとしていこうといつも思うのに、何故かほとんど何もできずまた父は帰って来てしまいその世話に追われていく。
 つまるところ我は、医師の診断を仰いだわけではないが、昨今言われている「大人のADHD」であり、怠け者だという以前に、常に失くしものと探しものに追われて、今何をしているのか、何をまずしないとならないのか混乱してわからなくなりそれだけで疲れ果ててしまう。

 思えば子供の時から何度教科書や日々使う教材を失くしたり忘れたりして、近くの文具店や教科書を扱う本屋に慌てて駆けこんだことか。うっかり者とかそそっかしいとか以前に、子供心に何か自分はヘンだと薄々感じていたしそうしたことでさんざん叱られ周囲から侮られて不登校にもなった。
 ただ大人になって、若い時はそうした「多動性」は、腰が軽く外交的要素でもあるので、どこにでも行き何でも手を出しそれはそれで面白おかしく楽しく暮らしていた。むろんそこには「生活」はない。あるのはあくまで非日常である。まさにキリギリス的遊興人生で会った。

 が、先年老親が病み衰弱してきて、嫌でも我がその生活の維持を担当せざるえなくなった。料理や洗濯などは元々嫌いではないし、趣味的関心は昔からあったからできなくはないが、それも誰か他者があってこそのことで、自分一人だけならできるだけ手はかけたくない。また、母が生きていた時は、司令塔かつ相談役として生活全般のことは母に頼って来た。母は寝たきりとなり何もかも我が担当してきたわけだが、我家の根幹、生活の総元締めは母であった。
 寝たきりの病床でも様々な支払い手続きのことや季節ごとの衣替え的なこと等母はあれこれ指示して、我は半ばうんざりしつつも従い、そう、この家は何とか維持し回転していたのだった。
 その母が、亡き後のことをさんざん案じながらも逝き去り、既に二年近く経つ。
 半世紀以上共に暮らし、離れたいる時も常に傍らにいて我のことを常に心配してくれた人が突然消えてしまうと、そのショックのあまり我は半年以上もPTSD的症状から鬱になり何もかも気力や関心を失くしてしまった。
 その余波が続いてこうなってしまったのかわからないが、このところ我が家は家の中も外もまさにゴミ屋敷と化して足の踏み場がなくなってしまった。片づける時間がないのではない。これでも時間見つけては父のいないときせっせと少しづつ片づけている。
 が、賽の河原の石積みか、神話に出てくる牛小屋の掃除のごとくまさに切りがなくちっとも片づかない。要するにモノがそもそも多すぎるのである。広い家なのにモノに埋もれて身動きとれなくなってしまった。

 元より我は何が大事なのか要不要の判断が乏しく、それは事においても優先順位がわからないのと同じく世間の人のようにきちんと対処できない。普通の人は即捨てられるものでも捨てられないし、親譲りのモッタイナイ精神かと思っていたが、どうやら整理整頓の根本のところが欠けているように思える。
 昨日も今日も父が不在だったので、台所や玄関先をけんめいに掃除していた。特に今、ヤフオクを初めてしまったので、安く落札して届いたレコードの箱がいくつもあって、しかもそれはきちんとしたサイズに入ってないのでともかく場所とっている。
 中の緩衝材をどかして、LP、EPのサイズに合った段ボール箱に詰め替えているのだが、つくづくいったいオレはまた何してるのか!としだいにうんざりしてきた。いったいこのレコードの山、新たにどこに収納するのか。

 何であれ欲しかったモノが幸いにしてうまく落札できた時は嬉しい。が、冷静になってみると、それは今すぐ何が何でもどうしても必要なものではないのである。欲しいものと必要なものは違う。
 それは偶然安くみつけて、欲しいな、ずっと欲しかったものだ、あるといいなあという程度のものであって、生活必需品ではない。
 かつて落語など芸能をさして某落語家が自嘲気味に「あたしらの商売は、あってもなくてもよいようなもの、ではなく、そもそもなくてもなくてもよいようなもの」と語っているのを目にしたが、まさに古いレコードなど場所とるばかりで、我の残り少ない人生をおもうとき、なくてもなくても構わないもの、どころか、自らこうしてオークションに出して減らす側なのであった。バカだからつい浮かれて、果たして聴く機会があるかどうかもわからないのに今また新たに「名盤」をまた集め始めてしまったのだ。いったい今さら何やっているのか!

 そうこうしているうちに夕方になって父が施設からもどっ来てしまい、とっちらかった玄関先や台所もそのままで夕飯や買い物など父のための家事をやらねばならない。いろいろ火を通さねばならない鍋や早く調理しないと痛むものもいっぱいで頭が痛い。
 父を自室のベッドで休ませている間に犬連れて近くのスーパーに気分転換に出かけた。が、その途中、心臓がドキドキしてきて息ができなくなり苦しくて動けなくなった。パニック障害だと思った。まさにあれもこれもと頭がいっぱいで身体と心がエンスト起こしてしまったようだ。
 ああ、辛いなあ、どうして自分はこうダメなのかと毎度の気分に襲われたが、缶チューハイを買い流し込んだらアルコールの力で少しは気分は楽になった。

 実はこのところそうした鬱気分になるとひたすら缶ビール類、それも高アルコール度のものを選んで夜は毎晩必ず吞み続けている。特に父がいる時は缶数がかさむ。
 吞んでしまえば酩酊気味となり気分は楽にはなるが、けっきょくぼーとしてきて眠くなり、「明日こそ」の思いで寝てしまい結局何もできずに一日が終わって月日が過ぎていく。
 常に毎朝、毎日今日こそは、との思いで一日が始まるが、何も成果上がらず何も片づかず、いや、逆にさらにモノは増え続けうんざりし自分でも呆れ果て何もしていないのに疲れ果て酔っぱらってその日は終わる。そんなことの繰り返し。
 もうダメかもしれないと思い、まだやり直せる、ここから少しでも、まず一つでも進めていこうとも決意する。そうした「思い」は繰り返し拙ブログに記して来た。

 ADHDは薬では治らない。病気というよりそういう気質、傾向が強くあるだけのことだから、とにもかくにもそういう自分をあるがまま認めて肯定するしかない。そのうえで対処法を探る。しかし、当事者としてはやはりそれは容認も肯定もできない。何とかせねばと強く思う。頑張らねばと毎年毎月今年こそ、今月今週、今日こそと日々誓う。が、ダメだからやはりできない。そして結果として鬱に陥っていく。

 しかし、これを書こうと決意したのは、ふと亡き色川武大のことを思ったからだ。個人的知己は得なかったが、最愛の作家で強く影響受けた。我にとって今も昔も「ダメの先人」として彼の遺した言葉と文学は我の救いとなっている。
 基本、自らは何事もきちんとできない生活無能者として、社会の落ちこぼれを自認し誰にも優しくすべてを受け容れていった生き方こそ我の指針になるのではないか。
 むろんそうした破綻型人生の人にも太宰治がそうであったように妻や愛人など彼を最期まで支え診る人が傍らにいた。
 思えば我にとっては母だけが我を愛し常に思ってくれて我の心の指針、支えであった。今の我は船長を失った船のようなもので、難波船のごとくただふらふらと漂っている。
 そう、誰も我を愛してくれないからこそ、まず我こそが自分を愛さねばならない。こんなどうしようもないダメ人生だが、ダメはダメとして、ダメはダメなりに生きていかねばならない。このまま自堕落に生きていけば早晩自死しなくとも身体はボロボロで倒れてしまうだろう。
 それですぐさま死ねればまだしも、けっきょく唯一の肉親、遠き九州にいる妹に迷惑かけることになる。それは不本意であり望むところではない。いったいどうすれば良いのだろう。

 我のような者を受け容れてくれる人も世間も社会もないとして、ならばこそ何より健康に留意して、まず今の状況=難波船を係留して無人島でも地に足つけてそこで一人でやっていくしかない。
 時間があるとき我はその島から手紙を瓶に詰めて海に流していく。それは救助を求めてではない。そこでそういう人生があったという「報告」である。それがこのブログだ。

 常にダメであり続けること、そういう特異な人生もあったっていい。当人としてはどうにも受け入れ難いが。そう、これもどうしようもない。無理もない、のである。情けなく恥ずかしくダメだけれどこの人生は自分だけのものだからこれ以上投げ出さず付き合っていくしかない。

コメント

_ ふく助 ― 2018/06/08 18時45分34秒

ADHDには良い薬がいくつかあります。自分も去年の10月から飲んでいます。自分には合っている気がします。検討して下さい。アルコールに頼るのは絶対ダメですよ。

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