まだできる、きっとかなうと信じて2018年06月19日 23時19分51秒

★ここを乗り切っていく。

 梅雨の合間、今日は久々に朝から一日晴れた。父をショートステイに送り出し、この一週間溜まりに溜まった洗濯ものを洗っては干し、四―カード堂で、猫缶、ドッグフードを2500円分まとめ買いして、500円の商品券を得た。この特別セールは今日までで、これで当分は猫たちの餌で頭悩まさずにすむ。ついでにフードコートのリンガーハットで外食、ギョーザ定食にしたが、食べて後悔。やはりちゃんぽんか皿うどんにすべきであった。

 それから帰って、朝早かったのでひと眠りしようとしたら、また猫一家がベッドを占領していて、無理やり割り込んだが、我が眠りにつくと子猫たちが騒ぐのでほとんど眠れない。
 夕刻起きて、本日の便に間に合うようAmazonマーケットプレイスからの注文本の発送。
 それからまた、父もいないので少しだけ横になり、午後8時頃から台所仕事しつつ軽い食事をとって、ヤフオクで入札していたのをチェックして気がつけば夜も深けてこんな時間になって今日も一日が終わる。
 この合間に何度もトラさんを連れ出してご近所界隈を散歩させたり猫たちに繰り返し餌やり、ベルコとの朝晩の長い散歩がある。
 父が家にいる日は、これに父の食事の世話と朝起きてから眠らせるまで監視と介護が加わる。

 気がつけば今月も半ば過ぎた。頭の中のどこかで、浅川マキが物憂く、「こんな風に過ぎて行くのなら」と唄っている。そう、あの子はあっさり結婚、であるし、今夜程さびしい夜はないし、きっと今夜は世界中が雨だろうという気持ちでいる。まさに今また外は雨が降り出した。
 そう、いつかまた何かと出会えればまだ良いのだが、果たして我にそんなときが来るのだろうか。
 
 こんな風に、こんな風に、何一つできずに、時間だけが過ぎていく。周りの手のかかる者どもの世話と応対に明け暮れて。

 もう我の気持ちや考えはすべて定まり、何も迷いも不安もないのだが、我が人生再建途中の足がかりというか、基礎さえまだできてなく、さすがにこのノンキ者もこのところ鬱々として気分は沈んでいた。
 誰にも会いたくないしどこへも出かけたくない。知り合いやかつての仲間たちも含めて誰か他者と会うこと、人のたくさんいる場所で周囲に合わせて自らを鼓舞させうまく対応する気力が今はなく、どうしても出かけられない。かつての不登校だった頃の気持ちが今齢60にして蘇った。が、今さら人生の不登校になったとしても誰も呼びにも誘いにも来ないし、我を心配してくれる人は既にいない。
 このままネグレクトしてれば早晩ゴミ屋敷の中で、金が尽きアル中で死んでいるのが死後何ヵ月もして発見されるのがオチだろう。

 今ほんとうに頭痛めているのは、何をどうすべきか、これからのことも我が使命や役割もようやくはっきり見えて来たのに、家事雑事に追われ、それだけで手いっぱいでなかなか自分の人生にまで手が回らないことだ。そして何より体力無しであることが困る。朝起きた時から何故か疲れ果てている。
 生活のすべき部分を終えて、自らのことに向かうだけの体力と気力が今の我にはなくなってしまった。そして常に風邪気味やどこかしら体調不調で身体はしんどく、無理もきかない。
 つまるところこういう状態は、五十代後半からで、我もまた男の更年期なのかと思うしかない。

 振り返れば、我の人生は常に無計画、行き当たりばったりで、めちゃくちゃゆえ危機の連続であったが、それは平たんな道での出会いであり、うまくよけることや迂回することも可能であった。
 が、今のこの事態は、まさに坂道を重たい荷を背負いながら登っている登山のようなものであり、いったいいつ尾根なり、平らなところに出てほっと一息つけるのかそれすらも見えない。
 我が人生最大の危機と言えよう。が、今はまだ父も元気で生きているし、愛する犬や猫たちもいて、赤字続きのカツカツだとしてもまだ生活はあり、かろうじて成り立っている。過ぎ去ったときはもう戻らないのだから、ある意味、今こそが人生最良のときと言えなくもない。
 
 自分には妻子や年金、社会的地位はなくともモノは何でもあるし、広い家がここと山梨のと二軒もある。世間では断捨離とか捨てることが持て囃されているが、モノがあることは決して悪いことではない。問題はそれを活かせないこと、死蔵して場所塞ぎとなってしまうことだ。
 ならばあるものはすべて無駄なく活用して、もう使わないもの、不要なもの、たくさんあるものはヤフオクなどを活用してタダ同然でも売って活用していけばいいではないか。
 そのノウハウは、この一か月、入札、落札で自腹切って大いに学んだ。モノがわれにどう関わるかも見えて来た。

 そう、我マス坊にあるモノ、物も場所も環境、状況、関わってくれる人もすべて無駄なく生かしていく。活用して行こう。
 今がいちばんの危機。だが、この峠はきっと乗り越えられる。まだできる、きっとかなう、と信じて、どうしようもない人生だが一日一日続けていくしかない。

近況少しだけ2018年06月23日 21時58分01秒

★この週末こそ巻き返していく

 また拙ブログ間が空いてしまった。
 もしこまめにチェックして気にかけて下さる方がいるとしたらば申し訳なく思う。ごめんなさい。
 書きたいことも書かねばならぬこともいっぱいあるのだが、一昨日夕方から父が家に帰って来ていて、またもやひと騒動あり今朝がたショートステイに送り出すまで落ち着いてブログ書く暇すらなかった。
 特に昨日は終日家に居たところに、予定していた訪看さん以外に、市役所から福祉課と地域包括支援センター何タラとかいう職員二人が突然やって来て、我家に「査察」が入ってしまったので、そうした応対だけで疲れ果てた。
 夜、父を何とか寝かしつけてからブログで報告だけでもと思ったが、アルコールと疲れと頭痛がひどくフラフラ意識朦朧状態で断念。すぐに寝た。ただ昨晩はわりと深くたっぷり眠れたし、今日も午前の用事を済ませてから午後は昼寝して疲れを癒したので今は頭はスッキリ、気分は落ち着いている。今日は酒も一滴も飲んでいない。一人で酔っぱらう理由もそんな暇もないのである。

 詳しいことはまた書くかもしれないが、まずは中途の書きかけの案件をきちんと続き書き足して決着させねばならない。ヤフオクの顛末や商売の話、そして子猫たちのことなども。

 幸い父は今回帰ってくるのは、月曜の夕刻だからまだ今晩、明日一日、明後日の日中とたっぷり時間がある。
 過去に遡っての掲載となるかと思うが、お時間のある方は暇な時ご確認して頂ければ幸いだ。
 今の我は落ち込んでもいないし何も悩まないし何も考えていない。ただ、ほんとうにもうすべてどうでもいい、という気持ちでいる。

さて、有難くもこれからのことお知らせしたい。2018年06月24日 21時07分10秒

★人生のリニューアルオープン日を定めて

 先に、谷保かけこみ亭での「笑えるうたが聞きたいぜ!」コンサートを終えてから、以後我はこの数か月誰とも会わずひたすら家に引きこもっている。
 そしてヤフオク!なるオークションサイトにも参加するようになり、先日までついつい熱くなって落札のためずいぶん金をつぎ込んでしまった。
 そうした我が愚かさは逐一書く必要もないとは思うが、心ある当ブログの一読者からご忠告も頂いた。まったく有難いことだと思う。そう、ヤフオクはヤフオクの大きな問題点があり、大きな落とし穴があるのである。それは身を持って体験している。
 その方からの「コメント」を公開すべきかと考えたが、個人的な事情も書かれているし、私信だと判断して我が懐にとどめておく。そう、何事も良いことばかりはありゃしない。どこにも悪質非道な輩はいるのは同じなのだ。ご忠告、心から有難く受け止めました。

 さておき、4月8日のコンサート以降、我はもう二か月以上も誰とも会わずどこにも出かけず家にずっと引きこもっている。昨年も母の死以後、PTSD的心境でずっと家に籠っていたが、今はそれとは違う。
 とうとう人生が行き詰ってしまい、今はその再建途上で家のことも書類上のことも溜まりに溜まってしまってけんあんのことを片付けないことには先に進めなくなってしまったからだ。

 我は本当に不器用で、常に何事も目先の一つのことしかできやしない。いや、一つのことすらうまくやれたためしがない。
 コンサートの企画など手掛けているとやはりそちらも気を使い、結局自分のことは後回しになる。しかし、もう自分にも時間も余裕はなく、税金の申告やら様々な控除の手続きやら督促されても今はしっちゃかめっちゃかで母の死後ずっと放擲したままだったのだ。

 家ももはやゴミ屋敷と化してしまったし、このままでは早晩父は死に、我もその後の混乱の最中何一つ収拾できなく発狂して死ぬしかないとマジに思う。
 繰り返し書いてきたが、今ならまだ戻せるしできると信じたい。ともかく一つひとつけんあんのことを片付けて減らしていくことだ。でないと我が人生に未来はない。

 そんなで誰にも会わずあえてフェイスブックも覗かず、こちらからは誰にも連絡せずひたすら家で父や犬猫たちの世話にまずあけくれている。※それでも数少ない何人かは我にメール頂いたが、今は返信もしていない。申し訳ないが、書きだせば長くなりそうで、今はまだこれからのこと予定が何も見えない。今はまだすべてがいっぱいいっぱいでどう返信したらよいか迷っている。

 今の我は、世捨て人か隠遁者、昔でいえば出家した身のようなものだが、いつまでもそうして世間と関わりを断っていたいとは思っていない。※我のような人間は「外」がなければ自滅=自殺してしまうだろう。こんなどうしようもない人間と自ら向き合い付き合っていたらうんざりして発狂してしまう。

 街を歩いていると、それまでやっていた店が潰れて中を改装していることをよく目にする。そして近日新規オープンとか、同じ店でも内装を替えて近日リニューアルオープン!と看板が出ていることがある。
 今の我はそれと同じで、期日を決めて我が人生も再スタートさせたいと思う。その日は八月の我が誕生日頃を定めたい。
 いつまでも早く今度゛こそ片付けなくちゃと思いつつ時間だけ過ぎてくのは終わりにしたい。リミットを決めない限りいつまでたってもできやしないで、今年も終わってしまう。
 今はカレンダーに残りの日までのカウントダウンの日数も書き込んである。何とかその日までに、けんあんのことを片付けて、今年のクリスマスにはまた無頼庵を再オーブンし皆さんをお招きできるよう、すべての環境を整えていきたい。

 それはできるししないとならない。我にとって唯一の希望だ。今できなければこれから先できるはずもない。我が人生を破滅に終わらせないためにもあと一月強、家に籠ってひたすら片付けを進めていく。
 そして誰にとっても良い知らせをお届けしたいと願っている。

商売考・補足2018年06月27日 13時44分15秒

★世知辛い人生がさらに世知辛くに

 南からの生ぬるい強風が吹き荒れる午後である。まだ梅雨開けしていないはずだが、このところ雨は降らず晴れたり曇ったりの蒸し暑い日が続く。

 拙ブログ、このところ毎日先月末の分をちまちま書き足しているのだが、そうした「過去」分は誰もわざわざ読み返すことなどないようだ。その日毎の新規更新が無いがためか、毎日順位は下がり続けて間もなく百番圏外となろうとしている。
 まあそれも仕方ないし、別にこれで飯食ってるわけではなく自らのためにまず書いているのだからランキングなど気はしない。ただ、つまるところ誰も読んでないという証なわけで、やはり張り合いがないというかこの行為にそもそも意味があるのかと自問もしている。
 まっ、これ以上下がるとやはり哀しいので「新規」で書き進めていく。※我がブログに関心ある方は先月分のも覗いてみてください。

 さておき、また商売の話について少しだけ書いておきたい。

 人には誰しも転機のとき、大きく変わらざる得ない時があるのだと今つくづく思う。そしてそれは様々なことが関連しまとまってやってくる。

 今我は還暦となり、いわば世間的には会社勤めなどの一つの人生を終えて、老後なり余生とかいう新たな人生の門口に立っている。
 我とは関係ない話だが、フツーの人ならば、これからは仕事などに追われることなく退職後の悠々自適の年金生活が待っているのかもしれない。子育ても終わりローンの支払いも済み、後は夫婦で海外旅行など若い時にはできなかった余暇や楽しみに没頭する計画を立てている頃かもしれない。

 が、あろうことか我はその歳で、父とのこともだが、実人生が完全に行き詰ってしまい、今人生再建中だということは書いて来た。それもこれも若い時からの無計画とだらしなさの果てであり、人生を甘く見てきたツケ、まさに自業自得だから愚痴こぼすわけにはいかない。
 ならばこそ、父が生きていようといまいと、我はすぐさま後おって死ぬわけにもいかないわけで、もし父の歳まで生きられるとしたら何とまだ30年も人生は続くのである。嬉しくもありうんざりもし、そうならばではどうやってその生活費を捻出するかという現実問題にも突き当たる。
 我は無年金者で、父が死ぬば、どこからも公的に入って来る金は一円もない。この家に僅かな預貯金もなくはないが、それだって数年で使い果たすことは間違いなくその先の収入のアテはない。
 先のことをふと深夜ベッドの中であれこれ考えたりすると不安で眠れなくなりアルコールに溺れたり突発的に自殺したりするかもしれないので基本深く悩みもしないし考えないようにしている。
 
 今現在、Amazonを通して小遣い稼ぎ的にそのマーケットプレイスで、古本古雑誌、古書を販売している。だが、どうもそれもそろそろ潮時というべきか再考すべき状況になって来た。というのは、売れてもちっとも儲からないのである。※特に先だって手数料が上げられてからは。

 例えば、マーケットプレイス上で、ウチが売値として一冊商品代金¥365 の本に注文があり売れて発送したとする。
 Amazonから通知があり、まずAmazon手数料として-¥294が引かれて、そこに配送料として¥257プラスされ、結果としてウチには、計¥326が入って来る。
 どう思われるだろうか。Amazonから支払われる¥326の中に、今は郵便局のゆうパケットという特割の配送料¥167を引くと、実質手取りは¥159なのである。
 つまり365円の本が売れてもあまりに膨大な手数料がとられてしまい、大目に支払われる(購入者が請求される)一律配送料が加算されても儲けはわずかで売値の半値にも満たない。
 このところはそんな状態が続いていて梱包や発送の手間暇考えると何かバカバカしくてやる気が失せてしまった。
 むろんこの手数料は高額な売値の本の場合、もっと低くなっていく。手数料を引かれてもかなり旨味も出る。が、低価格の本こそ、売れても手数料自体がその売値と同様までに引かれるので、まったく儲けは出ないのである。こんなんでAmazonで商売続けていく意味があるだろうか。

 しかも不思議なのは、これは我の能力なのか誰もがそうなのかわからないが、こちらがやる気があるときは注文が増え、その気がないときは注文は格段に減ってしまうのである。
 むろん新規出品の度合いも大きい。新たに何十冊も出品すれば、それに注文が入ることと連動してずっと売れずに眠っていた本までも売れ出すようにもなる。また、我がコンサートやイベントの準備で忙しく、注文の方ははなから頭にない時などはそもそも注文自体が途絶える。
 昔から不思議に思っていたが、思い、願えばかなうの喩え通り、本を売りたい、注文を増やしたいと自ら始終考えていると、なぜかそう動いていくのである。

 が、今はそんなでそもそも売値の安い本ばかりでたまに注文が入っても儲けは出ない。こちとらもうやる気が失せているからますます注文は届かない。以前は毎日多い日は数冊も一冊千円以上の売値の本に注文が入って、トータルにすれば週に最低でも七冊以上常に売れていたのに、この数週間は一日一冊も注文が無い日が続いている。※ヤフオクの入札、落札のほうに気をとられていたこともある。

 しかもそこに示し合わせるかのように、いや、追い打ちをかけるが如くに、郵便局から先日封書で通知が届き、これまで二年間利用していた特割配送サービス、ゆうパケットの解約を、打ち切りを言い渡されてしまった。
 これは先年、ヤマトがそれまでやっていた格安の配送サービスを打ち切ってしまったがため、我としては困惑して郵便局とかけあい年間500冊(便)発送利用するという契約で、「ゆうパケット」という料金後納格安配送サービスが受けられたのだった。
 このゆうパケットだと、2㎝までの厚さならば¥167、3㎝までならば¥232で、重さ一キロ未満であれば全国どこでも送れたのである。通常の書籍便、ゆうメールよりはるかに格安で、これで何とかAmazon側から支払われる配送料の中でやりくりできたのである。

 書面には、解約の理由として、契約時の500通に満たないためとあって、初年度は430いくつか、去年度は460いくつかだったと記してあった。我としても500はいっていないかもと不安もあったし、特に初年度は母の死などもあって商売に専念できなかったことも大きかったと悔やまれる。しかしどちらもあと数十冊の不足ではないのか。来年度こそがんばるから大目にみてはくれないものか。
 局に出向いて交渉しようかとも考えたが、そもそも契約が500ということならば、一冊でも足りないとダメなのであろうし、そのためにAmazonで安値の本売るのに必死になってさらに囚われるのもバカらしい。
 世知辛いなあとつくづく思う。どうしたものか。

 ただそれでもうダメだと落ち込んではいない。トラブルとダメは我の影法師であり、死ぬまでとことんついてくる。また、こうも思う。試練や苦難の時があるからこそ人は悩み考え、活路が切り開かれるのだと。
 寒い季節があったから人は衣服や住まいに工夫を凝らしそこに文明・文化が生まれた。年中温かい土人たちには衣服も不要で家さえも雨露凌ぐ程度のものしか発達しなかったではないか。
 ならば、この苦難もまた良しとすべきなのである。幸い、ヤフオクを始めてヤフーと既に関わりができていたため、郵便局の格安配送サービスでクリックポストというヤフーが窓口になっているサービスにすぐ移行することができた。これなら2cmまでのものならば全国一律¥164で送れるのだ。ゆうパケットよりもほんの少し安い!問題はそれを越す厚さのものはどうするかだが、それもまた模索していくしかない。

 Amazonでの本の販売も完全に終わりにすべきか今考えてはいるが、まだ続けるならばまずは高額本が売れるよう乞い願い祈ることから始めるしかない。
 ヤフオクでも本や雑誌を売り始める計画は変わらないが、開始すればそのために他の案件はさておき常にフリーハンドにしておかねばならない。何であれ新たに何かを始めるためには準備のためにもまだもう少し時間がかかる。

 繰り返すがどうやって生きたって良いのである。この人生は自分だけのものだ。もう何も望まない。何も考えない。我が関われる、今抱えていることだけきちんとさせて関わっていきたい。
 トラブルとダメと孤独は三点セット。だが、そのどれもが我に相応しく愛おしい。
 ダメはダメなりにもがきあがきながら何とか生きていく。

父との残された日々を2018年06月29日 23時44分13秒

★すべて必ず終わりが来るのだから

 雨らしい雨も降らないままに今年2018年の梅雨は終わり、強く熱い乾いた風が吹く晴れ渡った青空をオスプレイが飛び交う、まさに水無月の月末である。
 昨日から父は家にいる。今日は訪看さんが来る日だったがキャンセルして断った。思うところあって来週明けまでデイサービスも休ませることにした。

 そんなに長く毎日父が家にいていったいどうなってしまうのかとケアマネを始め、我と父との関係を知る者たちは恐れおののいているかと思う。が、もう我としては、行政や福祉の側のやり口にいささか頭にきたこともあり、何よりまず父の意向に沿ってその望みを満たしたいと考えたからだ。
 彼らは父が通っている施設にも訪れ、父を説得し、長期入所の承諾を得た、と喜々として電話して来たのだ。後で父に確認したら当人は何も覚えていないのである。そしてトンデモナイと否定した。息子のいないところでそんな人間を相手に「説得」して承諾を得たとは何様のつもりなのか。要するに事件が起きれば彼らにも責が及ぶから保身のために親子を引き離そうと強いるだけのことではないのか。

 が、また当然のことこの親子間でトラブルが起きて我は怒り心頭し父を殴り殺すかもしれない。しかしそれもそのときはそのときのことで、誰だって好き好んでそんな事態を望むはずもないのだから、もし起きたらばそれも必然であり、起こるべくして起こったことならばそれは仕方ない。それが定めなのである。
 新聞にも当然載るはずだからご笑覧頂きたい。我は逮捕され父は施設へ移送、そして我家の犬猫たちは皆保健所送りとなろう。
 ならばその覚悟と緊張を持って、父と対峙し看護・対応していくだけのことで、それは起こるべくして起きた場合のことだから、起きないこともまたもちろん有り得るのである。

 そしてならばこう考えた。父がいる日はもう一切の私物、私的案件は放棄して、すべて父のことだけに専念しようと。つまり「無私」に徹するということだ。我が事は諦めて父のことだけに専念する。
 ならば、父がいると目が離せず自分のことが何もできないとか、父に煩わされイラつくということはありえない。父が起きている間はひたすら父に意識を集中し我がことは一切放棄すれば良いのである。
 じっさいそう考えたら気が楽になり、何もできないのが当たり前としたら、もし父の寝た後に少しとか、その傍らで少しとか、ほんの少しでも自らのことが出来たらそれは儲けものだと思えてきた。
 そう考えたら不思議に気持ちは楽になって来た。そう、父が家に居る時は父のことだけに専念する、他のことはなにもしないと決めたらば。

 我が古本稼業、商売のほうも先に書いたようにもう思わしくない。そんな微々たる儲けの商取引に振り回されて夕刻時、その日の最終便に注文本を載せようと慌て焦ることはしなくとも良いのではないかと思えてきた。
 だからAmazonでの古本商売に精を出すこともとりあえずやめにした。むろん今出品中の本に注文があれば応ずるが、それも父がいる日は父が寝静まってから梱包にとりかかり、翌日もしくは、うまく合間見ての発送でかまわないと覚悟を決めた。

 ただ、そんな風にずっと父が家にいたらば、父が死ぬまで我が人生はなくなってしまう。昼も夜も一切自由はないしどこにも行けなくなってしまう。
 だから、父を施設に預けるときは短い日程で帰るのを繰り返すのではなく、もっとロングで、せめて一週間単位で預けっぱなしにしようと決めた。ならばその不在の週は父のことは一切省みることなく自分のことにじっくりとことん専念できる。
 そうして緩急つけてやっていく。父が家に居る日は父の介護に専念して我は無私に徹してやっていこうと決めた。

 これまでのようにちまちま帰ってきては送り出すということを繰り返しているほうがいろんな意味で効率が悪いし結局我も我が事に腰据えて専念できないまままた父はすぐ帰ってきてしまう。
 このまま父をずっと施設に入れてしまえば、確かに我は自分のことに専念できるし父と衝突せず殺すことも有り得ない。が、父はもう九十を過ぎ、半ばにも達する歳なのだ。何も大急ぎで施設に入れて、家に帰りたいようと悲嘆のうちに死に追いやらなくとも間違いなくもうすぐに死ぬのである。
 どこで死ぬのも同じならば、彼が望むよう「おっかさんと同じように、この家で死なせてくれ」という強い願いをかなえてやるべきではないか。もしそれが息子が父を介護疲れのあまり激高して発作的に殺したとしてもこの家で死ぬことには変わりはない。
 結果がどうあれ、我はこの家で父を死なすことを決意した。そうもうそんなに先は長くない。それは間違いない。いくら長生きしてもあと10年も生きるはずはなく、せいぜい2~3年先の話だろう。
 ならば父を彼の希望通りにこの家にもっと置いてやりたいし、そうすべきではないのか。それもこれも我がその日は無私となれば良いだけのことなのである。

 どうせ今までも何もできなかったのだ。我が人生がこの数年また、もたついたとしてもかまうものか。父が生きている日々、父と暮らすことは限りがある。果たして今年一年無事であるかだってわからない。ならば何で市の福祉課のやつらの願うように大急ぎで父をすぐさま施設に入れねばならないのか。
 彼らの願いや我の願い以前に、何より当人の意思が尊重されるべきであろうが。
 ならば仕方ない。子として本当の最期のご奉公に精を出していく。
 そんなこんな状況でさらなる不義理を多くの人たちにしてしまうかと思うが、父が家にいるときはもう一切何もできないと覚悟してやっていくので、どうかご理解とご容赦頂きたい。