しっかりせよと抱き起し2018年07月03日 15時10分48秒

★最後の日本兵をショートステイに送り出して

 今日も晴れて猛烈な暑さが続く。が、何とか父を今朝がたショートステイに送り出しこれを記している。今日も暑いがやや曇りがちで風もありいくぶん過ごしやすいかもしれない。
 父は、先週木曜の夕刻から、金、土、日、月とずっと家にいた。唯一の同居家族、息子である我はほぼずっと傍らで付き添っていた。さすがに疲れた。今、ほっと一息ついている。

 いろいろあって、家にいさせることを我自ら選んだのだが、何度もまた殴り殺しそうになったものの今回はまだ未然に済んだ。
 というのは、金曜の午後、ずっと伸ばし放題にしていた父の髪を切りに、近くのヨーカドーの中にある、千円床屋へ車に乗せて連れて行こうとした矢先、父は玄関先で転び、頭から地面?に激突、左顔面をかなり負傷してしまった。

 そのとき、我は財布をとりに家の中にいて、父だけ先に杖ついて外に出てしまって何が起きたのか見てないのでわからない。
 ただ、父が地面にへたり込んでいて、転んだ、と言うので、顔見たら、擦り傷ができていた程度だったので、軍歌「戦友」のうたの文句ではないけれど、「しっかりしろ」と抱き起し、まあ大したことないだろうとそのまま車に乗せ床屋へ連れて行った。

 で、その前に、ヨーカドーの中のフードコートで、まずは昼飯として軽くうどんとか食べさせたのだが、よくよく父の顔見ると次第に腫れて来て、血も出て広範囲に打ち付けたことがわかった。洗面所で顔を洗わせどうしたものかと考えた。
 ただ、頭を打ったわけではないようなので、床屋だけは済ませて、家に戻って仮眠とらせて休ませてまずは様子見ることにした。その後、ケガはかなり赤黒く腫れて顔面半分大きな痣になり、もし目の部分だったら失明したかと思うほど強く打ちつけたことが想像された。

 事前に、今回はいつも週末に通っているショートステイはお休みにしておいたのだが、こんな状態では、いずれにせよ休むはめとなっただろうし、もし施設の人が見れば、また暴力息子が虐待してこんなケガしたと通報されたかもしれないので、なにはともあれ休ませておくことにして良かったとつくづく思った。
 昨日、月曜は、訪問診察で担当医が我が家に来たけど、診てもらったもののケガ自体は大したことはないととりあわなかった。それよりも転ばさせないよう我がもっと注意しておかないとと釘さされてしまった。そう、今度転んで骨でも折ればそれが冥途の一里塚、もうその先はないのである。

 フェイスブックで、親しくしている物書きの方で、我よりは少し年上かと思うが、つい先日、ずっと介護していたご母堂を亡くされたことを知った。お悔やみのメールでも送らねばと思う反面、いまはともかく何もこちらからはアクションは起こさないほうが良いようにも思って、気にはしているが、迷いながら時間をおいている。
 人の死は常に衝撃や哀しみや痛恨やいろいろんな負の感情をもたらすものだ。ただ、我は様々な死を経験して思うのは、高齢の方の死ならば、それはそれで良いことだと割り切れば良いのだと。
 むろんご家族としては様々な思いや悔い、哀しみは尽きない。しかし、その方が高齢ならば、介護していた側もまた高齢になってきているわけで、非情な言い方すれば死んで良かったのである。

 死者は生者を煩わすべからず、とはまさに至言で、ならば生者だって生者を煩わしてはならないはずで、人と人とは本来できるだけ関わるべきではない。他者を煩わせてはならない。
 しかし、家族はそうもいっておられず、結局肉親、子たちが親の最後を看るしかない。
 ならばいろいろ今世の別れ、離別の哀しみは尽きないとしても、ともかく介護の荷が下ろせたことは介護する側にとっては救いであり、良いことだとあえて言うのである。むろん人の気持ちはそう簡単に割り切れるものではないことは百も承知のうえでこれを書いている。
 我が父は、今回も顔にケガは負ったものの、またショートで介護施設にお泊りに行ってくれた。やっと我は今ほっと一息ついている。ただ今回は短くて明日の夕方四時半にはまた家に帰ってきてしまう。我が羽を伸ばして休めるのは今晩だけだ。
 
 林美雄的映画『八月の濡れた砂』のテーマソング、石川セリが物憂くうたうその曲は、「私の夏は明日も続く」という印象的なフレーズで終わっている。
 そう、彼の最愛のご母堂は逝き、彼の夏はこれで終わったかと思う。が、我の夏はまた「明日も続く」のである。
 今はまだ7月。今年の夏は長くなりそうだ。果たしてこの夏を我は乗り切れるだろうか。