ご心配おかけしましたが2018年08月20日 21時46分23秒

★ギックリ腰は大事に至らず回復中。

 起こる事には全て意味や理由、原因があるとするならば、そこから対処法だけでなく、人は何かのメッセージや警告として受け取る事もできようし、そこで学ばねばならないのではないのか。
 ご心配おかけしたが、今回のギックリ腰、存外早く回復して、今もまだギクッと痛い時もあるけれど、ほぼ普通の生活に戻れるようになった。

 昨日の国立でのイベント、ならば多少無理してでも行けば良かったかと思う気もなくはないが、出かけずにできるだけ無理せず安静にしていたので早く治って来たとも思うし、やはり今回はそういう巡り合わせ、運だったのだと思うしかない。
 何も起こらなくて当たり前だとしても、もし行って不慮不測の事態が起きるかは、行けばの話であって、行かなかったから無事だったとしても行った場合はどうであるか、人生の分岐点は二つに一つであって、予想も判断もつかない。
 ただはっきりわかるのは、結果として今は無事で、回復に向かいつつあるということだけで、行った場合のことは、考えても仕方ない。

 もう何年前のことかはっきりしないが、ちょうどスカイツリーが出来た頃に、京都から詩の師匠、有馬敲氏が奥方共々東京に来られたことがあった。
 それは何だったか忘れたが詩人たちの何かの式だか集まりがあってのことで、我も師匠から呼ばれて都心まで出向いてお会いした。が、そのときもやはりギックリ腰の最中で、約束していたのでかなり無理してまさに青息吐息、四苦八苦の思いで行ったことを思い出す。
 電車とかに乗っている間はともかく、駅から自ら歩いてそのイベント会場の会館に向かったのだが、道のちょっとした段差でも痛めた腰に衝撃として伝わって来て、その都度痛みに声出して唸った記憶がある。
 青息吐息の我は有馬ご夫妻からも心配されて、いったい何しに行ったのか、苦しく恥ずかしかった記憶しかない。その後もかなり長引いたのではないか。

 たぶんそれが前回のときで、その後は、母の介護看病にかなり体力は奪われ心身疲弊したが、不思議にその間は腰痛、ギックリ腰などは今まで起こらないでいた。
 我としては、入手した古書の導引術という、中国伝来のヨガのような健康指南本を読んで、このところある程度は整体的な基礎体操、運動はやっていたので、もうギックリ腰は過去のものと考えていた。そう、もう自分には起こらないだろう、大丈夫だと。
 今、まずもって考えが甘かったことに恥じ入る。何であれ過信してはならなかったのだ。

 では、原因は何かと考えたとき、きっかけはまさに起こるべくしての不注意な体勢がいけなかった。中腰の不安定な状態で、無理して何かしようと力入れて腰に負担かけたことに尽きる。
 が、それ以外にも、季節の変わり目であったとか、涼しくなってきてやや風邪気味のようで体調も良くなかったということもある。
 またさらにそこに、今回は悪化させる要因も重なってしまった。

 ウチの近所、町内に、Oさんという犬猫好きの老婦人がいて、いろいろお世話になり、母の生きていた頃から親しくお付き合いしていた。
 一昨日の朝、その家の前を犬の散歩で通ったとき、溜まった本を引き取ってもらいたいから、段ボール箱を二つ持ってきてくれと声かけられ頼まれた。その話は前から伺っていたことだった。
 そして近くのスーパーから、梨の入っていた箱を二つ貰ってきて、O さんのところに置いてきた。夕方、またその家の前を通ったら、その箱二つに、本が詰められて軒下に出してあった。しかし、我はギックリ腰を起こした後のことである。

 今回のギックリ腰、やっちまったと思ったものの、その「導引術」で、痛みは残るものの、何とか普通に歩けるまで戻せていた。午後からはいったん仮眠とって横になり、体を休めたらだいぶ楽になっていた。
 で、そのOさんから引き取る古本の箱を見て、どうしたものかと考え迷った。腰の調子が悪いので、後にしてくれと言っても、既にもう庭先、軒下に出してあるし、いつまた雨が降るかわからない。それに明日は、国立へ行く用事もある。後回しにすると向うもヤキモキするだろうしいつまでもそのままにしておけない。隣近所の付き合いだからこそできるだけ早く用事は済ませるに越したことはない。

 腰の具合もありどうすべきかかなり迷いはしたが、梨の箱二つだけだから、自転車の荷台に載せれば何とかなるだろうと考えて、夕方、陽のあるうちに引き取りに行った。
 が、これがいけなかった。予想以上に本はしっかり詰め込まれたくさん入っていて、とても持ち上げられない。腰を痛めてなければ、重量挙げの要領で、まず屈んで両手でぐんと持ち上げて腰高にまでして運ぶのはさほど大変ではなかっただろう。
 が、その腰が痛くて痛くて力が入らず、とても持ち上げられない。仕方なく引きずって縁側のところまで持ってきて、テコの要領で、まず片側上げて、縁側の縁に片側乗せて持ち上げてそれでようやく抱え上げることができた。
 しかし、腰に力は全く入らず、激痛を覚えながら何とか自転車まで運び出し必死の力で荷台へ持ち上げて冷汗ならぬ脂汗流した。そして引いてウチの庭まで持ってきて、庭先の縁台の上に下ろして、もう一個の箱を取りに行った。
 二個目は一個目よりは少しだけ軽かったが、それでも運び出すのはまさに激痛を堪えて難行苦行の感があった。
 それまでは、腰の痛みは左側の後ろ側、尾てい骨の上だけで、片側だけだったのが、この梨箱の持ち上げ、運び出しで、腰の両側に広がってしまった。そしてそれから、しばらく横になって体を休めたものの、痛みは激しくまさに自力では立ち上がれぬほどにまで悪化して苦痛のあまり声上げて唸る程だった。
 
 その時点でようやく、もしかすると明日はこれでは出かけられないかもという気になった。ただ一晩寝れば収まるかとおもい、サロンパスのような冷やして熱をとるシップ薬を熱もって熱くなってる腰の後ろ側に何枚も貼った。
 しかし一夜明けても状況は改善されず、自力で立って歩くのもままならぬ。Oさんの古本を昨日の夕方運ばなければ、ここまで悪化しなかったと悔やんだが、まさに後の祭りであった。

 気になっていたイベントは、我が行かなくとも無事盛況に終わったようで何よりであった。せっかくの記念すべきその場に立ち会えず、何のお役にも立てなかったことは今も深く悔やまれるが、それもこれもいたしかたない。
 ギックリ腰がこのタイミングで起こり、さらにOさんから古本の引き取りも重なったのも偶然ではあるが、何かそこに人智の及ばぬ意味があるのかもしれない。
 無理押して行けばそれはそれで何とかなったのかもしれないが、またさらに悪化したことも考えられるし、やはりこれは今回は控えておけというメッセージなのだと思うべきかもしれない。
 
 60代が本格的に始まって数日もしないうちのギックリ腰という警告は、過信と無理はするなということは当然のこと、我に、何よりまず「健康」ということについて深く考えさせられるきっかけとなった。
 我は、このところ生か死かということは考えて、我は長生きできるか、逆に誰かのように意外に早く急死してしまうかということだけに思いを走らせていた。
 しかし、それよりももっと可能性が高いのは、こうして不測の病や不慮の事故などで、寝たきりとなることで、、即、死にはしないものの、半身不随になったり病の床に縛られるという事態であった。それは脳梗塞や心筋梗塞であり、病そのものは癒えてももう健常な生活は出来なくなるかもしれない。
 今までは一度も真に病気らしい病はしたこともなく、ケガも含めて入院したことなど一度もない我であったが、おそらくそのままで老年期を元気無事で過ごせるとは限らないのだとはたと思い至った。

 癌とかで、あっという間に死んでしまうのも辛いと思うが、それよりも一度倒れて、半身不随のまま一人では自由に何もできなくなって何年何十年も生かされる可能性もある。
 むろんあの偉大な子規居士のように、病の床に臥してもなお芸術活動、その表現を死ぬまで続けた人もいるだろうが、我にはその介護してくれる家族もいないのである。

 ならばこそ、できるだけ誰にも面倒かけぬよう、一人で生き一人でしっかり死ぬためにも、面倒な事態に至らぬよう常に自ら注意し自戒し覚悟を決めねばなるまい。
 恥ずかしい話、どうせ死ぬのだから死ねばオシマイだと高括ってもいた。が、すぐには死なずに身動きとれぬまま自らも周りも苦しみ苦労する状況だって多々有り得るのである。

 人は自死はともかく、死に方もその時も選べない。ならばこそ、我のような孤独な者こそ、とことん自己管理に徹せねばならないのではないか。むろんそのうえで、後は神のはからいに任せるだけだが。
 愚かな我にはそんなふうなメッセージしかまだ受け取れない。