人の死期は天の定めか、巡り合わせか、それとも・・・2018年09月12日 22時00分50秒

★自己責任とか、自業自得なのか

 幼なじみが急死した。あれこれ心奪われ心乱されてこの二日、どうにもブログも書けなかった。
 一昨日の月曜の夕刻時のことだ。雨がしとしと降っていた。
 我は、近くのヨーカ堂へ、歩いて買い物に行き、その帰り道、大通りから救急車と消防車が、我家のある路地に入っていくのを見かけた。
 どこで停まるかと慌てて後を追って見ていたら、ちょうどウチの方へと曲がっていく。
 ちょうどその日は、父が在宅の日で、もしかしたら父が自ら110番か119番に通報したか、火事でも起こしたのかと我は驚き走って家へ向かった。
 そしたらば、救急車から降りた救急隊員たちは、ウチではなく隣家へ入っていたらしく、外に車のついた担架が出されたまま車の中には誰もいない。辺りは救急車の赤い非常灯が激しく点滅している。

 我が家へ戻り、父に声かけたら、彼はのんびりテレビを見ていて何事もなかったことがわかった。
 救急車は、隣家の息子、我とは幼馴染である、彼のところに駆けつけたのであった、歳は、我とは何歳か離れていたが、大昔、小学生の頃は近所の同世代の子たち共々日々親しく遊んだ仲である。
 ただ、長ずるにつれ、学年も違えば当然のこと疎遠になり、高校や大学はどこへ行ったか知らないし、大人になればお互い顔合わせても目礼で挨拶程度はしても口もきかない関係になっていた。
 要するに単なるご近所さんであり、我はこの家の息子で、彼は隣家の息子でしかなかった。
 しかし、彼はきちんと仕事に行き、結婚もし奥さんが来て、子供も女児二人立派に育て上げた。たぶん娘さんは二人とももう二十歳前後ではなかろうか。

 その彼が、この数年、何の病気なのか、ヘンな咳を始終しているようになって、その咳する声は彼が家に居る時は常にウチにも聴こえてきて、母が生きていた頃から、我家では気になり心配していた。
 しかし、直接どうしたのかとか聞きにくいことであったし、隣家はあまりそうしたことはオープンに外には話さない雰囲気もあった。
 ただ、このところよく彼は家に居るので、仕事も休んで通院しているのかと想像したし、一度は救急車が来たこともあったので、咳の発作等で様態が悪くなったのかとも案じてはいた。
 そして一昨日雨の夕べ、救急隊がまた来たのである。6時半頃だった。我は雨の中、ときおり外に出て隣家の様子をそっと物陰から窺った。

 それから約30分以上も救急隊員は隣家から出て来ず、ようやく7時を過ぎた頃、毛布にくるまれ外に運ばれてきた彼はストレッチャーに乗せられて、隊員の心臓マッサージを受けていたが、もう意識も反応も無いようであった。
 そして救急車は走り出し、その晩は、我はお隣の様子を窺いつつ心中不安であれこれ思いよく眠れなかった。どうやら親戚の人たちも来たようで、夜遅くまで隣家は出入りがあったから、もしかしたらと最悪の事態も想像できたからだ。

 そして、翌日、昨日となったが、隣家は朝から一家で出かけたまま午前は帰らず、状況はよくわからないまま。家族の人たちが戻って来てもこちらから呼び鈴鳴らして尋ねることも憚られ、ただ待つしかなかった。幼馴染の彼が戻って来た気配はないし入院したのならそれで良しである。
 が、今朝になり、隣家のおばさん、つまり幼馴染の彼の母にあたる人が、声かけて来て、息子が亡くなったことを告げられた。詳しくは聞けなかったが、肝臓が悪く入退院を繰り返していたらしい。そして家に戻ってきていたとき、急変し救急車で運ばれ死亡が確認されたらしい。
 では、あの苦しそうな咳は、何であったのか。癌?が肺に転移していたのであろうか。

 気丈にふるまい、ほぼいつもと変わらず淡々と「お世話になりました、そちらもお身体どうか大切にしてね」と語る息子を亡くした隣家のおばさんに、我は言葉もなく、それ以上あれこれ聞けなかったが、想像するに、どうやらかねてより「末期」と告げられ家族の皆さんは予想も覚悟も既にできていたと思えた。ご遺体は葬儀場のほうに預けてあるとも。
 その後、町内会を通して紙一枚での「訃報」のお知らせが届いた。それによるとまだ57歳とあり、定年にもなっていない若さである。お子さんも手がかかる世代ではないけれど、せめてその娘さんたちを結婚まで見届けたかったのではないか。まさに心中あまりある、である。

 子供時代はともかく、大人になってからは親しく個人的に口をきいたこともない仲であったが、約半世紀、隣家という付き合いで、お隣にいつも暮らしていた彼がそんな若さで急死するとは今も信じられない。
 彼は若い時は、ロードバイクに凝り、夏など赤銅色に焼けてけっこう身体も鍛えていたはずなのである。そんな人が我よりも若くして、還暦にもならず病に倒れついに帰らぬ身となるとは。
 病とは自己の不摂生や、自己管理ができていないからだという声もある。しかし、同世代の友や、もっと年下の親しい人たちを亡くして思うのは、それは違う、と声を大にしたい。
 つまるところそれもまた天のはからい、定め、運命のようなものではないのか。あるいは、悪い巡り合わせ、「死のババ抜き」を我らはしていて、運悪く彼が今回その札を引いてしまったのか。今はただご冥福を祈るしかない。

 死は常に汝が傍らにあり、という言葉がずっと頭から離れない。
 そう、次は我、かもしれない。ならばこそ、生きている、それだけで有難く、良しとすべしなのである。