追悼*樹木希林2018年09月17日 23時44分39秒

★生き方がそのまま俳優だった稀有な人

 樹木希林さんが亡くなった。この10年癌を患い「全身に転移」と自ら告知していたが、存外お元気で、新作出演映画も続いていたので、この人だけは癌も呆れ果て死なないのではと思っていたのでショックを受けた。
 樹木希林と改名してずいぶん経つが、悠木千帆の頃より知る者として、ずいぶん長くテレビ、スクリーンの中でずっと見続けて来た人だ。
かつては、怪優、お騒がせ女優として名をはせた人であったが、近年は若い頃からの「婆さん役者」として不動の地位を築きいつしか名優として高く評価されていた。
 まだ75歳。その年齢を聞いてちょっと意外な気がする。婆さん役が長い人なのでもっと年寄りかと思ってたが、考えてみれば吉永小百合とも同世代であり、美人の代名詞の吉永小百合は母親役は演じられても老婆は出来ない人であるのに対し、美人でないがゆえに脇として老け役、癖のある役を得意として母親から老婆まで幅広く巧みに演じ、しかもそのすべてが樹木希林ならではの圧倒的存在感があった。
 個人的には、やはり『寺内貫太郎一家』での貫太郎の母親役がいちばん印象深い。かなりの老婆でありながら、当時大人気のジュリーこと沢田研二の大ファンで、ポスターを前にしては「ジュリー!!」と叫んで毎回身もだえするシーンは爆笑もので彼女の人気を決定づけた。

 そしてそのすぐ後に、話題の彼女を主人公にして、婆さん役のスピンオフ的に『ばあちゃんの星』という怪作が続編的に生まれた。
 それは若手アイドルだった頃の山田隆夫(今は「笑点」の座布団運びの人ですね)率いる「ずうとるび」の面々が共演で、ストーリーはたわいもないものでまったく記憶にないが、婆さん役者悠木千帆のファンとしては必見ものであった。
 確かその頃に娘の也哉子さんが生まれたはずで、今思うとずいぶん若いときから婆さん役をされていのだと気づく。まあ、貫太郎役の小林亜星も同様で、久世プロデューサーと向田邦子の名コンビは、ずいぶん思い切ったキャスティングでヒット作を生み出してきたのだと驚かされる。

 彼女はその後、その久世氏を突然人前の席で糾弾したり、自らの芸名を売りに出したり、夫君の内田裕也との仲が話題になったりと常にマスコミを騒がせた。一方、冨士フィルムのCMでもお茶の間の人気者となり、特異なキャラクターでありつつも人気は衰えることはなかった。
 しかし彼女は、昨今流行りの話題性のある「タレント」として茶の間に認知されることより、役者として地道に活動することに主軸を置き近年は巧みな性格俳優として、是枝監督の映画の名演をはじめ内外に高く評価される存在となっていく。
 だが、思うに、彼女は何をやっても樹木希林なのである。同じ婆さん役者の先人北林谷栄が、巧みに本人の個性は消してアンノウンの婆さんを演じ続けたのに対して、希林さんは、常に本人がそこにいる。
 しかし、映画の中では、その強い個性にも関わらずまったく違和感なく自然体でどこまで演技なのかわからないほど役を「演じて」いる。
 演技を感じさせず自然に演じられるというのは実はものすごく巧い証であり、それこそが樹木希林という役者の持ち味であり、彼女ならではの魅力であった。
 ごく稀に、全身音楽家とか、全身小説家と、評されるシンガーや作家がいる。その例に倣えば、樹木希林とは、その生き方も含めて虚実すべて一緒くたにして、全身役者であったのではないか。

 もうあれだけ癖の強い役者は、男女含めて日本にはいないのではないか。
 我はこの強くたくましくしたたかに、思い通りに生きた人と同時代に生きられた幸福を思う。こんな役者はたぶんもう出てこない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2018/09/17/8961745/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。