母の命日、三回忌を過ぎて思うことなどなど・32018年09月24日 14時38分50秒

★癌と闘うのではなく、いかに長くうまく付き合うか、だろう

 一昨日の夜、晩飯時のこと。偶然テレビをつけたらば、民放局になっていて、かの大橋巨泉が、聴き手の松岡修造を前に、自らの癌について語っているシーンに遭遇した。
 後でわかったのだが、テレ朝のインタビュー番組の特番・総集編だったらしく、まず既に近年亡くなられた人たちが、次いで今はまだ健在の話題の人たちが各自約5分程度、次々登場しては問いかけに答えていた。※我が先に記した大杉漣氏もその後に出て来て、テイラーのギターを手にハーモニカホルダーぶら下げて、渡氏ではなく加川良のうたを一さわりしみじみ披露していた。いっさい快活健康そうなのに急逝が今も信じられない。

 巨泉氏は、亡くなる一年前の映像らしく、だいぶ面やつれはしていたものの、まだかなり元気で声にも張りがあった。さほどまだ痩せてもいない。
 癌について問われて彼曰く、「癌とは闘うか死ぬかしかない」と言い張り、長年の闘病生活と、彼独自のダンディな死生観を熱く語っていた。
 そう、確かに、癌とは闘うしかないし、闘わなければ自ずと死期は早まる。しかし、それだけではないのではないか。
 思うに、大事なことは、癌を根治することも重要だが、それより癌と共にどれだけ長く、癌を抱えながら生き永らえることこそ大切なのではないのか。

 癌になろうとなるまいと、人は老いればやがて誰でも必ず死ぬ。たとえ癌を克服し完治したとして、脳卒中とか心筋梗など別な病気であっけなく死んでしまえば無意味であろう。
 ならば、治すとか闘うとか以前に、癌発症後、治療続けつつどれだけの期間生きられたかが問われるのだと我は考える。
 癌が治らずとも死なずにだらだらと長生きしている人も知っているし、そうして平均寿命まで、あるいは過ぎても生きられたのならば、楽な余生ではないとしても御の字ではないか。

 先日亡くなられた女優樹木希林さんは、60代で癌にかかり、以後全身に転移したと発表しつつ、存外元気に映画やテレビについ最近まで登場し続けて十数年も生きられた。75歳という享年は若いとも思うが、癌を患ってからもあれだれ多くの優れた作品に出続けられたのだから本望ではなくとも悔いはないかと思える。

 そしてもう一人思うは、漫画家さくらももこさんである。今年の夏、53歳という若さで亡くなられた。乳癌だったと報じられたが、芸能人ではないしプライベートなことは極力非公開を通された人なので詳細不明のため週刊誌などでは心無い「憶測」があれこれとびかった。
 中でも一部の女性週刊誌では、また愚かにも「民間療法」で犠牲に、と、昨年亡くなられたアナウンサー出身で歌舞伎役者妻の小林麻央さんを引き合いに出し、「悲劇再び」といった報道もあったようだ。
 が、我に言わせれば、この見方こそ浅薄かつ偏狭であり、詳しくはわからないが、さくらさんが、40代半ばでの癌発覚後約10年近く生きられたのだとすれば、その「民間療法」ゆえ効果があったからだと思える。
 もし、抗癌剤や放射線治療など現代医学だけに依存していたら、彼女の年齢ならばもっと早く逝ってしまっていたかと思える。

 じっさい我も大学時代の後輩の女性を、40代後半で喪っているが、その人など体調を崩し、癌だと判明後は半年も生きられなかった。
 言うまでもなく、癌は若ければ若いほど進行が速い。癌だと診断されてあっという間、数か月後に死んでしまった人が周りに何人もいる。
 一部のメディアには、現代医学を信奉し、民間療法はまったく無意味だ、効果などない、命を早く縮めるだけだという論調が今も見られる。確かに最先端の現代医学は、素晴らしい治療効果を示している。が、万能ではないし、医師や病院の言うがままに従うことが最良、最善の闘病法だとは我は今は思えない。

 俗に、歯医者は歯をすぐに抜きたがるし、外科医は何であれすぐに開けて切りたがる。内科はともかく次々薬をたくさん出したがる、と言われる。そう彼らは目に見えるもの、データなど見えることしか信じない。
 が、病気、中でも癌は、自らの細胞が特別変異を起こして癌化していくものであり、手術で取り除いたり放射線で殺したりするのが最適なのであろうか。
 現代医学を否定はしない。が、過信し医師の命ずるまま唯唯諾諾従っていると取り返しのつかない結果になることもある。
 我が最愛の母を癌で喪って今、生と死を分ける岐路はどこだったのか、どこで道を誤ったのかずっと自分に問い続けている。

 むろん時間は戻せないし、この結果全てが母の運命、天命だったのだとも思う。しかし今は担当医の言うがまま様子など見ずに、もっと積極的に代替の治療法にとりかがれば良かったと確信している。
 それで結果として母の命を早めたとしても自らの選択、イニシアチブをとって臨んだものならばまた気持ちは違ったかと思える。
 いずれにせよ、癌が再発し、肥大し始めてから母は一年も生きなかったのだ。2016年の年明けから体調崩し出し、その年の秋には衰弱して我家の特設ベッドで精根尽き果てて死んでしまったのである。

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