種まく人と、刈り入れる人と2018年10月05日 19時58分16秒

★良い種を地に倒れても撒いていく

 今年の夏から秋は、毎週のように週末になると「大型で強い台風○○号」が日本に襲来して来て、今もまた、新たな台風が日本海を北に進んでいる。
 今回は幸い我らが地方、太平洋側はそれたようで、先週のような本州縦断、本土直撃にはならないですみそうだ。

 先に、前回の台風では、ウチの被害は大したことなかったと書いたが、近所の家系ラーメン店の屋根に大きく掲げてあった看板は吹き飛ばされ落下して大破していたし、公園や街路の樹々も幹からかなり折れて倒れていたりと、後になって風台風の被害は次々と確認できた。
 拙宅も二階屋根の雨どいの一部が外れて落下していることに最近気がついた。さて、どうやって取り付けるか。修繕屋に頼むほどのことではないが、高所過ぎて一人ではできそうにない。

 さて、今は秋、新米だけでなく果樹など秋の実りの収穫の秋である。が、今年は台風が続き雨が多く天候不順と北海道の地震などで農産物は総じて品薄で何でも高い。
 このまま台風続きで、天気が安定しないで冬が来てしまえば高値が状態化し、ただでさえ苦しい我家の財政状況はさらに圧迫され野菜や果物などもはや買えなくなるので頭が痛い。世間の皆さんはどんな生活防衛をされているのだろうか。

 聖書の中では、イエスの言葉として、「収穫のときなのに、刈り入れる人、働き手が少ない」という記述が福音書の中に度々見受けられる。どのような比喩でなにを意味しているのであろうか。
 これは、彼イエスの到来によって神の国が近づいているのに、その福音を告げる者、信仰にある者が少ない、という意味だとされている。が、それとは離れて我もまたこのところ何につけそう感じることが多い。
 聖書には、よく知られるように、一粒の麦、地に落ちて死ねば、それは無意味ではないという喩えもあるし、その種が、良い場所に落ちないかぎり芽も出ずに無駄だという戒めも記されている。

 沖縄県知事選が終わって、今さらながら翁長前知事が死して撒いた種は、新基地建設反対は「沖縄の心」として現れデニー新知事誕生へと、しっかり県民の心に根付いたのだと感動の思いでいる。
 じっさいのところ、もう基地建設はありとあらゆる手段でかなり進められてしまい、現実的にはもはや不可逆的だとさえ言われているし県側にはもはや建設阻止のための有効手段はないとも報じられている。
 それでもあれだけ多くの県民が今さらながら辺野古に米軍新基地を作ること、国や政権の進め方にはっきり反対だという意思を示したことは画期的なことだと讃嘆する。
 国家権力にはどう抗っても勝てやしないという諦めの心で、多くの県民は新基地建設が進んでいくのを胸が痛む思いで見つめていたことだろう。しかし、翁長知事が死して撒いた種が再び、戦争は絶対に嫌だという平和を願い愛する「沖縄の心」に火をつけて後継者デニー知事を誕生させたのだ。

 つまるところ、世界というものは、種を撒く人がまずいて、そこからすべてが動き始まっていくのだと気づく。
 むろんその種が芽を出すか、芽を出しても無事にすくすくと成長していくかはわからない。聖書にあるように痩せた地に落ちれば芽が出たとしてもすぐに枯れて消えてしまうだろう。
 しかし、何はともあれ、まずは誰かが、たとえ一人でも種を撒く、というアクションを起こすことからなのだ。それが成長して刈り入れる人がたくさんいればなお素晴らしいが、そのことはまた先の話であり、まずは一粒の種を撒いていく。

 我にとってそれは、安倍政権をいちにちも早く倒して、改憲という彼の野望を阻止すべく、思いを共にする素晴らしい音楽仲間たちとのコンサートの企画であろう。
 どんなことでもまずは一つ一つ。芽が出るかはともかく、地道に種を撒いて行こう。いつかやがては、中川五郎氏が常に唄っているように、大きな世界を変えるのは、一人の小さな動きから、だと信じて。

 我もまた種まく人でありたいと願うし良い種を一粒でも撒いていきたいと願う。