「うた」と音楽をもう一度我が手のうちに2018年10月15日 07時27分35秒

みほこんのレコ初ライブのお知らせハガキ
★それはカッコが悪いけど。

 また今日も曇り空。今年2018年の秋は雨天曇天ばかりで秋らしいカラッと晴れた日がぜんぜん来ない。今日も何だかうすら寒い。よって野菜も不作でバカ高い。

 沖縄からながいようさんを招いてのコンサートを何とか成し終えてほっとしたわけだが、一息つけてものんびりしてはいられない。
 昨日も書いたが、今年も残り少ないので、やるべきことが目白押しである。家の内外片づけを進めていくのはもちろんのこと、冬が来る前に、その準備も山ほどある。これから秋は、拙宅は庭のイチョウやケヤキの大木の落葉騒動も待っている。
 モノゴトが山積の「山」はまたさらに高く大きくなっている。考えると焦り慌て不安にもなるが、今は一昨日の音楽効果で気分は高揚し前向きになっているのであれこれ机上で悩むより少しでも動け、ともかくやってけ、という気持ちである。
 
 さて、前回書いたこととも関係あるが、昨晩、やや疎遠気味だった友人から電話があり、今、フォークロアセンターでの古川豪さんのライブに行ってきたところだと、報告を受けた。
 素晴らしいコンサートで盛況だったとのこと。我も豪さんが来ていることはずっと気になっていたのだが、こちらのコンサートとちょうど重なってしまい、行けるのは最終の昨日しかなかった。
 が、疲れがどっと出て、フラフラで体が動かず終日寝込んでしまいとても隅田川を越えて両国までは行けなかったのだ。お客も入ったのならそれは本当に良かった。

 友人は、我のこのブログを読んで、豪さんが来ていること、両国でライブがあることを知って急遽行ったとのことで、ハガキだけでも転載しておいて良かったなあ、と思った。そう、これも我の「役割」、我のできること、すべきことの一つだったのだ。それができた。
 「うた」をまた一つ繋げられて良かったとつくづく思った。

 その「うた」であるが、先のコンサートでは、その作り手、歌い手が亡くなって今ではあまり唄われない懐かしいうたが数多く歌われた。それは永井ようさんの場合、亡き友の遺した素晴らしいうただから、追悼の気持ちも込めて歌い継いでいるわけだが、人は死んでも、うたは歌われている限りいつまでも現役で、今を生きている、と気づかされた。
 しかし、その今歌っている方も亡くなればまた「うた」は歌われなくなってしまうわけで、できれば多くのシンガーが、それこそより若手の人たちがそうした旧い、昔のうたを聴き知って、後世に唄い継いでもらいたいと心から願う。
 そうした「うた」の場、うたの機会を作っていくことも我の使命、課題だと考えるが、我マスダにも我が知る、昔聴いたり人から教わった懐かしい歌、良いうたがいくつもある。
 そうしたうたを、今の人たちにぜひ歌ってもらいたいと願うわけだが、人様にこれこれを是非唄ってくださいと頼むことも強いることもじっさい難しい。うたとは、強制されることではなく自発的意思がまず大事なはずだから。

 以前、マスダは、詩人有馬敲氏の「広島のクスノキ」という詩に、我自ら曲をつけたものを、みほこんに歌わさせようと「カクサク」したのだが、彼女から、「うたとは作った人がまず唄うべきです!」と一喝されて、仕方なく拙いながら有馬さんを招いたコンサートで唄う羽目になったことがある。※この曲は幸いその後も彼女は気に入って頂けたものか、度々コンサートでも唄ってくれて彼女の新作CDにも収録されている。ぜひご一聴を。
 けっきょく、それをきっかけに、まさに彼女に手を引かれるようにして、今でも「共謀」コンサートのオープニングにはちょこっとだけギター下げて歌わせてもらったり、他に参加者がいないので一人楽団「ぶらいあんず」をやっている。
 つまるところ、確かに歌とはまず自分で唄うべきなのであった。唄いたいうた、後の世に残したいうたがあるのならば。他者に頼んだり請いて唄ってもらうのはセンエツであったのだ。
 しかし、ではそのうたが良い歌だとして、我自ら唄うならば、それをきちんとしっかり唄うべき技能がなくてはならないではないか。才能はともかくも。ご存知のように我はギターもうたも当然ながら下手くそで、今でもトチリまくりで情けない限りだ。
 しかしそれでは、作った歌い手を亡くしたうたたちを、後世にしっかり唄い継げやしない。考えてみれば、中学生の頃から音楽、つまりフォークソングは聴いてフォークギターを手にしてきたが、今まで一度もきちんと学んだこともしっかり練習した事もなかった。

 大昔、高校時代、福生駅北口にあったフォークビレッジという店で、そこのマスターからほんの少し手ほどきされたぐらいしか人に教わったことはない。後は独学というか、まさに見よう見まねで、テキトーに弾いていた。前に館野公一さんからだったか、「マスダは手癖で弾いている」とご指摘受けたことがあったと記憶するが、まさにただやみくもに自己流にやってきた。
 だからピックも使えないし、ストロークやカッティングという基本的技術もできないし知らない。リズム感もないしテンポも安定しない。
 だが、それではダメなのである。そんな拙い素人演奏では誰も聴いてくれやしない。喉から出る「うた」も同様、そろそろ本腰入れてしっかり学び練習しないと、埋もれたうたたちを正しくきちんと後世に唄い継げやしないではないか。(焦)

 一昨日のコンサートでもそのことを痛感した。我の思いを実現するためには、やはりそれなりの基本的テクニックができていないとダメだと。
 今さら時間的に、人について学ぶとか、音楽教室に通うことは難しいと思うが、幸い我の商売柄、ギターの教本はいくらでも持っている。
 今までそれは売るためだったが、手元にあるならばまず自分でそれを開き、基本的なことをきちんと一度おさらい的に勉強しようと考えた。いくら下手くそでもそうして練習続けていけば、今よりはもう少し上手くなって、人様に安心して聴いてもらえるようになるのではないか。

 というわけで、いつになるかはわからないが、しっかり練習してから我マスダは我が知る、作り手、歌い手が亡くなって歌われなくなってしまった、懐かしいうた、名曲を唄うコンサートを開きたいと夢想している。そうした歌はざっと数えても10曲近くある。それに我のオリジナルも含めて、人生初のコンサートが開けたらどんなにいいだろう。※例を挙げれば、若林純夫の「雪の月光写真師」、栗原清(清志郎)の「あのうたが思い出せない」etc.
 むろんお金なんかとれないしとる気もない。来て頂いた方にはこちらから足代を払いたいぐらいだ。※コンサートのタイトルも決まっている、語り歌ならぬ「ヘタり歌の継承」である。

 願わくばそれは何年も先の話の「いつか」ではなく、できれば 来年内には、と考えている。場所は拙宅無頼庵でもいいしぼけまるさんにお願いしてかけこみ亭でも。
 ともかく一人でも観客が来てくれれば開催するし有難いと思う。
 勝手ながらそのときのゲストまで決めている。アポはまだとっていないが、うたの親友藤しんいちろうと太田三造さんだ。二人のうち一人でも来てくれればと願っている。
 ああ、またワクワクするようなことを考えついた。楽しい目標がある限り人生はまだ続いていく。

コメント

_ はれ西島です。 ― 2018/10/15 21時23分40秒

今晩は。はれです。
久しぶりにブログを拝見しました。
大分元気になられたご様子で、安心しております。
第5回「共謀コンサート」開催されたんですね。
もっと早くkのブログを見ていれば、行けたのにと悔やんでおります。 体に気を付けて、ご活躍ください。
それでは、本当に良かった! ウレシイデス。

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