まだ生きているならば、取り戻せる、元にもどせると信じて2018年11月04日 07時34分52秒

★混沌、混乱、混迷の人生とオサラバだ

 11月に入った。ちょっと風邪気味に腰痛と体調も悪いところに、父が在宅でトラブル続きで、気も萎えてすべてが嫌になってブログすら更新できなかった。
 今年も残すはあと二か月足らず。近況と思うところを記しておきたい。

 人はそれぞれ皆、自分の世界というものを持っている。抽象的なそれではなく、生活も含めた身辺のこと、自らの持ち物や関われる範囲のことを指している。 
 我、マス坊は、ご存知のように、個人的にも膨大な「物」を持っていて、そのオーディオ機材、その他、昔のカセットテープ、DVDなども含め世の人々が知ったら驚嘆し卒倒するほどの分量を自宅だけでなく山梨の倉庫などあちこちにも抱えている。
 そしてさらにそこに、物ではない、生き物も抱えていて、まず最大は、ニンゲンである「父」であり、その他、犬猫たちも何匹も我が世話しなければならない。そう、食餌から下の世話まで。
 つまるところそうした全てが我の「生活」であり、それに多少の金を得るための手段として、ネット上での古本稼業もある。これが我の今の「世界」である。

 以前、母が元気でまだ生きていた頃は、父も今ほど呆けて衰弱していなかったし、炊事や掃除などの日常的家事、ときに犬の散歩などでも、近場ならば父母に頼むことすらできたので、我は、基本的に我が「物」だけに、趣味も含めてそれに関連したことに向き合えば良かった。
 洗濯などは洗うのは我がしても干したり取り込むのは母が、料理も後片付けは母がしてくれていたので、モノゴトの分担はできていたのだった。だからとても楽だった。
 今から思うと、母が全ての「後片づけ」をしてくれていたわけで、税金など我家の様々な支払いなどの金銭管理も母に任せきりで、恥ずかしい話、それが当たり前だと思っていた。
 
 そしてその母が死に2年が過ぎて、先に記したように、我家のことは全て、94歳の父の世話も含め何もかも我が担当することになった。そして我家は破綻した。
 元より多動性障害気味の、今手元にあったものでもすぐに紛失して探しまくる人間が、日常生活から膨大な物から何もかも一人で管理し処理することはできなかったのである。
 何事もきちんとできないから税金や支払いの督促はひっきりなしとなり家の内も外もゴミが溜まり、物は溜まる一方でけんあんのことも何一つ片づかず我が人生、その世界はすべて行き詰ってしまった。
 すべてモノがあり過ぎるのがいけないのである。非力な独り者一人では、全てを管理掌握することは不可能だったのだ。恥ずかしく情けない話だが、その「現実」をまず認めないとならない。

 そして、今、還暦後の新しい年周りに、何とか立ち直したい、やり直したいと思い新たに再スタートを切ろうと「奮闘中」であるわけだが、相変わらず「人生を取り戻す」どころか、収拾つかず精神的混乱のあまり、このところ金銭の紛失が続いて、自分でも情けなくとうとう「発狂」してしまったかと不安になった。※先に山梨へ固定資産税支払いに行ったときの残金を入れた封筒をまずどこかに落としたかして失くしてしまった。それは二万円弱。また、さらに昨日は別件で一万円。
 ただ現金であり、諸々のカードが詰まった財布や失くすと取り返しのつかない物ではないので、それも想定外の「出費」「必要経費」として考えて受け容れていけば良いわけで、こぼしたミルクは戻らない、覆水盆に返らずと考えるしかない。
 父も我も体調はよくないが幸いまだ生きているわけで、動物たちも含めまだ今年は我家の者は誰も死んでいない。
 ならば、もう一度、ここから、やり直せる、今から全てをきちんと管理して、取り戻せる、元に戻せると願い信じてやっていくしかない。

 混乱と混沌、そしてそれがもたらす混迷の人生。モノがそもそもありすぎるのが原因なのだが、今さらそれをどう処分するかとか根本原因解決には取り掛かる時間もない。ともかくまず今を、この我が世界、人生を少しでも一つでもきちんとさせていくしかない。

 我の中の迂闊さと愚かさは、親譲りの生来のもので、そこに不安神経症も加わり、だらしのないキチンと出来ない人間が欲望のまま手を広げモノゴトを増やすということを続けて来た。
 そして今、そのすべてが破綻して、悩みもがき苦しんでいるわけだが、それもこれも我が人生の考えの甘さであり、母に依存してきたツケなのだ。

 今朝がた見た夢の中でも何か人がたくさん来るトークイベントに我は関わっていて、自分は壇上にいないのだけれど、関係者的立場でそれを眺めていた。
 そして休憩時間に、自分が編集して持参したDVDを、出演者の誰かに渡そうと、受付の物販の置いてあるテーブルの上辺りにポンと何気なく置いた。で、少ししてそれを取りに戻ったら、誰かに持っていかれたのか、無いのである。
 慌てて夢の中でも、そんな人が出入りするところに何で置いたのか、と自問しつつ慌てて必死に探しまくっていた。
 目覚めて、これは夢の話だと気づきほっとしたが、バカである。夢の中でもうっかり失くし物をして探し回っている。ほんとうに救いがたい。

 もうともかくこれ以上モノは増やさず、いま在るものをすべて管理して少しでもきちんとしていこう。本当に取り返しのつかないことが起きる前に、我が死が訪れる前に。少しでもほんの一つづつでも。
 失くしもの、探し物人生とはオサラバしたい。漱石の俳句、『菫ほどな小さき人に生まれたし』 のように、小さき人にと、我もなりたいと今心から願う。

立冬過ぎた雨の朝に2018年11月09日 09時17分23秒

★ブログここから再開していく

 また雨の朝である。このところともかく忙しくて睡眠不足は毎度のことながら雑事に疲れ果て腰据えてパソコンに向かうことすらできなかった。
 今ようやく久しぶりに落ち着いた心でパソコンに向かっている。父も一昨日からロングでお泊りさせたので、来週の半ばまで不在である。手のかかる老犬は今は静かに眠ってくれている。
 家の内外、どこもかしこも足の踏み場もないのは相変わらずだが、ようやくそれを片付けるため、その取り組み始める時間ができた、緒についたという段階にたどり着いたということだ。始めてもないがやっとほっと一息つけた。
 ブログすら書けなかったのは父と老犬、さらに成長し巨大化した二匹の子猫たちの世話にあけくれていたからだ。
 まずそのことをできるだけ報告しておく。もっと書きたいことや書くべきことは多々あるが、まず「状況」から記さないと次に移れない。

 父は今月頭、1日木曜の夕方にいったんショートステイから戻って来た。その晩は、しっかり夕食も食べさせ録りためてからおいた歌番組を見せて、寝かせるまでの時間、我は二階で自分の仕事をしていた。
 と、そろそろ録画した番組も終わる時刻だと下に降りたら、何故か電気が煌々とついていて玄関の引き戸は全開に開け放してある。
 居間へ行ったらテレビも付けっ放しで父の姿がない。そして子猫たちもいない。何が起こったのか。慌てて外に出たら、父は玄関先の真っ暗な庭に尻もちついて老犬を抱き抱えて唸っている。犬は啼いて騒いでいる。
 動けない身体を抱き起こして家に入れて話を聞くと、外で犬が吠えていたので、家の中に入れようとして外に出たと言う。そして転んだのか倒れてその場から動けなくなったのだ。

  その老犬、トラさんは、前にも書いたけれどこのところ呆けがひどくなって起きているときは糞便のとき以外でも始終吠えてハアハア荒い息をはき興奮して騒いでいる。家にいるときはろくに歩けもしないのに外に出たがり、外に出してかなりの距離を首輪を引っぱるようにして散歩した後でも、家の中に入れるとまた騒ぎ出すことを繰り返している。
 そしてようやく本当に連れ果てると静かになって深い眠りに落ちる。このところそれがひっきりなしで、昼夜問わず、その都度外に出したらしたが、深夜だと夏の間はともかく今は寒くて耐え難くなった。

 散々歩いたからこれでやっと眠ったかとこちらも安心して床にはいると、一時間半ぐらいしてまた騒ぎ出し、ずっと吠え続けてる。こちらも眠いし寒いし疲れ果てて、もう散歩させて用便済ませたのだからと啼くにまかせておくと、二時間でも延々吠え続けている。老いてもスゴイ体力だと感心してしまう。
 では、外に出して犬小屋に繋いでおけば静かになるかと言えば、また同様に吠え続けて狼のような遠吠えすら発するので、隣近所から苦情が出てしまい寝静まった深夜早朝は外に出しておけない。
 そんなで、仕方なくほぼ終日トラさんは室内に入れて、いつ失禁してもいいようペットシーツを敷き詰めた上にマットを置いてその上で寝かせている。
 夜中、あまりに騒ぐので、このところは首輪外して外で勝手に出歩かせもさせている。深夜は拙宅前の道はほとんど車など通らないのと、そもそもろくに歩けないからこの町内数十メートルしか徘徊できやしない。こちらも寒くてお付き合いできやしない。そうして少ししてから時間みて捜索し、ごく近所二、三軒先の家の前でフラフラよたよた歩いているのを見つけ確保するわけだが、先日はどこにも姿がない。
 深夜でも車が通る大通りまで行ったかと焦ったが、何のことはない他所の家の庭の中に入り込み、奥まった塀にぶつかり身動きとれなくなりもがいてヒイヒイ啼いていてすぐみつかった。
 動物病院の医師の診断でも、これは呆けから来る徘徊症状で、ニンゲン同様、高齢犬にはよく起こる症状なのである。夜啼き、遠吠え、そして徘徊など、治療法はもはやなく家族はその対応に頭痛める。

 ウチもこれまで数限りなく犬猫を飼ってきてその最期を見届けたが、こんな風に呆けて手のかかる犬は初めてであった。それも子供の時から飼って若く元気な頃に共に楽しい時間を過ごした可愛い思い出ある犬ならばともかく、迂闊にも考えなしに山梨で保健所行きのところを哀れに思い引き取った最初から高齢犬なのであった。
 今も飼い主に甘えるそぶりもほとんど示さないし何につけ反応が鈍く愛想なくまったく示さない可愛げのない犬である。それが呆けて騒ぎ続ける。いったい何でこんなに手がかかる犬を我は面倒みねばならないのか!
 何度も何度も外に出しては何度も散歩してもまた家に入れると騒ぐので、我も睡眠不足が続き疲れ果て、もう保健所に連れて行こうかと考えもした。が、やはりこれも我の毎度のこと考えなしの行動結果であり、トラさんも悪意でやっていることではなく、人同様老いて痴呆症の結果なのだから、これも受け容れるしかないと覚悟した。
 何の見返りもないし金ばかりかかるが、やはり最後までウチに来たからには面倒見ないとならないのである。そう、そういう「縁」ならば仕方ないではないか。

 長くなったが、というわけで、その晩も夜になって父がテレビを見ている間もトラさんは吠えて騒いでいた。で、仕方なくまだ夜もさほど遅い時間ではなかったので、我はいったん軽い散歩させてから老犬は外の小屋に繋いでおいたのだ。
 そしたらば、テレビを見てたはずの父は鳴き声を聞きつけて、勝手にも外に出、その犬を家の中に入れようとアクション起こしてしまったのである。そのことを後で、何でそんな勝手なことを夜するのか、ろくに歩けもしない人間が!と咎めたら、父は「何だ、お前は家に居たのか、出かけていないのかと思った」とのことで、父も犬も呆けた者同士を置いて寸時でも目を離した我が迂闊であった。
 そして、父とトラさんを家の中に入れたが、子猫たちは父が玄関を開け放しにしていたため「脱走」してしまい捜索したが確保にかなり苦労した。

 もういったい何をやっているのか!!

※長くなったのでもう一回続きを書きます。

前回の追記2018年11月09日 13時32分43秒

今年生まれた二匹の子猫、モフモフとジュニア
★父を送り出しても気休まらず。

 父が玄関戸を開け放して外に出たため、脱走してしまった子猫たちは、そのときは母猫も一緒だったのでわりとすぐ確保・収容できた。
 庭先に停めてあるウチの車の下周辺をちょろちょろしていたので、猫じゃらしでおびき寄せて毛の長い方はすぐに、もう一匹は捕まえるのにやや苦労したが、戸を少し開け放して中で猫じゃらし振っていたら自分で入って来た。
 実はその後も、また もう一回、父が絡んで子猫たちが脱走する事件があり、そのときは、やはり一匹だけどうしても捕まらずもう諦めかけたが、かなり時間たってから開けておいた猫ドアから自分で無事帰宅した。

 ほんとうは、子猫たちもそろそろ放し飼いとしたいのである。ウチは従来常に猫は内外放し飼いで、台所の猫ドアから出入り自由としていた。だから世話かかるのは犬だけであった。いや、犬も常に外飼いだったから猫は餌だけ与えてやれば良く、犬も餌と朝夕の散歩だけで事足りていた。だから数は多くてもほとんど手はかからなかった。
 今回、昨年に引き続き子猫が生まれても、同様にすれば良かったわけだが、先にお知らせしたように昨年の子猫二匹は、生後四か月ほどで、二匹とも忽然と「失踪」してしまい、母猫も探しまくっていたが、行方不明のままなのである。
 ブログなどで画像載せたことがいけなかったのか、おそらく猫マニアのような者にさらわれたとしか考えようがない。でないと二匹一緒に消えてしまう理由が思いつかない。
 猫ドアから出入り自由にして飼っていると可愛い子猫にはそうした「危険」はあると思い知ったし、それともう一つ今回の子猫は二匹とも黒猫だが一匹は早々に貰い手がついて飼い主が決まっていたから外に出すわけにはいかなかったのだ。
 先だってパートナーを亡くされた旧知の映画評論家のところへ行くのは、「モフモフ」と名付けられた毛の長いほうで、雌でも性格も穏やかで飼いやすいかと思う。ともかく毛が長くもふもふしていて、黒いチンチラみたいで、猫マニアにみつかれば高く取引されてしまうことは間違いない。
 なので常に外に出さないよう、逃げ出さないよう我は細心の注意を払っているのに、呆けた父は、猫好きのくせに玄関戸をすぐ開け放したりするので、これまで何度も脱走させてしまい、その都度大いに苦労して探しまくり何とかこれまで確保、収監できている。

 が、もう生まれて半年過ぎた頃で、親猫と同等かそれ以上に成長してしまい、外に出たくて戸が開くと常時逃げ出そうと隙を伺っているのでこちらは外に出さないよう常に気が休まらない。
 早く引き取ってくれと、その女性評論家に要請しているのだが、何だかんだ忙しいそうで、なかなか受け入れの体制も整わないとのことで、その引き渡しのタイミングが合わない。またいつ失踪させてしまうか今も気が気でない。
 我としてはその長毛の子猫が貰われていったら、猫ドアは全開にして元の開放路線に戻そうと決めている。もう一匹のは残るはわけだが、そいつはモフモフより、慎重で賢いので迂闊に誰かに捕まることはないと思う。

 じっさい、犬も猫もどうでも良いのである。我の人生に付随しているものではあるが、人生の目的ではないしそれが全てではない。我が父のことすら同様であり、人生そのものの周辺にあるものでしかない。
 が、今はそれに囚われ時間と体力、さらに金も奪われて疲れ果て身動き取れない状態になっているのが情けない。
 自分の人生、まだやるべきこととやらねばならないことが山ほどある。しかもそれは溜まり続けている。その時間と気力体力が彼らに奪われ月日だけは確実に過ぎていく。彼らの世話だけに追われて何もできやしない。
 今回もついうっかり目を離していたら、老犬だけでなく父も徘徊して勝手に外に出、庭先で転倒し猫たちも危うく失踪するところであった。父が家にいる日は、留守番させるとき外から鍵かけて勝手に出られないようにしておくだけでなく、在宅時は内側からも外に出ないよう常時鍵かけておかねばと誓い直した。
 そんなで繰り返しになるが、父が家にいればまったく気が休まらないし常に目が離せず我は自分のことは何一つできやしない。

 けっきょく、1日の夜、そうしたトラブルがあり、そのひと騒動で父はまた顔面を負傷してしまい、微熱もあったのでその週末のショートステイはお休みする羽目となった。で、金土日月と四日間家にずっといて、我のストレスは溜まるに溜まって、ようやく6日の火曜日の朝、ややロングで介護施設へお泊りに行ってくれたのだ。が、送り出して安堵したのも束の間、ケアマネージャーからすぐに電話がかかり、父は施設で体調悪いようなので、これから医者に連れていくから保険証とお薬手帳を持ってきてくれと言う。
 出かけの朝は体調もよく朝食もしっかり食べたのにおかしいなあと思いつつ雨の中、それらと診察代を工面して介護施設に出向いて小部屋で父に会った。
 存外異変などは何も無く、要するに顔のケガとかが心配で、「虐待の疑い」有として、医師の診断を仰ごうと施設側とケアマネージャーが動いたらしい。心配なら我が病院に連れていくと言ってもとりあわない。こちらとしても憤るところがあったがそれはともかく。
 その診断結果は幸い予想した通り大したことはなくかった。こちらはやきもきして連絡を待っていたが、勝手に騒いだくせに向うからは報告の電話など夕方になってもないのでこちらから電話した次第で、ますます不信感を抱いたがそれもともかく。

 人生は自分のことだけでも面倒で思い通りにならず苛立つものであるのに、その「周辺」のことだけでまず手いっぱいで気と時間奪われてなかなか本丸に進めない。
 このところトラさんに夜睡眠不足と、父がこんな状態になってから、一日二食食べられるかどうかという食生活が続いていたので、また痩せてしまって以前履いていたズボンが緩くブカブカになって困っている。
 父がいる時は、食事をつくり食べさせるのに付き切りで、この二年座って食べた記憶がない。朝は朝でコーヒーだけで、後は、適当に菓子パンなど合間合間につまむ程度で、何とか落ち着いて夜一食しっかり食べられるかどうかだ。※その間もほぼひっきりなしに缶ビールの類、アルコール類は飲み続けている。ストレスを緩和するのはアルコールで酩酊状態にしておくしかない。
 それだって、今回のように何かひと騒動起こると食べる時間などなく、父をまず寝かしつけてからと思っても、父の排便処理などした後だと食欲もなくなって、疲れ果てたところにトラさんが寝静まっていれば合わせてすぐに床に入ってしまう。
 そんなこんなでブログすら落ち着いてゆっくり書けないでいた。

 自堕落である。夕方になると喉が渇き身体はアルコールを求めている。履けるズボンがない。これは緩慢な自殺に向かっているかもしれない。
 今、父を本格的に介護施設に入れる方向で、話が進んでいる。当人はあくまでもまだ抗っているが、このままだとだぶん息子の方が先に死ぬかもしれない。
 トラさんがいなくなれば、睡眠不足は解消されるかと思うが、頭が呆けただけで今も食欲はあり、体重もあまり変わらないからまだこの先とうぶん生きるのではないか。じっさい二十キロ近くある犬を持ち上げ抱えて運ぶのも腰痛の一因なのである。

 人にはその背に背負いきれない荷は負わせることはないとされているが、今のまま一人でどこまでその荷を負いきれるか、このところ不安になってきている。まずは子猫問題から片づけて猫ドア解放からだけれど。
 何事にも囚われず怖れずもっととことん自由に生きたいと願えどもそれがかなうときなど我に来るのであろうか。できることはただ祈り願い信ずることだけだけど。

★追記の追記。
 その老犬トラさんの夜啼きがあまりにひどいので、このままでは不眠とストレスでどうかなってしまうと、先日かかりつけの動物病院に連れて行った。やはり思った通り犬の認知症症状であり、精神安定のための犬用漢方薬を10日分出してもらった。
 それが効いたかどうかは何とも言えない感じだが、このところやや夜間の眠っている時間は長くなり、マス坊は夜は少しまとまって長く、起こされず眠れるようにはなってきた。
 が、その分、犬は排尿が我慢できないようで、鳴きだした声で起こされて慌てて下に降りると、既にマット上に失禁していたり、勝手に廊下まで這い出て、床の上で粗相して全身小便まみれになって騒いでいたりとそれもまた面倒な状況は続いている。
 薬は保険がきかないので、二種類の錠剤を朝晩一粒づつ、計四錠飲ませるのだが、一粒が150円で、一日で600円!いちおう10日分出してもらったのが今晩で無くなるので、どうしたものかと思案している。
 起きだして吠え出すと騒ぎが続くのは相変わらずだし、果たしてどれほど効果があるか、コストパフォーマンスとの兼ね合いであろう。

いま理性と感情を取り戻して思う2018年11月10日 20時40分28秒

★残り少ない「平成」に誓う

 というわけで、心身疲弊しストレスが溜まりに溜まって、呆けて頭がおかしくなった父を殺して我も自殺してこの家に火をつけて全てを終わらせようとも考えたが、未遂に終わった。
 昨日、前回も書いたが、今ようやく心が戻って、落ち着いた心持になったというわけだ。
 そう、何事も忍耐と寛容、なのであった。愛す、憐れむ、慈しむ、そして受け容れていくことだった。
 今もこの病的性格ゆえ、常に探し物、失くしもので焦り慌て苛立ち、ときにパニックになったり他人様にまでご迷惑おかけするかもしれないが、もうそれこそが、自分の個性、我そのものなのだと覚悟のうえで肯定してやっていくしかない。
 ダメで元々という言葉がある。が、自分の場合は、ダメは元々、なのである。そのダメさときちんと向き合い、その上で、少しでも良くなるよう、ダメから脱却できるよう慎重にやっていく、努力していくしかない。
 そしてそれはできると信ずるし、さすれば少しは今より、今までよりは良くなっていくことだろう。まだまだ人生は続くと信じたい。

 やるべきことはいっぱいある。「やりたい」ことと、「やるべき」ことは、以前は違っていたけれど、今は、その差がしだいに縮まって、気がつけば、やりたいことはやるべきこととほぼ同様になってきた。
 ただ、様々な諸事情と非力かつ無能さゆえ、なかなかそれが果たせず、抱えているものも多すぎて、何とか一日に一つでも、ほんの少しでもできるかどうかという日々である。
 そして今年も残り少なくなり、この「平成」も間もなく終わってしまう。
思えば、我が人生は、実質この30年間しか生きていなかった。パソコンを導入してインターネットの世界に分け入り、ネット古書店を始めたことと、「フォークソング」というものと再会して、その道、その畑の人たちと再び音楽活動を始めたのもこの30年間のことだった。
 その前にも生まれた時からの30年間は確かに存在しているのだけれど、今思えば、その期間は、助走期間というか、学生時代の延長そのままで、まだ子供時代のまま、恥ずかしい話だが、社会人として社会に出ていなかったのだ。
 その頃流行りの言葉でいうところの「モラトリアム人間」として、何一つ自ら責任は負わず果たさず、ただ好き勝手に遊びまくっていたのであった。

 そして曲がりなりにもネット上でも「商売」を始め、ほぼ並行していつしか「音楽」の活動にも関わるようになって、この平成の30年間はちょうど終わりの節目を迎える。
 ある意味、母を喪くし「親」という家族の束縛から離れたところで、30年+30年が過ぎ、我にとっても新たな次世紀が始まる。父の歳まで生きられればそれがまた30年は在るということなのだろうが、それだけは期待も予測もできないことだ。
 今までは、その日が終わってもまた「明日こそ」と誓い、何であれ先送り、後回しにしてきた。が、今はわかる。明日なんて来るかわからない。
あるのは、「今」だけ、朝起きた時の「今日一日」だけであり、ともかく今できること=すべきことを、一つでもやっていくしかない。
 手のかかる父が家に居るから、トラさんが騒いで眠れなかったとか、言い訳はいくらでもできる。しかし、それはそれとして、そうした難状況の中でもほんの少しでもできることはある。
 困難はいつだって起こる。今度暇になったらとか、余裕出来たらやろう、なんていつも言い訳して怠けて後回しにしているうちにここまで来てしまった。鏡の中の我は、浦島太郎よろしく内面は若い日のままでも外面はもう白髪交じりの老人である。
 もう時間も何もかもが残り少ない。まだ我はじぶんの人生を生きていない。ようやく30年、やっと少しだけ生き始めたところだ。さあ、これから今度こそ本格的に自分の人生を真剣に、本気で生きていく。取り組んでいく。いつだってここからだ、と信じて。

青春と白秋と、近づく玄冬と2018年11月13日 13時47分02秒

★すべてに終わりの時が近づいている

 他の地域はどうか知らないが、東京多摩地方、今年の秋は雨や曇りの日が多く、なかなか秋らしくカラッと晴れ渡る日が少ない。
 今日も昨日に続いて曇りがちで朝方は雨が降った。今もどんよりとした曇り空、陽射しがない分寒く感じる。
 そう、もう11月も半ばなのだから秋も深まり本格的冬はすぐそこまで来ている。寒いのも当たり前で、早く冬支度をしないとならないのだが、庭の落葉掃きやまず喫緊の問題が最優先で、なかなか冬物衣類を出したり屋内の準備が進まない。
 父が施設に行って不在の間に、といつも思うのだが、留守なら留守でまたやるべきことも多々あって、コタツ布団もまだ出せる状態ではない。それに今年は掘り炬燵はどうするか迷うところだ。今の状況では火事になる可能性が高すぎる。

 さておき、今は晩秋である。今の季節、その秋のことを、「白秋」と呼ぶことはご存知の方もいるかと思う。
 では、春は、というと、「青春」であり、夏は、「朱夏」、そして冬は「玄冬」である。季節順に並べると、青春、朱夏、白秋、玄冬となる。玄冬の「玄」とは黒のことだそうで、それぞれの季節に青、赤、白、黒と色の名前が付いている。
 白秋というとあの詩人・作詞家の北原白秋がすぐ思い浮かぶが、彼のペンネームはここから来ているのだろう。
 と、なると「青竜、朱雀、白虎、玄武」という言葉、動物に色を冠した言葉にもお気づきの方もいよう。これは方角を指していて、それぞれ東、南、西、北となる。その名前が付いた門などが京都など古都にはあったかと記憶する。
 そして言うまでもなくその方位と季節もまた密接にシンクロしている。春は東であり、冬は北というのは太陽の動きともマッチして実感がわく。
 これは、中国の古代の考え方、五行から来ていて、いわゆる季節としての春のシーズン、英spring、仏語ではプランタンを、「青春」と呼んだのが、いつしか人間の若い時期、十代から二十代を指すようになり我が国では「青春時代」という言葉として定着したのだと推察する。
 ならば今、我は、その「白秋」時代の終わりにあり、ちょうど今の時期と同じく、間もなく「玄冬」のときを迎えるわけだ。

 このところ山梨から来た老犬トラさんが老い呆けて手がかかることを書いた。今朝がたも前夜しっかり歩かせ寝る前に排便も済ませたのに、午前2時頃にまた騒ぎ出し、その時点でもう室内のマットの上に失禁していて、軽くこの町内を散歩させてこちらも寝直した。
 が、すぐにまた騒ぎ出し、もう我も眠くて起きられず吠えるに任せて放擲しててしまった。そのまま朝方まで騒ぎ続けたらしく、早朝、夜が明け始めた6時頃、下に降りたらまたも失禁、糞尿まみれになっていて、一度外に出しまた軽く歩かせたが、もう疲労困憊となったのか、道端でしゃがみ込み失神するように眠ってしまった。

 この数日来、夜啼きや徘徊しないよう新たな犬用サプリメントをネットで調べて、取り寄せて飲ませているのだが、あまり効果はないようで、ますます室内での失禁、排便までが日常化して来たようで、頭を痛めている。
 眠っているときは静かで手もかからないが、起きると目覚めている間中ハアハア荒い息を吐き興奮してうろうろ落ち着かず、しだいに鳴き出し最後は遠吠えまでして外に出たがる。外に出せば、ろくに散歩もできないのにまた小屋に繋げば吠え続けてご近所から苦情が出る。家に入れれば吠えてまた外に出たがり騒ぎ続ける。
 いったいこんな状況がいつまで続くのだろうかと暗澹たる気持ちになっていた。まだ食欲もあるのでこの先何年もこのまま生きるのではないのか、と。さすれば我の身体がもたない。老父も抱えて。

 が、今朝がた、外で倒れ込むように眠ったトラさんを見て、思ったより衰弱は進んでいて、さほど長くは生きないのではないか、と「啓示」を受けた。この冬はたぶん越すだろうが、このまま眠り続ける時間が増してやがてもっと歩けなくなり食べられなくなり最後のときを迎える日も近いような気がしてきた。
 そして我が父もまた。
 先に、市の実施している秋の健康診断で血液から尿、心電図といちおうの検査を受けた。その際、肺のレントゲンで、一部影が映っていて、年内に再検査という指示が出ている。肺炎か、肺癌の可能性もある。
 実はいま、さすがに我も父の世話に倦み疲れて、恒久的に介護老人施設に入れてしまう方向でケアマネらと話が進んでいるのだが、その検査の結果が出ないことにはどうなるか、どうすべきか決められない。
 父も来年の正月が来れば、昔では、数えで95歳の超高齢であり、たぶん平成が続いている間は無事であろうが、その次の新元号の年度はどのぐらい生きるか何とも言えない気がしてきている。そう、父もまた「終わり」が見えて来た。

 考えてみれば、大正、昭和、平成と三つの元号を生き永らえ、さらに今四つ目を迎えようとしているわけで、明治大正昭和の三代を生きた人は多くいたが、四代は知る限り今はまだどこにも生きていない。
 今年、2018年も終わりが見えた今、平成の終わりも近づき、安倍政権も米国トランプ政権もその終わりの時が近づいている。
 この我すらも玄冬期を前にして、その余命に自信が持てない今、ともかくまずは今年、年内の予定を無事にこなし、まずはこの冬を犬も父も皆何とか無事に乗り切る事だと思えてきた。

 先のことをあれこれ考え気に病んでも仕方ない。慌てず焦らず、だが何事も後回しにはせずに、現実に向き合いながらともかく一つ一つできることを少しでもやっていこう。
 そう全てに終わりがくる。そのときは近いのだから。一日一日、今があるだけだ。

バカだと思ってバカにするな‼2018年11月16日 07時15分52秒

★ヒトを何だと思ってんだ、何もわからないからと思って。

 昨日まで、山梨へ一泊二日で行っていた。また父に関するトラブルが起きた。
 今回は、父自身のケガや病気、失態ではなくて、父を取り巻く側、行政の「暴走」であった。

 市の担当一職員が、勝手に、我ら親子に一切説明も連絡もないまま父の施設入所の手続きを決めて、そのように施設に連絡して父を自宅に帰れないよう「手配」していたのだ。
 知らされていないのは当事者親子だけだった。激高した。しかも諸機関、我の妹までも含めて、関わる者たち皆に、事案の親子は「承諾」済みとまで嘘をついて話を進めていたのだ。
 人権無視も甚だしい。腹わたが煮えくり返るとはこのことである。我ら親子だけ蚊帳の外にして、秘密裏に話を進めていた。ヒレツかつ卑怯の極みのやり口だと思った。
 で、何とか施設から父を「奪還」して、昨夜、当初の予定通りに帰宅させて、父に経緯を説明したところ、父が発した言葉が、この表題である。
 父曰く、「ひどいことするなあ、このままもう我が家に帰れなくするとは。まったく、ワシが何もわからないからと思って。バカだと思ってバカにしやがって!」である。
 
 そう、そのやり方が実に卑怯卑劣である。怒りのあまり事態を知り得てからこの数日気が昂ぶりほとんど眠れなかった。
 実は、父が戻った昨晩でさえもまだコーフンが続いていて熟睡できない。今朝も肉体は睡眠を求めているのに早く起きてしまった。この件をブログに書かない限りこの怒りはスッキリしないと思い、迷うところもあったが書き記すことにした。 

 その職員を告発してどうのこうのという気はない。こちらにも非はあったし、そもそも「問題案件」「観察事案」として要注意と目されていたのがいけなかったのだから。
 が、だからといって、我ら親子だけ蚊帳の外に置いて、その当事者抜きで、我ら父子の知らないところで話を進めていくやり方、しかも嘘までついたことは絶対に許さない。
 これは我が家の家庭内の問題であり、こちらは当人当事者なのである。それを抜きにして、九州の妹を巻き込んで、ケアマネ、施設にも、親子には伝えてある、彼らは承諾しているとまで嘘ついて、入所の手続きを秘密裏に進めていくとは、憤懣やるせない。こんな人権無視した非人道的な福祉があるだろうか。
 
 我が山梨にいた14日水曜の夜、九州大分の我の妹から携帯に電話がかかってきた。曰く、もうじいちゃん(父のこと)のことは、あんたに任せておけんから、市の人から電話が何度もかかってきたので、市の人と私(妹)とで話を進めていくことになった、と。
 ???であった。ショートで預けて来た父はもう帰宅させないで、そのまま今月内はまず今いる施設から戻さないことに決まったと言う。寝耳に水であった。
 今回のお泊りは、ややロングでお願いしてあったが、15日の木曜夕方までの予定で、ケアマネがプラン立てて、我も了承しそのスケジュールで我は山梨へ来て本の整理等仕事していたのだ。
 だから、翌日15日は昼にはそこを出て、自宅に帰って父の帰宅を待つ予定でいたのだ。ところがその予定は勝手に変更させられ、聴けば、このまま父はもう施設に「入所」となるのだとのこと。 
 つまり息子の虐待を見かねて市の職員が「保護」してのことだと状況がわかってきた。しかし、そんな勝手なことが、我に知らせず勝手に決められるのであろうか。
 妹も介護の仕事に就いているので詳しいから、市側はそう「できる」のだと言う。
 しかし、その息子である我には何も連絡がない。そうした事態が疑われるのならばまずは当事者、その子と父に聞き取るなり、「調査」をするのが手順ではないのか。その連絡は一切ない。
 先週一度だけ、その担当職員から電話があった。父のことについて相談したいのでこれからそちらに伺ってもいいかと突然言う。
 しかし我は夕方は本の発送やら、今自分の仕事に追われていて忙しいからいきなりそう告げられてもこちらも用事があるからと断った。来週、こちらから市役所に出向いてもいいので、予定が出たら連絡すると伝えた。

 そのときはそれで済んだと思っていた。で、当初は月曜夜から山梨へ行く予定でいたが、あれこれ雑事に追われたり体調ももう一つで、運ぶ荷物を車に詰め込んで火曜13日の夕刻から出発したのだった。
 その市の男には、父の件の話は山梨から戻ったら連絡すればいいや、と考えていた。
 そしたら、妹からの電話で、もう父は施設入所の方向で話が進んでいるから、もう家には帰宅させないことになっちょる、と告げられ仰天した。何も聞いていないし知らされていない。宅電にも我の携帯にもその旨、担当職員から留守電も一件も入っていない。
 妹から事態を知らされた後、ケアマネに電話した。彼の個人電話だったので夜でも幸い連絡とれた。訊けば、やはりそういうことになっていると言う、でも息子さんは知らされていないんですか!? おかしいな、市側はこちらから連絡すると言ってたから、私もそちらに連絡しなかったのだけど、とのことであった。
 そう、息子である我をあえて無視して、その市の男は、妹とケアマネと父が今いる施設と連絡とって、「保護」を理由に、このままずっと父を帰宅させないよう手配したことがわかってきた。

 むろん、先にも書いたことだが、今、長期入所の方向で話は進んでいて、その申請もケアマネがしていた。我も反対はしていない。しかし、それはもう少し先だと考えていたし、それが早まったにしろ、まずは当事者に連絡してそうなったことを承諾、了解をとってから動くのが筋であろうが。
 こちらは、父は15日に帰宅すると思い、その方向で山梨に来ていて、今月後半のスケジュールも決まっていたのである。それを一方的に破棄され変更され、連絡もなく、おそらく父も15日には帰れると思っていたはずなのに、もはや自宅には戻れない方向で決定されていたのだ。※書面上の家族のサインは妹にさせることで九州まで何度も電話したののだ。
 そう、我ら当事者だけが知らないところで話が進みそう決まっていたのだ。こんな勝手な話があるだろうか。父は呆けて何もわからないと判断してのことだろうし、息子に知らせると何か不都合あるとでも考えたのか。市にはそんな権限があるのか!これは 人権無視、人権侵害ではないのか。

 激高して我は、そのまま今父がいる介護施設に電話した。夜勤の男が出たので、なし崩し的に入所となったようたが、息子である我には何も話が知らされていないし了解していない。まずは当初の予定通り、明日15日木曜、帰宅させてくれと、担当者へ伝えるよう頼んだ。もし、市側の要請なので、帰せないと言うならばこちらから出向いて何が何でも父は連れ帰るから、と強い口調でその夜勤の男に我は伝えた。
 その晩は、この事態に気が昂ぶり怒りのあまりほとんど一睡もできないで朝を迎えた。こんなやり口は絶対に許させないと何度も誓った。
 福祉の名を借りた行政の横暴には断固戦っていく。絶対に屈しない。

 ※老犬トラさんが啼いて騒ぎ出したのでまた後ほど追記します。

続・バカだと思ってバカにするな‼2018年11月17日 06時38分19秒

★呆けても感情と人権はある。

 翌日、15日。寝不足で思い頭を抱えながら農協で野菜買うのもそこそこに、午前中から高速道路をひた走り東京へと向かった。
 携帯はすぐ受信できるようダッシュボードに置いて、いつ向うから電話がかかっても良いよう気持ちも待機していた。こらちの「怒り」に彼らはどう対応返して来るか、だ。
 いちばん気になるのは、果たして今父を預けてある施設側が当初の予定通りに父を送り返してくれるかだった。予定では午後四時の帰宅である。
 ウチに戻ったのは、午後1時半頃であったか。まずその介護施設に電話かけて、父の担当を呼び出して昨晩伝えた伝言はどうなったか訊いた。担当の女性は、予定通り四時にお送りします、とのことでほっとした。
 それからご近所のお世話になっているお宅へさっそく今買って来た野菜、白菜やらネギやらありきたりのものしか手に入らなかったが、東京より格安でモノも良いので、それを持って行った。

 そして一昨日夕方、慌てて出かけた時のままとっちらかった玄関先を、父を迎えるため戸を開け放して掃除していたらいきなり背広姿の男が立っている。びっくりした。2時過ぎであったかと思う。
 そいつが、今回の件の市の福祉課の担当職員であった。以前もウチに来たはずだが、初めてはっきりその顔をまじまじと確認した。電話口ではその声の調子からもっと若い男を想像していたが、四十がらみの中年男である。

 開口一番、今回は手違いがあったようで・・・とか言ったので、それは手違いではないでしょう!と自分でも驚くほどの大きな声で怒りをぶつけた。こちら我ら当事者には何の連絡もなく勝手に謀って父の日程を延長して施設に入れる手筈まで進めたことに強く抗議した。あんたにそんな権利権限があるのか!と。
 男は、何度か電話したけれどお忙しいようだったので、とか云々言い訳をしていたが、ならば留守電なり携帯にかけてくればいいではないか、何の伝言も入っていない。父をはじめ当事者の気持ちや意向を無視してこちらには何も知らさず話を進めるとは理解に苦しむ、ありえない話だと。
 男曰く、施設に急に空きができたので、入所の申請もあったことで、12日月曜の段階でそう手続きを進めたようだ、とか言う。
 責任者を曖昧にした口調で話すので問い糾すと、要するに彼が全部勝手に決めたことだと認めた。お父さんの顔などにケガなども有ったので・・・と言うので、ならばまず当人と私から話を聞くべきだ、それもせずに疑いだけで「保護」するのか、とこちらの怒りに彼は口をつぐむだけであった。
 けっきょく、今後は我ら側に連絡なしに勝手に入所の手続きや話は進めないことを確約させ、同意もなしに父を拉致などしないことも約束させて引き取ってもらった。いちおうの謝罪は口にしていたものの、今回は仕切り直してまた近く来ますからと言って男は去った。まだ我の怒りは収まらず塩でも撒きたい気分であった。

 その後、父は無事に帰宅してきたが、送って来た施設の職員の話でも、その市の男は、市側の要請で延長しての滞在は、息子さんも了解・承諾してますから、と嘘こいて伝えていたことが確認できた。※今後は市が何か言ってきたとしても必ず当事者である我、息子にまず連絡、確認してくれと要請した。
 その晩、父も交えて九州の妹と電話で話したが、やはり妹にも数々の嘘をついていたことが確認でき、今回の一件は市の方針とか以前にこの虚言癖のある彼の「暴走」だと見えてきた。進め方が杜撰だとケアマネも呆れていた。我も性格はかなりおかしいがこの男の「虚言」には病的なものを感じる。
 妹とも先の電話ではケンカ腰になってしまい、危うく不仲になるところだったが、何とか関係修復できたと思える。しかし、何でこんな騒動を引き起こすのであろうか。
 まあ自業自得、我の不徳の致すところだと妹に言われれば返す言葉もない。

 父とのこと、老人介護施設に恒久的に入れる方向で話を進めようと考えていたのだが、今回の一件で、父の気持ちもしかと確認でき、やはり今ぐらいのペースで、ショートステイと自宅滞在を交互に交えてやっていくべきだと考えがまた変わった。

 今回の山梨滞在、向うで二泊してきたのだが着いた晩、13日の深夜というか14日早朝3時前のこと。また夜鳴きした老犬トラさんに起こされて、真夜中でも外に連れだして小便させるべくごく簡単な散歩していた。
 幸いさほど冷え込む夜ではなかったが、満天の星を見上げたとき、突然ある啓示を受けた。「声」を聴いたわけではない。
 不意に、「父とのことはあと一年」という言葉が頭に浮かんだ。我にそう「啓示」があった。誰からか言うまでもない。つまり父との生活も来年で終わるということだ。そうか、ならば、もっとその残りの日々を大切にしっかりやっていかねばな、と思い直した。急に父が愛おしくなった。
 そしてその日の晩、妹から電話があり、今回の福祉課職員による父を恒久的に施設に入れる「策動」が発覚したのだった。

 父とのこと家にいればその介護や応対に倦み疲れつい感情的になってしまう。しかし、もう九十半ば、明日をも知れない命なのだ。ならば残りの日々、一緒に過ごすときは、あと何日と数えて慈しむように共に生きていこう。
 すべてに終わりがある。その日は近い。

さあ、12/23日に向けて2018年11月20日 06時28分54秒

★いよいよ、待ったなし、だ。

 というわけで父との生活は変わらずに続いている。
 父は相変わらず頭は呆けて身体もよたよたふらふらだが、体調的には安定していて二か所の介護施設でのショートステイと、その合間に自宅滞在を適度にとってやっていくという元のスケジュールに戻したところだ。
 昨日ケアマネが来て、来月12月のと新年正月期間の父の日程を決めた。先の騒動で、施設側との連絡が遅れたために年末年始の利用は既に埋まってしまっていて父は年末から正月三が日はずっと家に居ることになってしまった。
 一週間も介護に追われることになるとは想定外だが仕方ない。平成最後の年末年始というよりも父にとっても人生最後の正月となる可能性も高いわけで、これで最後という気持ちでやっていくしかないだろう。

 先に記した福祉に名を借りたバカの身勝手な策動に、怒りのコーフン状態が続いて何日もろくに眠れないでいた。ひとまずその件は落着して気も緩みどっと疲れが出たと思ったら本格的な風邪をひいた。やはり寝てないとてきめんである。
 いつもは風邪っぽいとおもっても葛根湯吞み続けて大事に至らず治ってしまうのだが、先週末からぞくぞく寒気がして背中や腕の節々が痛く咳も鼻水も続くという「本格的」な風邪を久しぶりにひいた。 
 だぶん熱もあるとは思うが、一般的に看病してくれる家人がいる者ならば布団に入って安静にして身体を休められるだろうが、父が不在の時でも手のかかる犬猫たちも抱えた一人身ではのんびり寝込むこともできない。
 ぼうとした頭で咳と鼻水垂らしながらあれこれ雑事片づけつつ、少しでも空いた時間あらば横になり断続的に睡眠と休息とりながら薬飲んで何とかしのいでいる。

 このところはフォークシンガーというよりも陶芸家として名高いシバの作陶展もお誘い受けたので顔出さねばと思ってるのだが、何とか行けるだろうか。このところご無沙汰してしまっているし前回のときは行けなかったので近場でもあり今週末までなので気にかかる。
 その他、今週末土曜24日には、かけこみ亭でまた笠木透追悼のコンサートがある。しかし我は関われることはないようだし、一観客として行けるとしてもその余裕があるかどうかだ。時間的体力的にも今の状態では。

 そう、先にも告知した拙宅無頼庵での年末恒例の「クリスマス謝恩ライブパーティ」が来月23日に今年こそ開催するのだから、そのための場所づくりと準備を進めなければならない。
 が、今月に入っても予期せぬ事態が起きて心労が続き対応に追われたりとなかなかそれに専念できないままだ。もう一か月先の話である。
ただでさえあれこれ一年でいちばん忙しい年末、12月。庭先の落葉騒動も含めて家の内外の冬支度しながら客人を迎え入れるための準備ができるだろうか。不安にもなってくるし気も焦る。
 しかし、先にこの場でも告知発表して既に参加申し込みの方も何人もいるのだから、公的約束は果たさねばならない。
 何としてもやらねばならないし、やれると願い祈り信じて進めていくしかない。もう待ったなし、これ以上先延ばしも中止もできないなのだ。
 もう一月先、一か月しかないと考えるよりまだ一か月あると心落ち着かせてともかく地道に時間あるとき少しでも片づけてスペースを作っていく。
 何であれ、もうこれが最後、これでオシマイとなるかもしれないのだから、その覚悟と緊張感もって取り組んで行こう。

マス坊の「夢十夜」その12018年11月21日 21時17分56秒

★夢は我に何を伝えているのか

 情けない話、風邪は相変わらず、というか峠を越してもいない。
 薬飲んでいるのと歳とったせいか幸い高い熱は出ないが、鼻水は流れっ放しで咳と喉に絡む淡も出続けて喉が痛く息苦しい。そう、生来気管支が弱い我は、一度風邪ひくと咳が残り、それが風邪のあとも続き咳の発作が止まらず面倒なことになる。

 背中の筋肉や関節の痛いのはだいぶ楽になったけれど、ともかく喉が痛く息が苦しくて困惑するばかりだ。父は昨日からまた施設に預けたので、伝染さずに済み老犬が騒がない限り自分のペースで身体は休めるのは幸いだが、まだ今回の風邪は先が見えなくまいってる。
 何とか明日は、今開催中の、国立の古民家ギャラリーでのシバの陶芸展に行けたらと考えているのだが・・・
 今日も午前中、出掛ける用事を終えてから、午後早くから夕方四時ごろまで約三時間深く泥のように眠ってしまった。

 身体は休める時に少しでも横になるのがこのところの習慣だが、午後3時間も本格的に爆睡すると常に毎回様々な夢を見る。ときに寝疲れるほどのときもあるが、このところの我の唯一の楽しみというか息抜きは、この午睡のときであり、夜も寝ているのだが、午前一時か零時頃に寝たとしても老犬が不定期に明け方3時~4時前、6時頃啼き騒いで起こされるのでおちおち長く深く眠れない。
 このところ朝はそんなで早朝、陽が上る前から起きているので、昼寝で仮眠補わないまま一日たつと、夕方になると身体は怠くしんどくなって気がささくれ立って頭痛がして辛くなる。
 父が家にいる時はその昼寝さえもままならないし、できても一時間足らずとなるが、今は、午後昼寝にたっぷり「専念」できる。そんなで今日見た夢ではないけれど、どうしても記しておきたい夢も見たので、漱石先生の連作『夢十夜』よろしく、その都度このブログに載せておくことにした。

 夢というのは不思議なもので、当人が意識してなくとも、その人の内面の悩みや不安、欲望などがカタチを変えて「物語」として登場して来る。
 浅い夢の時は、まさに夢か現か、というように、現実の延長的に、樹にかかること、考えていることが眠りながらも続いていて夢としての飛躍も面白さもない。現実と変わりない夢ならば疲れるばかりでそれこそ寝た気がしない。
 良い夢が見たいというのはおこがましいが、手に汗握るアクション映画のようなものでなくとも、楽しい愉快な人を癒すような効果がある夢を見たいと願う。
 むろん夢に母とか亡き人たちが出て来て、一緒に楽しい時を過ごした後に、それが夢だと目覚めてから知って哀しく涙したことも何度もあったけれど、夢で逢えたら、という名曲のタイトルの如く、夢という別世界、アナザーワールドでも再び会えるのは幸福なことなのである。
 夢とは虚しく儚い、無意味なものだとは我は考えない。夢こそがヒトを癒し楽しませ元気づけ、そしてさまざまな示唆に富み、現実を動かしていく礎となるものだと思える。
 ※じっさい亡き最愛の母と夢でいつでも会えるのならば、我はもうこの現実世界には全く価値も関心も持たない。ただひたすら眠り続けて死んでいきたいと願う。

 あの世とか霊界があるかはともかく、夢の世界はその入り口に近しいようにおもえるときが多々あるがどうであろうか。
 夢は基本、常にシュールでナンセンスなものである。バカバカしいと言ってもいい。が、フロイトではなくともそこに何らかの意味はあるはずだし、夢分析はせずともそれを目覚めてから考えて見た夢を反芻することこそが夢の楽しみ、有難さとだと思える。

 で先日こんな夢を見た。


 我が家は、先年建て替えて、というか、前からの古い家の骨組みは残して増改築して今の家に中も外見もすっかり変えた。
 が、夢の中では、何故か以前の、旧い家のままである。
 玄関は、ガラスの引き戸にコンクリートの上がり框、左手に便所、二階に上がる急傾斜の階段もすぐ目の前にあり、父の部屋も直で玄関からドアを開ければ入れるようになっている。
 
 父は自室のベッドで寝ているようで、家は昔のままでも状態は今現在らしい。もうかなり老いて我が1人で介護しているようだ。母も出てこないということは、時制は、家だけ旧くとも現在のようだ。
 そこに、父の友人たちがお見舞い?にやって来た。それが、何故か海援隊の三人なのである。あの武田鉄矢率いるフォークシンガーたちである。
 若い頃の彼らではなく、今現在の我が知る、直にもお会いしたことのある、それなりに年とった初老の姿の彼らが来た。
 が、見かけは海援隊の人たちではあるが、中身は違うらしく一般人であるようだ。我は、彼らを家に通し、いや、彼らはさっさと勝手に上がって父の部屋に入っていったらしく、来たことは知っていたが、直に言葉は一言も交わさなかった。つまりもう家に来ていたのである。
 で、父の寝室で枕元で何やら三人で話している。我はそのままにして同席はしなかった。
 考えてみれば、父には友人など一人もなく、ましてこうして見舞客などこれまでもこれからも来たためしがない。が、夢の中では何故か父に会いに、我が家に見かけは海援隊の人たちがやってきたのである。
 彼らは、父を囲んで、だいぶ様態が悪いようだなあ、熱もあるようだ。医者を呼ぼうかとかあれこれ話している。
 我は、玄関にいて、そんな声が聞こえてきても、今朝、熱を測ったときは、父は熱などなかったし、そんなことはあるもんか、大丈夫に違いないと騒ぎをよそに別の来客と応対していた。
 そう、玄関に、思いつめたような顔の女がいつの間にか立っていたのである。お久しぶりですと女は言う。
 
 知らない顔だが、向うは我のことを知っているらしく、いきなり我に向かって話し出した。
 あれから以前あなたの言ってたことがようやくわかりました。そのときはピンと来なかったのだけど、いろいろ思い当ることもあり、そのことを相談しに来たと言う。もう一度話したいと。
 我に、あなた、と言ったのか、それともマスダさん、と言ったのか失念したが、どうやらその女とはかつて関わりがあり、我は彼女に何かアドバイスめいたことを言ったことがあるらしい。しかし何のことかわからないし、そもそも名前どころかその顔を見ても誰だかちっとも思い出せない。
 そもそも我は、人の顔をろくに見れないし会ったとしてもよほど親しくならない限り人の顔など記憶に残らない。まして名前など憶えているはずもない。
 女のことを必死に思い出そうとするが思い出せず、しかし、誰でしたっけ、と問うのは失礼だと思い、相変わらずいつもの我らしく知ってるそぶりで曖昧な返答をするしかない。まじまじ見る顔は、まあまあ美人で好ましい顔立ちである。
 女の話だと、彼女は何か原稿だかレポートなどを書いて提出するのにそのことに気づいて思い出し、〆切も近いのでどうしても我ともう一度話さねば、と思いやって来たのだと言う。
 しかし一体この女に我は何を話したのか。

 元々我は身の程知らずにして、他人につい説教めいたことを口にする傾向がある。たぶん彼女とも以前どこかで何かの席に会い、つい話の流れで何か彼女の悩みか質問に進言かアドバイスしたのであろう。我ならやりかねない。それに違いない。そんな気もしてきた。
 しかしまさかその女が突然やってくるとは思わなかった。しかも何のことかわからないし彼女のことすら思い出せない。女は玄関の上がり框で思い詰めた顔で立ち尽くしている。どう返答したらよいものか。

 と、父の部屋へはいつの間にか海援隊が手配したらしく、看護婦を連れた往診の医師が白衣でやって来たらしくもう部屋にいるようだ。
 血圧が下がってきた!とか、騒いでいる。どうやら父は危篤状態に陥っているようだ。その声は聞こえるが、我はそらちはほったらかしにして玄関で知らない女を前にして返答に窮している。
 女はまだ何か訴えている。

 そこで市が街に流している午後4時のチャイムの音で我は目が覚めた。
 何故か耳には、子供たちの聖歌隊がうたう讃美歌が、♪聖なるかな、聖なるかな、というフレーズが残っていた。

★【データ】11月17日(土)の昼過ぎに見た夢。
※父を施設に10時頃送り出して、雑事片付けて、朝昼兼の食事して1時頃から、短時間眠るつもりで横になった。が、その前の市の福祉課職員とのトラブルの疲れと続いていた睡眠不足がどっと出て、起きねばと思いつつ、泥酔ならぬ泥のように眠る「泥睡」してしまい約三時間昼間なのにとことん深く眠ってしまった。
 そして他にも夢を見たのかもしれないが、午後4時に、市の広域放送のチャイムで起こされるまで見ていたのがこの夢である。目覚めた後は、不思議に落ち着いた静かな心持であった。

青い空の日、祝日の朝に2018年11月23日 09時28分25秒

★昨日は徒労に終わったけれど

 まっそんな日もある。
 昨日、22日は、夕刻から国立の画廊で開催中のシバこと三橋乙椰氏の作陶展へ行った。夜はライブもある日で、それは予約してなかったので観れなくても仕方ないと思っていたが、ともかくシバに久しぶりに会う目的と、そのライブに共演される人たちと「出演交渉」できたらという思惑もあった。
 出かける予定がある日は、我は何か気もそぞろで落ち着いて何か作業できない。昨日も体調ももう一つのところに、久しぶりに人の集まるところに出向くのでそれなりに気持ちに活入れて出かける準備もせねばならず、シバに渡す差し入れ的お土産なども購がって5時頃慌てて家を出た。
 画廊である民家に着いたのは、6時前であったか。ライブ前の混雑を予想していたが、中に上がると先客の女性二人組がいるだけで閑散としている。
 オーナーの十松氏に訊くと、シバは体調崩して今日は来れなかった。それでライブも昨日中止を決めたという。
 フェイスブックでその旨通知してあったはずなのだが、我も数日前の彼のは、ざっとチェックして、体調悪いことは書いてあったので心配していたけれど、出かけに直近のそれは確認していなかった。我が悪いのである。まったく毎度ながら迂闊であった。
 が、ともあれまあ、久しぶりにその作品群はゆっくり見れたし、病気という不測の事態は誰にでも起こる事なのだから、仕方ない。彼としてもさぞや心残りかと思う。ともかく安静にして早く治られることを祈るしかない。

 けっきょく、一ツ橋大の前の谷保まで続く大通りを約30分近くとぼとぼ歩いて、かけこみ亭に行き、ぼけさんに先日山梨で買ってきて漬けたばかりの野沢菜を差し入れて彼も開店の準備で忙しいようだったので長居せずすぐに帰宅した。
 何もしなかったのにひどく疲れを感じて晩飯もそこそこに犬猫たちに餌だけやって早く寝てしまった。毎度のこと老犬トラさんには何度も起こされたが。

 まあ、こんな日もある。今朝は朝からカラッと爽やかに晴れた。シバが早く元気になってくれるよう晴れ渡った青い空に祈るだけだ。