続・バカだと思ってバカにするな‼2018年11月17日 06時38分19秒

★呆けても感情と人権はある。

 翌日、15日。寝不足で思い頭を抱えながら農協で野菜買うのもそこそこに、午前中から高速道路をひた走り東京へと向かった。
 携帯はすぐ受信できるようダッシュボードに置いて、いつ向うから電話がかかっても良いよう気持ちも待機していた。こらちの「怒り」に彼らはどう対応返して来るか、だ。
 いちばん気になるのは、果たして今父を預けてある施設側が当初の予定通りに父を送り返してくれるかだった。予定では午後四時の帰宅である。
 ウチに戻ったのは、午後1時半頃であったか。まずその介護施設に電話かけて、父の担当を呼び出して昨晩伝えた伝言はどうなったか訊いた。担当の女性は、予定通り四時にお送りします、とのことでほっとした。
 それからご近所のお世話になっているお宅へさっそく今買って来た野菜、白菜やらネギやらありきたりのものしか手に入らなかったが、東京より格安でモノも良いので、それを持って行った。

 そして一昨日夕方、慌てて出かけた時のままとっちらかった玄関先を、父を迎えるため戸を開け放して掃除していたらいきなり背広姿の男が立っている。びっくりした。2時過ぎであったかと思う。
 そいつが、今回の件の市の福祉課の担当職員であった。以前もウチに来たはずだが、初めてはっきりその顔をまじまじと確認した。電話口ではその声の調子からもっと若い男を想像していたが、四十がらみの中年男である。

 開口一番、今回は手違いがあったようで・・・とか言ったので、それは手違いではないでしょう!と自分でも驚くほどの大きな声で怒りをぶつけた。こちら我ら当事者には何の連絡もなく勝手に謀って父の日程を延長して施設に入れる手筈まで進めたことに強く抗議した。あんたにそんな権利権限があるのか!と。
 男は、何度か電話したけれどお忙しいようだったので、とか云々言い訳をしていたが、ならば留守電なり携帯にかけてくればいいではないか、何の伝言も入っていない。父をはじめ当事者の気持ちや意向を無視してこちらには何も知らさず話を進めるとは理解に苦しむ、ありえない話だと。
 男曰く、施設に急に空きができたので、入所の申請もあったことで、12日月曜の段階でそう手続きを進めたようだ、とか言う。
 責任者を曖昧にした口調で話すので問い糾すと、要するに彼が全部勝手に決めたことだと認めた。お父さんの顔などにケガなども有ったので・・・と言うので、ならばまず当人と私から話を聞くべきだ、それもせずに疑いだけで「保護」するのか、とこちらの怒りに彼は口をつぐむだけであった。
 けっきょく、今後は我ら側に連絡なしに勝手に入所の手続きや話は進めないことを確約させ、同意もなしに父を拉致などしないことも約束させて引き取ってもらった。いちおうの謝罪は口にしていたものの、今回は仕切り直してまた近く来ますからと言って男は去った。まだ我の怒りは収まらず塩でも撒きたい気分であった。

 その後、父は無事に帰宅してきたが、送って来た施設の職員の話でも、その市の男は、市側の要請で延長しての滞在は、息子さんも了解・承諾してますから、と嘘こいて伝えていたことが確認できた。※今後は市が何か言ってきたとしても必ず当事者である我、息子にまず連絡、確認してくれと要請した。
 その晩、父も交えて九州の妹と電話で話したが、やはり妹にも数々の嘘をついていたことが確認でき、今回の一件は市の方針とか以前にこの虚言癖のある彼の「暴走」だと見えてきた。進め方が杜撰だとケアマネも呆れていた。我も性格はかなりおかしいがこの男の「虚言」には病的なものを感じる。
 妹とも先の電話ではケンカ腰になってしまい、危うく不仲になるところだったが、何とか関係修復できたと思える。しかし、何でこんな騒動を引き起こすのであろうか。
 まあ自業自得、我の不徳の致すところだと妹に言われれば返す言葉もない。

 父とのこと、老人介護施設に恒久的に入れる方向で話を進めようと考えていたのだが、今回の一件で、父の気持ちもしかと確認でき、やはり今ぐらいのペースで、ショートステイと自宅滞在を交互に交えてやっていくべきだと考えがまた変わった。

 今回の山梨滞在、向うで二泊してきたのだが着いた晩、13日の深夜というか14日早朝3時前のこと。また夜鳴きした老犬トラさんに起こされて、真夜中でも外に連れだして小便させるべくごく簡単な散歩していた。
 幸いさほど冷え込む夜ではなかったが、満天の星を見上げたとき、突然ある啓示を受けた。「声」を聴いたわけではない。
 不意に、「父とのことはあと一年」という言葉が頭に浮かんだ。我にそう「啓示」があった。誰からか言うまでもない。つまり父との生活も来年で終わるということだ。そうか、ならば、もっとその残りの日々を大切にしっかりやっていかねばな、と思い直した。急に父が愛おしくなった。
 そしてその日の晩、妹から電話があり、今回の福祉課職員による父を恒久的に施設に入れる「策動」が発覚したのだった。

 父とのこと家にいればその介護や応対に倦み疲れつい感情的になってしまう。しかし、もう九十半ば、明日をも知れない命なのだ。ならば残りの日々、一緒に過ごすときは、あと何日と数えて慈しむように共に生きていこう。
 すべてに終わりがある。その日は近い。

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