地獄ではないが地獄に近しいと思えること2018年11月30日 08時39分32秒

★父のボケが悪化、老犬と交互に騒ぎ、ほとんど眠れず

 夢現、と書いて、ゆめうつつ、と読む。前回、拙ブログで、今週は父がやや長く家にいることを書いた。
 その理由も記したが、家にいると昼寝させてしまうのがいけないのか、眠り自体が浅くなるようで、まさに、ゆめうつつの状態が多くなってきてしまった。
 目覚めているときもぼうっとして反応乏しく意識朦朧のときもあるし、ならばと寝かしつけてこちらはほっと一息つき、我も仮眠とって身体休めていると、一時間もしないで起きてしまい、鍵かけた引き戸を激しく叩き、開けろ!!何で開かないんだ!!と怒って騒ぎ出す。
 とても眠っていられない。ドアの掛け金を引き違って無理やりこじ開けたこともあったし、昨日は、あろうことかまたユニットバスの窓から裸足で脱走して庭先で捕まえた。
 普段は杖着いてもよろよろ、何かに掴まってやっと歩く状態の人が、どうして杖もなしに、高さ80㎝はゆうにある窓から降り抜け出し我家の裏から狭い路地を通って表に出られるのか理解に苦しむが、これは二回目である。
 午後3時頃のことだ。昼飯摂らせて、我も寝不足で疲れたので本人も寝ると言うので愛猫抱いて寝かせたところだった。寝てから一時間しかたっていない。我は二階の自室でうつらうつらしてたら激しく父がドア叩いている音が聞こえる。また、開けろ、開けろ、と父が大声で騒いでいる。でも我はともかく眠い。
 まだ一時間しかたっていないじゃないか、としばらくほっておいた。そしたら静かになったが、何か不安な気がしてもう眠れず仕方なく階下に降りた。外に出てみたら父が泥だらけで裏から歩いて出て来たのである。驚いた。呆れ果てた。

 幸い昼間だったから良かったが、ケガもなく衣類が汚れた程度で済んだ。が、夜でもいつまたこうして危険な脱走を企てるかわからない。
 部屋に鍵がかかって出られないから出た、と暴れて怒り騒ぐ父を家の中に連れ戻し、着替えさせたら、父はしきりに「家に帰る!」「家に帰らせてくれ!!」と騒いでいる。手に負えない。ここが彼自らが建てた住み慣れた長年の自宅だとわからなくなっている。
 こちらも呆れ果て激高して、ならば、どうぞ帰ってくれ、勝手にしろ、と玄関まで連れて行き、もう好き勝手に気が済むまで徘徊させようと考えた。
 ああ、そうすると父は言い、靴はいたものの、ポケットとか探して、ワシのメガネがない、と今度は騒ぐ。で、とってくると言って部屋に戻り居間の棚をあちこち探している。
 しかし、父はもうこの何十年もメガネなどかけていないのである。もう新聞や本など読まないし、もともと老眼鏡は持っていない。若い頃、車の免許取るのに近眼だったのでメガネをかけていた記憶があるが、高齢の今は何故かメガネ無しでも生活には何も支障がなく父のメガネなどどこにもないのである。なのに、ワシのメガネがない!とあちこち探しまくっている。いくら元々持っていないし、かけてないじゃないか、と言っても聴く耳持たない。自分の家に帰るのが、今度はメガネがない、に変わって騒いでいる。

 ついに発狂したかとさえ思い怖くさえなって、どうしたら良いか相談先をあれこれ考えた。いちばん良いのはこのまま父が目指す、もう一つ別の自宅、として、今利用している介護施設に連れて行き、そのままずっと預けてしまうのが一番楽だが、利用日でもなく今すぐ急に連れて行っても空きはないので即追い返されるだろう。
 父も知っている母の懇意にしていた一人暮らしの婆さんがまだ健在で近所にいることを思い出し、その人のところに連れて行き、話でもしてくれればこの状態は鎮まるかと思って電話したが、やはりデイサービスにでも行ってるのか不在である。
 仕方なく、担当のケアマネに連絡して状況を訴えた。彼も当然甲高い叫び声上げて驚いている。
 
 ケアマネはともかく父をなだめて興奮を鎮めようとしたのだが、電話で話していると父は、「息子が私を追い出そうとしているんですよう、何とかしてください。助けてくれ~」と、「自宅」に帰る話は息子に対する不満へ変わってきてしまった。
 
 しばらくケアマネ氏と電話で話しても父の興奮は収まらないし話は支離滅裂なので、結局彼がこれからこちらに伺うと言ってくれたが、父としては、「自分の家に帰りたい、お前(息子)がワシを連れていけ!」と言ってたので、ウチにいるよりともかく一度車に乗せて外に出すことにして、ケアマネが今いる、東中神駅近くのケアプランセンターへ直に父を連れて行って話してもらうことにした。
 もう夕刻4時過ぎであったかと思うが、隣接する訪問看護ステーションの馴染みの看護師もまだそこにいて、声かけられたものの父はぼうっとしてそこはどこか、誰かまったく理解できない。
 車椅子に乗せられ、二階の小部屋でケアマネ氏と対面したが、もう何年もお世話になり毎月数回は会う人なのに誰だかわからないと言う。
 興奮は収まったが、ただ眠そうな顔で目にも光がなく反応も乏しい。
 が、我が今回の状況、経緯を話し父の奇矯な行動について説明していたら、しだいに彼の脳内の回路が繋がったようで、自分でユニットバスの窓から抜け出したことも思い出してきた。
 で、何でそんなことをしたんだろう、と自問自答して、何で部屋に鍵かけられていたのか、こちら側の説明にも納得して、ワシは半呆けだからバカなことをしてしまった、と言い出した。
 そして最後は来たときとは打って変わって、皆にどうもすみません、お騒がせしてご迷惑おかけしましたと頭下げる始末。
 ケアマネも我もやれやれとほっとしたが、ともかくひと騒動しでかしたが、またいちおうは「戻った」のである。そうキチガイから元の「ニンゲン」の側に。
 家に帰り、夕食を食べた頃の父は、今日の出来事はもう反省したとか、部屋に鍵かかっていても騒がない、息子が開けるまで待ってるとか、閉じ込められても勝手に風呂場から抜け出さないと「約束」してくれた。
 それでも夜寝る頃には眠そうなぼうっとした顔になって来たので、もう今日のことは忘れたな、と想像できた。それでもとも書くいつも通り自室のベッドで愛猫と共に寝かせて鍵かけた。

 が、また翌朝、我がまだ眠ってるとき、朝にはなっていたが、午前7時頃、激しく戸を叩く音がして、父は「開けろ!!開けろ!!」と騒いでいる声で起こされた。
 睡眠不足で遺体頭抱えて下に降りて戸を開けると、父は、「今日は旅行に行く日じゃなかったか」と興奮している。訊けば、旅行に行くので早く起きたのだと言う。
 今日もどこにも出かけやしない、午後訪問看護士のお姉さんが来るだけだ、と諭してだから安心してもう少しこちらが起こすまで寝ろ、と再び寝かしつけた。
 そしてそれからはもうこちらも眠れず、その顛末を書いた次第。

 思い起こせば、母の最期の頃も同様であった。のときもかなりしんどく睡眠不足でフラフラでもう体力気力の限界だと母にこぼしてしまった。今もそのことを悔やむ。
 そのときも生きながらの「地獄」だと思ったが、過ぎてしまえば、それは地獄でも何でもなかった。つまりその先が見えない「今」だからこそ、苦しく不安で地獄だと人は思うのだと今はわかる。
 地獄に近しいことはこれからもいくらでもあるし起こるだろう。しかし、それは近しいと思えるだけで地獄ではない。それは聖書の中の金持ちと乞食の喩え話のように、死後のことだ。
 カルロス・ゴーンにその覚悟はあるか。

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