泣きたくなるほどの青い空2018年12月15日 12時08分33秒

★哀しいほどのお天気に

 昨日今日と久しぶりに朝から明るく晴れ渡って空は雲一つない青空、快晴であった。
 うたの文句や文学の世界では、泣きたくなる程の青空、哀しいほどのお天気、といったフレーズがよくあるが、確かにこの季節の青空、とことん快晴の朝などは何故か胸が痛くなるような泣きたいような哀しみを覚えるのは我だけではないだろう。
 そう、このところ不測の別れが続きもう泣きたい気持ち、なのである。
 そこに、強権・傲慢安倍政権の沖縄の民意を一顧だにしない辺野古への土砂投入も始まり、何とも心中はやるせない、情けない気持ちでいっぱいだ。
 気がつけば泣かないまでも涙目で青い空の下、思わず口からうたが出た。
 嘆きは誰でも 知っている
 この世は悲哀の 海だもの
 泣いちゃいけない 男だよ

 鶴田浩二の往年のヒット曲『街のサンドイッチマン』の一節だ。

 まさに、この世は悲哀の海だとつくづく思う。何でこんな哀しく辛いことが起こるのか。生き物の生き死には人智の及ぶところではないのだから仕方ない。それでも人はなかなかそれが受け入れがたい。
 それどころか、何度も選挙で民意は示され、沖縄の心は、辺野古の美ら海に米軍新基地建設はいらないと訴え続けているのに、まったく意に介さず臆面なくも「沖縄に寄り添う」と口で言いつつ新基地建設に突き進む政権、国家とは、いったい何であろうか。
 すべての権力、三権を手中に収めたとしても安倍晋三に、こんな非道かつ無法なことを白昼堂々強行が許されるのか。もはやナチス的独裁でしかなく民主主義そのものが問われている。国会さえも軽視しどんな法案もろくに審議もしない。こんなことが当たり前のように許されるとしたら法治国家と言えるのか。

 豊かな自然の海を埋立て新たに戦争のための恒久的な基地をつくって米軍に提供してやる。辺野古の海は消えたとしても「悲哀の海」は沖縄のみならず誰の心にも広がっていく。
 普天間の基地が返還となったとしてもこれからも米軍機は、オスプレイも含めて新基地周辺で、横田で、そして全国の米軍基地あるところで事故や墜落していくことだろう。そして米軍兵士の起こした事件事故は深く問われることなくこれからも繰り返されるだろう。
 そのどこまでも青い冬の空をオスプレイが轟音たてて横田へと飛んでいく。

 子どものように思う存分声上げて泣けたらとも願うが、泣いてすっきり気分が晴れることならばそれもしよう。もう恥ずかしいとか「男」だからいけないなんて思わない。
 何故こんなことがいつまでも続くのか。そして無法が許されるのか。その理由もわかっている。残念なことだが、あえて書けば多くの国民の無知と無関心である。今の政治に対する無関心と諦めの心が、安倍政治を支えている。そして沖縄に対する内地の人たちの無知・無関心がある。

 だからこそ、様々な哀しみは哀しみとして、泣きたい気持ちを抱えながらも、この世は悲哀の海だとしても、「胸にそよ風抱いて」生きていく。
 我は、当たり前のことを世に問う「街のサンドイッチマン」でありたいと願う。