無頼庵クリスマス謝恩パーティ2018ともかく終了す2018年12月24日 01時31分50秒

★最低最悪の一日が、最善最良に。

 日付は変わってしまったが、23日の、拙宅でのクリスマス謝恩ライブパーティは、無事に終わった。
 今さっき、最後の一人、同じ市内に住む方が帰られて我はともかく寝ようとベッドに入ったものの、気が昂ぶりまだ眠れそうになく、ともかく今日23日の報告をすべきと考えた。

 あれこれ今日に至る状況や心境を書いて来たが、情けないことにまったく片付けられなかった。※実際、12/12日に老犬が死んで、翌週、笠間から「社員」氏を招いてから本格的に作業は始まったのだった。
 基本、テーブルを囲んで椅子を並べるスペースを作って客人を招くわけだが、とてもそこまでいかず、ついに当日となって早朝から起きたものの、気は焦れどもどんなに必死で一人でがんばっても遅々として進まなかった。ギターやレコード、そして本や雑誌、さらに未整理の紙もの類などともかくモノが広い部屋に散財しやたら有過ぎるのである。

 夕刻、午後4時頃には早く来る人は来てしまう。それまでが勝負でまさに時間との闘いで、時計見めながら必死に一人で、ともかくスペースを空けようと、本や雑誌は重ねて、積み重なった紙ゴミに近しい書類は手当たり次第に箱に詰め、階下の母の死んだ四畳半の板の間におろしていく。紙類は基本捨てるものだが、いちいち一つ一つ確認している時間はない。後ほど改めて見ることにして、ともかく詰めていく。
 が、今晩出す予定の料理の材料や紙皿、紙コップなども足りないので、昼近く、犬のベルコを連れて散歩兼ねて自転車でやや遠い多摩川に近いOKストアに出向いた。
 昨日に続いてどんよりとした曇り空で、ときおり小雨がぱらつく。さほど寒くはないけれど、買物の帰り道、いったいどうなるのか、果たして客人が来るまでに何とか片付け終えられるのか、と不安な心地で見上げた鉛色の空は生涯忘れないだろう。

 恐怖にも近い不安、焦燥感を抱えて昼過ぎ家に戻り、玄関を開けてカラの段ボール箱を庭先に投げ出していたら、1時頃突然来客があった。
 長年の友人、我を両国フォークロアセンターに案内、紹介してくれたベテランフォークシンガーOさんである。
 何か手伝いありますか、と早くも来てくれたのだ。突然のことであったが、まさに地獄に仏とはこのことで、彼と二人で、手分けてして二階広間の片付けが始まった。彼がともかく一切合切とっちらかって場所を塞いでいる物を、箱詰め袋詰めにしてくれて、我がそれを階下の小部屋に運び込む。そして空いたスペースに掃除機かけていく。文具も工具も小物もすべて一切合切箱や袋に詰めて下におろし、四畳半にはおさまりきらず結局、不在の父の部屋にまで押し込む羽目となった。

 そしてその後に、またパーカショニストの友人M氏も早めに来られて、お二人に二階広間は任せて、我はトイレ内や冷蔵庫の中の片付けなどやっと取り掛かることができた。
 イラストライターのM嬢もお手伝いに来てくれたが、台所での調理に専念してもらった。が、あまりにとっちらかったままの大台所には呆然かつお怒りであった。まあ、それもごく当然である。何しろ汚れた流し台の掃除から溜まった皿洗いまでさせたのだから。二階の場所づくりに必死に追われて、彼女に何の指示もできなかった。そんなで台所も惨憺たる有様、手つかずのままだったのだ。

 そしてついに夕暮れ時となり、詩人のO氏が、うたうバイオリン弾きM嬢、コミックソングの笑えるダンディ氏と、我とごく親しい大切な旧知の仲間たちが次々来られて、総計で10人の来場となった。いちばん適度な理想的人数ではないか。
 とにもかくにもテーブルを囲んで椅子を並べることができた。むろん一部はまだ未整理のガラクタは山積みだったけれど仕方ない。何とかパーティが開催できる空間がつくれた。これで人が集まり寛げる。やっとほっとした。
 それもこれもOさんが午後一で来てくれたからだ。彼が来て何とかなりそうだとやっと見えて来た。先にも書いたが、いくらあからさまに、ありのままに、と覚悟を決めたとしても我一人では結局片づけは終わらないまま全て出しっぱなしのとっちらかった状態で、ゴミのとガラクタの中、来場者は落ち着かずにうろうろするだけであったことだろう。幸いにしてそんな悲惨な状況に何とかならずに済んだ。
 Oさん、それにM氏にはどれほど感謝しても足りない。調理担当のM嬢にも。我一人では結局何一つきちんとできなかった。ほんとうに助かった。

 今回は、何度もやって来た拙宅のイベント開催でも今までで一番辛い大変な作業だったけど、何とかパーティーできるまで片付けられた。奇跡のように思える。久々に会えた善い良き人たち、素晴らしい仲間たちが来てくれてともかくすべてに有り難いと感謝の思いしか今はない。
 これから後片付けが下も上も大変だが、いちから出直す気持ちで新規一転がんばりたい。ひとつひとつ全てきちんとしていきたい。

 これで我にとって今年いちばん懸案だったことは終わった。広い空間が戻って来た。これからはまた気軽に客人を招くためにも、この部屋は手つかずの状態にしていきたいと願う。
 人は一人では生きていけない。そして誰よりも非力で弱く愚かな我は一人では何もできやしない。今回そのことを深く嫌と言うほど思い知った。まったく情けなく恥ずかしい。そのうえで神が哀れみ我に味方し急きょ友人を手配してくれたのだ。

 今から確約しておきたい。来年もまた23日に、この「無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティ」はまた開催する。ただ23日は、天皇誕生日の祝日として残るかどうか、我は世知に疎く今はまだ関知していないけれど。
 ぜひ来年こそは、またどなたでもお越しください!また一年後、皆で息災で無頼庵でお会いしましょう!

一夜明け、宴のあとに思う2018年12月24日 15時22分37秒

★苦難のときは去った

 泥酔ならぬ泥睡した。目覚めたのは10時過ぎていたか。
 祭りの後の淋しさ云々いうフレーズはよく聞くが、宴の後の、憑き物の落ちたような、名状しがたい、しいて言えば解放感のような気分は久々に感じたものだった。淋しさよりもともかくやれやれ、ほっとしたである。繰り返すがあんな状態でも「奇跡的」にとりあえずの場所が作れたのだ。まったく毎度のことながら情けなくも有難いとしか言葉がない。

 ようやく我の、苦難の時は終わった気がしている。いや、まだ完全に終わりはせずとも、確実に終わりに近づいたと今はっきり思える。
 この無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティを何とか成し終えて、やっと元に戻ったというのか、振り出しに、スタート地点に立ち戻った感がしている。
 むろん、根本解決したわけではちっともなく、毎度のことながらきちんと処理すべきものを主に箱詰めにして単に空間移動させただけのことだが、やっと問題のそれを処理作業するための余裕あるスペースが作れたわけで、さあ、ここから、これからだと強い意欲がわいてきた。
 そう、一つ一つ確実に中身を確認して処理・分別していけば良いだけなのだ。大方の捨てるものは捨て、残すべきものはきちんと後々判別できるよう分類保存していく。それぞれきちんと置き場を決めていく。
 せっかく人手を借りて苦労してつくりあげたこの空間。またモノを運び込み、混沌へ元に戻してはならないと今強く自戒している。

 手のかかっていた老犬は迂闊にも死なせてしまったけれど、その犬がまだ健在だったら今回はとてもイベント開催できなかった。体力がもたなかった。父を施設に預け、犬は死んで、さらに友人たちの手を借りて何とか成し終えられたのだ。
 改めて、その人に背負いきれない荷は神は負わせないとつくづく思う。荷を軽くするためには犬は死に、さらに友の力を借りねばならなかったわけだ。
 そして、今、再び「自由」を手に入れて、あとは、老父だけを背負い来年へ向かうだけだ。
 しかし、その父もさらに確実に呆けと衰弱が進み、このまま何も手を打たなければ、来年一年生き永らえるとは絶対思えない状態へこのところなってきている。
 歳も歳だから、いつ死んでもいいという思いもあるが、じっさいその死に方はいつどうなるか分からないわけで、幸いのところ今は、通所介護で施設に通い短期でお泊りを繰り返し、ときおり帰宅して平穏なわけだが、そのサイクルもいつまで続くか。
 突然のポックリ死もあるかもしれないし、あるいはまた骨折や肺炎での入院から死へと進んでいくのかも何とも言えない。
 いずれにせよ、父にとって、いや我にとっても来年は、最期の年となるかと覚悟しておかないとならない。
 そのうえで、父の介護のかたわら、自分のことを、家のことも含めてこれから精力的にやっていく。
 もう老犬の鳴き声は、眠りの中でも訊かなくなった。猫たちも皆自由に外へと出入りして手がかからなくなった。長く続いていた睡眠不足は解消された。
 ほんとうに、さあ、もういっぺん、これから人生をやりなおそう、しっかり本気で取り組もう。すべてをきちんとしていこう。
 もう何が大事なものか、何が我に必要か、ほんとうに必要なものもわかってきた。愚かな我はそれがわかるまで何と60年もかかってしまったけれど。
 あとは、怠けずに日々全てに感謝してともかく少しづつでもやるべきこと、できることを進めていくだけだ。
 いまやっと、人生が、この手の内に入ってきた気がしている。
 まだまだできる、人生はこれからだ。ここからスタートしていく。どんなに人に嗤われたってかまわない。こういう生き方もあるのだ!