一夜明け、宴のあとに思う2018年12月24日 15時22分37秒

★苦難のときは去った

 泥酔ならぬ泥睡した。目覚めたのは10時過ぎていたか。
 祭りの後の淋しさ云々いうフレーズはよく聞くが、宴の後の、憑き物の落ちたような、名状しがたい、しいて言えば解放感のような気分は久々に感じたものだった。淋しさよりもともかくやれやれ、ほっとしたである。繰り返すがあんな状態でも「奇跡的」にとりあえずの場所が作れたのだ。まったく毎度のことながら情けなくも有難いとしか言葉がない。

 ようやく我の、苦難の時は終わった気がしている。いや、まだ完全に終わりはせずとも、確実に終わりに近づいたと今はっきり思える。
 この無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティを何とか成し終えて、やっと元に戻ったというのか、振り出しに、スタート地点に立ち戻った感がしている。
 むろん、根本解決したわけではちっともなく、毎度のことながらきちんと処理すべきものを主に箱詰めにして単に空間移動させただけのことだが、やっと問題のそれを処理作業するための余裕あるスペースが作れたわけで、さあ、ここから、これからだと強い意欲がわいてきた。
 そう、一つ一つ確実に中身を確認して処理・分別していけば良いだけなのだ。大方の捨てるものは捨て、残すべきものはきちんと後々判別できるよう分類保存していく。それぞれきちんと置き場を決めていく。
 せっかく人手を借りて苦労してつくりあげたこの空間。またモノを運び込み、混沌へ元に戻してはならないと今強く自戒している。

 手のかかっていた老犬は迂闊にも死なせてしまったけれど、その犬がまだ健在だったら今回はとてもイベント開催できなかった。体力がもたなかった。父を施設に預け、犬は死んで、さらに友人たちの手を借りて何とか成し終えられたのだ。
 改めて、その人に背負いきれない荷は神は負わせないとつくづく思う。荷を軽くするためには犬は死に、さらに友の力を借りねばならなかったわけだ。
 そして、今、再び「自由」を手に入れて、あとは、老父だけを背負い来年へ向かうだけだ。
 しかし、その父もさらに確実に呆けと衰弱が進み、このまま何も手を打たなければ、来年一年生き永らえるとは絶対思えない状態へこのところなってきている。
 歳も歳だから、いつ死んでもいいという思いもあるが、じっさいその死に方はいつどうなるか分からないわけで、幸いのところ今は、通所介護で施設に通い短期でお泊りを繰り返し、ときおり帰宅して平穏なわけだが、そのサイクルもいつまで続くか。
 突然のポックリ死もあるかもしれないし、あるいはまた骨折や肺炎での入院から死へと進んでいくのかも何とも言えない。
 いずれにせよ、父にとって、いや我にとっても来年は、最期の年となるかと覚悟しておかないとならない。
 そのうえで、父の介護のかたわら、自分のことを、家のことも含めてこれから精力的にやっていく。
 もう老犬の鳴き声は、眠りの中でも訊かなくなった。猫たちも皆自由に外へと出入りして手がかからなくなった。長く続いていた睡眠不足は解消された。
 ほんとうに、さあ、もういっぺん、これから人生をやりなおそう、しっかり本気で取り組もう。すべてをきちんとしていこう。
 もう何が大事なものか、何が我に必要か、ほんとうに必要なものもわかってきた。愚かな我はそれがわかるまで何と60年もかかってしまったけれど。
 あとは、怠けずに日々全てに感謝してともかく少しづつでもやるべきこと、できることを進めていくだけだ。
 いまやっと、人生が、この手の内に入ってきた気がしている。
 まだまだできる、人生はこれからだ。ここからスタートしていく。どんなに人に嗤われたってかまわない。こういう生き方もあるのだ!

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