輝やけ星よ 月よりも あの娘の幸せ照らし出せ2019年01月21日 07時40分34秒

2018年12月23日、無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティにて
★忘れていたうたを思い出した。

 鈴木慶一、いや鈴木博文による名曲『大寒町』である。

 昨夜は、新年はじめての満月であった。まだ寒さは厳しいけれど明るい月の夜は、それだけで温かく感じて、月空の下、犬とどこまでも歩いていける気がした。
 そして頭の中にはずっとこの曲、はちみつぱいの唄う『大寒町』が流れていた。

 先にも拙ブログで記したが、昨年の暮れ、拙宅無頼庵で何とか毎年末恒例、クリスマス謝恩ライブパーティが開催できた。
 あまり呼びかけ告知もしなかったので、来られたのは、毎年来てくれた「常連」さんばかりとなったが、少数精鋭で、実に濃密な音楽ライブがセッション的に展開された。
 その中で、唯一初めて拙宅へ来られたのが、実力派女性シンガーYさんで、各自それぞれが持ち歌を数曲披露してくれたのだが、そのとき彼女は、この曲『大寒町』を唄った。
 ちょっと驚いた。そしてその場にいた多くの人がすぐさまその曲に反応して、楽器が加わり一緒に唄い出したのにももっと驚かされた。実に通ではないか。

 このうたは、あのムーンライダーズというより、はちみつぱいという我の大好きな、若いとき、あがた森魚と共にずいぶん聴きこんだバンドの楽曲で、一番最初は、彼らをバックに、あがた氏のアルバム内のバージョンであったかと思う。
 むろん、はちみつぱいもアルバムにいれているし、今も彼らはライブなどでは演っているようだが、日本のフォークロック史上、稀有なバラードとして名曲であることは間違いない。
 大好きなバンド、はちみつぱいについても書きたいことが多々あるが、ああしたアメリカのカントリーロックに色濃く影響受けたバンドが、けっこう70年代はいくつもあったわけだが、やはりいちばん好きだった。
 魅力は何と言ってもエレクトリック・フィドロとペダルスチールが醸し出す、南部的独特の泥臭いサウンドであろうか。ムーンライダーズが嫌いなのは、名前通りポップに洗練されてしまい、かつてあったそうした泥臭さが消えてしまったからだ。
 中でもこの曲と、春一のライブ版で知られる『塀の上で』など、彼ら独特の持ち味、音楽世界観が巧みに表現されている。
 鈴木慶一の切ないボーカルと共に、弟博文による秀逸な何ともロマンチックな「スローバラード」ではないか。

 今の我は老いて頭がだいぶ劣化してしまい、自分のつくったうたでも歌詞など覚えられず常に間違うことや忘れてばかりだが、この『大寒町』、頭から終わりまで唄い出すとスラスラ歌詞がつまらず出て来る。
 つまり若い時聴きこんだうたは、自分の血と肉となり身体と同化したようなものだから、ずっと忘れていても聴けばすぐに思い出す。そして歌詞まで今もしっかり覚えている。
 不思議にも思うが、それが若さということだと思うし、それだけ昔は何度も何度も聴きこんだことの証だろう。そしてそうした素晴らしい音楽に出会えたことは有難い幸せだったと今にして気づく。

 今回、拙宅の謝恩ライブパーティに来られた方も、皆ほぼ我と同世代人ということもあり、当然ながら同じ時代を生きてほぼ同じ音楽を聴いて来たから、この曲のこともご存知で、時ならず合唱が起こったのであった。幸福なことであった。
 世代が違う彼女が何故この曲を知ったかと訊けば、Yさんは、あがたバージョンとかではなく矢野顕子が唄っているので、知ったとのこと。そうか、名曲ゆえ、あのあがた氏の『冬のサナトリウム』のように多くのアーチストにもカバーされていたのである。
 また、ネットで調べたら近年話題の邦画のエンドテーマ曲にも使われたようで、若者にも話題になったとかで良い曲は時代を超えて生き続けていることを知った。
 まだご存知ない方、ぜひご一聴ください。

https://www.youtube.com/watch?v=lUjIZnX1Hw4