次々回、「共謀」フォークジャンボリーは、5月5日に開催決定!!2019年02月01日 13時23分32秒

★かけこみ「共謀」フォークジャンボリーは5月5日に~出演者募集中

 東京・国立市谷保の「かけこみ亭」での、護憲と反戦・平和のための「共謀」コンサート、次回は喫緊2月23日(土)が迫ってきている。
 よしだよしこさんと、井上オハナ(ケニー井上デュオ)を久々にお招きして他にも実力派女性シンガーたちを集め今回は雛祭りも近いことだし「女たち」にたっぷり唄っていただくつもりでいる。
 毎度投げ銭制での公演なので、どなたでもお気軽に、出入り自由ですのでぜひとも大勢の方々にお越し頂きたい。

 そちらもぜひ多くの参加者を期待したいが、次々回第7回目?は、風薫る五月の大型連休の後半、5月5日、子供の日に開催が確定した。
 まだ、やや先の話かと思うたろうが、今回は長い連休の最中でもあり、日中からのんびりと、いつもより緩~く、かつての大阪春一番的雰囲気で多くの出演者をお招きし、楽しくやりたいと考えている。

 基本的に、今回は、参加出演希望者の選別など一切考えていないので(現時点では)、コンサートの趣旨に賛同・共感される方は、プロアマ、パフォーマンス問わずまずは参加の申し込みをマスダ、もしくは店側に入れてほしい。
 新元号を祝うも呪うも怒るもまた自由として、個人的には、 #安倍政権にはもううんざり、一日も早く終わりにしよう# 、という思いをいちばんに掲げて企画していきたいと思っている。

 まずは、この2/23日を成功、盛況させてであるが、この五月の、サヨナラ平成、改元記念「かけこみ共謀フォークジャンボリー」も、どうかよろしくご自由にご参加お願いいたしたい。
 詳しいことは順次、確定次第またお知らせいたします。

人が死にゆくとき、傍らに看取ってくれる人がいる幸福2019年02月02日 00時20分27秒

★友人の父の死に思う。

 このところ、我の周囲で、同世代友人の親たちの訃報が相継いでいる。
 まあ、友たちも皆、五十代後半から六十代前半なのだから、親たちもまた、当然八十代、もしくは九十の歳であり、長生きしたとしても寿命が尽きて必然の頃だから何も驚くに値はしない。
 もっと早く、若くして親を亡くした人も多くいるのだから、まあ平均寿命前後まで生きたのならば、それは当人にとっても家族にとっても悔いは少ないだろう。愛する親を喪う哀しみは哀しみとして別にして。

 若かった我らもそういう、親たちを見送る世代になったということで、彼ら親世代がいなくなればこれから我らが本格的に老人世代にとって代わって、高齢者として介助や介護される側として生きていかねばならない。何だか実感もないし信じられない気がしてるが、やがては、我世代の訃報が相継ぐこととなろう。覚悟はできてないが予測はつく。

 先だって、そうした同性の友人から深夜に届いた親の訃報メールには、脳梗塞で倒れた父親を自宅でずっと介護していたことが記してあって、最後は、その父を彼が自宅で看取ったとのことで、我が母のことを思い出して、胸が熱く痛くなった。その彼もまた我同様に独身であった。その苦労は思いやられる。
 葬式の前に、同じ状況にあった我に、まず「報告」としてメールくれたわけだが、どう返信すべきか、すぐには葬儀があって多忙だろうと思い、時間おいてしまい未だ何もお悔やみのメールすら出せずにいる。

 しかし、何はともあれ、その父は、自宅で家族、実の息子に看取られて死んだのならばそれはすごく幸福かつ幸運なことではなかろうか。このところよくそう思うようになった。
 我の母もそうして我が見送ったわけだが、そのときは、ただ無力にも我は、大事な人を死なせてしまったという悔いしか残らなかったが、何といっても看取ってくれる家族が傍らにいるのならば、死に臨んだ者もさほど淋しくも不安もないのではなかろうか。
 死とは、誰にとっても初めての体験で、死の苦しみとは、癌などでは肉体の痛みも当然あるとしても、それとは別に、不安と「恐怖」ではなかろうか。
 つまり、一人で、この世とは永遠の別れを告げ、一人で未知の世界へ旅立たなければならないという恐ろしさである。それは筆舌に尽くしがたいほどの恐怖であろう。あのナザレのイエスでさえ、磔刑の死に臨む間際、恐怖と苦しみを激しく示したことは聖書に詳しく記してあるぐらいだから。

 しかし、死の間際、魂が肉体を離れるとき、愛する人、家族が側にいてくれて、手を握ってくれたならば、その不安はかなり軽くなると我は思う。そしてそういう「死に方」が誰でもできるかと言えば、存外それは難しいのが現実なのである。
 例えば、某大金持ちのゴーン氏ほどの、巨額の富を手に入れたとしても、死の間際に、家人や友人、親族は誰も傍らになく、病院のベッドで交代勤務の見知らぬ看護師や看護人に看取られるならば、その死は実にみじめで寂しく辛く苦しいものではなかろうか。

 と、こんなことを考えたのは、実は、先日夜、眠る寸前ベッドの中で、身体を起こそうとした途端、突然強い腹痛に襲われ、一瞬ではあったが、「死」を意識したからだ。あまりの痛みに、助けを求めて救急車を呼ぼうかと考えもしたが、動くこともできず、叫んだところで家には犬猫しかいないわけで、そのときは携帯も手元になく、ただじっと堪えるしかなかった。※電話が身近にあってもたぶん痛くて苦しくて操作などできなかったと思う。

 幸い、その痛みは数分、いや1分程度で収まって来て、鈍痛は残ったものの、少ししたら眠ることもできたし、その後、数日は軽い痛みは続いていたが、一週間が過ぎて今は痛みは消えている。
 部位は、腹といっても正面を自ら向いたとき、あばら骨の下、右側のみぞおち付近だけで、胃とか腸ではない。足がつる、という言葉があるけれど、腹がつる、わけはないのに、その痛みに近い。仰向けに寝ているとき、上半身を起こしたとたん、突然激しく強い痛みに襲われたのだ。息もできず動けず脂汗が出るような感じ。
 突発的な痛みが起きたのは、先の土曜の深夜のことで、二日後の翌週の火曜日29日に、父の肺のレントゲン検査があって、市内の診療所に行ったのでついでに我も受診し、その腹の突発的痛みについて医師に相談した。まだそのときは、腹部のその個所を押すと痛みが残っていた。

 医師の見立てでは、部位的には胆石の疑いがあるとのことで、まずはエコーで腹部の検査することになって予約を入れた。来週の木曜7日である。
 胆嚢なる臓器に、石ができて、その石が動くとスゴク痛いとか人から聞いたが、果たしてそうなのであろうか。確かに身体を屈めて腹部を圧迫すると何だか鈍く痛い感じもするし、実は一か月前ぐらいから何か腹の調子がヘンな感じではあった。
 胃がもたれるとか、便秘や下痢とかそういうのとは違い、何か鈍く痛い、重い感じがしていると言ったらよいか。

 まあ、検査してその結果次第のことだから、あれこれ心配も考えもしないが、その強い痛みを体験したとき、もしかしたらこれで、一人でこのまま死んでしまうかもと、ほんの一瞬だが不安に囚われ恐怖した。
 思えば、我は独身者でたった一人なのである。妻も子もいない。我が父や母は、我という息子や我が妹を産み育てたから、母はその死の間際は我、つまり実の息子の手の内で逝った。その夫も傍らにいた。
 しかし独身男は、死に臨んでいったい誰が側にいてくれるのか。考えられるのは、最期のときは、入院している病院内のベッドで、意識が亡くなり、巡回の看護師が様態急変しているのに気づいて来たときは一人で死んでいることだろう。
 そのとき、意識もなくなって何もわからないなら幸いだが、苦しくなって死ぬと思ったとき、誰も親しい人が側にいないという死に方は、考えただけで辛く哀しい。みじめにも思える。

 あの奇人・永井荷風のように、その生き方に憧れも尊敬もする我だが、自宅でたった一人で死んでいるのを通いの家政婦が死後に発見するのは倣いたくない。それもまた「自由」の顛末、究極の自由の行く末だろうが、そのとき我はその死に方に、いや、生きて来た「生き方」に、やはり苦悶し悔やむのではなかろうか。いや、いや、そんなことよりも「死」の恐怖にたった一人で立ち向かえるか、だ。
 今からでも老後の婚活に励んで、異性であろうと同性であろうと、忌の際に、看取ってくれる家族を作りたい、作っておかねばとこのところ真剣に考えている。

 そう、人が死に行くとき、傍らにだれかがいてくれること、それが愛する家族であることは、それだけですごく幸運、幸福なことだったのだ。
 死は常に傍らにあったものだが、いつも「他人事」であり、自分とはカンケイないものであった。しかし、自ら、自分のこととして一瞬でも意識すると、ものすごく怖い。とても一人では向きあえられない。
 胆石であろうと、たとえ癌であろうと、死に臨むとき、傍に誰かがいてほしい。そう切実に願う。そして、我もまた誰か、そうして孤独のうちに不安な気持ちで死にゆく人の傍にいてあげたいと今心から思っている。

 死はごくごく私的な、個人的なことだが、一人ではとても立ち向かえない。万人共通の誰にでも起こることだからこそ、もっと万人が「共闘」すべきものではなかろうか。
 死者は生者を煩わすべからず、という言葉もある。が、死に行く者は、生者をもっと煩わせても赦されるのではないか。次は自分の番なのだから。

2月、立春大吉、思うこと、近況など。2019年02月05日 11時28分28秒

ぜひ、どなたでもお気軽にご参加お願いします!
★汗ばむほど暖かい立春当日であった。

 今さらだが、二月如月となった。父がいたのと、またみぞおちの辺りが鈍く痛く、寝込みがちだったので、更新遅れた。
 今朝、父を送り出して、今やっと一息ついてこれを記す。ようやく今フェイスブックに、2/23日の「女たちの共謀コンサート」のチラシとコメントをアップした。どれほど効果があるかわからないが、それを見てひとりでも参加者が増えることを祈り願う。
 
 言うまでもなく、月日が過ぎること、時間の経つのは早いもので、一月も終わり2月となった。先月末は、多摩地方でも久々の雨が雪に変わり積雪に警戒と予報士は騒いでいたが、何のことはない、ややまとまった雨はやっと降ったものの、雪になることはなく、朝から快晴であった。
 そして昨日、4日の立春は、まさに暦通りに春到来の陽気となり、外で作業していると、半袖でもかまわないほどの汗ばむ暑さとなった。
 
 歳をとると、寒いより暖かい方がよっぽど楽だとしみじみ思うけれども、急に暑いほどの気温になると、みょうに足がむずむずして、気持ち悪くてたまらない。個人的なことだが、我は厳冬期を除いてほぼ通年裸足で過ごしている。
 水虫ではないと思うが、靴下などで足をしめつけるのが嫌いで、夏場は靴だって履かず、どこへ行くのもいつもサンダルで歩いている。
 昨日は、さっそく裸足で日中は過ごしたが、やはり夕方になると寒くなり、どうにも落ち着かなかった。今日または、朝からどんより曇り空で、寒さも戻って、まあ、いきなり春が来るのも考えものだなあと、その寒さを歓迎しないがまだ味わいたい気持ちでいる。

 暖かくなるとすぐに食べ物は痛むし、蠅など不快昆虫もでてくるし、ある意味、我のようにとことんだらしのない人間にとっては、雨も降らず、何であれ外でも「出しっぱなし」「ほったらかし」にしておける今の季節は、最適というか、生きるのは楽なのである。
 夏場は何でもすぐカビが生えたり饐えてしまうので食べ物はもたない。保存きかない。父と二人暮らしで、父も我もそんなに食べないから、作ると必ず残ってその保存と処理に頭を悩ます。かといって何も作らず、コンビニやスーパーで出来合いの小さなパック惣菜を買えば良いわけでもなく、できるだけ手作りの安全なものを自炊志向なので、コトはさらに面倒になっていく。 
 じっさい、この冬は、火災が怖くて我家は、父がいるときの掘り炬燵と、父の寝室のデロンギ以外、階下は一切暖房器具は用いていないので、台所など限りなく零度に近く、室内でも吐く息は白い。つまり冷蔵庫の中より低いはずなので、モノが一杯であまり冷えない冷蔵庫に入れる必要がないのである。

 というわけで寒くても冬場の季節は、怠け者にとって食においては作り置きしても保存がきき楽ちんできる季節なわけで、暖かい春を待ち望みつつ、面倒を伴う「春到来の憂鬱」にそろそろ今から備えておかねばならないのである。
 そう、本格的春が来る前に、片付けてスッキリさせねばならないものが食べ物も含めて出しっぱなしで山ほどある。そのためにも今月が勝負なのだ。

 さて、今春の、我が関わるコンサートの日程がほぼ出そろった。その春になれば夏場~秋口の予定も決まっていくことだろうし、そうこうしているうちに今年2019年も、すぐに終わってしまうことだろう。
 先のことはわからないしあれこれ思い悩み患っても無意味だが、先の予定が既に決まっているのは、実に有難いし気持ちも軽くなる。
 改めて、順に並べてみると、まず、いずれも「かけこみ亭」を舞台に、

・2/23日(土)、護憲と反戦・平和のための「女たち」の共謀コンサート

・3/31日(日)、 みほこん新CD『父島ソング』発売記念コンサート

・5/5日(日祝)、 かけこみ「共謀」フォークジャンボリー と、ここまで決定している。

 夏場は参議院選挙があるので、それを終えてから、秋口となったら、御大中川五郎氏をメインに迎えて、「共謀」コンサート、さらに企画して続けていきたいと考えている。
 そのためにもまず我と、介護している父が健康無事であらねばならないのだが・・・

昨日書いたことの追記2019年02月06日 14時23分49秒

★検査の結果、父はとりあえず「無事」であったが・・・

 昨夜は、2/23日の「共謀」コンサートの進行表などを考えつつ記して出演者の方々へ送信したりしたので寝たのも遅かった。 
 父もショートステイへ、朝から送り出したこともあり、今朝は不在なのでつい寝坊した。
 どんよりとした曇り空だと思って窓の外を見たら、隣家の庭は濡れていて、また弱い雨が降っていることを知った。慌てて外に出て庭先に出しっぱなしだった雑古紙などを家にとりこんだ。

 春先は毎年のこと、雨が多いのは当たり前であるけれど、年末からずっとカラカラでほとんど雨が降らなかった東京のこの冬も、ようやく2月に入ってきたら雨模様の日が多くなってきたようだ。
 一昨日だったか、予報では雨のマークは出ていなかったのに、朝起きたら夜半に弱い雨が降ったようでやはり庭や道路は濡れていて少し驚いた。
 そして今朝は、それから本格的な雨となって、朝はさほど寒くない、暖かい雨だと思ったのに、気温も上がらずかなり冷え込む雨の一日となってしまった。
 幸い、午後過ぎたら雨も上がってきたようで、今日6日は、夕方から都心に出る用事もあり、傘は不要となりそうで助かった。

 さて、先月末に、父を連れて市内のかかりつけ病院に父を連れて行き、肺のレントゲンを撮った結果が出た。
 昨年の秋、市が実施したミニドッグのとき、父も我も血液から尿、心電図、肺のレントゲンまでざっと一通り検査を受けたのだが、父は肺だけ、また変な影があると、再検査を命ぜられ、また肺炎でも再発したかと覚悟のうえで再検査の結果を待っていた。
 二週に一度、我家まで往診してくれる担当医の話では、見る限り先のレントゲンに映っていた異物はないとのことで、とりあえず「無罪放免」となった。やれやれである。
 知る限り、我の周囲では最高齢、九十代半ばの「超高齢者」である我が父は、幸いにして今年の冬は、風邪もインフルエンザにもかからず、頭の呆けはともかくも肉体的にはとても健康で、たぶんこのまま春を迎えられると思えてきた。
 ということは、平成も無事に乗り切るということであり、大正、昭和、平成、そして新元号と、四つの時代区分を体験する稀有な人となろうかと思える。それが目出度いのかはともかくもだが。

 そしてその息子である我は、先のミニドッグの時は異常はどこもなかったのだけれど、先日深夜起きた突然の腹痛から胆石の疑いがあり、明日7日、そのための腹部の検査を受けに行く。
 幸いこのところ、そうした強い痛みは起きていないし、疑いだけで異常なしで済むことを祈り願うしかないが、ともかく検査受けてからのことだ。
 お金も時間も様々な物も生きていくのに不可欠のものだが、やはりいちばんは健康なのだとこのところつくづく切実に思うようになった。
 どれほどお金があろうと、痛みや不具合を抱えて寝たきり状態では、我は何もできないと思えるし何より残り少ない時間がもったいない。そうした人生に意味も価値もあるには違いないけれど。
 すべてはまず健康で動けることから始まる、始められるわけで、金と健康は量りにかけることすら無意味なとことだ。
 そして、こうも思う。やがて我もまたさらに老いれば、さらにあちこちに不具合が出て、父のように自力で歩けなくも動くことすら難儀となろう。
そして最後は寝たきりとなって、介護者の手を借りて何とかかろうじて日々生き永らえていく存在と化す。
 その日が近いと思えるし、それは間違いなく誰にでも訪れるわけだから、日々今動けることに感謝して、健康に留意して今ある時間を無駄なく大切にしていかねばと強く思う。
 若い頃は、元気や健康が当たり前であった。今では、それ自体が有難い、大切なものになった。先のことはわからないが、何としてもあと10年は、我に健康で自由に自ら動ける肉体を維持できることをただ祈り願うだけだ。そう、あと10年でいいから。

検査の結果など「近況」報告2019年02月09日 23時59分52秒

★まずエコーでは異常なかったけれども

 この木金土、木曜午前は市内の診療所で、我は腹部の超音波検査(エコー)を受けたり、昨日金曜は、市役所からまた件の福祉課職員が黒塗りの公用車で課長まで伴ってウチに来て、父の施設入所を説得しに来たり、今日土曜は「大雪」警戒で備えに追われたりと、何か慌ただしくて落ち着いて拙ブログ更新もできなかった。
 まずは、検査結果も含めてあれこれお知らせしないとならない。

 それにしても、市の介護福祉課の輩は、このところ戦々恐々なのであろうと推測する。先だっての野田市の小学生女児が自宅で虐待?され死亡しているのが発見されその両親が逮捕された事件を受け、同様の可能性ある市内の問題事案、老人「虐待の恐れ」がある案件は、一日も早く被害者を「保護」して処理し終え枕を高くして眠りたいと御身の保身に余念がないようだ。
 直々に課長まで乗り出して来るとはいったいどういうことであろうか。下の職員任せではラチアカンと思ったのか。もう怒りはしないが呆れ果て応対に倦み疲れた。
 とにかく父自身が、自らこの家でまだ暮らしたいと強く改めて言い張ったので、彼らも諦めて首を振り振り何とかお引き取り願えたけれども。まったくやれやれ、である。

 さて、胆石の疑いがあるとして、まずエコー検査を受けるよう先だっての診察で医師から指示された我は、7日木曜の午前、ウチのかかりつけ病院の診療所で、その検査受けて来た。
 エコーとは、内視鏡とかとは違い、体の表面をヌルヌルのゼリーをつけたローラー状のものでなぞって、体内の様子を確認する「超音波検査」のことである。
 x線などに比べると極めて安全でその場で結果もすぐわかる。

 母が生きていたとき、腹部にできた癌の腫瘍の大きさを毎回確認するため、我も立ち会って、診察室のその場で担当の女医が、横になった母のお腹にそのローラーを当てている様子を何度も見てよく知っている。しかし自らも受けたのは今回初めてだったと気づいた。
 「息を吸って、停めて」という検査技師の言うがまま、お腹正面全体から側面、背中側からまで、ぬるぬるのゼリーを度々補充されつつ、そのローラー?を何度となく皮膚に押し付けられ、画像を撮られた。
 
 終えてから診察室でその「結果」をその日の当番医の医師から聞いた。彼が見る限り、というより、その検査技師の判断、考察なのだと思うが、特に異常は見られず今回は「問題なし」であった。
 しかし、実はその検査当日も、待合室で待っている間中、腹部のみぞおち部分が鈍く痛くなってきていて、その医師に検査は異常なしでも「今もここが痛い」ことを告げて示した。
 彼は、う~ん、ならば、胃カメラか、バリウムでも吞んでみるかと言い、その手配もしてくれそうだったが、我としてはこの診察所で今回のように専門ではない医師に漫然と診てもらっても時間の無駄だと思えてきた。やはり立川の本院である総合病院のほうで「消化器」で外来受け直して専門医にきちんと検査してもらおうと考えて、とりうえず「様子見ます」として帰宅した。

 エコーでは胆石はないことが判明した。しかし、現実のはなし、まだ正面向いたとき、右側のみぞおち辺りが始終ではないが、鈍い痛みが続くときがあるのである。医者に診てもらったわけだが全然治ったわけではない。
 胆石の恐れはまずは消えたわけだが、なんかスッキリしない、ちっとも嬉しくない気持ちで家に戻ってからあれこれ考えた。

 母の癌も、当初は半年以上、胃痛や痩せ衰えてきて不調は続いたのにその原因がちっともわからず、あちこちの医師にかかり、様々な検査を受け漢方の名医にも診てもらったが的外れで、肛門からの再度の内視鏡で、ようやく大腸に癌ができてることが発見されたのであった。もうそのときかなり進行が進んでいた。※それだけ肥大してきたので「発見」されたのだとも思える。
 異常がみつからないことは、原因・要因が一つ除外されただけで、治ったとか無事だというわけではないのである。何か必ず不調、不具合には別の要因、根本原因があるはずなのだ。

 そして自らの身体に改めてまず確認してみようと思った。いったいどういうときに痛くなるのかと。また、ネットや手持ちの医学書であれこれ同様の不調のケースを調べてみた。
 そして多少見えてきたことは、痛みは空腹時に多く発生することに気がつき、「空腹」と関係していると思えてきた。
 今回、エコー検査の前も、当日は少量の水は摂ってもいいが、珈琲なども含めて飲食禁止で臨んで、検査を待っている間にしだいにその腹部、胃の右側のみぞおち部が痛み出して来たのだった。
 そしてじっさい食べれば、その痛みはいちおう治まる。胃もたれのような、胃につかえる感じも時にはあるけれど。

 そしていろいろ自分で調べてみると、胃潰瘍とか十二指腸潰瘍の症状が一番近しいことに気がついた。特に、十二指腸潰瘍というのは、空腹時にみぞおちが痛み、深夜にも起きることがあるとどこにも記してある。
 そう、思えば我は近年胃が弱くなって、夏場でも冷たい飲み物はビールでも飲めなくなってきていて、基本、アルコールはお湯割り、もしくは常温でないと吞めなくなった。氷の入ったドリンクは水でも考えただけで拒絶したい。
 また、炭酸の飲み物、酸味料の入った飲料も飲むと胃の調子がすぐ悪くなることが多い。歳と共に胃弱になったと考えていたが、母の死と老父や動物たちの介護等、様々なストレスも関係してあの漱石先生を死に至らしめた胃潰瘍に我も患ったのかもしれない。
 
 まだ検査も診察も受けていないが、今月はコンサートが近づき、あれこれ忙しく慌ただしい月なので、まず今は様子見て無理せず自愛して、春になり少し時間できてあれこれ落ち着いたらば、そのときもまだ不調続くなら消化器専門の医師に診てもらい検査をしっかり受けることに決めた。まあ、急変したら慌てて診てもらうことにはなろうが。内視鏡でも胃カメラでもバリウムでも何であれ、どんと来いという思いだ。

 何とか元に戻したいと願う。しかし「元」っていつのことか、とも考える。人生は戻せないのだから、元気でどこも悪い所などなかった若い時には還れないわけだし、長く生きれば歳と共にあちこち不調が次々と起きてくる。
 そしてどこもかしこも不調が極まりおかしくなってきて、多臓器不全的に死んでいくのだ。
 ならば、そうした不調、不具合も「常のこと」として、当たり前のように受け容れていかねばならないのであろうか。一病息災ということばがある。一病ならばまだ良しとすべしか。

変わるもの、変わらないもの2019年02月14日 08時02分08秒

★変わっていくことはちっとも良くないことではないか

 2月も半ばとなった。ブログまた空いてしまっている。ご心配おかけしたかもしれない。体調崩したのではなく、そうなりそうだったこともあり、御身大事に夜は睡眠しっかりとるようにしてできるだけ早く床に入り眠ってばかりいたからだ。
 先に書いた、胃、腹部の不調だが、やはり空腹になると夜中でも痛くなるようだ。

 この前の土曜日、外で人と会い、午後遅くしっかり食事をとったら夜になっても腹が空かず、寝る間際になってやや空腹感を覚えたが、眠る前に食べるのはどうかと思い、そのままベッドに入った。
 そしたら一晩中、何かまたみぞおち、胃が鈍く痛くなってちっとも深く眠れなかった。普通は、睡眠時は胃も休息をとるはずなのに、バカな我のバカな胃は、昼夜問わず活動を続けているらしい。停車中の車が空吹かししているようにして胃など痛めているように思えて来た。
 それで、夕食後、夜遅くまで起きていると胃の中の食べたものが消化されてまた空腹感を覚えてしまうので、ある程度腹が落ち着いたら頃合い見て早めに眠るようにしていたのだ。それではブログ書くタイミングがない。
 夜中でも食べ続けて対応するという手もあるが、それは無意味な行為だと思うし結果変な太り方してくるだろう。ともかく、それより早く寝たら朝から早く起きて昼間の内にやるべことを片付けて、ある程度疲れ果てて夜はまた早めに寝るしかない。じっさい今は、10時過ぎると眠くなる。
 そしてこれは老人のライフサイクルなのだと思えてきた。このところ自分でも背中が丸くなってきたなあとはっきりわかる。意識して背筋は伸ばすようにしているが、身体の内外問わずさまざまな変化が起きてきている。昔とは違ってきている。

 長く生きていると、嫌でも様々なことの「変化」に気づかされる。町をぼんやり歩いていても、昔あった、自分が知っている店がなくなり、閉店していたりまったく違う店になっていたり、その一角ごと更地にされて大きなマンションになっていることもままある。
 テレビを観ても、もう今では知ってる顔の役者やタレントは少なく、それも入れ替わりが激しいから、ある程度名前を憶えてもまたすぐに消えて新たな顔ぶれとなるから常にこれ誰??と自問してばかりだ。
 昔は好きだった歌番組も、楽曲そのものが好きではない、ついていけなくなったこともあるけれど、それより知らない若手歌手、アイドルばかりで、孫ほどの年の娘に鼻の下を伸ばすほど我の元気も失せてもうまったく見なくなった。

 よく年寄りは、「昔は良かった」と言ったものだと気づく。昔が良かったとは思わないが、過ぎた昔が懐かしいとはこのところよく我も思う。
 そしてかつて在ったそうした「昔」のもの、お店や街並みも人もモノもなくなってしまい新しい「今」のものに変わってしまったことが何とも言えず辛く淋しい。
 それが時間が経つ、時代の流れということなのだと思うし、栄枯盛衰も含めて諸行無常、古来から誰もが感じた悲哀、感嘆なのだともわかる。まさに「昔の光今いずこ」であろうか。

 長生きは有難いことだし、願わくば我も自分の業を成し終えるまでできるだけ長く生きたいと願うけれども、もし全てが新しいものになってしまい、自分が属していた「過去」のものが何もかもなくなってしまっていたら、それは生きていてもちっとも面白くも楽しくもないだろう。
 人はその人が属していた過去と繋がるものや人たちがいてこそ生きる気力がわくのだと気づく。玉手箱を開けずとも浦島太郎は、たぶん見知らぬ人ばかりの新しい代には生きていけなかっただろう。
 長生きした人には長寿の喜びと共にそれなりの辛さ、絶望的孤独があるのではないだろうか。

 むろん何であれ次々生まれて登場して来る新しいものをも、拒まず受け容れて認知して自分のものにしていけば良いだけの話だ。
 しかし、今でさえそれはすごく抵抗がある。昔のものは皆スゴク不便で面倒であったし、よって科学技術は進歩したわけで何もかも旧には戻せないわけだが、もうこれ以上追いついていくのは我は限界だと思えてきた。
 テレビだって4kだか8kだか知らないが、もう今うちにあるテレビ、これ以上の画質は家庭では必要ないのである。同様に我には不必要なものが今の時代には溢れている。
 平成どころか昭和の時代、「戦後」の影が濃い時代に生まれ青春時代を昭和に生きた者として、今の人には「昔話」にしか過ぎないことだが、「昔のこと」にこだわり語っていきたいと思えてきた。

 何であれまずは体調を見据えながら、折々、我が知る「昔のこと」を、平成を回顧する以前記していきたいと思う。

まだまだできることとすべきことがあると2019年02月15日 22時03分57秒

★困った、父の体調が悪い

 私事を書く。このところ老父の体調が悪く、どうにも他のことが手につかない。今日は医師の訪問診療を頼み、とりあえず薬出してもらった。微熱が続き、昼夜咳が続いている。簡易検査の結果、幸いインフルエンザの疑いはなくなったようだが。当面は自宅で様子見となろう。

 実際のところ、九十半ばになろうとする人なのだから、いつ死んでもある意味良いのである。ただ、家族として介護する者としては、今ここで急に死なれるとちょっと困る、いや大いに困るというのが本心だ。改めてそう気づく。
 何しろ、来週2/23日には、我が責任負う「共謀」コンサートが、谷保かけこみ亭で控えているわけで、入院にしろ葬式にしろ今ここで父のことで時間奪われるのは想定外というしかない。こんな我でも対社会的責任がある。

 そう、いつ死んでもおかしくない人を抱えて暮らすことは、こういうことなのだと今改めて気づく。思えば、母の時も同じであったが、いざそのとき、コトに直面したときは、まだまだ時間はある、まだできることとすべきことがある、と強く思った。しかし結局為すすべなく、なし崩し的に「現実」に打ち負かされ「敗北」していくことだ。
 そうした思いはおそらく誰もが肉親や愛する人の死のときに感じたことではなかろうか。無力感に苛まれる。

 しかし、それもこれも結局のところ、人の死とは、天命であり、その人の命のリミットだったのではないかと、このところ思えるようになってきた。だが、だからといって、そのとき、死に臨むときこそ、何くそっ!!何としても、と強く思う気持ちこそ一番大事だと思うし、そうして、できることとすべきことの先に、人の死があって然るべきだという考えは揺るがない。でないと後々までずっと悔いが残ろう。
 生者は死者に、いや、死に行く者に何がどれだけ出来たかということだ。誰もが常にそれが問われている。それこそが看取る側、生者の義務なのである。
 そう、それを怠る者は、やがて自らの死のとき、同様にないがしろにされても文句は言えまい。

 いや、何であれ、ときにことにおいては、まだまだできることとすべきことがあるのだ。そのはずなのである。そう思い、あれこれ必死にもがきあがくのが人間であり、人間らしさなのではないだろうか。
 運命や天命は確かにある、しかしそれは諦めや諦観とは絶対に違う。相手任せとは違う。あくまでも駒は、我らの手のうちにあり、その一手の先にそれがあるのだと信じたい。

 ならばこそ、最期の最期まで、絶対に諦めてはならない。坂口安吾が説いたように見苦しくももがき苦しみ生を全うすることだ。そう、何であれ、絶望や諦観はたやすい。大事なことは、最期の最後まで、まだまだできることとすべきことがあると信じてそれを模索していくことではなかろうか。
 敗北はする。しかし、そのことがまた次に活かし続くのだと信じたい。人類の歴史とはそうした「敗北」や挫折の上に、学び得たものではなかろうか。ならば人もまた、であろう。

2/23日の女たちの「共謀」コンサートまで一週間2019年02月16日 12時46分09秒

★参加協力者、お手伝い、募集中!! もちろん観客も!!

 また胃というか、みぞおち辺りがしくしく痛む。どうしたものか。
 父のこともあるが、毎度のこと、コンサートが近くなったが、まだいくつか必須の下準備が滞ってることとか、今回はスタッフとして「お手伝い」してくれる方が皆無となりそうなので、我一人で果たしてどこまでできるか、あれこれ考えてしまいそうした「人間関係」で心痛ならぬ胃痛が起きてるかと思える。そう、とかくこの世は住みにくいというか、生きにくいと痛感する。

 すべてつまるところ、我の不徳の致すところということであり、毎度の考えなしの行動や不用意な発言が他者を傷つけ、ときに怒らせ、不信感につながっていく。
 そうした「トラブルメーカー」なのは自認し極力注意して何事も臨むように務めているつもりだが、それでもまた人間関係の問題は常に起きてしまうわけで、正直めんどくさいとも思うし、ならば誰とも関わらず対世間的なことは何もせずじっと家に籠るか、山梨の古民家に居を移して、まさに世捨て人として何も一切発信せず、古本とレコードに埋もれて一人きりで暮らすべきかと夢想する。が、それは人非人、人でなしであろう。

 漱石の小説は、ごく初期のユーモア小説を除けば、そうした人が生きていくとき、どうしても生ずる面倒な世の雑事との軋轢と倦む気持ちとをどう処理するか、主人公たちに託して彼の苦悩を告白していることに気づく。 
 そして連載のつど、重度の胃潰瘍や神経衰弱に苦しみ、けっきょく今の我よりもうんと若くして胃潰瘍の悪化で死んでしまったのだ。作家生命もじつに短い。今ならば胃癌はともかくも胃潰瘍では死ぬ人はいないだろうに。

 我も敬愛する漱石先生と同じ病気に罹ったのかまだ何とも言えないが、胃痛の夜に、仰向けに寝ながらともかく腹部を温めようとして、電気アンカや猫を腹に乗せてまどろんでいるとき、「そうか!」と気づいたことがある。
 漱石は、胃潰瘍で入院したとき、腹部に乗せた温かいコンニャクをちぎって食べたと記してあるのを読んだ記憶があった。本人が書いていたのか、誰かの回想だったか忘れたが、それを読んだときは理解に苦しんだ。医師だか家人にそのことをたしなめられたとあったかと思える。
 が、今は、その気持ちは実によくわかる。我もまた空腹時に胃の周辺が痛むわけで、昔は胃腸病院でも治療のために腹部を温めるのは、湯で温めたコンニャクを乗せるぐらいのことしかできなかったらしく、空腹からの胃の痛みを止めるためにも、そこに食べられるものがあれば、味のないコンニャクであってもやはりちぎって食べていたかもと得心した。漱石先生のことを笑えない。

 何であれ、人は自らがそのとき、そのことを実際に体験してみないことには、ほんとうのことはわからないわけで、いくら読んだり聴いたりして想像力を働かせるとしても絶対に実体験には及ばない。
 人の痛みがわかる人になれ、とよく言われる。それは他者にとってそのことはどうか「想像」しろということだろう。しかし想像したとしても食べたことのないものは想像できないが如く、やはり人の痛みは自らもじっさいに体験、経験しないと絶対にわからないものではないか。
 俚諺に同病相憐れむというのがあるが、同じ病気の苦しみを味わった者同士は、経験において憐れみ合うことができるのである。

 病気ではなく戦争体験のようなものもいくら名文や優れた作品を読んだとしても想像の範囲以上には理解できない。まして実際の体験者や語り部が消えてしまえば、人はまた実際に経験してみないことにはその筆舌に尽くしがたい辛苦は理解できやしないだろう。よって戦争は必ず繰り返す。
 だからこそ戦争に関わるもの全て、武器や弾薬、軍隊も含めて、モラルや道義上の問題としてとらえるのではなく明白に「犯罪」だと認定して向き合うべきではないか。
 そう、他国を攻撃しニンゲンを殺すための軍事基地、米軍基地はその存在の時点で「犯罪」なのである。その基地をまた新たに、恒久的なものを美ら海を埋め立てて建設することは犯罪に加担することであり、それを許すことは「共謀罪」に値すると我は考えている。

2/23日、共謀コンサートに向けて、「近況」と「現況」2019年02月19日 20時35分37秒

★高月まな さんが23日新たに参加決定!!

 外は弱い雨が降っている。でも雪に変わるかもしれない真冬の氷雨ではなく、春めいた、春の訪れを告げる柔らかい雨だ。
 いよいよ谷保かけこみ亭での『女たちの「共謀」コンサート』が今週末に近づいて気持ちは昂ぶっている。腹部も相変わらず鈍く痛い。
 あれこれ当ブログも書きたいことは多々あるのだが、まずはそれに向けての我の近況、現況などから記したい。

 先に書いた父の不調、風邪?は存外大したことなく、今日はまたショートステイに行ってくれている。で、今これを記しているわけだ。
 微熱と咳とで先の金曜は終日寝込んでいた父だが、かかりつけ病院から医師の往診を頼み、寝込んでいる父の鼻に綿棒を突っ込み簡易検査をしたところ心配していたインフルエンザではなくかった。いちおう咳止めや淡を押さえる薬など処方してもらって安静にしていたら熱も下がり咳も収まった。
 風邪だったのか誤嚥性肺炎の初期症状なのかはっきりしないが、ともかくこのまま週末もお泊りしてくれないと我は、土曜のコンサートに専念できない。

 と、もう一つ頭?、いや胃を痛めていたお手伝いの人の件は、有難くも一人、旧い女友達が来てくれると連絡があり受付等担当してくれることになった。
 かけこみ亭に来られた方はご存知かと思うが、基本店員と呼べる店員は存在しない「セルフの店」なので、本場の讃岐うどん店や昨今流行りのセルフレジのスーパーのごとく、お客様が自分で会計、支払いまでやらないとならない。
 そういうシステム、そんなヘンな店だとわかっている客ばかりなら話は早いが、今回はおそらく初めての来場の方、一見さんとかも多いかと思うので、セルフレジのそばに説明や案内する店員が付いているように受付近辺に誰かいないとお客様は混乱するばかりだ。

 むろん厨房の中で、料理など作ってる現場担当者はいるが、よくステージにも乱入しているので、ほんとうに受付周辺には誰もいないということもままある店なのだ。
 いつだったかの共謀コンサートの時も、そんなで入り口、受付辺りが混雑混乱していて、きちんと案内する者や受付する者が不在だったためせっかく店には来たものの様子がわからず諦めて帰ってしまったお客も何人かいたと後から聞かされた。モッタイナイではないか!

 それと、今回新たにもう一人、女たちの共謀コンサートということで、声かけていた、LGBT当事者でもある、高月まなさんが愛用のバイオリンを携え参加してくれることになった。
 まだどのあたりで登場されるか未定だが、男であれ、女であれ、老いも若きも誰もが生き辛いこの閉塞感に満ちた日本社会を、変革していく礎、その一歩へとこのコンサートがなる気がしている。いつもに増して多彩な顔ぶれとなる今回の「共謀」コンサート、ぜひぜひ一人でも多くの方のご参加を期待したい。

 さらに、3月末31(日)の、やはりかけこみ亭での「みほこん」のレコ発記念コンサートも、出演者、時間など詳細がほぼ確定した。フライヤーも完成してきたようなので、近日お知らせしたい。

 さらにさらに、5月の超ロングの大型連休の最中の5日開催の、かけこみ「共謀」フォークジャンボリーも出演者がだいぶ確定してきた。
 ・五十嵐正史とソウルブラザーズ、藤しんいちろう、西島寛二、他、多彩な顔ぶれで、日中からのんびりと、かつパワフルに、皆で楽しく盛り上げたい。まだ出演者枠に余裕があるので、うたであれ、パフォーマンスであれ、当日ご参加希望者は、マスダ、かけこみ亭まで、連絡乞う。

命、旦夕に迫ろうとしている中で2019年02月20日 23時03分00秒

★ともかく一日一日一つ一つ

 このところ自らも体調悪いせいか、父ではなく自分さえももう長くないのではという気分になってきている。
 夢の中で、死んだ母やまだ生きている父がよく出て来る。父は相変わらず夢でも頼みもしないのに勝手なことをしていて、我を怒らせているが、母は何故か怒っていて我や父をがみがみ叱っている。
 生前でさえ、あまり口うるさく怒ることなどない人だったのに、どうしたことなのだろうか。今の我らの行いがあの世の母を怒らせているのか、それとも我の気持ちの問題なのか。

 ただ本当に切々と、もう我にも時間は残り少ないという気持ち、急き立てられるような気分にこのところなってきた。それが良いことなのかわからないが、ともかくもう時間がない。そう強く思い感じている。
 我の中では、60代に入ったとき、中川五郎たち団塊世代の先人たちを眺めて、まだあと10年は、何とか元気で頑張れると思い、そう先行きの計画を定めたが、思えばそれは元気な人たちを見てのことで、自分がそうであるという保証も確約も何もなかったのだ。
 そう、早逝する人は、もっと若くても逝くわけで、亡きのみ亭の主人のように、我より少し上でも60過ぎで癌の発見から半年で亡くなる人もいるのである。
 ならば何のあてにもならない目安を信ずるのではなく、まず今の体調を確認しながら、もっと短い予定を立てて日々時間を大切にして生きて行かねばならない。
 何であれ迅速に、簡潔に、手短に、これ以上増やさず溜めず、面倒に複雑にならないよう、二度手間、三度手間にならないよう意識してやっていかねばならない。

 思えばずいぶん、若いときから時間を無駄に浪費して来たと今さらながら気づく。しかも無為に生きて来た。金はなくとも時間は無限にあるように思えたし自由もすぐそこにあると、自分は何でもできると思っていた。
 しかし今、老いた父を抱え、自らも白髪交じりの老人世代のとば口に立つと、本当に何もできないまま、きちんとしたことは何も成し得ないままここまで来たんだ、いつしかこんな歳になっちゃったんだとただ溜息つくしかない。
 が、時間は戻せないのだからこそ、過去に思いをはせあれこれ悔やむこと自体がバカバカしいし時間の無駄であろう。
 果たしてあと何年生きられるのか、我にどれだけ人生が残されているのかわからないし自信もないが、だからこそ少しでも成すべきこと、ほんとうにやりたいことをしたいと強く思う。

 先にも記したが、今の我は、コンサートの企画、プロデュースすることこそが当面の我の役割だと思っているから、その規模に関わらず、ともかくお客を集めて、その我の信ずる音楽とミュージシャンを広く世にまず知ってもらうことに務めるしかない。そして我が愛し信じる「良い、本物の音楽」を知らしめていく。
 きちんとした収益も出して、彼ら歌い手に還元していくことだ。そのためには努力は惜しまないが、反面なにはともあれともかく時間がない。

 先の父の不調で今さらながら気づいたことだが、父の老い、呆けも含めた衰弱は確実に進んでいて、特にどこか病気にならずとも、まさに老衰して死ぬ日は近いと確信して来た。
 平成の終わりまでは生きるとは思えるが、果たして新元号の今夏今冬は無事に乗り切れるかは難しい気がしている。
 その近く死に行く人に、いったい何ができるか、我は何をすべきなのだろう。施設に預けてばかりいないで、もっと父と二人の濃密な時間を持つべきなのか。
 しかし、そんなことしていたら、また我は倦み疲れ果て挙句キレてまた大変なことが起きてしまうかもしれない。少なくとも父にはそんなセンチメンタルな感情はもうない、いや、元々ないのである。

 なにはともあれ、まずはこの23日の共謀コンサートを無事に盛況のうちに成し終えて、医療費など確定申告し終えて、我も精密検査受けて結果出てからの話だ。しかし果たしてそううまく想定通りにいくかどうか。
 できるとはともかく一つ一つ、一日一日、何でも先に伸ばさず、後回しにせずまず「今」、いますぐ片付けていくことだけだ。今できることは今すぐに。
 何とか今日は、コンサート関係者に、メールで当日の連絡事項は連絡し終えた。特に何か返信等なければ、あとは当日配布するプログラムや歌詞カードの作製にとりかかるだけだ。

 我が生きている間に、自ら書いた本やCD、物品などカタチあるものは何も残せないとは思うが、せめてこうして好きな音楽と愛すべき音楽の友人たちを繋いだ活動をやった男がいたという証を一つでも多く示していきたいと願う。果たしてあと何回こうした企画が実現出来るのだろうか。頑張らねばと思う。