昨日書いたことの追記2019年02月06日 14時23分49秒

★検査の結果、父はとりあえず「無事」であったが・・・

 昨夜は、2/23日の「共謀」コンサートの進行表などを考えつつ記して出演者の方々へ送信したりしたので寝たのも遅かった。 
 父もショートステイへ、朝から送り出したこともあり、今朝は不在なのでつい寝坊した。
 どんよりとした曇り空だと思って窓の外を見たら、隣家の庭は濡れていて、また弱い雨が降っていることを知った。慌てて外に出て庭先に出しっぱなしだった雑古紙などを家にとりこんだ。

 春先は毎年のこと、雨が多いのは当たり前であるけれど、年末からずっとカラカラでほとんど雨が降らなかった東京のこの冬も、ようやく2月に入ってきたら雨模様の日が多くなってきたようだ。
 一昨日だったか、予報では雨のマークは出ていなかったのに、朝起きたら夜半に弱い雨が降ったようでやはり庭や道路は濡れていて少し驚いた。
 そして今朝は、それから本格的な雨となって、朝はさほど寒くない、暖かい雨だと思ったのに、気温も上がらずかなり冷え込む雨の一日となってしまった。
 幸い、午後過ぎたら雨も上がってきたようで、今日6日は、夕方から都心に出る用事もあり、傘は不要となりそうで助かった。

 さて、先月末に、父を連れて市内のかかりつけ病院に父を連れて行き、肺のレントゲンを撮った結果が出た。
 昨年の秋、市が実施したミニドッグのとき、父も我も血液から尿、心電図、肺のレントゲンまでざっと一通り検査を受けたのだが、父は肺だけ、また変な影があると、再検査を命ぜられ、また肺炎でも再発したかと覚悟のうえで再検査の結果を待っていた。
 二週に一度、我家まで往診してくれる担当医の話では、見る限り先のレントゲンに映っていた異物はないとのことで、とりあえず「無罪放免」となった。やれやれである。
 知る限り、我の周囲では最高齢、九十代半ばの「超高齢者」である我が父は、幸いにして今年の冬は、風邪もインフルエンザにもかからず、頭の呆けはともかくも肉体的にはとても健康で、たぶんこのまま春を迎えられると思えてきた。
 ということは、平成も無事に乗り切るということであり、大正、昭和、平成、そして新元号と、四つの時代区分を体験する稀有な人となろうかと思える。それが目出度いのかはともかくもだが。

 そしてその息子である我は、先のミニドッグの時は異常はどこもなかったのだけれど、先日深夜起きた突然の腹痛から胆石の疑いがあり、明日7日、そのための腹部の検査を受けに行く。
 幸いこのところ、そうした強い痛みは起きていないし、疑いだけで異常なしで済むことを祈り願うしかないが、ともかく検査受けてからのことだ。
 お金も時間も様々な物も生きていくのに不可欠のものだが、やはりいちばんは健康なのだとこのところつくづく切実に思うようになった。
 どれほどお金があろうと、痛みや不具合を抱えて寝たきり状態では、我は何もできないと思えるし何より残り少ない時間がもったいない。そうした人生に意味も価値もあるには違いないけれど。
 すべてはまず健康で動けることから始まる、始められるわけで、金と健康は量りにかけることすら無意味なとことだ。
 そして、こうも思う。やがて我もまたさらに老いれば、さらにあちこちに不具合が出て、父のように自力で歩けなくも動くことすら難儀となろう。
そして最後は寝たきりとなって、介護者の手を借りて何とかかろうじて日々生き永らえていく存在と化す。
 その日が近いと思えるし、それは間違いなく誰にでも訪れるわけだから、日々今動けることに感謝して、健康に留意して今ある時間を無駄なく大切にしていかねばと強く思う。
 若い頃は、元気や健康が当たり前であった。今では、それ自体が有難い、大切なものになった。先のことはわからないが、何としてもあと10年は、我に健康で自由に自ら動ける肉体を維持できることをただ祈り願うだけだ。そう、あと10年でいいから。