平成30年間と半世紀50年を思うあれこれ・後 ― 2019年03月06日 09時46分08秒
★人生の半分を「平成」に生きた者として
と書いて来て、我は平成よりも生まれた「昭和」という時代に重きを置き、昭和を愛しそこに属する者だと自負しているが、ふと、よく考えてみれば我の人生の半分は既に「平成」なのだと気がついた。
今、還暦を少し過ぎて、自分の年齢を振り返るとき、昭和が終わった頃はちょうど30歳であり、そしてそれから30年過ぎて還暦過ぎた今の我がありその平成もほぼ30年で終わりとなる。
次の元号がどのぐらい続くかはともかく、こうしてほぼ30年ごとに区切ると、あと30年先は、次は90歳ということになる。未だ健在の我が父の齢まで生きられれば、十分次の30年もアリだが、我はとてもそんなに長く無事に生きられそうにないし、第一この国も地球環境さえ何も変わらずあり続けるとはとても思えない。
ともあれ、我にとっては昭和こそが意味があり、そこに価値と意味を重く置いているわけで、平成なんて何もなかった、無意味なつまらない時代だと漠然と思っていた。
しかし、今の我の仕事も人間関係も、音楽のことなど好きでやっていることもその全ては平成になってから知り得て始めたことであることに気づく。
繰り返し書いて来たが、元々究極のアナログ人間である我も、平成が10年過ぎ、1900年代が終わり21世紀になった頃から生活に行き詰まり、さすがに何とかせねばと生活の術をパソコン上に求めた。
親に借金して慣れないパソコンを手に入れ北尾トロ氏の指南本で学び、当時流行り始めたネット上の古書店を始めて古本販売で糊口をしのぎ始めた。じっさいその頃は、今みたいに「1円本」とか本自体が売れない時代ではなく、競合者も少なくかなり注文も収益もあった。
だが、ネット古書店仲間に誘われて、2005年の高田渡の死の直後に開催された、今はなき小金井公会堂での「追悼コンサート」に出向いたことで我の人生は、本から音楽へと軌道が大きく変えられてしまった。
すぐさま十代の頃に一時期関わりをもった中川五郎氏と連絡を取って、日本のフォークの世界に再び「帰還」することとなった。そして今に至るわけだが、そうした経緯は、以前のエキサイトブログも含めてずっとこうしてブログなどで逐一記してきたことだからもう改めて書かない。
で、結局のところ、今は、Amazonマーケットプレイスで、高額の手数料を「搾取」されながらも古本販売はそこで続けて、まあ小遣い銭程度を稼ぎ、後は自宅で老いて衰弱して来た90代半ばになろうとする父を介護しつつ二人で暮らしているというしだいだ。
そして国立市谷保のかけこみ亭などで、懇意にして頂いてるフォークシンガーを迎えては、コンサート企画を続けているわけで、そのどれも誰もが平成になってから出会い知り得たわけだと気づく。
昔ながらの、昭和の時代から友人知人で今も繋がりがあるのは、学生時代のほんの数人に過ぎない。後は誰もいない。
ということは、自分の人生は、昭和が終わるまでの生まれてから30年間という基礎の上に、平成の時代30年間があり、そこで多くの大きな出会いがあり、そうした「発展期」があって「今」があるということだ。※何であれ人より常に遅い、バカで遅れている我は、30になるまで自立できなかったのである。
平成とはどんな時代であったか。バブル崩壊や世界的テロや国内で多くの自然災害や戦前回帰の悪法が次々成立施行された時代であったが、何はともあれ、戦争がなく誰も死なず殺さず無事に過ぎた時代だったと言えるのだろう。現天皇が言うまでもなく。
それはまさに字のごとく、平和に成った時代であった。明治大正昭和と近代の元号で初めて戦争が起きないまま終わる元号となったわけだ。
その平和は、ひとえに、戦後からの70数年に続くわけで、そのことは「平和憲法」がこの国にあったからだと誰もが気づく。憲法が戦争参加の抑止力となって、今もぎりぎりのところで戦争には踏みとどまっているのである。改憲し自衛隊を書きこめば、たちどころにアメリカに請われるまま自衛隊は侵略されずとも他国を攻撃しに行き多くの市民をも殺害することだろう。
昨今あちこちで、祝・開店50周年とか、~活動50周年、画業50年、発刊50年、~生活50周年等という文字をよくみかける。そう半世紀も何かが続くことも昨今は特に珍しいことではない。半世紀50年がそうなら、思えば、平成の30年が我にはあっという間に思えるのも、何よりまず平和であったからにすぎない。
もしその期間に、戦時や非常時があれば、何であれモノゴトは中断を余儀なくされてしまう。そんな風に安穏穏便安閑に時は過ぎていくことはまずありえない。
次の元号の時代、名前は何であれ、とにもかくにも戦争が起きない、起こさせないため、この平和が続くためにも「平和憲法」を変えてはならないのである。そのために自分ができることを少しでも続けていく。
そして余談となるが、我のフォークソングの恩師・中川五郎がこの夏で古希を迎えるのと、音楽活動半世紀超えの記念と、これからも元気で活躍を祈念して、護憲と反戦平和のため「五郎と共謀」コンサートの企画が進んでいる。
ほんとうは、この夏中にと考えていたが、超お忙氏であるため8月、9月は彼のスケジュールは既にいっぱいだった。
なので早くても秋口となるが、決定次第お知らせしたい。
と書いて来て、我は平成よりも生まれた「昭和」という時代に重きを置き、昭和を愛しそこに属する者だと自負しているが、ふと、よく考えてみれば我の人生の半分は既に「平成」なのだと気がついた。
今、還暦を少し過ぎて、自分の年齢を振り返るとき、昭和が終わった頃はちょうど30歳であり、そしてそれから30年過ぎて還暦過ぎた今の我がありその平成もほぼ30年で終わりとなる。
次の元号がどのぐらい続くかはともかく、こうしてほぼ30年ごとに区切ると、あと30年先は、次は90歳ということになる。未だ健在の我が父の齢まで生きられれば、十分次の30年もアリだが、我はとてもそんなに長く無事に生きられそうにないし、第一この国も地球環境さえ何も変わらずあり続けるとはとても思えない。
ともあれ、我にとっては昭和こそが意味があり、そこに価値と意味を重く置いているわけで、平成なんて何もなかった、無意味なつまらない時代だと漠然と思っていた。
しかし、今の我の仕事も人間関係も、音楽のことなど好きでやっていることもその全ては平成になってから知り得て始めたことであることに気づく。
繰り返し書いて来たが、元々究極のアナログ人間である我も、平成が10年過ぎ、1900年代が終わり21世紀になった頃から生活に行き詰まり、さすがに何とかせねばと生活の術をパソコン上に求めた。
親に借金して慣れないパソコンを手に入れ北尾トロ氏の指南本で学び、当時流行り始めたネット上の古書店を始めて古本販売で糊口をしのぎ始めた。じっさいその頃は、今みたいに「1円本」とか本自体が売れない時代ではなく、競合者も少なくかなり注文も収益もあった。
だが、ネット古書店仲間に誘われて、2005年の高田渡の死の直後に開催された、今はなき小金井公会堂での「追悼コンサート」に出向いたことで我の人生は、本から音楽へと軌道が大きく変えられてしまった。
すぐさま十代の頃に一時期関わりをもった中川五郎氏と連絡を取って、日本のフォークの世界に再び「帰還」することとなった。そして今に至るわけだが、そうした経緯は、以前のエキサイトブログも含めてずっとこうしてブログなどで逐一記してきたことだからもう改めて書かない。
で、結局のところ、今は、Amazonマーケットプレイスで、高額の手数料を「搾取」されながらも古本販売はそこで続けて、まあ小遣い銭程度を稼ぎ、後は自宅で老いて衰弱して来た90代半ばになろうとする父を介護しつつ二人で暮らしているというしだいだ。
そして国立市谷保のかけこみ亭などで、懇意にして頂いてるフォークシンガーを迎えては、コンサート企画を続けているわけで、そのどれも誰もが平成になってから出会い知り得たわけだと気づく。
昔ながらの、昭和の時代から友人知人で今も繋がりがあるのは、学生時代のほんの数人に過ぎない。後は誰もいない。
ということは、自分の人生は、昭和が終わるまでの生まれてから30年間という基礎の上に、平成の時代30年間があり、そこで多くの大きな出会いがあり、そうした「発展期」があって「今」があるということだ。※何であれ人より常に遅い、バカで遅れている我は、30になるまで自立できなかったのである。
平成とはどんな時代であったか。バブル崩壊や世界的テロや国内で多くの自然災害や戦前回帰の悪法が次々成立施行された時代であったが、何はともあれ、戦争がなく誰も死なず殺さず無事に過ぎた時代だったと言えるのだろう。現天皇が言うまでもなく。
それはまさに字のごとく、平和に成った時代であった。明治大正昭和と近代の元号で初めて戦争が起きないまま終わる元号となったわけだ。
その平和は、ひとえに、戦後からの70数年に続くわけで、そのことは「平和憲法」がこの国にあったからだと誰もが気づく。憲法が戦争参加の抑止力となって、今もぎりぎりのところで戦争には踏みとどまっているのである。改憲し自衛隊を書きこめば、たちどころにアメリカに請われるまま自衛隊は侵略されずとも他国を攻撃しに行き多くの市民をも殺害することだろう。
昨今あちこちで、祝・開店50周年とか、~活動50周年、画業50年、発刊50年、~生活50周年等という文字をよくみかける。そう半世紀も何かが続くことも昨今は特に珍しいことではない。半世紀50年がそうなら、思えば、平成の30年が我にはあっという間に思えるのも、何よりまず平和であったからにすぎない。
もしその期間に、戦時や非常時があれば、何であれモノゴトは中断を余儀なくされてしまう。そんな風に安穏穏便安閑に時は過ぎていくことはまずありえない。
次の元号の時代、名前は何であれ、とにもかくにも戦争が起きない、起こさせないため、この平和が続くためにも「平和憲法」を変えてはならないのである。そのために自分ができることを少しでも続けていく。
そして余談となるが、我のフォークソングの恩師・中川五郎がこの夏で古希を迎えるのと、音楽活動半世紀超えの記念と、これからも元気で活躍を祈念して、護憲と反戦平和のため「五郎と共謀」コンサートの企画が進んでいる。
ほんとうは、この夏中にと考えていたが、超お忙氏であるため8月、9月は彼のスケジュールは既にいっぱいだった。
なので早くても秋口となるが、決定次第お知らせしたい。
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