父は安泰、ならば、さあ、3/31のコンサート、がんばろう2019年03月23日 23時35分01秒

★とりあえず報告を~我が父は幸い大過なく回復しました。そのうえでコンサートに思うことなどあれこれ。

 老人と暮らしていると、まあ、当然ながら家族は大変である。その老人が、七十代、八十代ならばまだしも、九十代半ばで、しかも半ば呆けて、しかも身体不自由となってしまえば、その世話・介護する家族はさらに大変だ。そして、ウチはその家族とは、我一人なのだから、大変さの程もご理解頂けるかと思う。
 だからこのところは、息子の介護負担を軽減するため、市の福祉課やケアマネたちは、あれこれ表裏に手を回して、けっこうショートステイなど介護施設にお泊りさせるようできるようになった。父が終日、家にいる日は、週によって異なるが、1~2日程度となった。我は一頃よりだいぶ自由になって来た。
※しかし、今回のように、父を施設に送り出して、ほっと一息、やれやれこれから都心に映画でも観に出かけよう、と思ってたら、その父が吐いて体調崩したという施設からの知らせである。
 ノロウィルスかもしれず、今は落ち着いて様子見だが、もし熱など出てきたら即施設に引き取りに行かねばならない。しかも翌日は、春分の日で近くの病院はお休みである。最悪の場合は、立川の本院まで救急搬送となる。
 施設にいるのである意味手はかからず楽ではあったが、容体急変して深夜でもいつまた電話がかかってくるかとおちおちぐっすり眠れなかった。

 そして、介護保険では負担一割で利用料それ自体は安いとしても、三度の食事やらさまざまな利用にかかる諸経費はすべて実費だから、介護保険料そのものも含めて父が生きていくため「介護」にかかる費用は、二つの施設を利用して月に10万近くとなる。父の乏しい年金の3分の2を占める。
 よって、どう切り詰めたとしても、残り5万円で、食費から光熱費、さまざまな税金まで全てまかなえるはずがない。このころずっと我家は赤字である。

 仕方なく、息子の乏しい貯金を毎月取り崩しては何とか補填しているのだが、それもついに尽きて来て、そろそろどう工面するかで頭痛い。母の遺してくれた定期預金を解約するか。
 幸い今は、日本中が人手不足だから、倉庫作業や夜警のような仕事なら60過ぎの我にでも口はあるかと思う。今さらだが、勤めに出るか。
 それにしても世間では「定年」となって、皆さんお仕事を終える歳になってから食い詰めて働きに行くのは、何とも情けないことではないか。しかしそれしかもう手はないか。何とかネットで何かやって食えないものか。このところ自問している。

 さておき。コンサートに思うことなどあれこれ。

 まあ、仕事に出るよりまずは父が家にいることが少なくなったので、我はまた週末など近場のライブには顔出るようになったし、自らもコンスタントにコンサートの企画再開できるようになった。
 そうしたことで少しでも懐が潤えば良いのだが、これはますます自腹切る、まさにタコが自らの足を食うような「趣味」であり、金持の道楽ならばともかく、何で我のような無年金の貧乏人がこんなことを・・・と、これまた時おり自問している。答えなど出ない。

 が、我の好きな音楽、そして我の好きな歌い手たちを招いてのコンサートは、どれほど大変でもこれは間違いなく素晴らしいステキなものであって、ミュージシャン自身でも、お店側でもなかなか自分たちでは企画できないことだから、誰かが、そのどちらでもない者が動かないと何も始まらない。それは興業の世界でいうプロモーター、プロデューサー、プランナー、プロデューサーといった役割で、この我にその資質や信任があるかはともかく、企画発案からそのライブの当日まで誰かが動き、準備し仕切らないとならない。

 幸い我の周りには素晴らしく良心的な、理解あるミュージシャンが多くいて、「薄謝」のギャランティでも快く有難くも出演して頂いている。次々回、5/5日も素晴らしいそうそうたるメンバーが十数組も登場してくれる。
 しかし興行とは、出演者が多ければ参加者が増えるわけでも、投げ銭制ならば、「収益」が多くなるわけではない。
 じっさいは、逆と言ってもよく、会場のキャパは増えるわけではないのだから、出る人たちが多くなれば、頂いた「投げ銭」を分配すると個々にはさらに微々たる額しか行きわたらない。
 コンサートを企画して一番頭というか、心痛めるのは、その「お金」のことだ。投げ銭とかカンパでないとしても、我らが企画するコンサートの入場料は千円~二千円といったところだ。三千円以上なんて値をつければまず誰も来ない。

 ところが不思議なのは、テレビやマスコミでちょっと名の売れた、少しはヒット曲のある歌手だと、ジャンルは問わずチケットは安くても5000円前後からなのである。洋楽の世界に至っては、一万円でも安いぐらいだろう。
 いつも思うのだが、今はプロとアマとだってその実力に差はない。そこにあるのは、多少はマスコミで取り上げられ少しは名と顔が売れたか、その違いだけであり、反対に我が企画するコンサートに出られる方はおそらく世間一般的には知られていなくても、その実力は一流なのである。それは保証する。
 しかし、けっきょくマスコミ的には売れていないというだけで、チケットも安く、ときに「投げ銭」制でのコンサートとせざる得ないのである。そして、はっきり書くが、今の人は、投げ銭だと千円というのが相場だとお考えのようだ。そして、そういう人に限って、市民会館などで企画されるオールドネームの歌手ならば軽く五千円以上出してもそれが当たり前だと思い平気で出すのである。

 もし、本当にあらゆる芸術、どんな音楽でも広くその裾野を広げていくことが、文化のレベルとして必要ならば、学校教育や国が後ろ盾となるようなアカデミックなもの、そして歌謡曲的興行以外にもっと「民間」レベルで音楽を国民誰もが気軽に楽しめる環境をつくらねばならないはずだ。好きな音楽を聴きながら食事をとり酒を嗜む。それは、一部の大金持ちたちが、ブルーノート東京や、六本木の高級ライブハウスやホテルのディナーショーで楽しむ特権的なものではないはずだ。もっと身近に、住む街の近所に、そうした音楽文化を楽しめる店があって本来然るべきではないか。とうぜんもっと低料金で。
 
 このところ我がコンサートを企画し場を提供して頂いている国立市谷保のかけこみ亭は、本当に実に良心的なお店だ。知る限り、あんなに食べ物もドリンク類も安くて、美味しくてしかも素晴らしい音楽が投げ銭制や低料金で聴ける店はおそらく他にはないのではないか。まさに商売っ気抜きで長年やっている。ゆえにそこも赤字続きで、いつ閉店となるかわからない。
 しかし、我の住む西多摩、立川近辺に、そうした気軽に低料金で素晴らしい音楽を楽しめる敷居の低いユニークな店があるのは実に有難いことだと思う。まあ、かけこみ亭、初回は、初めて来られる方は、何か怪しい胡散臭い雰囲気があり、何かのカルト宗教の集会所かもと思い怖いと感じる方はいるかもしれないが。まあ、人はともかく、店は見かけで判断するなかれである。

 ともかく、父は何とか今回も回復してまた施設に行ってくれた。このまま入院したり最悪はノロウィルスだとしてずっと自宅待機となったりしたら、今月末のみほこんのレコ発コンサートも企画した我が不在となるところであった。
 まあ、何が原因で吐いたのかそれはわからないが、父が無事に日々健康でないと我の「趣味」もやっていけない。お金の工面よりも今一番頭痛め心配せねばならないのは、我が父がいつまで無事で家にずっといるのではなく定期的に介護施設に通ってくれるかだ。