安倍内閣は、沖縄に対する「いじめ」を直ちに中止せよ! ― 2019年03月27日 23時26分03秒
★いじめ防止を叫ぶならば、まず政府、政権が範を持って示せ!
いじめによる児童の自殺が後を絶たない。いや、子供たちに限らず、大人社会でも、パワハラによる「いじめ」で自殺する者が少なからずいる。いじめは子供たちだけの問題ではなく、今この日本社会全体皆で考え取り組む重要課題である。ようやく政府も本腰入れ始めたらしい。
「いじめ防止」がいま、喫緊の課題として日本では声高に叫ばれている。そう、いじめはどんなタイプであれ失くしていかねばならぬ。
しかし、我はふと思う。では、いま、沖縄で起きていること、安倍政権による辺野古の海を埋め立て新基地建設を民意を無視して強行し続けることこそ、「いじめ」ではないのかと。それも沖縄県民に対しての。
先の県民投票でも、法的拘束力は何もないのにも、辺野古埋立てに対して「反対」の圧倒的民意が示されたのに関わらず、そんな民意は無きごとくまたも無視し土砂投入を続け、政府はさらに新たな区域にも土砂を投入して、沖縄の民意、県民の思いを踏みにじり続けている。
これはまぎれもない「いじめ」ではないか。
ちなみに、文科省の「いじめ」の定義とされるものを以下に記す。この5つのどれかに当てはまれば、それは「いじめ」行為だとされている。
1.反復性:相手が嫌がることを複数回行う
2.同一集団内:その行為が常に特定の集団内で起こっている
3.立場の不対等:行為者が優位な立場にある、片方が一方的に貶められている
4.故意性:嫌がっていることを理解した上で行っている
5.傍観者の有無:1対1ではなく、周りに傍観者がいる
どうであろう。すべてが沖縄への「いじめ」行為にあてはまると誰でも理解できよう。そう、今も安倍政権がし続けていることは、沖縄に対する明白な「いじめ行為」なのである。いじめ防止を叫ぶならば政府自らまず範を示さねばならぬ。
特に、4の、故意性の有無こそがいちばん問題で、相手が嫌がってることを理解したうえで行っている、ことこそ、今、政府がとり続けている姿勢そのものではないか。沖縄連民の多くは、辺野古の海に土砂を投入しての新基地建設を嫌がって、「中止」を強く求めているのだから。
仮に、子供たちの間で、いじめ行為があり、いじめられた当人が、やめてくれ、と強く叫んでいるとする。しかし、それを無視して、いじめ行為を続けてたとしたら、それはいじめられた当人に「寄り添っている」とはどう誰が見ても絶対そうは言えないだろう。いじめはいじめでしかない。
沖縄県民が嫌がる行為を繰り返し続けながら、どうして「寄り添う」とか理解してもらえるよう努力するとか、説明続けるなんて言えるのか!もはや沖縄いじめはここまで続くと「虐待」の域に入るかと思う。不屈の沖縄の人たちは自殺などしないだろうが、抗議の自殺者だって出てもおかしくない事態ではないか。
そう、まだ人は誰も死んでいない。ジュゴンが数匹?死んだ程度のはなしだ。しかし、ここまで民意を無視して、基地負担軽減とか空言を言いつつ、軟弱地盤補強のため完成は何年先になるかもわからないのに、新基地建設に固執しひたすら埋め立て強行する政権の非情さ、異常さを我は強く怖れ憤る。これは民主主義の否定行為だ。
確かに、普天間の騒音や墜落の恐れはなくなるかもしれない。しかしそれが辺野古周辺に移設されるだけの話で、基地がある限り騒音も含めて被害は決してなくならない。単にまた沖縄県内で基地をたらい回しに移動させているだけの話ではないか。
「いじめ」認定の5.にあるように、苛められている当事者の周辺には、常に傍観者がいる。それはいじめられる当事者でなくて良かったという場合もあろうが、大概は無関心かつ無知な立場の者である。ああ、あいつ、いじめられてるなあ、と気づいても見て見ぬふりをしている。
日本の場合は、内地の人、つまり日本本土の人たち全てが当てはまる。ならば我々はまず沖縄のことを知ろう。そして、傍観せずにいじめが続いている沖縄を助けるべく、政府政権に、もうこれ以上沖縄いじめは即ヤメロ!と新基地建設中止を迫って行こう。見て見ぬふりはもうやめよう。
いじめは、人間に対してだけのものであろうか。虐待がペットなど動物にも適用される昨今、いじめ・虐待は自然界の生き物全て、つまり自然そのものにも同様にあてはまるはずだ。
今から百年も前に、足尾鉱毒事件の義人田中正造は、いみじくもこう記している。
真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし、と。そう、ならばこそ、美ら海も荒らさず、である。さらに彼はこう続ける。
世界海陸軍を全廃すべし、と。そう、日本のどこでも米軍基地はいらない。
いじめによる児童の自殺が後を絶たない。いや、子供たちに限らず、大人社会でも、パワハラによる「いじめ」で自殺する者が少なからずいる。いじめは子供たちだけの問題ではなく、今この日本社会全体皆で考え取り組む重要課題である。ようやく政府も本腰入れ始めたらしい。
「いじめ防止」がいま、喫緊の課題として日本では声高に叫ばれている。そう、いじめはどんなタイプであれ失くしていかねばならぬ。
しかし、我はふと思う。では、いま、沖縄で起きていること、安倍政権による辺野古の海を埋め立て新基地建設を民意を無視して強行し続けることこそ、「いじめ」ではないのかと。それも沖縄県民に対しての。
先の県民投票でも、法的拘束力は何もないのにも、辺野古埋立てに対して「反対」の圧倒的民意が示されたのに関わらず、そんな民意は無きごとくまたも無視し土砂投入を続け、政府はさらに新たな区域にも土砂を投入して、沖縄の民意、県民の思いを踏みにじり続けている。
これはまぎれもない「いじめ」ではないか。
ちなみに、文科省の「いじめ」の定義とされるものを以下に記す。この5つのどれかに当てはまれば、それは「いじめ」行為だとされている。
1.反復性:相手が嫌がることを複数回行う
2.同一集団内:その行為が常に特定の集団内で起こっている
3.立場の不対等:行為者が優位な立場にある、片方が一方的に貶められている
4.故意性:嫌がっていることを理解した上で行っている
5.傍観者の有無:1対1ではなく、周りに傍観者がいる
どうであろう。すべてが沖縄への「いじめ」行為にあてはまると誰でも理解できよう。そう、今も安倍政権がし続けていることは、沖縄に対する明白な「いじめ行為」なのである。いじめ防止を叫ぶならば政府自らまず範を示さねばならぬ。
特に、4の、故意性の有無こそがいちばん問題で、相手が嫌がってることを理解したうえで行っている、ことこそ、今、政府がとり続けている姿勢そのものではないか。沖縄連民の多くは、辺野古の海に土砂を投入しての新基地建設を嫌がって、「中止」を強く求めているのだから。
仮に、子供たちの間で、いじめ行為があり、いじめられた当人が、やめてくれ、と強く叫んでいるとする。しかし、それを無視して、いじめ行為を続けてたとしたら、それはいじめられた当人に「寄り添っている」とはどう誰が見ても絶対そうは言えないだろう。いじめはいじめでしかない。
沖縄県民が嫌がる行為を繰り返し続けながら、どうして「寄り添う」とか理解してもらえるよう努力するとか、説明続けるなんて言えるのか!もはや沖縄いじめはここまで続くと「虐待」の域に入るかと思う。不屈の沖縄の人たちは自殺などしないだろうが、抗議の自殺者だって出てもおかしくない事態ではないか。
そう、まだ人は誰も死んでいない。ジュゴンが数匹?死んだ程度のはなしだ。しかし、ここまで民意を無視して、基地負担軽減とか空言を言いつつ、軟弱地盤補強のため完成は何年先になるかもわからないのに、新基地建設に固執しひたすら埋め立て強行する政権の非情さ、異常さを我は強く怖れ憤る。これは民主主義の否定行為だ。
確かに、普天間の騒音や墜落の恐れはなくなるかもしれない。しかしそれが辺野古周辺に移設されるだけの話で、基地がある限り騒音も含めて被害は決してなくならない。単にまた沖縄県内で基地をたらい回しに移動させているだけの話ではないか。
「いじめ」認定の5.にあるように、苛められている当事者の周辺には、常に傍観者がいる。それはいじめられる当事者でなくて良かったという場合もあろうが、大概は無関心かつ無知な立場の者である。ああ、あいつ、いじめられてるなあ、と気づいても見て見ぬふりをしている。
日本の場合は、内地の人、つまり日本本土の人たち全てが当てはまる。ならば我々はまず沖縄のことを知ろう。そして、傍観せずにいじめが続いている沖縄を助けるべく、政府政権に、もうこれ以上沖縄いじめは即ヤメロ!と新基地建設中止を迫って行こう。見て見ぬふりはもうやめよう。
いじめは、人間に対してだけのものであろうか。虐待がペットなど動物にも適用される昨今、いじめ・虐待は自然界の生き物全て、つまり自然そのものにも同様にあてはまるはずだ。
今から百年も前に、足尾鉱毒事件の義人田中正造は、いみじくもこう記している。
真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし、と。そう、ならばこそ、美ら海も荒らさず、である。さらに彼はこう続ける。
世界海陸軍を全廃すべし、と。そう、日本のどこでも米軍基地はいらない。
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