「時代」は変われども「世界」は何一つ変わらない2019年04月01日 09時27分50秒

★改元のお祭り騒ぎに浮かれ踊らされるなかれ

 四月一日である。新年度の始まりであり、しかも今日は、特番として菅官房長官による「新元号の発表」がある。
 今日から新しい元号に切り替わるわけではなく、まだ一か月の猶予があるわけだが、もうテレビ欄は、新元号、決定、発表の見出しで「特集・特番」がずらり並んでいる。

 そして何かわからないけれど、オメデタイ雰囲気が新聞やテレビ、マスメディアには早くも漂っている。まあ、天皇という一個人の死で、突然これまで使って来た元号が終わり新たなものに変えられるのも困ったことだが、今回は、そうした不慮の事態なく、スムーズに移行する特異なケースだからそれはそれで目出度いという気分なのであろう。そう、誰も死なないことは良いことだから。

 おそらく、何でだかわからないけれど、安倍政権の支持率もまたこれで回復するのではないか。ご祝儀相場というようなもので、日本人はお祭りが好きで、そうした気分にすぐ我も我もと踊らされてしまうから。

 しかし、実は何一つこの現実世界は変わらない。新元号が何に決まろうとおかまいなしに辺野古の海には土砂が投入されて埋め立ては進んでいく。国民の多くが新元号、そして東京オリンピックに浮かれ気持ちも目も奪われている間に。
 そしてこの4月から新聞代から食料品まで何もかも値上がりする。原材料費の高騰とかが理由とされているが、要するに消費税アップ後の値上げは、さらなる価格アップとなって抵抗が強くあるだろうから今のうちに、である。企業とはそうしたものだ。
 これで消費税が10%になれば、どうやって生活していけば良いのだろう。ウチなど考えただけで憂鬱になり我はまたお腹が痛くなってくる。
 そう、新元号になってもちっともオメデタイわけではなく、さらに生活は苦しくなり世界は破滅と混迷の度を深めていく。特に安倍とトランプの政権が続く限り。欧州も英国発の混乱が続いている。

 新元号が何になろうと、実際の国民生活には何一つ変わりはない。新時代に期待と希望の気持ちを込めるのは人の心理であり、当然のことだが、ならばこそ、真に世界を変えてほしいと望み願うのならば、まずは行動あるのみだ。何もしないで新元号を祝いそこに期待しても無意味でしかない。
 幸いこの社会を動かしている「政治」そのものを変えるチャンスが今年はある。まずは全国各地の統一地方選挙であり、今夏の参院選だ。

 どうか誰もが棄権することなく、その一人の一票の権利を行使してくれることをただ願うのみだ。この現実世界を変えたいと少しでも考えるならば、まずは選挙に行くことからだ。

安倍政権の意向に沿い、忖度された!?新元号?2019年04月01日 19時14分15秒

★「令和」に思う。

 新元号が発表された。政府の御用学者や文化人、マスコミ関係者は、誰も異口同音に綺麗な「良い元号」だと口を揃えている。
 ひねくれ者の我は、正直なところちっともそう思えない。奇異というか、何かまとまりの悪い、やや不穏というか不安な気持ちにさせられる。
 発表直後、安倍首相が自らしゃしゃり出、そこに期待の意味をあれこれ込めて語ったこともヘンな気がするし、その彼の「解説」は自民党の政権広報によく似ていると思うのは我だけか。要するに素晴らしい「美しい国ニッポン」という思いが込められたということだろう。
 ※その後、NHKは夜9時からの「ニュースウオッチ9」の中で、安倍首相をゲストとしてスタジオに「お招き」して約30分間も彼に好き放題に話させるという「安倍特番」を提供した。こうした改元を利用した安倍政権礼賛の偏向報道姿勢には今さらながら深く憤りを覚える。

 しかし、昭和もそうだったが、使いなれない言葉であってもしだいに時間と共に慣れ親しんで奇異にも変にも思わなくなるのが「言葉」であり、平成がそうであったように、もしかしたら後になると良い元号だと多くの皆が思うときが来るのかもと思える。

 ただ、「令和」という言葉のみからは、安倍首相が言うような良い意味を「解釈」するのは難しいと我は考える。それは「令」という字である。
 字義としての「令」には、彼が期待する良い意味もあることはある。しかし、「令」の第一の意味は、「法令」などの「令」であり、法律とか決まり事を意味する字なのである。
 つまり漢文的に読み下すならば、令シテ和トナス、であり、法律によって取り締まって国をまとめるという意味となる。つまるところ昔で言うところの治安維持法のことだと拡大解釈もできる。
 近づくオリンピックを前に、テロ対策の名のもとに共謀罪をはじめとする国民を取り締まる「悪法」を次々数多く強行採決で成立施行してきた強権安倍政権である。新元号「令和」とは、そうした安倍政権の今後の意向を鑑み「忖度」された元号だと深読みする我は、オカシイのであろうか。 
 そうそう、「令」という言葉に違和感というか我に不安な気持ちが湧くのは、それが「令状」「命令」「号令」などの「言いつけ」「命ずる」意味の「令」だからだと気がつく。字義的にはそれこそが筆頭の意味として多くの字典に載っている。そうして「和トス」のである。
 つまるところさらなる「強権国家」の意味、安倍晋三の願いを込めた元号ということだろうか。

さあ、気分を変えて新たな時代へと2019年04月02日 07時56分30秒

★春四月に入った。

 新元号についていろいろ思うところあるが、安倍首相たちは、改元騒ぎをお得意の「政治ショー」化し政権の人気回復を狙って私物化、利用したことだけは、改めて記しておく。またそれを、無批判に持ち上げたメディアの責任も問われるべきだと。※いま統一地方選の選挙戦のまっ最中なのである。

 またマスメディアも、国民皆が新元号の発表を待ちかね、テレビや街の大型スクリーンなどで、その瞬間を固唾を吞んで見ていた、と報じたが、じっさいはそんなことはない。ごく一部ではないが、「一部」の関心ある人たちが関心もち渋谷の「ハロウィン」的に騒いでいたことに過ぎないということも記しておく。
 というのは、我はその直後、近くのラーメン屋に行き、そこにいた客たちの会話や動向に注意していたが、その店内にいた人たちからは、ただの一言も「令和」なる言葉は聞かれなかった。拍子抜けした。
 カップルはスマホ片手に何かの予約サイトのことで話していたり、学生たちは雑談に興じて食べ終わった後も騒いでいたし、誰もがまったく新元号に無関心、無関係であった。
 一般の国民にとっては、新元号が何に決まろうとじっさいはどうでも良いことなのだと、関心ある者としてやや残念な思いで「現実」を痛感した。
 ただ、それに関心ある人、いや、このお祭り騒ぎにスマホ片手に「参加」したい者だけが、繁華街の大型スクリーンの前に集まっていただけの話で、報道というものは、それを「ニュース」として取り上げて「国民皆が」「多くの国民が」待ちかねていた、と報じたのである。

 よく歴史記録映像として流される、敗戦時の玉音放送の音声に合わせて皇居前で涙し膝まづく人々の映像も、じっさいは一部の人たちであったのだという。それが「特異」であったから、カメラが向けられ記録されたに過ぎない。しかし、今日では、その映像によって、「国民の多く」が、そのとき哀しみ泣き崩れたということになるのである。
 同様に、平成から令和への改元時、その新元号の発表の際には、当時の国民は、誰もが固唾を吞んで発表を待ちかねていた、と後世報じられていくのであろう。一般的「現実」はそうでないのに。

 そんな4月1日は終わり、今日は2日である。これから父を起こして朝食摂らせてまたお泊りに送り出して、我は今月、これからのことに取り組んでいく。そのスピードあげていこう。
 みほこんのコンサートも無事に終わった。次は、5月5日の「共謀」フォークジャンボリーだが、その準備と並行して、我は今度こそ「自分のこと、自分の人生」に本腰入れて取り組んでいく。
 元号が変わるからではなく、自分にとっての「新しい時代」を構築させていくために。本当の意味での我が「後半生」をしっかり確かな、自分のものにしていくために。

泣きたいような、眠たいような~二か月半ぶりの山梨で2019年04月04日 23時49分00秒

★ここで全てを終わらせて、ここから再出発していくと誓う

 みほこんのコンサートも無事終わったので、やっと気持ちも時間も一段落した。で、一昨日、火曜日の夕刻から、今日木曜の午後遅くまで、我は、犬のベルコ連れて山梨の倉庫兼古民家に行ってきた。
 前回訪れたのは一月末であり、この二月、三月といろいろ多忙で行きたくてもずっと行けないでいたのだ。が、またトラブルに見舞われた。毎度ながらの自業自得である。自戒を込めてその報告。
 
 ともかく向うは寒かった。「花冷え」という言葉は知っていたが、その古民家がある場所は、標高も高い山里なので、まだ桜どころか梅が満開の季節であり、山々の樹々は冬枯れしたままだった。東京より一か月は季節は遅れている。
 比叡おろし、ならぬ八ヶ岳おろしの乾いた冷たい強風が吹き荒れ、我は鼻水垂らしながら、庭先で車からの本の荷卸ししつつ、車内を徹底的に掃除していた。寒さのあまり足の指の感覚が凍えて感じない。鼻水も止まらない。溜めてあったバケツの水は氷が張っていた。ということは、夜間はまだこちらは氷点下であったのだ。どおりて寝ていても寒くて熟睡できないはずだ。

 昨日は晴れ間も時々あったけれど終日曇りがちの天気であった。晴れているときは春の陽射しを浴びればまあ暖かい。しかし曇ってるときは、北からの吹き荒れる北風を受けてもう泣きたい気分である。
 じっさい目が乾いてしょぼしょぼして涙目である。ほんとうに泣きたい気持ちであった。というのも今回、一昨日の夜、向うに着いたとき、車内にあるはずの古民家の玄関の引き戸の鍵がみつからなかったのだ。
 いつかこんなことが起こるような気がしていたが、車の中を探しまくっても家の鍵がみつからず、中に入れないのだ。
 山梨へ来たもののどうしたものか、途方に暮れた。

※長くなるのでもう一回、明日書き足します。もう今晩は、疲労の限界。

泣きたいような、眠たいような~二か月半ぶりの山梨で・追記2019年04月05日 22時17分42秒

★人生はここからまだやり直せると信じ願って

 これまでも我マス坊自らの失態、失敗は繰り返し拙ブログで書き記して来た。これでも包み隠さずできるだけ正直にありのままに、だ。
 しかし改めることできずまた性懲りなく繰り返すのならば、いったいそこに何の意味があるのだろう。ただ愚か者の愚痴でしかないし、誰にとっても無意味で呆れ果てられよって誰も読みもしない。
 自分でもうんざりだ。

 が、これが最後の気持ちとして書き記しておく。たぶんもうこの先はないし、またも繰り返すならば、このブログも終わりにしていくつもりでいる。
 自分がとことんダメで、どうしようもないということは、能力の問題ではなく、人格の問題として、これはどうしたものかと、自分でもずっと頭痛めている。
 「能力」に限って言えば、我は決して劣等ではないと信じる。基本、バカではあるけれど、何かを表現する能力は、並以上のものがあると信じたい。それは企画力も含めての話として。
 だが、一番の問題は、この歪んだ性格で、とにもかくにもきちんとしたことがまずできないことに尽きる。つまり、整理整頓から、何かの維持管理、先行きの計画施行といった、人として当たり前のことが全くできない。
 つまり、まず「片付けられない症候群」であり、自らの人生を自ら維持管理できないのである。
 それでも還暦の歳まで何とか生きて来れたのは何とかなったからだろうという声もあろう。しかし、それは恥ずかしい話、我が母がいたからであって、家庭生活全般は、亡き母に一任し、母が我家を万事維持管理してくれていたから、父も息子も我らのこの家は何とか生活が人並みに成り立っていたのだった。
 その母が2016年に癌で逝き、男たち、つまり呆けて要介護の高齢の父と我は残され、この家の維持管理はすべて我一人で担当せざるえなくなった。
 そして当然のように全てが破綻した。家事は我だって母が生きていた頃から洗濯も炊事も一通りはできる。しかし、日々の掃除や税金、光熱費等の支払いなど対外的・基本的な生活の管理、生きていくためのきちんとしたことは、我はまったくできず、管理処理能力がない故、経済的にまず行き詰ってしまった。我が家はゴミ屋敷と化した。

 そして、それでも時は過ぎる。母の死後の一時期のPTSDも癒えて、今はようやく我が人生再建の緒についてきたということはこれまでも折々ここに書いて来た。これから何とか人生をきちんと管理して維持していく、残りの人生を頑張ろうという気持ちに嘘偽りはない。
 しかし、まだやはり根本のところは、相変わらずダメで、モノは溜まる一方で、まさにまだ収拾つかず、このところ父は、施設に預けられることが多くなったので、だいぶ手はかからなくなったものの、我が人生、生活の混乱度の改善の兆しは見えたとは正直言い難い。

 これまで本であれ、何であれモノが溜まると、山梨の倉庫に「とりあえず」車に積み込み運ぶということを繰り返してきた。当然向うも天井高くまで本や雑誌類でいっぱいになってきて、まさに汗牛充棟、足の踏み場もなくなってきてしまった。
 それらはゴミではなく、まずは「商品」として値が付き、「動く」ものか、まだきちんと処理、分別、確認もしていないのだ。商売柄、ウチには次々紙モノが常に入って来る。だが、我は父のことや音楽企画などでともかく時間がなく、それらをきちんと分別処理していく時間がなく、昔も今もモノは溜まる一方なのである。
 つまるところ根本解決せずに、ただ生きて時間だけが過ぎてモノは常に溜まり続けることを繰り返してきた。そう、使用済み燃料の処理先を考えずに原子力発電所を稼働し続けるように。

 ともあれ、今回も積み込んだ本や雑誌で車の中がいっぱいになってきて、ともかく山梨へ行き、向うに運び込まないと、という「状況」になってきていた。
 ようやく時間的、心理的にも一段落し、父も体調良くデイサービスに行ってくれたから、我はこの3日の水曜から二泊の予定でほぼ満杯の車を走らせた。が、内心何か気にかかるところもあった。
 それは向うの家の「鍵」である。いつもは常に車の中に置いてある。車でしか行くことはないし、山梨の古民家に着いたときそれで開けて、帰るとき、施錠したらまた車の中、運転席のキャビネットの辺りに入れておく。いつもそうしているから、いちいち存在を確認したりはしなかった。

 そして、今回は、4月2日の夜暗くなってから東京を発ち、高速は韮崎で下りて途中買物したりして、北杜市須玉の山里、その古民家に着いたのは九時半頃だった。
 標高の高い山里のその地は、当然ながら東京多摩地区よりも比べても気温が低い。半端じゃない寒さだ。犬を車から下ろして放して、久しぶりの家に早く入るべく車内で鍵を探した。が、みつからない。
 車内の灯りつけて、さらに懐中電灯であちこちくまなくシートの下、座席の下まで屈んで探しまくってもみつからないのである。じっさい車の中は、ゴミも含めてこの数か月の溜まりに溜まったものがいっぱいで、何がどこにあるかも定かでない。後ろの荷台は、後方が見えない程の高さまで雑誌類を積んできてしまった。

 ともかく前と後ろの座席の部分だけでも必死にライト照らして探したが、やはり見つからないので鍵は「ない」と判断して、どうしたものかと考えた。家に入れないのだからここまで来たもののまた東京に戻るべきか。荷物だけでも庭先に投げ出しすとして。
 しかしそれではあまりに無意味でガソリン代も高速料金もモッタイナイ。今は夜で真っ暗である。フツーの人ならインター近くのホテルにでも泊まって、明日明るくなってから再度来て対策を考えるかしただろう。

 仕方ない。古い民家なのだし、増築しアルミサッシの窓の部分もあるけれど、二階は、ガラスの木の引き戸のままである。そのガラスを一枚割ればすぐに中に入れると考えた。
 最後はその手もあるとして、まず一階の周囲をあちこち調べてみたら、物置として使ってる納戸の小窓が外れそうだとわかった。高さは我の胸ほどあるし、間口は人ひとり何とか入れるぐらいしかない。
 足場を置いて、その木の引き戸を外して、埃だらけの、堆く積まれた前に住んでいた人たちの廃材の中に飛び降りて、何とか家の中に入ることができた。そして明りをつけてアルミサッシのガラス戸を開けてそこから出入りすることにした。苦労したがともかく入れたわけでほっとした。着いてから既に一時間過ぎていた。
 灯油ストーブに火をつけて暖を取り、途中で買ってきた弁当類を食べて、その晩はともかく早く寝たものの寒さで眠りが浅く、昨年の12月に死んだ甲斐犬の鳴き声が聞こえた気がしてまだ暗いうちに一度目覚めてしまいあれこれ考えて悶々とした。
 でも夜が白み始めてからは熟睡して、鶯の泣く声で8時頃起床した。

 外は晴れていた。吐く息が白い。ともかく徹底的に車の中を片付け、掃除すれば鍵は出て来ると思えた。じっさい常に帰るとき施錠した後は、その鍵は車の中に常に入れっぱなしなのだから。
 まず椅子席の部分から全部車外に頬り出し、次いで、荷台の、今回積んできた本や雑誌の山も全て車から降ろした。もしかしたら、荷台の部分にその鍵を迂闊にも投げ入れたのかもしれない。
 しかし、やはりどこにもない。鍵はみつからない。午前中かかってとことん探したが車の中にはないと判断するしかなかった。
 ということは、前回、帰るときに、鍵を閉めたあと、その鍵をポケットに入れたかして車内に置かずにそのままウチのどこか、脱ぎ捨てたコートの中かどこかにあるとしか考えられない。

 東京に戻って探すとしても、では、今ここはどうやって閉めて帰るかである。玄関は鍵はかかったままだが、アルミのガラス戸は、我が中から開けて鍵はかからない。そのまま開けっ放しのままなら泥棒は入り放題となる。※以前も何度か、二階の木の窓をきちんと鍵かけずにうっかり帰ったら、そこから泥棒が入って物色し玄関から逃げたらしく、我が来たとき玄関の戸が施錠したはずなのに開いていたことがあった。現金など金目のもの、貴重品などは一切何もなかったので、泥棒氏も中の古本の山に呆れ辟易したらしく盗られた物はなにもなかった。

 ともかく鍵がみつからないとして、今度はどうやって外からアルミのガラス引き戸の鍵をかけるか、だ。あれこれ知恵をしぼっても案が出ない。
 腹も減って来たので、一度麓まで下りるとして、今回来た用事なども済ませねば、と我は北杜市から韮崎市内まで車を走らせた。食事とりいくつか買物済ませてから韮崎教会で、しばし、どうか愚かな我に道をお示しくださいと祈った。
 古民家に戻って、下ろした本や雑誌を室内に運び終えてやっとその家を外から眺めて考えが決まった。アルミの引き戸は中から施錠することにして、我は、その上についている換気用の小窓から外に出るしかないと。

 そう、幸い増築した部分は、大きなアルミサッシのガラス引き戸の上部、天井近くに、同様の高さ30㎝ほどのサイズで横に細長い引き戸が付いていた。何とか身体は通れることは確認した。
 そこから出れば、鍵かけずとも外からは、高さもありカンタンには入れない。むろん梯子かければ無施錠だから入れるわけだが、泥棒でもまずそこに気づき、その苦労してまで中に侵入しようと考えるかどうかだ。
 まず、鍵はかかってないと気づき室内を覗いた時点で、ここは本や雑誌の倉庫で、金目のものなどないと常識的に判断するのではないか。

 そう決めて帰り際の手筈については気持ちが楽になった。できるだけ早くまた来ることすればいい。しかし、今度は東京でウチの中を探しても果たして鍵はみつかるのであろうか。予備の鍵も付いていたと思うが、先の泥棒事件以後、玄関戸そのものの鍵以外に、我は新たにロック式の鍵を引き戸に取り付けた。そちらの鍵の予備はどこにあるか皆目見当もつかない。
 最悪の場合、東京でも鍵がみつからず予備のもないとしたら、業者を頼んで、玄関戸自体を交換しないとならない。数万で済むとは思えない。あれこれ考えてまた憂鬱になって来た。時刻は既に夕方である。 
 曇りがちの天気で、八ヶ岳からの寒風が吹き下ろし、寒さで鼻水もひっきりなしに垂れて足のつま先の感覚もない。ともかくどこか近くの温泉にでも浸かって暖まらないことには風邪ひいてしまう。この古民家には風呂は無いのである。

 と、改めてまじまじと鍵がかかったままの玄関を眺めた。いったい鍵はどうしてしまったのか。どこにあるのか。この引き戸はどうしたものかと。そのとき足元を見たら、我は何かを踏んでいる。目をやったら、鍵である。
 やや土に汚れているが、まぎれもないこの家の玄関の鍵の束であった。みつかった!ここにあった!

 まったく呆れた話だ。今回来たとき落としたのではない。そもそも車の中にはどこにもなかったのだから。つまり前回来て帰るときに玄関に施錠して、車に戻るまでの間に、我はポトンとその鍵を玄関先に落としてそのまま帰路東京に向かってしまったのだ。そもそも鍵を持ち帰ったか確認すれば良いだけの話だった。
 それも何もしないで、いつも通りに車内に在るはずだと漠然と思ってまた山梨へ来て、やっと鍵がないと気づき一騒動に陥ったのだった。そもそも鍵は、家の玄関のすぐ前に落っことしたままだったのだ。二か月もの間、ただそこにあったのである。
 いくら限界集落で、ほとんど訪れる人もいないとしても、水道の検針の人や、投函チラシ配布の人も来ているはずである。また悪意ある者ならば、そこに鍵が落ちているのに気づけば、すぐそれはこの家のものだと判断してそれを使い家の中に入る事だってできたはずだ。
 幸いにして、他の誰もそこにこの家の鍵が落ちていることに気づかなかったのか、そのまま我が落としたまま二か月が過ぎたようで、誰も侵入者はなかった。

 今これを記しながら自分でも情けなく呆れ果てる。幸いにして今回、鍵はそこで奇しくもみつかったから良かったわけで、さっそくその鍵で玄関を開けて中に入り、帰り際もきちんとそれで施錠して帰ってくることができた。鍵は今も車の中に、有るべき場所にしっかり置いてある。何か夢見ている気がした。
 しかし、本当に呆れ果てた話だとつくづく思う。みつかったから良かったでは済まされない。迂闊さ、愚かさにもほどがある。これこそ我の人生である。そう、こうしたことを繰り返して生きて来た。嗤ってください。
 非常識とかのレベルでない。頭がおかしいのである。「障害」だとかは、どうでもいいことで、こんな風にして、年中探し物や落とし物、失くしものに心奪われている。

 それが3日の日のことで、翌四日の朝、晴れてまた風は強かったものの、近くのケヤキの巨木で知られる神社にお参りに行き、深く感謝して頭を垂れ、11時過ぎその家を後にして岐路についた。

 今回の山梨行では、実にいろいろ多くのことを考えさせられた。季節は未だ早春の感であったが、あたかも晩秋の木枯らしを思わせる強い乾いた風に吹かれて、ときおり風花が飛ぶ中、澄んだ空気を深く吸い込みどこまでも高い青い空を見上げて、「頭のおかしい」我のこれからの人生について今さらながら考えさせられた。

 そもそもこうした失態、失敗をいくつになっても繰り返すのは、すべてにだらしないからなのだ。それは何事もきちんとできない、しないからで、自己卑下でなく、我のこのだらしのなさ、万事において片付けられないとは、もはや病的、犯罪的レベルのものだ。
 このマスダをじっさいに知る人、拙宅を訪れたことがある人は、誰もが呆れ果て恐れおののく。それほどどうしようもなくヒドイものだから、世の世知ある人は誰も我と関わらなくなる。よって我は神に縋るしかない。神だけはこんな我を見捨てず何度も危機を救ってくれたのだから。

 ならばこそ、今さらだが、ここから、この歳でも今からきちんとしていこう。すべてをきちんと確実に丁寧に。すぐに成果が出るとかやり直せるなんて思えないが、ともかくそうした当たり前のことを心がけて、人並みになりたいと願う。
 妖怪人間ベムたちは、早く人間になりたいと常々願い口にしていたが、彼らはまず自らの「異質」に気がついていた。その異質は彼らを何ら困らせるものでなかったのにも関わらず。
 我はその異質、欠落に常に悩み苦しみ、結果として他者をも困らせ迷惑かけてきた。しかし何がいけないのか根本は改まることできず、失敗、失態を繰り返しながら生きて来た。そしてそろそろ「その先」、人生の「終わり」も見えて来た。
 たぶん、きっと何も改められずにこうしたまま死ぬんだろうな、と思う。しかし、これで良し、仕方ないとはしない。少しでも良くなるよう、まともになるよう、日々最低限の努力は続けていこう。

 敬愛する、みほこんの歌ではないが、幸せのカタチはそれぞれ違う。今さら人間になりたいなんて願わないが、こんな我でも「幸せ」になりたいと心から願う。今さら結婚とか家庭とか「人並」の幸せは望むべくもないが、せめてこんな自ら仕出かすトラブルだけはなくしたいと切に願う。いや、じっさいは幸せなのである。ともかくこうして生きて無事に在るのだから。が、その実感がアベノミクスのように我は体感できないのである。
 何とかしなければ。我にまだできることとすべきことがあるのは救いであろう。

 そんなことを、山梨からの帰り道、ハンドルを握りながら、街道筋の満開の桜を見ながらつらつら考えた。泣きたいような、眠たい目をこすりながら。昨晩も、また夢の中で、死んだ犬の我を呼ぶ鳴き声が聞こえた気がしてまだ未明に一度目覚めたからだ。

バギやんと中川五郎の「みんなで共謀し」ナイトコンサート2019年04月06日 23時42分15秒

★五郎氏とバギやんとの「共謀」コンサートに行ってきた。

 まだ早春の寒さが続く山梨から帰って来た途端、昨日今日とこちらはいきなり夏の暑さである。どうしたことか。
 家の中はうすら寒くても外に出ると、もわーんとした夏の陽気で、朝晩は氷点下の山梨から戻って来た我が身はオカシクなりそうであった。寒いより暑い方が対処のしようなく、蠅は煩いほど飛び回るし、元々何であれ対応に時間かかる我はいろんな意味でこのままでは早や限界である。寒いなら寒い、暑いなら暑いと、どちらかに統一願いたい、と強く抗議するが、誰に文句が言えようか。

 さておき、今日6日の土曜日は、かけこみ亭で、我らがジモティ中川五郎と大阪からパギやんこと趙博を招いて、二人の「共謀」コンサートがあった。
 我も無法なる安倍政権の「共謀罪」強行採決、成立以後、ここかけこみ亭を舞台に、ミュージシャンによる『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』を回を重ねて開催してきた者として、パギやんの「共謀」ライブにも当然ながら顔出さねばならない。

 そう、「共謀」とはそうしたもので、個々に微細に何か目論んでいるならば(それが政権に抗い権力を脅かすものとなるならば)、すぐさま摘発され「共謀罪」の対象になってしまう。別件でも後に立件できなくてもそれはお構いなしに、政府、権力側は、弱き弾圧可能の者と目せば、ともかくまず即逮捕し世間的に見せしめとしての犯罪者として仕立て上げ、長期間拘留し身動きとれなくしてこの「運動」の気勢を削ぐ。それは沖縄を見るまでもない。山城ヒロジさんを見よ。

 ならばこそ、彼らの悪法に異議を唱え、従わぬ者たちが今もいっぱいいるのだと知らしめねばならない。法律とはそうしたもので、それが適用されるかは実は対象想定者の多寡なのである。一度でも判例が出来、判決が下れば、以後、それがじっさいの法律として運用されていく。
 ならばこそ、悪法こそ有名無実のものにすべく、表現活動、言論と集会の自由のためにも思いある皆それぞれが、より活発な活動を続けてより多くの人たちと広く「共謀」していくしかない。
 これまでの我らだけでなく、大阪・在日のパギやんたちとも「共謀」して、みんなで今こそ共謀の輪を広げ繋げていく。弱き者、弾圧され、踏み潰される蟻の群れのような我らだからこそ、手を取り合って声を上げて思いを「共謀」していかねばならない。

 というわけで、五郎とバギやんのライブに我も「共謀」しに出向いて来た。画像を上げていこう。

パギやんと中川五郎「共謀」画像2019年04月07日 11時05分54秒


バギやんと中川五郎の「共謀」画像22019年04月07日 11時14分37秒


バギやんと中川五郎の「共謀」画像32019年04月07日 11時18分50秒


世界は、確実に終わりへ、破滅へと向かっている。だから2019年04月08日 19時44分15秒

★いかに、それを遅らせるか、くい止めるか。
 
 この週末は、関東地方は、どこも桜満開のお花見日和であったと思う。気温も高く、散る桜に、平成の最期を重ねてさらにまた多くの人出で観桜の地はどこもすごい賑わいであったようだ。世の話題や流行りのブームに常に乗らねば気が済まない日本人気質はますますヒートアップしている。
 そして、統一地方選の前半戦の投・開票日でもあった。その結果に当ブログの読み手の方々はどのような思いを持たれたか。

 我は、この日本は、いや、この「世界」は、終わりへと、しかも破滅に向かっていると考える者だが、いま、確実にその思いを強くした。
 結論だけ言えば、この統一選での自民、維新の勝利を受け、おそらく安倍政権は、今夏の参院選を衆参同日選へと持ち込み、一気の彼の強権力の最終完成形、独裁完結へと「最後の賭け」に出て来るだろう。
 これまでと同じ流れで、その選挙で大勝、さらにウルトラ保守層を増大させて安倍再選、そして一気に憲法改正へと突き進む青写真を立てていると思う。
 その結果を予想すると、残念だが、いまの日本人は、また毎度のこと安倍政権自民党を無条件に全面信任するような気がしている。この秋には消費税増税という「茹でガエル」寸前の状況に気がつかず、来年には東京オリンピックという素晴らしい「お祭り」が用意されてるからとの甘言に騙されて。
 考えただけで憂鬱である。怒り苛立ち、居たたまれないようなやるせない気持ちになっている人も多いかと思う。

 しかし、我は、だからこそ、志同じくするまだ多くの人にとって、やるべきこと、それを食い止める術があると明るく訴えたい。
 そう、世界は確実に破滅に向かっている。それは日本だけでなく他の国、米国や中国、韓国、欧州を見てもそう思えるはずだろう。そこに安定と平和をもたらす、楽観的な要因は何一つない。

 どの国も権力者たちは自らの保身と権力の維持・拡大だけに夢中になり、富める者たちはさらに肥え太り、貧しく弱い者たちの抗議の叫びは権力によって押し潰されていく。世界は混乱し国家は対立し、戦争の臭いがあちこちで漂ってきている。
 そして日本では原発の再稼働だけでなく新たな原発建設の動きまで出ている始末。米中覇権争いの中で、日本は米軍のミサイル基地化、国自体が不沈空母化していく。
 そしてそんな危機的状況に何も気づかず、様々なお祭り騒ぎに踊らされ浮かれまくる若者たち。そして仕事に追われ政治に無関心な大人たち。ユーチューバ―に憧れ、幼い頃から人から注目を浴びることだけに夢中になる子供たち・・・そうした日本社会に出稼ぎに来て、差別され使い捨てにされるアジアの民たち。

 この確実に破滅に向かっていく流れに対していったい何ができるのか。
 暗澹たる気分になる。そんなとき、我は、寝る間際、ベッドの中で読み古された聖書を開く。特に、「旧約」聖書を。

 説明するまでもないが、聖書は、旧約と新約の二部からなり、新約はナザレのイエスなる男とその弟子たちの言行録と手紙などからなる「信仰」の書である。が、旧約の部は、とある、神から約束された一民族の神話から歴史、そして物語、詩歌など数多収めた文学のアンソロジーで、その民族が栄枯盛衰の末、国家は滅亡し民族が離散したりオキュパイドされていく「歴史」の書でもある。
 それは、何千年も前の古代人の話ではあるけれど、21世紀を生きる我々にも生き生きと切実に、身近なものとして迫って来る。

 犬養道子の言葉を借りれば、『旧約に描かれるすべてのすべての歴史、すべての出来ごとは、そのまま、われわれの今日出会う出来ごともろもろにひきくらべ得る類比(アナロギイ)であり、比喩であると言ってしまってもよいかもしれない。この意味で、旧約は、歴史の書であると同時に、読者各人が読みつつ光を得ていく今日の「人生を生きる書」でもあるのである。』――犬養道子著『旧約聖書物語』後書きより抜粋。

 我は中でも、まるで童話のような短編『ヨナ書』が好きだ。
 これは、ヨナという男に、突然、主、つまり神から言葉が下り、「大いなる都、ニネベに行って、そこの民に、神からの言葉を伝えよ」と言われてしまうところから始まる。どうやらその民の行いは悪に満ち神様はお怒りのようなのだ。
 が、ヨナは、そんな面倒なことはまっぴらだと、船に乗りこみ逃亡してしまう。しかし、主は、海を大荒れにして船ははあわや沈没しそうになり、ヨナは、船員たちに海に投げ込まれてしまう。
 しかし主は巨大な魚にヨナを吞みこませ、ヨナは、三日三晩魚の腹の中にいたが、悔い謝ると、魚はヨナを陸に吐き出した。
 それでヨナは、ニネベの都に行き、「あと四十日もすればこの町は滅びる」と叫び歩いた。するとニネベの人たちは、誰もが悔い改め断食しひたすら神に祈願した。
 神は、彼らの行いと彼らが悪の道を離れたと見ると、思い直して宣告した災いをくだすのをやめることにした。
 ニネベの町とその民は救われたわけだが、ヨナとしては面白くない。こうなることはわかっていたから自分は逃亡したんだ、とすねて怒ってしまう。

 この話は、そんなヨナと神との「対話」が核で、神は、ヨナをなだめて最後にこう語りかけて物語を結ぶのである。
 「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」と。