世界は、確実に終わりへ、破滅へと向かっている。だから2019年04月08日 19時44分15秒

★いかに、それを遅らせるか、くい止めるか。
 
 この週末は、関東地方は、どこも桜満開のお花見日和であったと思う。気温も高く、散る桜に、平成の最期を重ねてさらにまた多くの人出で観桜の地はどこもすごい賑わいであったようだ。世の話題や流行りのブームに常に乗らねば気が済まない日本人気質はますますヒートアップしている。
 そして、統一地方選の前半戦の投・開票日でもあった。その結果に当ブログの読み手の方々はどのような思いを持たれたか。

 我は、この日本は、いや、この「世界」は、終わりへと、しかも破滅に向かっていると考える者だが、いま、確実にその思いを強くした。
 結論だけ言えば、この統一選での自民、維新の勝利を受け、おそらく安倍政権は、今夏の参院選を衆参同日選へと持ち込み、一気の彼の強権力の最終完成形、独裁完結へと「最後の賭け」に出て来るだろう。
 これまでと同じ流れで、その選挙で大勝、さらにウルトラ保守層を増大させて安倍再選、そして一気に憲法改正へと突き進む青写真を立てていると思う。
 その結果を予想すると、残念だが、いまの日本人は、また毎度のこと安倍政権自民党を無条件に全面信任するような気がしている。この秋には消費税増税という「茹でガエル」寸前の状況に気がつかず、来年には東京オリンピックという素晴らしい「お祭り」が用意されてるからとの甘言に騙されて。
 考えただけで憂鬱である。怒り苛立ち、居たたまれないようなやるせない気持ちになっている人も多いかと思う。

 しかし、我は、だからこそ、志同じくするまだ多くの人にとって、やるべきこと、それを食い止める術があると明るく訴えたい。
 そう、世界は確実に破滅に向かっている。それは日本だけでなく他の国、米国や中国、韓国、欧州を見てもそう思えるはずだろう。そこに安定と平和をもたらす、楽観的な要因は何一つない。

 どの国も権力者たちは自らの保身と権力の維持・拡大だけに夢中になり、富める者たちはさらに肥え太り、貧しく弱い者たちの抗議の叫びは権力によって押し潰されていく。世界は混乱し国家は対立し、戦争の臭いがあちこちで漂ってきている。
 そして日本では原発の再稼働だけでなく新たな原発建設の動きまで出ている始末。米中覇権争いの中で、日本は米軍のミサイル基地化、国自体が不沈空母化していく。
 そしてそんな危機的状況に何も気づかず、様々なお祭り騒ぎに踊らされ浮かれまくる若者たち。そして仕事に追われ政治に無関心な大人たち。ユーチューバ―に憧れ、幼い頃から人から注目を浴びることだけに夢中になる子供たち・・・そうした日本社会に出稼ぎに来て、差別され使い捨てにされるアジアの民たち。

 この確実に破滅に向かっていく流れに対していったい何ができるのか。
 暗澹たる気分になる。そんなとき、我は、寝る間際、ベッドの中で読み古された聖書を開く。特に、「旧約」聖書を。

 説明するまでもないが、聖書は、旧約と新約の二部からなり、新約はナザレのイエスなる男とその弟子たちの言行録と手紙などからなる「信仰」の書である。が、旧約の部は、とある、神から約束された一民族の神話から歴史、そして物語、詩歌など数多収めた文学のアンソロジーで、その民族が栄枯盛衰の末、国家は滅亡し民族が離散したりオキュパイドされていく「歴史」の書でもある。
 それは、何千年も前の古代人の話ではあるけれど、21世紀を生きる我々にも生き生きと切実に、身近なものとして迫って来る。

 犬養道子の言葉を借りれば、『旧約に描かれるすべてのすべての歴史、すべての出来ごとは、そのまま、われわれの今日出会う出来ごともろもろにひきくらべ得る類比(アナロギイ)であり、比喩であると言ってしまってもよいかもしれない。この意味で、旧約は、歴史の書であると同時に、読者各人が読みつつ光を得ていく今日の「人生を生きる書」でもあるのである。』――犬養道子著『旧約聖書物語』後書きより抜粋。

 我は中でも、まるで童話のような短編『ヨナ書』が好きだ。
 これは、ヨナという男に、突然、主、つまり神から言葉が下り、「大いなる都、ニネベに行って、そこの民に、神からの言葉を伝えよ」と言われてしまうところから始まる。どうやらその民の行いは悪に満ち神様はお怒りのようなのだ。
 が、ヨナは、そんな面倒なことはまっぴらだと、船に乗りこみ逃亡してしまう。しかし、主は、海を大荒れにして船ははあわや沈没しそうになり、ヨナは、船員たちに海に投げ込まれてしまう。
 しかし主は巨大な魚にヨナを吞みこませ、ヨナは、三日三晩魚の腹の中にいたが、悔い謝ると、魚はヨナを陸に吐き出した。
 それでヨナは、ニネベの都に行き、「あと四十日もすればこの町は滅びる」と叫び歩いた。するとニネベの人たちは、誰もが悔い改め断食しひたすら神に祈願した。
 神は、彼らの行いと彼らが悪の道を離れたと見ると、思い直して宣告した災いをくだすのをやめることにした。
 ニネベの町とその民は救われたわけだが、ヨナとしては面白くない。こうなることはわかっていたから自分は逃亡したんだ、とすねて怒ってしまう。

 この話は、そんなヨナと神との「対話」が核で、神は、ヨナをなだめて最後にこう語りかけて物語を結ぶのである。
 「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」と。