人の死に行く時期は「ワタる度」で測れるかと。2019年04月13日 14時03分02秒

★あくまでも冗談であるけれど

 これは我が気づき思いつき、勝手にあちこちで口にしていることで、あくまでも冗談として聞いてほしいことだが、人の死に行く時期は、ワタル度、もしくはワタル値、あるいは、赤瀬川源平的に言えば、「ワタル力」と言ってもいい数値で測れる、予測できるかと思える。

 不謹慎だとか非礼と言われても仕方ないが、そのワタルとは、亡き高田渡氏のことで、そこからお借りし頂戴した。
 先日は彼の命日であった。もう七回忌は過ぎたと思うが、彼もカトリックのクリスチャンなのでそうした営みはきっと家族親族はしなかったかと思うけれど。
 我にとって今の我をここへと導いてくれた「恩人」である渡氏。ご存知のように、50代半ばで亡くなられたわけだが、その風貌は、非常に老けていてとてもその実年齢に見えなかったことは誰でもご存知かと思う。
 一見したところ、その物腰も風体も、そしてお顔もどう考えても70代以上のそれで、年齢を聞けばその「老人度」には誰もが驚かされた。

 彼が何でそんなに若くしてあれほど老けてしまったかはともかく、そうして実年齢以上に「老人力」が高まり、50代半ばにして早逝してしまったことは事実であろう。
 我がいう、「ワタル度」は、そうしたじっさいの年齢よりも年寄りに見える、老化が進んでいることで死への速度を予測するというもので、歳よりも老け方がひどい場合、ワタル度が高いと判定している。
 むろんじっさいの歳より、若々しく見える人は、ワタル度は低いわけだから、確実に長生きできると言いたいが、人の死因は心筋梗塞とか脳溢血とかたくさんあるから、若々しいまま突然死もあるわけでワタル度の高さと死亡年齢は何とも言えない。
 だからこれはあくまでも冗談として聞いてほしいが、先に急逝したショーケンも、晩年の姿は、すっかり面やつれしてかなりその度数は高かったから、我はちょっとヤバイと思っていた。大丈夫かと。そして訃報が届き、まさかの驚きとともに得心するところもあった。

 長生きするためには、健康に注意してその度数を下げることが肝要だと思うが、こればかりは節制や個人の努力では難しいかと思える。
 何故なら、ワタル度、ワタル値は、結果として外に出て現れてからわかることであり、むろん下げることもできなくはないが、まずすべきことは周囲の理解からだろう。
 ある人が実年齢よりも老け込んできてワタル度が高くなってしまったらば、周りは彼の体調を気遣い、実年齢とはカンケイなく老人相応の扱いと対応をすべきだと考える。超高齢化社会、誰もがいつまでも若く元気でありたいと願うし、そうできる人もいるはずだが、人の年の取り方は人それぞれで一様ではない。若くして老け込む人がいれば、いつまでも若々しく年を取らない人もいる。
 永六輔が書いていたが、「我らがテナー」田谷力三と藤原義江の関係など、かつての師匠と弟子の関係が逆転してしまい、弟子は車椅子姿で客席から、ステージ上の師を仰ぎ見るという悲惨な構図が生まれる事すらある。

 同様に、その渡氏と中川五郎が同級生だといっても信じられない気がするが、何が良いとか悪いとかではなく世の中とはそうしたもので、それはそれで現実なのである。そしてこの近年は、その五郎氏もさすがに経年のライブ疲労の蓄積から我が見る限りワタル度数も上がってきたようで、そろそろこれまでのような超過密スケジュールは続けるのが困難になってきたようだ。このまま続けていけば間違いなく命を縮めると断言する。
 「ワタル度」はまず冗談で使ってほしいが、ある程度は死期のバロメーターにはなり得るかもしれない。そしてそのことで、自らと周囲の理解により何より「御身大事に」徹して、無理せずに実年齢に即した歳まで長生きしてほしいと願う。

 渡氏もあんなに「老人」だったのに、映画がヒットしたことで突然売れっ子になってしまい無理して仕事入れすぎた。ワタル度に対しての理解が周囲にもう少しあれば、きっと今も健在で、ひょうひょうと相変わらずのステージを続けていただろうに。