世界は、確実に終わりへ、破滅へと向かっている~続き2019年04月09日 23時20分52秒

★だからこそ、ヨナや洗者ヨハネのような人が求められるのだ、と。

 我も昔は、マルクス、というか科学的社会主義を少しかじったし、社会は段階的に進歩し発展していくと夢想した。そう、一時的にまた元へと、後退しているように見えても、間違いなく人類はより良い方向へ発展していくと。
 しかし今は、そうはとても思えない。古代ローマ帝国やヂンギスハーンの王国を見るまでもなく、どんな国家、文明でもどれほど栄華を誇ろうとも必ずいつかは衰退し終わりの時が来る。
 また、船井幸雄氏らのスピリチュアル本など、ニューエイジ本なども古本屋なのでずいぶん手にとって読んだが、彼らが楽観的に信じ思い描いているように、地球規模でアセンションとか、良いことや素晴らしい段階が来るなんて絶対に信じられない。

 この世のすべてのものには終わりが来るし、社会の発展も含め自然に世界が良いようになっていくなんて絶対にありえないと考える。もし法則があるとすれば、万物は流転しまた元に戻る、その繰り返し、ということだろうか。
 人は確かに様々なことを学び成長していく。しかし、その肉体が滅びれば、その人の学び得たものはそこで雲散霧消してしまうから、また1から新たな人が新たに学び直さないとならない。
 情けないことは、知識はともかく、感情、感覚的なことなど、人には体験、つまり「経験」でしか学び得ないことも多いから、戦争が何故悪いことなのか、絶対悪であり繰り返してはならないかは、その体験者が死ねば忘れ去られてしまう。よって古今東西戦争や紛争は何度でも繰り返される。

 歴史から学ぶという言葉はあるが、現実問題において、武力に対しては武力で対峙するしか手はないというのが、国際社会なのである。
 日本国憲法が、国連総会で全会一致で国連憲章として採択でもされない限り、世界中から核兵器も含めて「兵器」はなくなりはしない。
 ただ、そうした憲法が記す「理想」があり、その「理想」を「現実」に合わせようと目論む輩と、「現実」をその「理想」に近づけようと望み考える人がいて、それこそが「憲法改正」の論点なのである。

 モノゴトは何であれ必ずおわりを迎える。中でも権力など統治機構は、長く続けば長くなるほど最後は腐敗し内からも外からも崩壊していく。今の自民党政権を見るまでもなく。
 しかし、このままその腐敗した自民党政権を支持し延命させることを国民の多くが是認し結果として容認するならば、それは間違いなく日本という国家の終わり、破滅を意味していよう。

 「悪」とはじっさいの犯罪のような自覚的悪もあるけれど、社会的規模となると、それが「悪」だとは誰も気づかなくなっていく。かつての帝国日本が、アジアに侵略しさらにはアメリカまで攻撃してアジア太平洋全体を戦禍に巻き込んだように、そのときどきの時点では、日本人のほとんど誰もそれが「悪いこと」だとは考えもしなかった。気づいてなかった。

 その罪悪の結果が、原爆投下や全国各地の空襲であるかはともかくとして、なぜそんな破滅に至るような「悪いこと」を止める者、反対する者がいなかったのかと不審に今は思える。
 が、当時は、その戦争に突き進む国家に抗う者は「アカ」であり、国家反逆者としてたちどころに逮捕投獄されてしまっていたのだから、誰も声高に異論を叫ぶ者はいなかったのだ。

 そして今、歴史に学ばない人間は、再び、いつか来た道を進もうとしている。集団的自衛権の解釈変更によりアメリカが起こした戦争でも日本は協力しないとならないし、ひとたび戦争が起これば、戦争に反対する者は、国家転覆の企てとして「共謀罪」でその行動の事前に逮捕されてしまう。
 日本だけでなく、世界中に権力者の欲望と「悪」が満ちている。そしてこの社会、世界は確実に破滅に向かっている。

 だからこそ、我は聖書を読むとき、ヘロデ治世のとき、人々に悔い改よ、と説き、領主ヘロデの不義を糾弾し、よって捕らえられ首をはねられたヨハネという「荒野で叫ぶ者」と、貧しき弱く虐げられた人々を癒し愛されたナザレのイエスという二人に深く心を動かされる。
 旧約聖書には、様々な預言者が登場し、主の言葉、その意思を、王や民に伝えては悔い改めるよう迫った。が、ユダヤの民は、それでも悔い改めることはなく、ついにはイエスという男をも十字架にかけたと聖書は記してあるが、それはさておき。

 旧約にあるように、ある町、ある国家、その社会に破滅が迫ってきているとするとき、皆で浮かれて「悪」を容認し民自らも染まるような行いをしていたら、ソドムのような結末を迎えることは確実だろう。
 先に記した「ヨナ書」では、主を怒らせたため破滅を迎える悪の町ニネベで、ヨナがその危機を叫んだことにより、民は悪を悔い改め災いから逃れることができた。
 ならばこそである。すべてに終わりがあり、やがて必ず破滅に向かうとするとしても、ヨナのような、洗者ヨハネのような者こそが現れれば、そして民がその声に耳を傾ければそれは避けられるのである。

 それは一時的なものかもしれない。しかし民が、国家が、社会全体が悪へと傾斜しつつあるときこそ、そうした「悔い改めよ」と叫ぶ者、権力者の不義を糾弾する者の存在が価値を持つ。
 思えば、日本初の公害闘争を率い谷中村鉱毒事件を世に訴えた義人田中正造は、その風貌も生涯も「荒野で叫ぶ」ヨハネのようではないか。

 我はそうした人にはなれはしないが、そういう勇気ある者たちを支え常に否認しない者でありたいと願う。が、弱い我のこと、またすぐに転ぶかもしれないが。しかし愛の人、イエスは三度も彼を否認したペテロを赦してくれたのである。そう、ならばこそ、だ。
 どんなときでもまだできることがある。

さあ、ここから反転攻勢だっ!2019年04月11日 14時32分10秒

★先のことはわからない。だからこそ諦めずにやっていこう。

 ご心配おかけしたけれど、何とか今回の腰痛、というかギックリ腰は峠を越して回復に向かっている。
 先に寒い中、山梨でバカなことをして疲れ帰って、戻ったら異常に暑い日があったり、また突然一昨日水曜から真冬の寒さとなり、桜散る中、雪が降ったりと気温変動の激しさで身体がオカシクなってしまったようだ。
 いや、今回のギックリ腰は、そんなで何か腰が痛みだしたなあと体感していたところに、先日、父を施設に送り出すときに、掘りコタツから彼の巨体をヨイショっと抱え持ち上げたのがいけなかった。
 無理してそんな人間起重機のようなことをやったがため、腰に負担がかかり、さらにいろいろ無理することも重なり本格的なギックリ腰となってしまったのだ。まあ、この寒さが一番の原因だと思うが。

 痛みの段階を説明するに、もう痛くて一切動けない、いちばんひどい状態を、五段階の5だとすれば、今回は4の軽い方で、立って歩けなくはないけれど、座ったり、立ち尽くしたりと、同じ姿勢を数分でも続けると腰に負担がかかり、激痛が走る。その場で痛みに崩れ落ちてしまう。寝ていても同じ姿勢となるので目覚めても痛いが、寝返りなどで身体動かすとまた痛い。
 そんなで椅子に座ってパソコンに向かう作業なんて厳禁で、我はこのブログなど書きだすと、たいてい一時間は座って同じ姿勢となるから書き上げたとして、それはさらに状態悪化となってしまう。それでお休みをいただいた。※書きかけの稿は続きを後ほど書き足しておく。

 今回もどのくらいこのギックリ腰が続くかと自分でも心配したが、幸い今日になったら、だいぶ快方に向かってきた実感を得た。
 じっさい5/5のコンサートのこともだが、やる事いっぱいで寝込んでいる暇はないのである。ベッドの中で、スマホとかでブログやメールは書けなくもないのだが、語句の変換に時間とられて思うように文体が作れず今やっと椅子に座りパソコンでこれを記している。
 むろん、数分おきに腰を動かしては姿勢が固定しないようリハビリしつつであるが。

 さておき、まさかあんな暑い、夏日の後にまた雪が降るとはまったく予想だにしなかった。おそらく誰もが。
 昨日の話である。明け方、また雨が降って来ていったん外に出た時はさほど寒くはなかった。
 が、朝になり、雨の中、所用で痛む腰をかばいながら車を走らせていたら、しだいに雨はみぞれに変わり、あまりの寒さと腰の痛みに耐えかねて用事を切り上げて、10時頃家に戻って濡れた服を着替えて窓の外を見たらボタン雪が降っている。まさか、である。愕然とした。
 母の遺品でもある室内の観葉植物もすべて外に出したばかりなのだ。もし雪が積もったら全滅である。
 どうしたものかとしばらく迷ったが、窓から見てたら幸い雪はまた雨に変わり、雨は夜まで続いていたけれど、気温は低いがもう大丈夫だと無理やり思うようにした。

 桜の花咲く頃になっての雪も過去にもあったと思うが、あんなに真夏を思わせる春到来の陽気の日が続いた後に、また突然の真冬日が来るとはほんとうにびっくりした。
 そして、だからこそ先のことは全くわからない、と強く自戒した。そう、この先、これがこうなるとか、それが当たり前のように続くとは、人は誰一人わからない。そう決めつけてはならないのであった。
 ※あの東北の大震災と原発事故を体験した世代ならばなおさらこと。

 政治の世界も同様で、今夏の参院選も盤石鉄壁のように思える一強独裁安倍政権も、歩く「放言・失言」自爆テロリスト桜田五輪相の、想定・期待通りの「復興よりも自党の政治家が大事」の一言で辞任。先の「忖度」発言での副大臣辞任の件もあり、果たして今度も連勝が続くか不安な様相が見えて来た。
 どうせまた自公が大勝するにきまってる、とはじめから諦め絶望してはならないのである。
 そう、先のことは誰もわからない。何が起こるか、どうなるかは神のみぞ知る。だからこそ人は、日々倦み諦めることなくその日ごと、成すべきできることを、続けていくだけだ。
 むろんそこに思いがかなうよう、祈り願い期待し自らを信じて。
 
 頑張ろう。気を緩めることなく。一日も早く、パギやんのうたのように、『安倍 is OVER』とさせるために。

人の死に行く時期は「ワタる度」で測れるかと。2019年04月13日 14時03分02秒

★あくまでも冗談であるけれど

 これは我が気づき思いつき、勝手にあちこちで口にしていることで、あくまでも冗談として聞いてほしいことだが、人の死に行く時期は、ワタル度、もしくはワタル値、あるいは、赤瀬川源平的に言えば、「ワタル力」と言ってもいい数値で測れる、予測できるかと思える。

 不謹慎だとか非礼と言われても仕方ないが、そのワタルとは、亡き高田渡氏のことで、そこからお借りし頂戴した。
 先日は彼の命日であった。もう七回忌は過ぎたと思うが、彼もカトリックのクリスチャンなのでそうした営みはきっと家族親族はしなかったかと思うけれど。
 我にとって今の我をここへと導いてくれた「恩人」である渡氏。ご存知のように、50代半ばで亡くなられたわけだが、その風貌は、非常に老けていてとてもその実年齢に見えなかったことは誰でもご存知かと思う。
 一見したところ、その物腰も風体も、そしてお顔もどう考えても70代以上のそれで、年齢を聞けばその「老人度」には誰もが驚かされた。

 彼が何でそんなに若くしてあれほど老けてしまったかはともかく、そうして実年齢以上に「老人力」が高まり、50代半ばにして早逝してしまったことは事実であろう。
 我がいう、「ワタル度」は、そうしたじっさいの年齢よりも年寄りに見える、老化が進んでいることで死への速度を予測するというもので、歳よりも老け方がひどい場合、ワタル度が高いと判定している。
 むろんじっさいの歳より、若々しく見える人は、ワタル度は低いわけだから、確実に長生きできると言いたいが、人の死因は心筋梗塞とか脳溢血とかたくさんあるから、若々しいまま突然死もあるわけでワタル度の高さと死亡年齢は何とも言えない。
 だからこれはあくまでも冗談として聞いてほしいが、先に急逝したショーケンも、晩年の姿は、すっかり面やつれしてかなりその度数は高かったから、我はちょっとヤバイと思っていた。大丈夫かと。そして訃報が届き、まさかの驚きとともに得心するところもあった。

 長生きするためには、健康に注意してその度数を下げることが肝要だと思うが、こればかりは節制や個人の努力では難しいかと思える。
 何故なら、ワタル度、ワタル値は、結果として外に出て現れてからわかることであり、むろん下げることもできなくはないが、まずすべきことは周囲の理解からだろう。
 ある人が実年齢よりも老け込んできてワタル度が高くなってしまったらば、周りは彼の体調を気遣い、実年齢とはカンケイなく老人相応の扱いと対応をすべきだと考える。超高齢化社会、誰もがいつまでも若く元気でありたいと願うし、そうできる人もいるはずだが、人の年の取り方は人それぞれで一様ではない。若くして老け込む人がいれば、いつまでも若々しく年を取らない人もいる。
 永六輔が書いていたが、「我らがテナー」田谷力三と藤原義江の関係など、かつての師匠と弟子の関係が逆転してしまい、弟子は車椅子姿で客席から、ステージ上の師を仰ぎ見るという悲惨な構図が生まれる事すらある。

 同様に、その渡氏と中川五郎が同級生だといっても信じられない気がするが、何が良いとか悪いとかではなく世の中とはそうしたもので、それはそれで現実なのである。そしてこの近年は、その五郎氏もさすがに経年のライブ疲労の蓄積から我が見る限りワタル度数も上がってきたようで、そろそろこれまでのような超過密スケジュールは続けるのが困難になってきたようだ。このまま続けていけば間違いなく命を縮めると断言する。
 「ワタル度」はまず冗談で使ってほしいが、ある程度は死期のバロメーターにはなり得るかもしれない。そしてそのことで、自らと周囲の理解により何より「御身大事に」徹して、無理せずに実年齢に即した歳まで長生きしてほしいと願う。

 渡氏もあんなに「老人」だったのに、映画がヒットしたことで突然売れっ子になってしまい無理して仕事入れすぎた。ワタル度に対しての理解が周囲にもう少しあれば、きっと今も健在で、ひょうひょうと相変わらずのステージを続けていただろうに。

「動かない機械」を動かしていく2019年04月16日 23時17分57秒

★愚痴ではなくありがまま記していく

 死とか病気、身体の不調・不具合のことを書くと、暗いとか、またかとうんざりされることが多く、拙ブログとしてもどう書くべきか迷うけれども、現実の話、歳とった人生には、楽しいことや愉快なことなどは少ないわけで、特に我のようなごく狭い小さな世界で生きていると、いきおい「話題」は、そちらに向かってしまう。あるいは憤る「政治」のことだが、そのどちらも不人気で、書くとランキングが下がるのは目に見えてわかる。
 しかし、そんなで書きあぐねて更新怠ると、またマスダは寝込んだか、何か不測の事態がついに起きたかとご心配される方も多少はいるかと思うので、とにもかくにも今思うことを書けるときに書いていこうと思う。


 それは何も「機械」でなくても良いわけだが、動かない機械、動かなくなってしまった機械があるとして、それを動かせるのは、詩人など言葉の夢想家か思索家だけであろう。
 現実の話として、そうした困った「機械」があれば、それは不燃ゴミ的扱いでゴミとして捨てて処分するしかない。
 最近、つくづく思うのは、人間というものもひとつの機械であり、頭は、コンピュータのハードディスクのようなもので、身体は、自動車の類だということだ。
 頭の方は、そもそものスペックも関係していることだが、その容量がいっぱいになれば、いつかはフリーズしたり誤作動してしまう。身体も、長く使用しているとあちこちに不具合が出て来て、エンスト的状態が起きたり、最期は、エンジンそのものがかからなくなってしまう。
 いまは、車検的な意味で、人間ドッグやメンテナンスの機会もあるわけだが、機械は部品の修理・交換もきくが、人体のパーツの交換はまだ難しい。
 そして最後の最後は、どうにも手の施しようがなくなり人間も「廃車」となる。そう、ヒトは、「廃人」であろう。頭のハードディスクも止まり全身の「死」を迎え、火葬場で焼かれ骨壺に入るだけの骨と化してそれだけが残される。
 そう、それが誰にでも同様に起こること、人生。

 いま、我は、父という「動かない機械」を抱えてどうしたものかほんとうに頭痛めている。
 まだ、完全に動かなくなってしまってはいない。ほとんど動かない、機能しなくなってはいるけれどもまだ少しは動くので、それで手を焼いている。風前の灯、という言葉があるが、父の場合は、しかも燃え尽きそうになるロウソクのそれであり、残った滴り落ちた蝋のところに短い芯がかぼそく揺れ動いている状態と言ったところだ。まだ火は消えていないが、まさに今にも消えそうである。

 人の死に行く姿をこの歳になると数多観て来たわけだが、進行性の病気での死の場合は、当人も辛いし周りも辛いが、まだそこに「物語」的な流れがある。
 しかし、父のように、超高齢になるまで生き永らえてきて、特に死に至らしめる病などない場合は、頭も身体も全身全体が老化により衰弱し劣化していく。「老衰死」という言葉はあまり聞き慣れないが、まさに「老衰」の挙句としか言いようのない状態となって来てしまった。
 こういう例は珍しいと思うし、周りにもなかなかいないのではないか。人が死ねば、たいていは「死因」としての何らかの病名などの「原因」があるのだから。プロレスで言うところのスリーカウントをとられた「技」の名前である。父の場合のそれは「老衰」ということになる。いや、試合はノーコンテスト、不成立ではないか。それでも試合は終わるのである。

 今年に入って父はますます足腰が萎えて衰えてもう自力では椅子から立ち上がることもできなくなってしまった。仕方なく息子である我が抱き起して、支えて家の中を歩かせて移動させているわけだが、それで先日はギックリ腰になった話は記した。
 食事も吞み込みが出来なくなり常に咽るから、柔らかい食べやすいものを作って摂らせているが、それでも食べさせるだけで一苦労、時間がすごくかかる。
 しかもこのところは、食事中にうつらうつら眠ったりしてなかなか食べてくれない。さらに排便も自らでは自覚がなく、こちらで薬で調整して出すようにしないとますます食事が進まない。
 オムツの交換は、出来るだけ施設側でお願いして、向うで出るように下剤呑ませているのに、何故かこのところ向うでは出ないで家に帰ってくるとたっぷり出ることが多い。
 そんなで、昨日は、二泊三日のお泊りから帰宅後、夕方仮眠とらせて晩飯を出したところ、便が溜まっていたからか食事がちっとも進まない。無理して促し何とか食べさせていたら、挙句に突然また全部吐いてしまった。せっかく父の好物のマグロの刺身を買ってきたのに。まったく、もう!

 始末を終えて、本人ももう食べない、疲れた、もう寝る、というので、九時過ぎだったが、抱き起して洗面所で部分入れ歯を外させようとした。が、本人は入れ歯を出すことも失念していて、そのまま歯ブラシで口の中を磨き出したので、我が口の中に手を入れて入れ歯を取り出そうとした。
 ※先日はそれに抗った父に、噛みつかれて指から血が出たこともある。父は高齢にしては、大正生まれの昔の人らしく、歯は頑健なほうで、まだかなり自分の歯か残っていて上下とも総入れ歯ではないのである。
 その取り出す際に、ブリッジ式の金属の一部が折れてしまい、二つある入れ歯のうち、上部の大きいほうの入れ歯が二分割されてしまった。あ~あ、である。本人も大騒ぎしている。

 入れ歯がないことには、雑炊とかおかゆ状のものしか食べられないので、明日でもかかりつけの歯医者に朝一で電話してすぐさま修理してもらうしかないと決めた。
 そしてトイレで履いてる紙パンツを交換させてベッドに寝かしつけようとしたら、歩いている途中に軟便を廊下に垂らすほど、紙パンツの中は、たっぷり排便があり、履いてた衣類も全部汚れている。父の下腹部を拭くのも含めてその後始末にかなり時間とられた。

 しかも当人は、壊れた入れ歯と、便で汚れたため洗う衣類と意識が混乱混濁したようで、それは捨てるな、明日持っていくから、と騒ぎ出して、鎮めるのにまたさらに我は疲弊した。もはや完全に「狂人」である。
 そして何とかパジャマに着替えさせて寝かしつけたわけだが、一時間も時間とられて我も疲れ果てた。その晩は、気が昂ぶりベッドに入っても明け方近くまでなかなか寝つけなかった。

 ※もう一回この稿書き足します。

続・「動かない機械」を動かしていく2019年04月17日 11時59分21秒

★穏やかざる心中ながらも

 拙ブログ、書きたいことも多々あり、さらに5/5日のかけこみ「共謀」フォークジャンボリーに向けて、連絡事項も含めてやるべきことも山積しているのに、父を連れて立川の歯医者にまた行くことになった。
 先だって、12日に行ったばかりだが、入れ歯が壊れたのだから致し方ない。
 が、とことん待たされ結局日中は全部潰れてしまった。市内の選挙も含めてこの超忙しいのに何たることか!
 
 昨日はそんなわけで朝一で歯医者に電話入れて、急患扱いで行くからと連絡いれた。父もショートで施設に行く、お泊り日であったが、歯医者が終わったら連れていくということにして送迎なしにしてもらった。

 父にご飯を柔らかくして軽く食べさせ薬飲ませて、立川のかかりつけの歯医者に着いたのは10時半頃だったか。行きの車の中でも父は、何しに行くんだ、どこに行くんだと、何度説明しても同じ質問を繰り返して煩くてまいった。
 で、受付済ませて名前を呼ばれるまで待合室でただ待ち続けた。父は横の席でひたすらうつらうつら眠っている。が、目を離すと、ベンチから落ちてまた腰の骨を折りそうで気が気でない。こちらもここで仮眠できればと思うが、眠れずに仕方なく壁のテレビで流れているワイドショーをぼんやり見ていた。「徹子の部屋」のゲストは、風吹ジュンで、相変わらずかわいいなあと思ってたら66歳とのことで、う~む、である。

 昼過ぎても名前は呼ばれないので、歯科衛生士だか、うろうろしている女の子に順番を確認したら、カルテの束を調べて、まだこんなに前の人がいるので、早くてもあと一時間はかかる、とのこと。
 こちらは腰も痛くなってきたので、ここでじつと待ち続けるのも限界だと思い、父を起こして手を引き、近くへ食事に出た。
 が、界隈にはあまり食べるところがないのと、入れ歯無しの父が食べられるメニューがある店がなく、父の手を引っ張りながら大通りを少し繁華街に向けて歩いてみた。しかしこのところ足腰がさらに萎えた父は、少し歩きだしてもほぼ10mごとに、苦しい、休ませてくれ、とすぐ騒ぎ出し、ヘタするとまた転んで道にすってんころりんしそうで、連れて歩くだけでこちらも疲弊するばかりだった。

 そんなで道端の塀やフェンスにもたれかかったり植え込みに座ったりして、30分近く父を連れて歩き回ったものの、ろくな店がないので仕方なくまた歯医者へと戻り、そのビルの隣のうどん専門店へ入ってみた。父も我もフラフラである。
 父はうどんは好物だが、何かこの店のは固そうだと思い、昼時で混んでいたこともあり避けて通ったのだが、入ってみたらかけうどんは柔らかく父も何とか食べられた。それでもエプロンを持ってこなかったので、食べるのも一苦労する父は着てたものを汚しまくりでかなり時間かかったし半分程度しか食べてくれない。もう時間は2時近くである。

 でもともかく食事は済ませて、歯医者に戻ったらすぐに呼ばれて、歯科衛生士に割れた入れ歯を渡したら、これなら治せる、とのこと。だが一時間ほどかかるので3時頃になる、と言われて、また父を連れて外へ。車を停めてあるパーキングへ行き、少し離れたところにあるドラッグストアへ車で行き、犬や猫の餌を買ったりして3時に戻った。父は車の中でひたすら爆睡中であった。
 そして治った入れ歯を調整して入れてもらい歯医者が終わったのは3時半。何と着いてから5時間もかかったことになる。
 介護施設に電話して、これから連れていくと伝えて、大急ぎで拝島方面へ車を走らせ、父をそこの職員に引き渡したのが午後4時である。
 それから家に戻って、本日発送予定の本だけ大慌てで梱包し郵便局に持って行き、犬の散歩済ませて、暗くなってから一時間ばかし仮眠とった。
 そして、ようやく自分のことを、と思っていたら、父がいる施設から電話がある。「今、微熱があり37度6分とかで、もし38度以上になると、ここには置いておけないので、迎えに来てもらうことになる」と言ってきた。
 たぶん今日は一日歯医者に行って疲れて父も疲れているのだろう、ともかく様子見て、もし熱が上がってきたら電話くれ、すぐに迎えに行くからと伝えたが、やはり心中は穏やかでない。
 いつまた電話あるかと気がかりで、父不在でも落ち着いて自分のことに専念できやしない。けっきょく我も今日の疲れが出て、電話にいつでも出れるよう携帯を傍らに置いて、アルコール吞んで早く寝てしまった。父のことで今日は一日何もできなかったなあと思いながら。
 
 そして今朝がた、ベッドの中で、父は「動かない機械」なのだと思い至った次第。しかし、それでもすぐさま処分はできないし、誤作動ばかり繰り返し、ほとんど動かなくなってきているが、その古い機械をともかく動かしていくしかないのだと決意した。
 そう、もうずいぶん長く使った。百年近くももったのである。他の人、他の機械は皆、もと早く途中で、部分ごとにはまだ十分使用可能であるのに、一か所、もしくは数か所だけが悪くなり結果として全体まで廃棄されてしまった。
 我が母もそうで、頭は死ぬまでしっかりしていたし骨も頑健で、腸内に癌ができそれが肥大しなければ、まだ当分「使用可能」、つまり生き永らえたはずだった。

 父のように、まさに全体的にとことん使い尽くして全身が使用限界となって来た人は稀有な例かもしれない。モッタイナイとしてもここまで使えば十二分に元はとったかと思える。
 このほぼ動かなくなった機械を、果たしてどこまであと何日動かして使い尽くすことができるか、だ。そう、いかにうまく動かしていくか。それこそが介護する我の、子としての使命なのだと。

八王子で今年も5月末に「みんなちがってみんないい」2019年04月18日 08時13分26秒

★ユニークなフリーイベントがあります。

 八王子在住の友人が拙宅までチラシを持ってきてくれたので、アップしておくが、今年も八王子の河川敷で、ユニークな「お祭り」イベントが開催される。
 様々な自然食~第三世界的な模擬店が並び、ライブも多彩なミュージシャンがたくさん出られる。これまでも中川五郎やシバたち旧知のミュージシャンが登場し我マス坊も近年欠かさず顔出している。
 今年も都合つけば愛犬連れて出向くつもりでいる。ぜひ、近郊にお住まいの方はこのフリーイベントにご参加願いたい。

さあ、5/5日の「共謀」フォークジャンボリー成功に向けて2019年04月19日 23時06分51秒

★父を施設に預けて本腰入れていく

 今日金曜は、終日父が家にいる日で、となると基本、我のことは何もできやしない。それは仕方ない。

 無理して父を寝付かせてから深夜起きてブログ書いたり自分の作業をすることもできなくはないが、それやると次の日はぼうっとして昼寝ばかりして体調も狂うし結果として能率が悪い。
 ならば、父に合わせて夜は早く寝て、寝れるときにたっぷり寝て体調維持したほうがいい。このところそう諦観的にそう考えるようになった。

 自らも歳とってきてわかったことは、出来るだけ自然に、当たり前の生活をしていくしかないし、そうなってくるということだ。
 夜は早く寝て朝はその分早く起きるということをはじめとして、ほんとうに身体が欲すること、欲するものにしだいに従うようになっていく。
 若い時は体力も有り余っているからつい無理して、明け方まで起きたり、徹夜のまま出かけたりもできたけれど、今は、そんなことをしたら一週間体調を崩すことは確実だ。それでは結果として無駄であり、効率悪い。

 父との日々ももうあと数えるしかないわけなのだから、父と過ごせる日は、父としっかり向き合ってやっていくことに決めた。
 それでも昨日の夕方、施設から戻って来た父を、そのまま着替えさせずに、市役所に連れて行き、わが市町の市議選の期日前投票は済ませることができた。
 果たして父が無事に、候補者の名前を間違えずに書き記せたかはともかくの話だが、まずはほっとした。平成最後の選挙、もしかしたら父にとって最後の投票権の機会を無駄にせずに果たせた。
 それに今日は午後いちで、訪看さんが来て、父をこの近所歩行訓練も伴ってくれたから、多少でも筋トレは出来たかと思う。
 人間、外からの刺激がないと、結果として寝てばかりとなり、食欲もわかず、結果として夜の睡眠も浅くなり、起きてもぼうっとして妄想・徘徊がひどくなる。
 多少の疲労感こそが肝要で、いかに刺激を与えつつ何かしら作業を与えて昼間うつらうつらさせないかが介護のコツだと見えて来た。
 施設ではおそらく手がかかるから常に車椅子に乗せて移動させ、食事以外は、横にさせているかと思う。ならばせめて家にいるときは、父を昼間は起こしてあれこれ語りかけ、ごく簡単な作業でも付ききりで与えないとならない。目を離さずに。

 さておき、今朝がた見た夢は、5/5日のコンサートの当日のことで、開演時間となり出演者は勢ぞろいしているのに、観客は誰一人来ないという夢であった。夢の中でも焦り困惑していた。
 この「悪夢」が現実にならないために、今さらだが、もっと外に向けて宣伝活動を強めないと、と決意した。水面下では、シンガーたちとは調整進めているのだが、肝心の集客に向けての働きかけが遅れていると今さらながら痛感している。頑張らねば!!!

神様、お願い !だ2019年04月20日 18時26分00秒

★「共謀」コンサートは5/5日でとりあえず終了、ぜひご参加を!!

 「神様お願い」である。むろんショーケンのいたテンプターズの楽曲のタイトルだが、まさにこのところそうした気持ちでいる。

 私的なことだが、ショーケンこと萩原健一が死んで、自分の中でけっこう痛手となっていることに今さらながら気づく。つまるところ、彼のようなある意味、若気の至りのまま、ギラギラとまさに「傷だらけの天使」の主人公のように不器用に、かつ自分勝手に生きる、という人生の「見本」=具現者がいなくなってしまったという現実が辛いのだと思う。

 そう、我にとってまさにその生き方は憧れだったのだと今にして気づく。メチャクチャである。生き辛いよう、自滅するかのようにわざと自分で持って行ったように思える。近よる者は誰もを傷つけた。
 しかし、それがショーケンであり、世知に長け、他人様の顔色を窺い、忖度だらけの者が成功する、この日本社会でうまく世渡りできない者、アウトローのシンボルとしていつまでも「存在」していてほしかった。

 ショーケンのいない「現実」社会は、小ずるく利口に動きまわることのできない不器用者にとって、非常に息苦しく辛い。ダメの「見本」がいなくなってしまえば、我のようなやはりダメでとことんバカはいったい何をよすがに生きていけば良いのであろうか。
 まあ、晩年の彼は、最後の良き伴侶と出会ってからは、平穏の内に持病との闘いに心静かに専念できたのだと思うから、早すぎる死もまた悔いなきものであったと思いたい。ショーケンの魂よ、安かれである。
 しかし、残されたものとしては・・・

 そして、私事だが、安倍政権による共謀罪成立直後から続けて来た「護憲と反戦平和のための共謀コンサート」も次回の5月5日で、とりあえずいったん終了としたいと考えている。
 番外編も含めれば、間もなく10回近くとなってきて、情勢を鑑みればまだまだ安倍政権退陣させるまでは続けたいと思うところだけれど、死期が近づいて来た父とのことと、我が人生もまだ父が生きている間に、もう少しは道筋をつけておきたいと願うので、少しだけお時間頂きたい。
 むろん父が死んでからゆっくりとでもいいのである。が、人が死ぬということは、その後の「後始末」の手続きがものすごく面倒で、半年は私的公的にその事後処理に追われてしまう。
 そして何より情けない話だが、父がいなくなってしまえば、我が生活自体も立ち行かなくなってしまうわけで、その時点で果たして自らの生活維持と並行して「コンサート」など企画できる余裕が我にあるのか何とも心もとない。今思うに、難しい気がしている。

 ならばこそ、父がまだ生きている間に、もう少し先行きのことを腰据えていろいろ準備と手配しておきたいと考えた。母の時も実は同様に考えていたのだが、結局、容体がぐんぐん悪くなって、何一つ看護と介助以外のことはできないまま、なし崩し的に母は死んでしまい、その後、何もかも混沌の状態に陥ってしまったのだ。そして今もまだ元に戻せていない。
 だからこそ、父が生きている間に、どれほど呆けようと彼と語らい「死後」の手配をしておきたいと願うし、そうしておかないと、死は不意に訪れるものだからこそ、そのときが来てからでは遅いと思える。繰り返し記すが、父は今秋で95歳となる超高齢者なのである。もういつ死んでもおかしくないだろう。

 この「共謀」コンサートはまだまだ続けていきたいし、その意義もあると信ずるが、元より我はそうした義あることを責負うことのできるまっとうな者ではなく、常にまず自らのことをきちんとしてからではないか、という内心の声と闘ってきた。そう、外の世界のことよりまず自分の人生をきちんとしてからではないか、である。
 ただ、現行の安倍政権のあまりの無法と強権ぶりに、抗議を込めてせめて同じ思いを持つ音楽仲間たちと計らって(つまり共謀して)、反体制的に、抗いのコンサートができればと思い、そうした企画を立てて開催してきた。
 そして自分で言うのも面はゆいが、素晴らしいコンサートの数々を、みほこんのレコ発のも加えて、このコンセプトで企画し開催決行できたと信ずる。それこそ自信に思う。それは我マスダだから成し得たと思いたい。※そのことは我がそこにいたからという意味で。

 出演者の方々には、そのご活躍に見合う存分のギャランティを支払いできないことだけが心苦しいが、それは別として素晴らしいコンサートを、良い観客と良い場を構築できたと手前みそだが思う次第だ。
 そしてこれからも、もし許されれば「共謀」コンサートは続けていきたいと心から切望している。が、まずは、この5月5日の「共謀」フォークジャンボリーで、しばらくその後はお休みしたい。
 少しだけ、かの藤村直樹氏的な意味でなく「中休み」いたしたいと思う。

 実は、そう言いつつも次々回は既に日時も決定している。
 次々回は今秋、10月19日の土曜日、タイトルは『五郎と「共謀」コンサート』である。出演はメインに中川五郎をお迎えして、共謀ミュージシャンたちが彼をサポートして、たっぷり存分に唄って頂き音楽活動半世紀越えと、古希を大々的に皆でお祝いする場といたしたい。これこそが我にできる、十代の頃に出会い長年お付き合いして頂いた御大五郎氏に対する「恩返し」である。恩は生きている間に形として示せねばならぬ。きちんとコンサートとしてお返ししたいと心から願う次第だ。

 それ以後については現時点では全く未定で、我が父も我もまた明日をも知れぬという気分でいる。企画としては、みほこんのレコ発コンサートの続きも、さこさんと西島さんの懸案のジョイントコンサート「おじんブルース&カントリー」も絶対開催したいと考えているが、まだ日程もはっきりできないし、まずは5/5を無事終わらせてからだ。

 ともかくまずは、改元の大型連休中の5/5の「共謀」フォークジャンボリーを何としても大盛況のうちに終わらせて、今夏は家に籠り我が人生のこれからと父の死後のことに向き合って、秋口の五郎氏のコンサートを迎えてから全てこれからのことは改めて考えなおしたい。
 盛況になりますよう、一人でも多くのご参加ありますよう、神様お願いである。今回はあえて高名のベテランシンガーはお招きしていない。気心知れた素晴らしい仲間たちと、とことん存分のんびりと音楽で「共謀」して現時点で最良最高のステージをお見せできると信ずる。どなたさまでもお気軽にぜひご参加頂きたい。

 死後の世界、あの世もあると信じたいし存在すると思うが、しかしそれは別次元のことであり、現実的には、接触不可能、没交渉なのである。死んでしまえば向うもこっち側もどうしようもできない。ならばこそ、我ら誰にとっても残り少なくなってきた現実人生を、生きている間に、有意義に無駄なく活用していかねばと思う。こんな我でもまだできることとすべきことがあると信ずる。皆同じ思いだと思う。そう信じたい。

 で、神様お願いというわけだ。今さら恋人と会いたいとかあの娘が欲しいなんて思いもしない。ただ、願うは、こうした機会ある場に、同じ思いを持つ方々が皆集い出会い、さらにそこから連帯・共謀発展できるようになりますように、力が結集できますように。そのコンサートが無事盛況となりますように、ただ祈り願うだけだ。
 則天去私である。
 「安倍 イズ OVER」も含めてのことだ。そう、真に終わりにしよう、と心から願うは安倍政権、自公政治なのである。神様、どうかコンサートが盛況、成功となりますように。お願いします。

深くふくよかな歌声とバンジョー達人の調べ、古川豪オンステージ!!2019年04月21日 23時34分33秒

★豪さん健在ぶりをしっかり示してくれた。

 今日、21日は、ウチの市や国立市でも統一地方選後半の市議選投票日であった。
 この一週間煩く走り回っていた宣伝カーは、投票日当日の今日は影を潜め、投票という審判の日であり、本日中の開票作業で間もなく当落の結果も出る。我が支援してきた候補は当選できたか。

 そんな日であるが、今日は月一恒例、午後2時から一橋大正門前での辻つじ反戦流しの手伝いで、我も5/5日のチラシも撒かせてもらい、いったん家に戻って夕方からは国分寺ギ―での古川豪のコンサートに顔出して来た。
 いろいろあって昨晩も睡眠不足で、体調はすぐれなかったが、久々再会の京都の古川豪さん、素晴らしいコンサートであった。共演の館野公一さんもグッド、ジョブ!の一言で、我は大いに堪能し満足し疲れも吹き飛んだ。
 前回来られたときは、私的事情で行けずに失礼したが、我にとって中川五郎氏と共に、フォークソングというものを身をもって教えてくれた師であり、ほんとうに京都に足向けて眠れない程の恩人である。

 ただ、この数年、上京のライブでは、やや元気がないように見えて、個人的には物足りなさと不安を正直感じていたし体調すぐれぬのかと案じていた。あまりお話の機会もなく我は彼を怒らせるようなことを何かしたのかもと気にしていた。
 しかし今日は以前のように明るくお元気で、卓越したギタープレイに、唯一無比の深く心に染み入るバンジョーの調べ、さらに深くふくよかな歌声も健在で心から堪能、満足できた。我が十代の頃から知る、サービス精神あふれる豪さんであった。

 今日は父を、施設に予定を変えて長く預けて行ったわけだが、観れて久々にお会いできて本当に良かった。そう、思えばこの季節、五月の連休には、かつては毎年、春一番のついでに京都にも寄って、オクノさんの六曜社で珈琲を飲んで語らってからレンタル自転車で大徳寺まで上って行って彼のお店に顔出していたのである。

 うんと若いとき、70年代半ばの「春一番」で、貧乏農場という若手バンドを率いる彼を見て、その音楽に驚かされて以来、思えば40数年の月日が流れた。
 その頃は、ピート・シーガーもマイク・シーガーもマウンテンミュージックも何も我は知らなかった。知ってたのは、RCサクセションとか拓郎、岡林ぐらいであった。
 そして後にフォークロアセンターの国崎さんや様々な先人と出会い、日本のフォークソングの背景にあるもの、ディランのみならずカントリーやアパラチアン、ウッディ・ガースリー、そしてピート・シーガーを教わった。むろん京都でお会いした古川豪さんからバンジョーの奥深さ、神髄を眼前で学ぶことができた。

 昔からずっと彼の音楽、その卓越したプレイを観聞きしてきたわけだが、我も彼も歳をとったと思うが、その彼の音楽世界はますます身近に、我の中で大きな存在として深く理解できるようになってきた。それだけ我も昔に比べて少しは学び知り得たことも増えたということだろう。
 本当に素晴らしいプレイヤー、偉大なシンガーである。まさに関西フォーク最後の巨人、日本のピート・シーガーだと心から敬愛していることをここに記しておく。同時代に生きていることの幸福を噛みしめて眠りに就こう。

共産党よ、大義の旗を再び高く掲げよ2019年04月22日 20時19分54秒

★よりマシな「悪」などありえないではないか。

 統一地方選の後半も終わった。我が支持しひそかに応援していた人たちは市、区議候補者は全員当選できた。先のかけこみ亭での「女たちの共謀」コンサートに出演された新宿区の高月まなさんも当選した。おめでとう!!パチパチバチ、である。

 だから、まあ全て良しとしたいが、何より一つ気になってることがあり、選挙中は書けなかったのでようやく今から書き記しておく。それはこのところの日本共産党についてだ。
 我が家は代々共産党支持者で、我も長年基本として共産党に何の疑問もなく一票を投じて来た。また、労働学校で少しでもマルクスを齧った者として、科学的社会主義の思想については共感、賛同している。
 何より金持と資本家優遇の資本主義政党自民党に、真正面から対決しているのは共産党しかないわけで、社会主義や共産主義が人類の理想の社会かはともかく、共産党の存在と役割は今も昔も大きな意味と価値を持つことには疑いの余地もない。
 が、このところの共産党は少しおかしいのではないか。たぶん昔からの支持者の中でも同様に感じている人も少なからずいるかと思う。
 我は党員ではないので憚ることなくはっきり書く。

 今回は、国政選挙の衆院の補選も行われた。大阪と沖縄である。その結果は、我が事前に予想していた通りのもので、自公は推した候補は二つとも落とした。それ自体は政権の陰り、凋落を示すものとしていよいよ安倍政権の終わりに繋がる一歩として大きな意味があると思う。
 民意を何度でも無視して新基地建設強行の怒りが今も続く沖縄はごく当然の結果であり驚きもしないし、大阪は維新という地域政党が強い特殊な地域での結果だから、これまたその地の「民意」がはっきり示されたと言えよう。先のW選の余勢もあった。
 我が気になるのは、「共産系無所属候補」の惨敗ぶりである。党の基礎票も出てないのではないか。
 野党統一候補として、形だけは何とか整えて、共産党は党のエースを「無所属」候補として先走り的に出したわけだが、野党の足並みが揃わなかったこともあろうが、三位にも食い込めない惨憺たる結果となってしまった。その「敗因」は何か。

 むろん本気の「野党共闘」が成らなかったということもあろう。近づく今夏の参院選を前にして野党はどう足並みを揃えるか、改めて問われている。
 しかし、我はその前の大阪府知事選と市長選のW選での共産党のとった態度こそが、今回批判を浴びて支持が広がらなかったのではないかと勘繰っている。
 共産党は、これまでも自公政治に敢然と立ち向かうとして、彼らの政治を終わらせようと繰り返し強く訴え続けて来た。その共産党が、先の大阪W選では、あろうことかその自民候補を「自主的支援」したのである。
 いかに維新が憎くて維新府政を終わらせたいと願ったとしても、まさに維新が言うようにそれは「野合」であり、そこには理念のかけらもない。大阪維新の会の看板政策である大阪都構想を「地方自治を壊す悪政」と批判し、一方、自民が擁立する候補を支援するのは、「維新政治を終わらせる共同(の取り組み)には大きな意義がある」としても不倶戴天の敵である自民党候補を支援することは絶対に許されないではないか。
 何しろ政策協定も何も結んでないのである。維新政治を終わらせたいからとしても、勝手に「自主的」に自民党候補を支援するなんて共産党がすることであろうか。宮本顕治が生きていたら世迷言だと一喝されたことだろう。

 かりに、自民候補が勝利して維新政治が終わったとしてもそれは、また別の「悪政」が始まるだけの話であり、その成立に共産党は手を貸すのか。そこに責任はないのか。目先の欲に目がくらんだとしか思えない。まさに無責任であろう。
 維新も自公も悪いことは間違いないのだから、さらなる別の選択肢を提示してこそ共産党であり、これまではずっとそうしてきたはずだ。
 そう、共産党の価値はその普遍の「独自性」にあった。

 共産党という政党は、自衛隊や天皇制についても憲法に則り、まさに当たり前の義のあることを訴えて来た。選挙でも当選できる見込みなくとも保守系候補の無投票当選を阻むために、基本常にどの地域、どんな選挙での党の候補者を擁立してきた。ある意味日本の民主主義は、共産党によってかろうじて支えられてきたとも言えよう。
 ただ、その姿勢は、常に独善だとか教条主義、水清き川には魚は住めぬと揶揄されて、批判的に強いアレルギーを持つ人たちも今も昔も変わらずにかなりいる。それもまた当然のことだ。
 しかしそうしたことには我関せず、その独自の活動方針の前衛政党として揺るがないことで、変わらずに支持する層は常に3%は保ってきていた。
 かつては「何でも反対」共産党と呼ばれていたが、それこそが共産党であり、離合集散を繰り返す新党がいくら数多出ようと、日本最古の政党として不動の輝かしい価値と存在感があった。
 ところが・・・
 
 このところの共産党は、もはや何でも反対ではないのである。オリンピックも基本賛成しているし、自党候補者を下ろして野党共闘に前向きに、と方針を大きく変えたりとずいぶんソフト路線に転換して来た。そしてずいぶんアレルギーは減って来たように思えた。
 むろん一強安倍政権に対決していくためには、微小な野党は共闘するしかないわけで、それ自体は間違ってはいない。しかし、そこに最低限の政策協定がなければ、仮に当選が成ったとしても大義はない。

 そして先の大阪W選では、さらに道を踏み外し、本来の敵である自民候補を自主的に支援するという愚をおかした。国政と地方は違うという言い訳論理こそ、共産党が常に厳しく指弾し批判してきたはずなのに。
 と、ここまで書いたら、堺市の竹山市長が自らの政治資金管理問題の責をとって辞職の報が入って来た。
 この市長も共産党は、かつて維新候補との選挙戦で「自主的支援」して誕生させたのである。真相はまだ判明していないが、共産党も見識を疑われる事態ではないか。
 
 繰り返す。よりましな悪などないのだ。「悪」は悪であり、そこに義はない。維新潰しが目的だとしても自民党と「共闘」し、自らの党の候補は示さずに自民党の候補者を「自主的支援」するなんてありえない。そんなことをすれば昔ながらのコアな共産党支持者は呆れ果て、支持を失うだけだ。そしてそれが今回の大阪の補欠選挙に響いているのではないか。

 共産党の価値は何よりその独自性にある。今のようなその場しのぎの日和見主義では、やがて誰もが呆れ果て旧来の支持者さえ失ってしまう。イデオロギー政党として、自らに誤りがないと信ずるならば、まず大義の旗を再び高く掲げよ。常に正論を語れ、選挙で揺るぐことなく示していけ。自公政治ととことん本気で対決していけ!敵の敵は味方ではない。あくまでも敵は敵でしかないではないか。よりマシな悪などありえない。
 
 共産党は、共産党であれ!